後世に語り継ぐ事業シリーズ
社会貢献賞 竹谷愛子の知られざる功績
編集担当者 小沢 治子元編集委員・安川美音子編集委員
(文中敬称省略)
はじめに
「後世に語り継ぐ事業シリーズ」として対象者リストを作っており、リストに搭載して『竹谷愛子』を取り上げることになったのは二〇一六(平成二八)年度のことである。
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小沢 治子 安川美音子
『竹谷愛子』の功績の特徴として、町内より国の機関や北海道内団体等町外からの評価が高く、先行して表彰が授与され、後追いの形で上富良野町からの表彰が行われている。
主要な功績としては、婦人防火クラブや中央婦人会活動を柱としたもので、注目すべき特徴は、この団体の組織活動としての表彰に加えて、個人の功績に対しても授与されている点である。
上富良野町の憲章・表彰制度は、昭和三十六年に名誉町民条例・表彰条例が制定施行されて以降「自治功労・社会貢献・善行・勤続」の四分野に対して行われていたが、この四分野に包含されていた文化・スポーツ分野については、昭和五十一年に新たに教育委員会表彰規則を制定して町教育委員会の所管として分離して現在に至っている。町村長等・議会議員や行政委員会委員等の行政施策への功労に対して「自治功労賞」、民間事業・活動としての貢献に対する「社会貢献賞」の区分しかなく、竹谷氏に平成一七年に授与された「社会貢献賞」の表彰事由が「社会福祉協議会の理事として、永年にわたり社会福祉の向上に貢献」であることは、彼女の幅広い活躍を知る人々としては釈然としないものではなかろうか。
本稿では、残されている資料から故『竹谷愛子』の功績を偲ぶとともに、断片的にはなってしまうが彼女が関わった事業や活動を紹介してみる。
掲載省略:町報誌面 広報かみふらの2005(平成17)年11月10日号から
竹谷愛子氏の略歴
竹谷愛子は、一九三〇(昭和五)年八月一〇日上富良野町島津において父笠原重郎、母こまつ(・・・)の一男三女の長女として誕生。上富良野の小・中学校を卒業し、道立富良野高等女学校を卒業した。
卒業後の一九四八(昭和二三)年四月中富良野小学校の代用教員を六ケ月・同年一〇月からは上富良野農業協同組合に採用され一年六ケ月勤務した。
一九五一(昭和二六)年三月一四日にご縁があり竹谷岩俊(役場職員)と結婚し、昭和二九年一〇月一粒種の長男俊人が誕生している。
この間の一九五二(昭和二七)年三月、準学校法人北海道ドレスメーカー女学院旭川分院(二年制)を卒業、四月より旭川市ムツミ洋装店にデザイナーとして就職。一九五四(昭和二九)年一月上富良野に帰り竹谷洋裁学院を開校した。
学院長として活躍され、その後料理教室・お茶・お花の教室を開き女性の地位向上のため沢山の生徒を指導し地域の発展のために活躍、尽力された。輩出した多くの教え子たちは、地域の女性リーダーや女性活動の中核者として活躍している。
一方、中央婦人会・西富婦人会において長らく地域婦人会活動を主導したほか、一九六二(昭和三七)年の消防庁通知によりスタートした婦人(女性)防火クラブの全国組織化に際して、いち早く組織化された上富良野町婦人(のち女性に改称)防火クラブ、また北海道内の同クラブ連絡協議会の要職を長年務めて、防火思想普及啓発に努力している。地域婦人会活動と婦人(女性)防火活動については、別項を設けて後述する。
子息の談によると、趣味は旅行で、家族と行く国内旅行を楽しんだとのことである。
子育ては子供の意思を尊重しながらも、一見すると放任主義だったが、家庭教師を付ける等教育熱心であり、学校行事には必ず出席している。
孫の学校行事にも自分で車を運転して在住する札幌迄行き、また俊人氏ご家族の折々の帰郷をとても楽しみにして、孫の成長を優しく見守っていたという。
二〇〇〇(平成一二)年最愛のご主人が先立たれたが、落ち込む気持ちを奮い立たせて日常を過ごしていた。その後、体調を崩したことから長男俊人家族と同居するため、平成二三年一二月札幌に転居して療養していた。
しかし、二〇一五(平成二七)年七月病状が悪化したことから入院加療をしていたが、同年一一月九日容態が急変し家族の見守る中、午後〇時一二分「急性心不全」により満八四歳の生涯を終えた。
公職・団体職歴と表彰
団体役員歴や町等公職歴は数多く、分野ごとに大別すると上富良野町中央婦人会を代表とする地域女性団体活動、上富良野町女性防火クラブを代表とする女性の立場による地域安全活動、職業として携わった洋裁学院に関わる私立専修学校関連団体活動、上富良野町社会福祉協議会理事として深めた広範な社会福祉活動、加えてこれらの四分野に関わる上富良野町等の行政審議会などに従事し多忙な日々を送っている。
当然の様にして、これらの活動や地域への貢献が評価され、極めて多様な功績事由によって、数々の表彰・感謝状を受けている。
