郷土をさぐる会トップページ     第30号目次

初代会長 金子全一のこと

上富良野町 金子 隆一

 私の父金子全一は明治四十一年五月生まれで、亡くなったのは平成二年四月二十三日『願わくば桜の下にて春死なん、その如月[きさらぎ]の満月[もちづき]の頃』と歌った西行法師のように、満開の桜の下で亡くなりました。
 今の錦町の庭には「幾久屋」初代金子庫三が、明治三十一年六月に当町で初めての店舗を構えた時には、すでにあったと言うエゾヤマ桜、樹齢百二十年以上と言われる桜が満開の時でした。

 父は好き嫌いのない温厚な人で、九十三才で亡くなる二年前くらいまで毎日の晩酌は欠かさず、まず缶ビール一本のあと計画的に飲めるからと、お酒二合入りの透明なガラスのお銚子で酒を飲み、居間に入ってからテレビを見ながらウイスキーの水割りを飲むという習慣は、何十年も続いていました。いよいよ晩年は、小玉先生から肝臓ガンの疑いがあるとの診断を受け、高齢でもあるので手術はせずに、ただ習慣であった毎夜のお酒は止められました。父はそれを残念がって、私の家内が『おじいちゃん元気?』と聞いたときには『一杯呑ませてくれないから元気でない』と答えたとか。

 当時の町立病院の平山院長のご厚意で一人部屋に入院させていただきましたが、四十八日目にいつ亡くなったかわからない程眠るような最後で、こんな事なら好きなお酒を飲ませてあげたら良かったのではと思うほどでした。
 六十代に入ってから毎年のごとく日本中旅行に行き、帰路は東京・仙台・苫小牧のこども達や孫達の所に寄ってくるのが楽しみでした。外国旅行は好きではないと、返還前の沖縄へ行ったくらいで、あとは日本国内ばかりでした。
 父は旭川中学(現在の旭川東高)を卒業の後、小樽高商(現在の小樽商大)を卒業してすぐ大阪の問屋へ丁稚奉公に出されました。家の跡継ぎと言うことで『就職はまかりならん!』と言うのは、私が北大卒業後に昔の「金市館」へ奉公に出されたのと同じ「幾久屋」の家風だったようです。

 若い頃は村会議員、商工会長、教育委員長などの公職に就き、店は古い番頭さんまかせでしたが、昭和十八年に三十五才で北支那(現在のチチハルイ付近)に通信兵として徴兵されました。『老年兵で大学まで出ているのだから』と、幹部になるように何度も勧められたそうですが、偉くなると家に帰れなくなると、ひたすら二等兵(現在の二等陸士)でがんばり、昭和二十年ポッダム宣言の受諾を受け、「ポッダム上等兵(現一等陸士)」になったくらいでした。
金子 全一
 昭和十九年終戦の一年くらい前に、北支(北支那) 派遣軍として戦場に行っている。写真は今から六十八年前に戦地から送られてきた葉書で、私が小学一年生、双子の弟と妹が一歳の時です。検閲で発信地や文章に制約を受けており、さぞかし望郷の念にかられて書いたことかと、葉書を感慨深く読んだものでした。
 父が好きだったことは、お酒のほかに小樽高商時代から続けていた「弓道」があります。学生時代は北大との対抗試合にも出たそうで錦町の裏に弓道場を作り、小屋の中から外の的場に向けて射る方法で雨の日も毎日やっていました。父は教士六段の称号をいただき、上富良野の弓道場開設に尽力していましたが、これが健康の秘訣だったのではないでしょうか。

 明憲寺近くの私の所有地に町でラベンダーを植え、ささやかなラベンダー祭りを催していましたが、町で大規模なラベンダー公園を作ることとなり、父は将来の事を思い西山の現在のラベンダーハイツ一帯に造成する事を強く主張しました。しかし、結局日の出公園に植えられることとなり、国道から離れていることから中富良野町の富田ファームに大きく差をつけられてしまったこと、また観光では美瑛・富良野にも大きくはなされてしまったことは、ラベンダー発祥の地である当町として残念でなりません。現在、皆様方のお手伝いをいただき「丸一山花と緑の会」として、丸一山公園の桜の植樹と整備に力を入れています。(この八年間で千五百本超を植え、既存の桜を加えると二千本を超える)これも父が早くから『町へ寄贈してでも近隣市町村に負けない観光の柱となるものを将来作ってほしい』と話していた事が思い出されます。

 とりとめなく思い出すままに、父金子全一について筆をとりましたが、 思えば「郷土をさぐる会」が生まれたのは、昭和十二年生まれの丑年会(会長平山寛)が厄年の記念に編纂発行した「かみふ物語」を見て、『大変良いことだ、これを続けて行かなければ上富良野の昔の 古い記録が忘れ去られてしまう』と言って、父は皆さんに図ってこの会が出来ました。「かみふ物語」の時の編集委員で活躍された私たちの仲間である中村有秀氏、野尻巳知雄氏の両名が現在もこの会で活躍を続けられていることは、本当にありがたく思っています。今日まで三十年間の長きに渡り「郷土をさぐる誌」が続けられ、今回三十号を発刊する事を思うと父は草葉の陰で喜んでいることと思います。父に代わり関係者や役員のみなさまに心からお礼申し上げます。

掲載省略:写真「父全一からの手紙」

機関誌      郷土をさぐる(第30号)
2013年3月31日印刷      2013年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一