編集後記
編集委員長 北向 一博
本号の表紙絵は、いつもお世話になっている佐藤 喬氏に、本号の「学校の統廃合シリーズ」で取り上げた清富小学校の懐かしい姿を描いていただきました。閉校後の旧小学校は、鉄筋コンクリートの姿でどっしりと残っていますが、相談した結果、児童数も多くいつも校庭がにぎわっていた、1966(昭和41)年頃の様子を、古い写真から何度も修正を加えられ、描き出していただきました。
シリーズ連載している「各地で活躍している郷土の人達」では、明治大学農学部教授を勤められ、2015(平成27)年に退職したばかりの田畑 保氏に原稿を依頼しました。田畑氏は、調査地として郷里の上富良野町を選ばれ、町内在住の同級生である松下 力氏や江幌・静修地区の農業者等の調査協力を得て、明治大学農学部研究報告「北海道の農村社会・再考―上川地方南部上富良野町の事例に即して―」をまとめられました。この調査の際に、私とも面談の機会があり、原稿執筆をお願いしましたが、退職してからというお答えが、今回の掲載となりました。記事にあるとおり、樺太から東京に引き揚げ、戦後開拓事業で静修開拓地区に入地、江幌小学校、江幌中学校を経て富良野高校を卒業されています。
『先人の声を後世に語り継ぐ事業』シリーズでは、「名誉町民 酒匂佑一」氏を特集しました。鹿児島に住む松永守道氏から、自分のルーツ調査で浮かび上がった酒匂氏に、空白を埋めるための照会の書簡が届き、これに答える多数の往復の書類が遺品として残っていたことから、酒匂氏のルーツも同時に判明し、主任編集委員をお引き受けいただいた野尻幹事長が文頭部分で、この経緯をまとめておられます。酒匂氏の、まさに波乱万丈ともいえる人生を、各分野で親交の深かった方々と本誌編集委員の分担、共作の形でまとめられ、まさに圧巻ともいえる大作になっています。結果として、長文になったため、全22項目のうち第1項から第13項までを前編として掲載しています。
ふと目にした筆者の祖父が記した「北海道農事試験場報告第39号」から、祖父猪狩源三氏についての調査を始めたといいます。2016(平成27)年が、1926(大正15)年十勝岳噴火泥流災害から90年に当るため、「泥流地帯の復興にかけた農業技師 猪狩源三の生涯」としてまとめられたのを耳にし、特にお願いをして寄稿いただきました。元の原稿は、「猪狩源三」氏の幅広いご活躍について書かれたものですが、本誌の趣旨をご理解いただき、まことに申し訳なかったのですが、上富良野町に関わりのうすい部分は、割愛する形での再編原稿を頂戴いたしました。
カナダ国アルバータ州カムロース市在住の「ミチコ・ラスムセン」女史からの、「上富良野町とカムロース市の姉妹都市提携」についての依頼投稿です。姉妹都市提携は1985(昭和60)年9月5日に調印され、上富良野町からの提携確認の打診に対して、2015(平成27)年、10月19日カムロース市、市議会で30周年再確認の調印式が行われ、同席上でミチコ女史は「日本カムロース友の会」会長を退任されました。ミチコ女史は、国柄として何かにつけてボランティアが主役となるカナダにおいて、重い責任と負担を負いながら、上富良野町とカムロース市の太い絆を支えてこられました。女史は、富山県高岡市出身で、「多才だが変わり者で、私を溺愛していた」という父の影響を受けて育ちました。なぜ1000エーカー(約400ヘクタール)以上を経営するカナダの農家に嫁ぎ、縁もない上富良野町との友好交流に心血を注がれたのか、寄稿文の中で明らかになっていきます。
次に、「学校の統廃合」シリーズでは、2006(平成18)年3月19日閉校の『上富良野町立清富小学校』について、地域に住む1名と卒業生1名からの依頼寄稿、そして資料編を当会担当編集委員が担当する、3名の記事によって取り上げました。
住民としての執筆者に、閉校当時の清富小学校閉校事業実行委員会長であり、現住の清富住民会長である村上多麻夫氏に白羽の矢を当て、ご依頼を申し上げたところ、快くお引き受け下さり、「閉校記念誌『きよとみ』より」と題して寄稿いただきました。
町外に出られた卒業生を探していたところ、当会編集委員の1人が、母親とその兄弟姉妹が清富小学校出身と聞いて頼み込んだところ、今年平成29年正月に開催の「いとこ会」で執筆担当に選出された第16回(昭和29年)卒業の北條廣史氏に、当時の生活を含めて小学校の思い出を綴っていただきました。
田中正人編集委員担当による資料編には、全卒業生名簿を掲載しましたが、文章末に特記事項として記載のとおり、あえて個人情報うんぬんより、「記憶と記録を、『ふるさと』とのきずなとする」ことを、編集委員会の総意としました。
ほとんど毎号執筆の当会中村有秀会長は、どんな原稿が出てくるのだろうかと、期待の一方で心配をしていたところ、「十勝岳連峰にある避難小屋」が届きました。安全第一の私は、夏山のみのハイカーで、避難小屋があることは実際に立ち寄って知っていましたが、この原稿を読んで、十勝岳連峰登山の黎明期からあった避難小屋も、代を重ねて建て替えられていることを知りました。どこかで聞いた言葉ですが、北国の厳しい山並みを愛でる方々に「なぜそこへ」と問えば、「そこに山があるから」との答える人に、「いざというときには避難小屋があるよ」とアドバイスを与えています。
平成29年3月末日
機関誌 郷土をさぐる(第34号)
2017年3月31日印刷 2017年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村 有秀