これらの表彰歴を見ると、上富良野町内に限らず、富良野圏域や北海道に広がる活動も大きく評価されている状況が見て取れる。
勤勉かつ努力家で、寛容な人柄により誰からも信頼され期待されたことから、多忙にまぎれることなく、随所に功労を残す結果につながった。
主な公職・団体職歴
主な公職・団体職歴 | |
S38年11月25日〜S49年 3月31日 | 上富良野町婦人防火クラブ会員 |
S49年 4月 1日〜S50年 3月31日 | 上富良野町婦人防火クラブ理事 |
S50年 4月 1日〜S52年 3月31日 | 上富良野町婦人防火クラブ監事 |
S52年 4月 1日〜S53年 3月31日 | 上富良野町婦人防火クラブ理事 |
S52年 4月 1日〜H22年 3月31日 | 上富良野町中央婦人会会長 |
S53年 4月 1日〜S54年 3月31日 | 上富良野町婦人防火クラブ副会長 |
S54年 4月 1日〜H 2年 3月31日 | 上富良野町社会福祉協議会理事 |
S54年 4月 1日〜H13年 3月31日 | 上富良野町婦人防火クラブ会長 |
H13年 4月 1日〜H23年 3月31日 | 上富良野町女性防火クラブ会長 (平成13年4月1日組織名称改正による) |
S60年 4月 1日〜H元年 3月31日 | 上富良野町交通安全協会理事 |
S61年 4月 1日〜H21年 3月31日 | 上川南部婦人防火クラブ連合会会長 (平成21年3月31日組織再編解散) |
S63年 5月16日〜S63年12月 3日 | 上富良野町総合計画審議会委員 |
S63年11月 2日〜H11年 3月31日 | 北海道婦人防火クラブ連絡協議会会長 |
S63年11月 2日〜H11年 3月31日 | 北海道少年婦人防火委員会委員 |
H元年 4月 1日〜H14年 3月31日 | 北海道私立専修学校各種連合会旭川支部監事 |
H 3年 4月 1日〜H 5年 3月31日 | 全国婦人防火クラブ連合会監事 |
H 5年 4月 1日〜H 7年 3月31日 | 上富良野町女性連絡協議会副会長 |
H 5年 4月 1日〜H 7年 7月31日 | 全国婦人防火クラブ連合会理事 |
H 6年 8月 1日〜H17年 7月31日 | 上富良野町社会福祉協議会理事 |
H 9年 4月 1日〜H11年 3月31日 | 上富良野町女性連絡協議会副会長 |
H 9年 8月20日〜H16年 3月31日 | 上富良野町行政改革推進委員会委員 |
H 9年11月25日〜H10年12月16日 | 上富良野町総合計画審議会委員 |
H11年 4月 1日〜H13年 3月31日 | 上富良野町防犯協会・暴力追放運動推進協議会理事 |
H11年 4月 1日〜H15年 3月31日 | 上富良野町女性連絡協議会会長 |
H13年 4月 1日〜H15年 3月31日 | 上富良野町防犯協会・暴力追放運動推進協議会監事 |
H13年 4月 1日〜H17年 3月31日 | 上富良野町食生活改善推進委員会会長 |
H21年 4月 1日〜H23年 3月31日 | 富良野広域連合幼少年女性防火委員会副会長 |
主な表彰等受賞歴
S58年 5月 2日 | (社)北海道私立専修学校各種連合会長表彰 |
S61年 1月11日 | (社)日本損害保険協会長表彰(自主防災活動) |
S61年 9月26日 | (社)北海道私立専修学校各種連合会長表彰 |
H元年 2月10日 | (財)日本消防協会長優良婦人消防隊員表彰(自主防災功労) |
H元年 4月25日 | 上富良野町文化連盟会長文化貢献賞表彰 |
H元年 7月 4日 | 上川地区社会福祉協議会長表彰 |
H 4年11月18日 | 日本赤十字社社長より感謝状 |
H 5年 2月19日 | (財)日本防火協会長表彰(防火防災活動) |
H 6年11月 9日 | 自治大臣表彰(安全功労) |
H 7年 7月 5日 | 専修学校制度制定20周年記念 全国専修学校各種学校総連合会表彰 |
H 9年 7月31日 | 上富良野町開基100年記念 上富良野町長表彰 |
H 9年 9月 5日 | 社会福祉法人北海道共同募金会長表彰 |
H10年 3月 7日 | (財)日本防火協会長自治体消防50周年感謝状 |
H11年 5月24日 | 北海道婦人防火クラブ連絡協議会長感謝状 |
H13年10月17日 | 北海道社会福祉協議会長表彰 |
H14年 7月12日 | 旭川保護観察所長より感謝状 |
H16年 5月31日 | (社)日本損害保険協会長「奥様防災博士」感謝状 |
H16年 8月 2日 | 北海道社会貢献賞表彰 |
H17年 4月29日 | 平成17年春の叙勲 旭日双光章 |
H17年11月 3日 | 上富良野町社会貢献賞 |
婦人・女性活動の変遷
