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郷土をさぐる三〇号に寄せて
後藤純男画業六十年、開館十五周年を迎えて

後藤純男美術館 館長 行定 俊文

はじめに
 郷土をさぐる会のご活動に携わられている皆様におかれましては、「郷土をさぐる誌」三〇号発刊の節目を迎えられ、先達の皆様から永年変わること無く、地域へのご関心と情熱を保ち、郷土の歴史、文化の保全に取り組んでこられましたことに、心からの敬意を表したいと存じます。
 昨年は日本画家・後藤純男並びに「後藤純男美術館」にとりましても、画業六十年、開館十五周年という記念の年にあたり、昨秋九月一五日には三〇年来後藤純男の主治医を務めて下さっている、東京・聖路加国際病院理事長であり、文化勲章受賞者でもある日野原重明先生に、上富良野町・社会教育総合センターに於いて、基調講演
後藤純男画伯
をしていただいたことは皆様のご記憶に新しいところでしょうか。
 どのような職業にせよ、生業に苦楽は付きものでしょうが、芸術の世界、後藤純男の立場で申し上げれば「絵の世界」も、とりわけ厳しいものがございます。
 少々乱暴な物言いを承知で申し上げれば、画家が百人居て、絵で生計を立てられるのは一人居るか否か…。おそらく、副業を持たずプロの絵描きで身を立てるのは不可能に近い、それ程困難な世界でありますが、千葉県の寺で生まれた後藤純男が、ここ上富良野町で美術館を開設し、八二歳の現在も上富良野のアトリエで絵画制作に励んでおりますのも、後藤の言葉で申しますと、「人との出会いやご縁で運命は成り立っている」ことに尽きるのであろうか。美術館開設に至った経緯につきましては、後段で申し述べさせて頂くとして、後藤純男の今日までの歩みを足早に振り返ってみたい。
院展初入選
 後藤が所属する日本美術院の作品発表の場である「日本美術院展覧会(院展)」は、明治・昭和初期には著名な日本画家・横山大観や速水御舟らが所属し、数ある絵画団体の中でも厳選で知られており、院展に入選することは、すなわち画家としての登竜門でもあった。
 その院展に後藤純男は、今を遡ること六〇年前の二二歳の時に初入選を果たし、それを機に当時、代用教員として勤めていた教職を辞し、プロの風景画家として歩み始めました。

  掲載省略:絵画写真「初入選作『風景』」
後藤純男の生い立ち
 後藤純男は一九三〇年、関東平野の只中、千葉県東葛飾郡関宿町(現:千葉県野田市)の真言宗僧侶・幸男の次男として生まれました。
 純男が二歳の時に、父・幸男と母・喜代は訳あって新しい生活の拠点を、埼玉県北葛飾郡松伏町の宝蔵院へ移し、両親、そして純男を含め七人兄弟での新たなる生活は、宝蔵院はかつて焼失したこともある無住の荒れ寺で、檀家もほとんど無く、そこでの暮らしは貧困を極めるものであった。
 父・幸男も、寺に生まれた身でありましたが、英語が堪能で外交官になることを夢見ながらも、親の健康上の理由などで、僧侶となることを余儀なくされ、一方では生活が立ち行かない寺の経済状態を、学校で英語の教師を務めながら凌いでいた。
 その父が、純男が院展初入選を果たして間もなく、「プロとしてやる(絵を描く)なら他の仕事は一切辞めろ」と理解を示し、後藤が画壇へ歩を進める第一歩には、大きな後押しであったという。
北海道に魅せられて
 風景画家として歩み始めた当初は生まれ育った、埼玉・千葉の利根川や江戸川流域の風景を描いていましたが、人の話しに聞く北海道の広大な土地、雄大な自然に憧れていた後藤が、念願叶い初めて北海道を訪れたのは、院展初入選から約一〇年を経た一九六〇年のことであった。
 北海道への漠然とした思慕は、「北国の美しさは冬にある」ことに気付いたのを機に、回を重ねて訪れる度に強烈な希求となり、北海道ならではの美の追求、ひいては自己探求への旅へと変貌を遂げて行き、道内各地への取材は約一〇に及ぶことになる。
 北海道の風景との出会いで特に印象的だったのは、一一月の初冬、サロベツ原野の見渡す限り霜で覆われたグレー一色の幻想的な景色。そして、山深い渓谷から滴々と流れ落ちる滝、層雲峡の深遠なる世界。それらの出合いに因り、後藤純男の作品に劇的な変化が生じ、院展に発表した層雲峡を主なテーマとした渓谷風景の連作で、日本美術院賞や奨励賞などを数年に亘り連続受賞するなど、後藤純男の名が画壇に知れ渡るきっかけとなった。
活躍のあと
 その後、北海道の「滝シリーズ」が終わり、現在も後藤純男といえば「大和路風景」といわれる五重の塔や三重の塔を主題とした、日本の四季の風景を次々と発表。
 この間、文部大臣賞や内閣総理大臣賞等受賞すると共に、更に一九七九年には国交回復した中国へ、「現代日本絵画展」代表団の一員として加わり訪れたのを機に、中国をテーマにした新たなる絵画表現への取り組みを始める傍ら、東京芸術大学教授や西安美術学院名誉教授など、後進の指導や、中国で日本画の普及に努めるなど活動の幅も広がりをみせてきた。
 更に、一九九五年にはフランス・パリで初の個展を開催。入場者数の記録を塗り替えるなど、二ケ月に及ぶ個展は大盛況の内に幕を閉じた。
 東京藝術大学教授として活躍していた一九九〇年には、かつて絵画での自己表現の学びの場であった北海道で、初めての個展が開催された。
美術館開設の経緯
 北海道内を札幌・旭川・釧路・函館と巡回する大規模な展覧会であったが、その旭川展開催のレセプションで、後藤が「更に北海道取材を続けるにあたり、道内にスケッチの拠点としてアトリエを構えたい」と申し述べたところ、上富良野町・小玉医院の小玉庸郎先生がそれを聞き、当時、上富良野町役場・観光課長であった高橋英勝氏に、お伝え下さったという。
 そこからは、行動派、高橋氏の真骨頂とも言うべきであろうか、間を空けず自ら埼玉の後藤のアトリエを訪問、強力に上富良野へのアトリエ誘致を勧めて下さった。
 その甲斐あって、一九九一年には美術館に隣接するアトリエが落成、更に一九九七年にはアトリエ後方に現在の美術館の前身となる新館が落成。現在の形となり、日本画に触れる機会が限られる北海道での、日本画の認知及び普及に一定の役割を果たすまでとなった。