上富良野町開基百年記念協賛事業として『かみふらの「女性史をつくる会」(会長倉本千代子)』により平成一〇年三月一日に発行された『かみふらの女性史』第三章団体編女性の団体活動の序文に、上富良野における婦人・女性活動の変遷が掲載されているので、転載し彼女が活躍された時代的背景と推移を紹介する。
== 婦人団体として最初に創立されたのが「愛国婦人会上富良野支部」で、明治三十四年二月に全国組織が創立された後であるが、その時期は定かでない。愛国婦人会は主として公職者、有志有力者の夫人が多く、会費が高かったので一般には普及せず、皇室の行幸、行啓等には前列に出る事ができ、軍隊の視察、見学には優遇を受けていた。
昭和一〇年六月一一日、満州事変の影響により国家総動員の立場から大日本国防婦人会が創立され、下部における町村の組織として「国防婦人会上富良野分会」が設立され、愛国婦人会上富良野支部との協力のもとに軍人援護、遺家族慰安、生活改善、慈善事業その他の国民運動に全力をあげた。国防婦人会は国家非常時というので強力に推進されたので全戸加入の形となり、戦争に対する婦人の協力態勢を作り上げている。
昭和一六年一二月八日、大東亜戦争勃発によって一元的に統一されることになり、中央の要請に応じて昭和一七年七月四日「大日本婦人会上富良野支部」 として発足した。会員二一一〇余人で支部長は村長夫人の金子シナ、副支部長山本忍・西野目ユキであった。しかしこの合併も、すでに戦争末期であったため会の活動も思うにまかせず、従って大きな印象を残す事なく、敗戦によって総ての夫人団体は自然消滅の形となったのである。
戦前、戦後を通して婦人会は各地区別に構成されており、戦前は清富、日新、草分、里仁、江幌、静修、江花、日の出、島津、旭野、富原、東中の団体が、小学校の校長夫人が中心となり主に国防婦人会の活動をしていた。戦後は統一的ではなく個性のある婦人会が生まれるが、それぞれの地域婦人の教養を高め、家庭的、社会的地位の向上や、生活改善などを目的として設立され、料理講習、敬老会、学校行事への参加、慰安旅行、資金造成事業、婦人講座等を行っていた。戦後新しく設立されたのが中央婦人会で昭和二五年八月一〇日の発足である。
昭和二九年八月二日、部落婦人会をそのまま農協婦人部とすることになり、三二名による準備委員会を作り各支部をまとめ九月一一日に上富良野農協婦人部が創立された。
昭和三二年七月一日、町内にあった各単位婦人会を統合し、上富良野町連合婦人会が創立されたが昭和五六年三月に解散している。その後、各婦人団体は個々の活動を続けていたが「婦人団体相互の連携が必要」との声が出て、平成元年一二月二一日、上富良野町婦人団体連絡協議会の設立となった。
第三章(注:「かみふらの女性史」の第三章)では現在、婦人団体連絡協議会に加盟している一〇団体と連合婦人会、更に戦前戦後の各地区婦人会の活動状況の概略と女子青年団について収録したが、他に住民会単位、文化、スポーツなどの分野で個々に活動している団体も多く存在している事は言うまでもない。
婦人団体は、変転する時代の流れの中で、何時の時代にも大きな社会的役割を担いながら、その歴史を重ねてきたが、上富良野町婦人団体連絡協議会は平成九年四月、上富良野町女性連絡協議会と名称を改め、更なる発展をめざして力強く一歩を踏み出している。==
ここには、地域婦人会・地域女子青年団のほかに、全町的団体として
・上富良野町婦人団体連絡協議会…会長 松浦正子
・交通安全協会婦人部…部長 松浦正子
・赤十字奉仕団…委員長 佐々木幸子
・商工会婦人部…部長 小沢治子
・中央婦人会…会長 竹谷愛子
・女性学級…運営委員長 羽賀美代子
・婦人ボランティアあゆみ会…会長一宮孝子
・婦人スポーツ団体協議会…会長 米田スミ子
・JAかみふらの女性部…部長 伊藤元子
・更生保護婦人会…会長 高橋よしの
・母子会…会長 久我みち子
・連合婦人会…六平美子
以上一二団体の組織代表から文章が寄せられており、時代の推移とともに、活動の多様化と先進化の経緯が読み取れる。
中央婦人会活動
『かみふらの女性史』に中央婦人会当時会長の竹谷愛子が寄稿した文書を転載する。
現在に続く中央婦人会の活動の柱が、竹谷氏と同時期の役員各位により創造され、町の女性活動全般に様々な影響を残してきたことが推察できる。
== 中央婦人会は、婦人の地位向上と親睦を深めるため、昭和二五年八月一〇日に設立された。市街地という特殊性と近代社会の複雑のため、一時休会となっていたが、昭和三〇年四月一日に再発足し、会員の親睦を図ることを目的とした。毎年続いている納涼盆踊り大会の仮装行列は、当時呼物の一つでもあった。また富良野市の国の子寮へは、裁縫道具を持って縫い物の奉仕作業をし大変喜ばれた。
昭和三五年、当時話題となった青少年健全育成の見地から「愛の鐘」の建設案を打ち出し、会長宮野静江が期成会長を努め、町内の方から募金を募り、その金額は三〇万円にもなった。現在役場の屋上から奏でる「愛の鐘」は、昭和三六年七月一五日に鳴鐘式が行われ、今日まで街中に響き渡っている。また町民プール(上富良野町神社境内に設置)の建設にも支援協力をした。
昭和五二年、婦人会活動も長い間続いてきたが更に発展するため、会の内容を充実することを目的とし、改善委員会を作り会則の見直し、会員の意識向上、より充実した運営のため三部会構成とした。
一、研修部―研修会、講習会の実施
二、奉仕部―環境美化、社会事業への協力
三、レクリエーション部―親睦会、スポーツ交流
各部の事業内容は、部長を中心に活動を行う町内研修会を始め、道外研修会、料理講習会、招魂祭の手伝い、雪祭り雪像づくり慰問、交通安全キャンペーン、特別養護老人ホームの建設に伴い、介護奉仕・社会福祉協議会事業への協力、また会員の親睦を深めるための新年交流会、研修旅行。十勝岳火祭り、仮装盆踊り等町内の各行事への参加と支援を年間の活動としている。また平成元年度から上富良野町婦人団体連絡協議会に加盟し、各婦人団体とのつながりをもっている。
昭和三八年、家庭主婦の防火意識の高揚と啓蒙の役割りを目的とし、婦人防火クラブが結成され中央婦人会も積極的に活動している。防火教室、救命講習会、炊き出し訓練、初期消火訓練、濃煙避難訓練等の研修会への参加。自分の家から火を出さないようお互いに注意するよう呼びかけたり、独居老人宅を訪問し、火の元に気をつけるよう声かけ運動を行っている。平成元年度に北海道婦人防火クラブ連絡協議会の設立と共に加盟し、上富良野町においても、道北大会、上川南部地区大会が開催され、多くの会員が出席している。また北海道指導者研修会等に参加し、活動の場を広げると共に今後もよりいっそう会員の活動内容を充実したいと思っている。==
この記事には、歴代の会長名も掲載されているが、同会の創立五五周年記念誌『婦人会の軌跡』(平成一七年三月三〇日、上富良野中央婦人会記念誌編集委員会発行、以下『五五周年記念誌』という)には更に詳細の活動年表と歴代役員名簿が掲載されている。しっかりとした組織体制の中で、町等が主導する各種施策事業に対して、会の事業として支援協力体制を組み込んでいることに感心するばかりである。
活動年表には、記録が残っている昭和五二年度以降の活動が年次で詳細にまとめられているが、紙面スペースの都合から五年おきに抽出して掲載する。併せて「町内外の出来事」欄で、時代背景を照らし合わせることが出来る。
掲載した歴代役員名簿は平成一六年度までのものだが、『かみふらの女性史』掲載の各団体の代表者名も散見されることから、女性・婦人団体の構成員が縦割りではなく、相互に兼ねていたことや、竹谷氏の幅広いリーダーシップがうかがえる。
掲載省略:写真〜仮装盆踊り大会『奴こさん』 優勝記念 昭和62年8月20日
掲載省略:写真〜昭和58年 三宅島噴火災害見舞金封筒募金にて集める
上富良野中央婦人会創立55年の歩み(昭和52年度から5年ごと抽出)
年.月.日 | 中央婦人会の主要行事 | 町内外の出来事 |
昭和52年 | ||
4月 5日 | 上富良野町連合婦人会20周年記念式典36名参加 | 4月12日 上富良野町連合婦人会創立 20周年記念 |
6月 8日 | 滝川火力発電所見学 25名参加 | |
6月27日 | 旭川敬生園慰問 4名参加 | |
7月3〜4日 | 研修旅行(天人峡)25名参加 | |
7月 5日 | 消防訓練大会支援(十勝岳)8名参加 | 7月 4日 日の出公園設置 |
7月24日 | 上川管内婦人大会参加(士別市)6名 | 8月 7日 有珠山大噴火する |
8月18日 | 盆踊り大会 28名参加 | 8月20日 上富良野町開基80周年記念式典挙行 |
8月20〜21日 | 上富良野町開基80周年記念事業支援及び芸術祭参加 | |
9月15日 | 敬老会支援 10名参加 | |
10月12日 | 町内施設見学 31名参加 | |
10月 | 有珠山噴火災害見舞金2,800円送金する(会員持寄り) | |
11月22日 | 富良野ブロック婦人研修会(富良野市)10名参加 | 12月15日 上富良野町郷土資料館落成 |
昭和53年 | ||
1月12日 | 上富良野中央婦人会改善委員会発足 | |
1月22日 | 新年会 30名参加 | |
3月15日 | 定期総会 | |
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昭和57年 | ||
4月 6日 | 交通安全呼びかけ運動実施 12名参加 | |
7月 1日 | 招魂祭支援 7名参加 | |
7月 8日 | 消火器の使い方講習会後会員親睦会 25名参加 | |
7月19日 | 上川管内婦人大会参加(富良野市)7名参加 | |