  掲載省略:写真「美術館全景」

 現在、美術館内には大作を含め一〇〇点以上の作品を展示しているが、とりわけ思い出深いのが二〇〇二年、新館落成に合わせ発表した作品「十勝岳連峰」であろうか。
 開拓された農耕地を原始の森へ戻し、自らの視線を山の峰を見渡す鳥の如き視点まで浮遊させ描いた雄大な風景画だ。先祖代々ここ上富良野に根を下ろし暮らされている皆様に、後藤純男が捧げる揮身の一作である。

  掲載省略:絵画「美術館落成時に発表した「十勝岳連峰」の作品は郷土をさぐる誌の
       表紙にも提供された。」
後藤純男氏略歴
一九三〇年(昭 五) 千葉県東葛飾郡関宿町に真言宗住職の父のもと生まれる。
一九四六年(昭二一) 山本丘人に師事。
一九四九年(昭二四) 山本丘人の紹介で田中青坪に師事。
一九五二年(昭二七) 再興第三七回日本美術院展覧会(院展)で「風景」が初人選。
一九六五年(昭四〇) 再興第五〇回院展で「寂韻」が日本美術院賞(大観賞)受賞。
日本美術院特待に推拳される。
一九六九年(昭四四) 再興第五四回院展で「淙想」が日本美術院賞(大観賞)受賞。
一九七四年(昭四九) 日本美術院同人に推挙される。
一九七六年(昭五一) 再興第六一回院展で「仲秋」が文部大臣賞受賞。
一九七九年(昭五四) 現代日本絵画展代表団の一員として中国初訪問。
一九八六年(昭六一) 再興第七一回院展で「江南水路の朝」が内閣総理大臣賞受賞。
中国・西安美術学院名誉教授となる。
一九八八年(昭六三) 高野山東京別院に襖絵「高野山の四季」を奉納。
東京藝術大学教授(美術学部)となる。平成九年退官。
一九九〇年(平 二) 法隆寺秘宝展に「百済観音画像」が本尊として出品される。
一九九二年(平 四) 開館一〇周年記念後藤純男展(刈谷市美術館)開催。
一九九三年(平 五) 奈良・長谷寺に襖絵「夏冬山水」を奉納。
一九九五年(平 七) 海外初個展〈後藤純男展(パリ三越エトワール)開催。
パリ展帰国記念後藤純男展(日本橋三越本店)開催。
一九九六年(平 八) 後藤純男退官記念展(東京藝術大学資料館)開催。
一九九七年(平 九) 北海道・上富良野に(後藤純男美術館)が開館。
一九九九年(平一一) 東・高幡不動尊金剛寺に襖絵桂林山水朝陽夕粧」を奉納。
二〇〇〇年(平一二) 日本美術院理事となる。
二〇〇一年(平一三) 中国・西安美術学院研究棟内に後藤純男工作室が落成。
日本画の一〇〇年展(東京藝術大学大学美術館)に「晩鐘室生」が出品される。
二〇〇二年(平一四) 後藤純男展(北海道立近代美術館)開催。
二〇〇五年(平一七) 喜寿記念後藤純男展(日本橋三越本店他4店)開催。
二〇〇六年(平一八) 春の叙勲にて旭日小綬章を受章。
流山市市制四〇周年記念後藤純男展開催。
二〇〇七年(平一九) 千葉そごう開店四〇周年記念後藤純男展開催。
山形屋株式会社設立九〇年記念後藤純男展開催。
二〇一〇年(平二二) 松伏町町制四〇周年記念後藤純男展開催。
現在   (平二五) 日本美術院同人理事。中国・西安美術学院名誉教授。
著者 行定俊文 略歴
一九三九年(昭一四) 神戸にて生まれる。旧本籍は愛媛県
一九六四年(昭三九) 松下電器産業入社
一九七四年(昭四九) 南海放送入社
一九八二年(昭五七) AVプロジェクト創立
一九八七年(昭六二) 愛媛通信建設顧問就任
一九八九年(平 元) 松央殖産創立
一九九二年(平 四) アフト企画取締役就任
一九九五年(平 七) 根室食品(現北海ケミカル)社長就任
一九九七年(平 九) リレーションワークC.A就任
一九九九年(平一一) 株式会社後藤美術研究所代表取締役就任
現在に至る 現住所及び現本籍は下記の通り
  北海道空知郡上富良野町東四線北二六号

機関誌      郷土をさぐる(第30号)
2013年3月31日印刷      2013年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一