7月23日 | 交通安全キャンペーン・ラベンダー香作戦10名参加 | 7月30日 社会福祉協議会が法人化され社会福祉法人 上富良野町社会福祉協議会となる |
8月21日 | 仮装盆踊り 2位入賞 35名参加 | |
9月 1日 | 上川管内富良野沿線ブロック婦人研修会参加(中富)7名 | |
9月 8日 | 施設慰問 旭川やすらぎ園14名参加 | |
9月15日 | 敬老会支援10名参加 | |
9月30日 | なめこ採り(占冠村)13名参加 | |
11月 3日 | 徳の市出店 2名参加 | |
11月6〜7日 | 婦人防火クラブ研修会参加(江別市) | |
11月10〜12日 | 富良野地区リーダー研修参加(岩見沢市外) | 12月15日 町内電話局番が2桁になる |
昭和58年 | ||
2月 2日 | 新年会 31名参加 | |
2月 5日 | 雪像作り慰問10名参加 | |
2月 6日 | 雪まつり接待 6名参加 | |
3月28日 | 定期総会 | |
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昭和62年 | ||
7月 1日 | 招魂祭支援 5名参加 | |
7月15日 | 交通安全キャンペーン・ラベンダー香り作戦15名参加 | |
7月25〜26日 | ラベンダーまつり支援 2名参加 | |
7月27〜28日 | 研修旅行(積丹方面)18名参加 | |
8月20日 | 仮装盆踊り 1位入賞 33名参加 | |
8月21日 | 全道婦人大会参加(札幌市)3名 | |
9月16日 | 北海道婦人の集い参加(札幌市)2名 | |
10月18日 | 特養ラベンダーハイツ奉仕 15名参加 | |
11月 3日 | 徳の市出店 2名参加 | 11月1日 町社会教育センター完成 |
11月24〜28日 | 富良野広域圏道外研修(埼玉県) | |
昭和63年 | ||
1月12日 | 雪まつり支援 11名参加 | 1月 1日 第1回北の大文字焼き開催 |
2月 2日 | 新年会 48名参加 | |
2月23日 | 上富良野町社会福祉大会参加 2名参加 | |
3月25日 | 定期総会 30名参加 | 3月13日 青函トンネル開業 |
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平成5年 | ||
4月27日 | 婦人防火クラブ独居老人宅防火啓蒙訪問に参加3名 | |
5月31日 | ふれあい花壇整備(日の出公園)31名参加 | |
6月30日 | 特養ラベンダーハイツ奉仕・カリカワ見学27名参加 | 6月 9日 皇太子徳仁親王殿下御成婚 |
7月 1日 | 招魂祭支援 5名参加 | |
7月17日 | ラベンダーまつり支援参加 20名 | 7月12日 奥尻島沖地震大惨事となる |
7月23日 | 上川管内婦人研修会参加(美瑛町) | |
7月28日 | 交通安全キャンペーン・ラベンダー香り作戦23名参加 | |
8月 7日 | 十勝岳火まつり支援16名参加 | |
8月21日 | 仮装盆踊り(琉球人形)1位入賞 35名参加 | |
9月12〜13日 | 研修旅行(釧路方面)15名参加 | |
9月30日 | 婦人防火クラブ全国大会参加(夕張市)10名 | |
10月12日 | 親睦パークゴルフ大会 24名参加 | 天候不順のため全国の作況指数(平年値が100)が74の 大凶作(タイ米等緊急輸入~平成6年の夏ごろまで) |
10月29日 | 富良野地区婦人リーダー道外研修参加 | |
〜12月2日 | (四国方面)1名 | |
12月17日 | 豆腐作り講習会参加 2名 | |
平成6年 | ||
1月27日 | 雪像作り自衛隊慰問 10名参加 | |
1月31日 | 新年会 53名参加 | |
2月 6日 | 雪まつり支援 | 2月10日 十勝岳26年ぶりに大噴火する |
3月30日 | 定期総会 38名参加 | |
======================================================= | ||
平成10年 | ||
4月30日 | 婦人防火クラブ独居老人宅防火啓蒙訪問に参加3名 | |
5月 6日 | ふれあい花壇整備(日の出公園)17名参加 | |
6月26日 | 特養ラベンダーハイツ奉仕 26名参加 | |
6月29日 | 独居老人宅防火啓蒙はがき書き支援 4名参加 | |
7月15日 | 交通安全キャンペーン・ラベンダー香り作戦25名参加 | |
7月17日 | 上川管内女性大会参加(名寄市) | |
7月19日 | ラベンダーまつり支援 1名参加 | |
8月20日 | 仮装盆踊り 38名参加 | |
8月23日 | ふれあい広場支援 7名参加 | |
8月25〜27日 | 研修旅行(奥尻方面)22名参加 | |
9月24日 | 婦人防火クラブ防火パレード参加 20名 | |
10月13日 | 親睦パークゴルフ大会 12名参加 | |
10月16日 | 婦人防火クラブ独居老人宅防火啓蒙訪問に参加3名 | 9月 1日 町開基100年記念「上富良野百年史」発刊 |
10月30日 | 救急救命講習会実施 15名参加 | |
12月 2日 | 独居老人宅へ防火啓蒙年賀状書き支援 3名参加 | |
12月31日 | 北の大文字焼き支援 2名参加 | |
平成11年 | ||
1月28日 | 新年会 40名参加 | |
3月19日 | 定期総会 42名参加 | |
======================================================= | ||
平成15年 | ||
6月 6日 | ふれあい花壇整備(日の出公園)7名参加 | 4月27日 日の出パークゴルフ場オープン |
6月20日 | 上川管内ボランティアの集い参加(旭川市) | |
7月5〜6日 | 研修旅行(天売島方面)26名参加 | |
7月18日 | 交通安全キャンペーン・ラベンダー香り作戦36名参加 | |
8月24日 | ふれあい広場支援 27名参加 | |
10月 1日 | 親睦囲碁ボール大会開催 29名参加 | |
10月23日 | 特養ラベンダーハイツ奉仕 28名参加 | |
11月12日 | 研修会「廃油石鹸作り」開催 19名参加 | |
平成16年 | ||
2月 3日 | 新年会 50名参加 | |
3月 6日 | ボランティアスクール 8名参加 | |
3月9〜10日 | 富良野地区女性リーダー研修会参加(静内町) | |
3月30日 | 定期総会 |
その他支援活動関係 * 特養ラベンダーハイツ入浴サービス支援 平成2年4月1日より開始 毎月2回〜4回実施 * サテライトディサービス支援 平成11年10月1日より開始 毎月2回実施 * 独居老人昼食会支援 平成11年6月17日より開始 年間2回実施 |
いしずえ大学(旧老人大学)
竹谷は、上富良野町老人大学(当時)において講師を勤めた。
竹谷洋裁学院の学院長として専門の洋裁講師を勤めていたが、洋裁学院では洋裁だけではなく手芸教室や講師を招聘した書道教室、茶華道など、住民からの受講・教授の要望に対応した教室を開催していたことから、いしずえ大学(旧老人大学)を開設所管する上富良野町教育委員会からの要請を受けてのことであった。
この機会に、教育委員会の資料から「いしずえ大学」の学制制度の改定を含めて沿革を示しておく。
=== いしずえ大学の沿革 ===
・一九七二(昭和四七)年六月一六日
上富良野町老人大学開講式 (就学年限二年)
・一九七三(昭和四八)年三月二四日
老人大学第一回修了式
・一九七四(昭和四九)年三月八日
老人大学第一回卒業式
・一九七四(昭和四九)年四月一日
学制改正:大学院二年増設
(本科二年、大学院二年の四年制)
・一九七六(昭和五一)年四月一日
学制改正:専攻科二年増設
(本科二年、大学院二年、専攻科二年の六年制)
・一九九三(平成五)年四月一日
名称変更:「老人大学」から「いしずえ大学」に)
学制改正:本科二年を四年に、専攻科を廃止
(本科四年、大学院二年、研究科四年の十年となり、現在に至る)
・二〇一六(平成二八)年四月一日
学制改正:同窓科を新設
(大学院二年をもって卒業、希望により研究科四年間、同窓科一年
ごととなり、現在に至る)
教育委員会において老人大学(当時)を開設したのは、その頃農業の機械化が著しく進み始め、農村地域では次世代への経営移譲が推奨されたことや、医療や生活水準の向上から、長寿化の兆しとともに元気な高齢者が増え始めた。
従来から青年、職業成人、婦人に対しては教育委員会所管事業による学習の場が提供されていたが、高齢者に対しては地域老人会(老人クラブ)を中心に福祉行政のもとに位置付けられていた。高齢者は敬老と労わりの対象であり町の施策としても、一九六一(昭和四六)年に上富良野町福祉センター(現公民館)、一九六三(昭和四八)年に老人身障者センター(現子どもセンター)が相次いで建設され、一九六二(昭和四七)年一月からは七〇歳以上の老人医療費の無料化(当時)が実施された。
このような時期に、意欲のある高齢者に学ぶ機会を提供し、併せて地域の高齢者活動を担っていた老人会(老人クラブ)のリーダー育成研修の場とするため、老人大学がスタートした。
当初は、育成研修(就学)期間を二年としてスタートし、その後の地域リーダーとしての活躍を期待したのだが、豊富なカリキュラムと同時に課外活動に位置付けられた各種クラブが人気を博したためか、就学延長の要望が沸き起こった。町ではこれを受けて、一九七四(昭和四九)年に大学院二年を増設して通算四年制となったが、この二年後にも修学延長の要望が出て、更に専攻科二年を増設して通算六年制になった。老人大学が目標としたリーター研修の趣旨が薄れ、『老人大学(いしずえ大学)』と『地域老人会(クラブ)』が並立する活動の場となっていった。六年制になった一九七七(昭和五二)年度と実質年限無制限となった二〇一八(平成三〇)年度の年間学習計画表を掲載する。
地域老人会名簿に名を残しながらも活動に加わらず、老人大学(いしずえ大学)に通学するものが増え、近年では、このどちらにも属さない高齢者スポーツや趣味のサークルが設立され、元気な高齢者の活動の場となっている。この現象は、多くの高齢者が所在するにもかかわらず、地域老人会(クラブ)の衰退や消滅という実態を招いている。
今後当分の間増加が予測される高齢者層に対応するためなのか、一九九三(平成五)年に就学期間を一〇年に延長、更に二〇一六(平成二八)年からは一一年目以降は一単位の同窓科を設け、実質無期限就学が可能になっている。
掲載省略:1981(昭和56)年6月16日発行の老人大学十周年記念誌表紙
=== いしずえ大学の講師たち ===
一九八一(昭和五六)年六月一六日発行開校十周年記念誌の講師名簿に「文連(料理)竹谷愛子」の記載があったことから、毎年度発行する思い出文集の記事を追跡したところ、
・一九七六(昭和五一)年度 料理実習講師
・一九七七(昭和五二)年度 料理実習講師
・一九九〇(平成二)年度 手芸部講師
・一九九二(平成四)〜九八(平成一〇)年度
手芸部講師
の記載が残っている。残念ながら、一九九二(平成四)年三月一一日発行の開校二十周年記念誌には十周年以降一〇年間のクラブ活動講師名が正確には整理されていない。
いしずえ大学に名称を変えて、二〇〇二(平成一四)年六月一四日発行の開校三十周年記念誌、二〇一二(平成一四)年六月一五日発行の開校四十周年記念誌に平成四年以降の講師名が掲載されているので、調べることができた範囲で補充して掲載し、講師各位のいしずえ大学(老人大学)運営に対する功労を示す。
なお、平成三年度以前については、講師(指導者)名、クラブ名(指導内容)、活動時期を総合的に整理された記録がなかったので、掲載しない。残る資料のみからの推定では、平成四年以降の講師との重複を含めて、およそ二五分野、実数六〇名前後の方が指導に携わっている。
クラブ活動の講師名(平成四年度以降のみ)
○書道クラブ
板東 文子 平成四から八年度まで
森本 京子 平成五年度から現在
○ダンスクラブ
加藤 満彦 平成四から二十年度まで
○民舞クラブ
片山 千枝 平成四から八年度まで
葛本美智子 平成九年度から現在
○合唱クラブ
大柳 房子 平成七から一四年度
出澤 望 平成一五から現在
○歌謡クラブ
佐藤 卓二 平成一三から一五年度まで
○体操講師
太田 春雄 平成一三から二〇年度まで
○民謡クラブ
福家 敏治 平成二一から二二年度まで
○手芸グラブ
竹谷 愛子 平成四から一〇年度まで
○フォークダンスクラブ
安達 澄子 平成一七から二六年度
山本きみ子 平成二七から現在
竹谷氏 旭日双光章受章
竹谷は、北海道婦人防火クラブ連絡協議会の初代会長としての功績により、二〇〇五(平成一七)年春の叙勲において『旭日双光章』を受章した。
掲載省略:額装『旭日双光章』写真と受章祝賀会しおり
これを祝して平成十七年六月四日、プラザトミヤマにおいて発起人会(代表 久野初枝)主催による『竹谷愛子会長叙勲受章祝賀会』が開催された。
竹谷愛子の多方面の活動の中で、上富良野町婦人防火クラブの結成に大きくかかわり、昭和五四年に会長に就くと活動の場を富良野地区、北海道、そして全国へと広げ、その功績により叙勲を受章した訳だが、町民にはこの活躍内容があまり知られていない。
この叙勲の上伸事務に携わった当時上川南部消防事務組合藤田三郎消防長の配慮により、富良野広域連合上富良野消防署から上申時の資料を得たので、本稿の記載と重複する部分もあるが、この全文を掲載する。
== 叙勲受章に関する功績 ==
竹谷愛子さんは、『防火は家庭から』の信念のもと、婦人による防火体制の構築に奔走し、昭和三八年一一月上富良野町婦人防火クラブが結成され、地域婦人層の念願を実現に導き、北海道内でも数少ない婦人防火組織で、以後、結成される地域のモデルとして、関係機関より注目を浴びた。
以来永きにわたり、防火思想の普及、組織の拡充、広域化などに情熱を注ぐなど、今日ある地域婦人防火体制の礎を築いた。
昭和五四年四月、上富良野町婦人防火クラブ八代目会長に就任すると、地域婦人防火の指導者として、火を出さない運動、初期消火活動など従来の事業推進はもとより、組織基盤の充実、クラブ員の資質向上を図るため研修会等を行うとともに、防火思想普及事業を提言、実践して火災予防の推進に情熱を持って行動を起こした。
また、災害対応能力を一層高めるためには、近隣との密接な連携と協力体制を構築することが重要であると認識し昭和六一年四月に二クラブ、会員三三九四名からなる上川南部婦人防火クラブ連合会を結成に導き、豊富な知識並びに卓越した指導力により全幅の信頼を寄せられ、初代会長に就任した。以来、十九年有余の永きにわたり会長としてその指導力を発揮し、各クラブの連携を深めながら連合会の育成強化を図り、火災予防思想の普及向上に努めた。
昭和六一年一月には、日本損害協会の「奥さま防災博士」となり、防災教育や防災訓練に積極的に参加し地域防災力の向上に情熱を注いだ。
さらに、北海道における婦人防火体制の確立を目指し、昭和六三年一一月に設立された北海道婦人防火クラブ連絡協議会においては、準備から参画し、結成に導くとともに、初代会長に就任し、同協議会の円滑な運営に努力を捧げた。
会長就任以来一〇年有余の永きにわたり、同協議会の婦人防火事業の推進をはじめ、一般財団法人日本防火協会が推進する事業等への協力など、常に指導者としての重責を担い、地域における自主防災体制の確立に向けて中心的な役割を果たした。
平成三年四月から平成七年七月までは、全国婦人防火クラブ連合会の監事及び理事を務めた。その間、その責務を理解し、同連合会の運営、組織の拡充、活動の広域化等、献身的に職務を遂行した。
また、日本防火協会が主催する母と子の防火全国大会、婦人防火全国大会等にも積極的に参加し、防火啓発及び家庭防火推進活動を通じて全国レベルでの直接的情報交換を行ない、全国の婦人防火クラブ活動の発展に寄与した。
《主な受賞歴(消防関係)(団体・個人)》
・昭和六一年 日本損害保険協会長表彰(自主防災活動)
・平成 元年 日本消防協会長 優良婦人消防隊員表彰(自主防災功労)
・平成 五年 日本防火協会長表彰(防火防災活動)
・平成 六年 自治大臣表彰(消防功労)
・平成一〇年 日本防火協会長 自治体消防五〇周年感謝状
・平成一一年 北海道婦人防火クラブ連絡協議会長感謝状
・平成一六年 日本損害保険協会長「奥様防災博士」として感謝状
・平成一六年 消防庁長官表彰(安全功労者)
・平成一七年 旭日双光章
・平成二二年 内閣総理大臣表彰(安全功労)
掲載省略:町報誌面〜広報かみふらの2005(平成17)年6月10日号から
掲載省略:写真〜昭和60年竹谷氏が「日本損害保険協会」の奥様防災博士となる
掲載省略:写真〜財団法人日本消防協会表彰旗
掲載省略:町報誌面〜広報かみふらの2010(平成22)年7月25日おしらせ版から
編集にあたって
ご活躍し功労を残された分野が広範に及ぶため、当会「郷土をさぐる会」の編集委員会に於いて担当委員を選定して資料収集に着手したのが二〇一七(平成二九)年一〇月、ご逝去されたのが二〇一五(平成二七)年一一月であったことから、掲載は少し間を開けて先に送ることとしているうちに、本号第三七号になってしまったことに、情報や資料提供をいただいた各位に編集長としてお詫び申し上げたい。
また、取材の一環として、二〇一八(平成三〇)年九月上富良野町公民館において、竹谷生前に親交の厚かった佐々木幸子・藤田敏子・安川美音子(本会編集委員)・小沢治子(本会当時編集委員)・青木淑子に参集いただき座談会を開催した。この様子については私(北向)がボイスレコーダーにより録音し原稿整理に際して参照することにしていたのだが、データを保存していた私物パソコンのハードデスクを破損して消失させてしまい、座談会で語られた貴重なエピソードなどは、極めて雑な手書きのメモにしか残っておらず、本記事中に散見する程度しか盛り込めなかったこともお詫びしなければならない。
この記事については、文末に示す多数の方々のご協力と団体記念誌等文書・書籍を参照させていただいたので、途中で編集委員を退かれた小澤治子氏をと安川美音子編集委員の連名として整理し、私北向編集委員が監修させていただいた。
《ご協力いただいた方々》 (順不同)
元上富良野町女性連絡協議会会長 佐々木幸子氏
元中央婦人会会長 藤田 敏子氏
元竹谷洋裁学院教師 青木 淑子氏
町社会教育指導員 新関 信之氏
とかちだけセレモニーサポート代表 藤田 三郎氏
富良野広域連合上富良野消防署
かみふらの「女性誌をつくる会」
《参考にした資料》
かみふらの女性史 かみふらの「女性史をつくる会」
創立五五周年記念誌 婦人会の軌跡 中央婦人会
創立六〇周年 記念しおり 中央婦人会
創立一〇周年記念誌 親睦 西富婦人会
竹谷氏旭日双光章祝賀会しおり 祝賀会発起人会
老人大学開校十周年記念誌 町教育委員会他
老人大学開校二十周年記念誌 町教育委員会他
開校三十周年記念誌 いしずえ 町いしずえ大学
開校四十周年記念誌 いしずえ 町いしずえ大学
機関誌 郷土をさぐる(第37号)
2020年3月31日印刷 2020年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