郷土をさぐる会トップページ     第24号目次

編集後記

編集委員長  野尻 巳知雄

今年の冬は例年に無く暖かな日が続き、高騰する暖房用灯油の消費が少なくて済むことから、北国に住む私達にとっては喜ばしいこととは感じつつも、地球温暖化の影響でどんなとばっちりがやってくるかと、不安な気持ちもぬぐい切れません。
郷土をさぐる誌も多くの方々のご支援をいただき、毎年一冊のペースで編纂を続けて来ましたが、おかげさまで今年で第二十四号を発行することが出来ました。賛助会員や関係者の方々に心からお礼を申し上げます。
また、本年は予想以上に多くの方々から原稿が寄せられ、予算と頁の都合により田中正人氏の原稿(島津農場開拓の祖「海江田信哉の功績」)と、私の原稿(「ふらの原野のあゆみ」その二)については、二十五号で紹介させていただくことになりました。田中正人氏には大変ご迷惑をお掛けし、深くお詫び申し上げます。
二十四号の表紙絵は、上富良野出身で札幌在住の辻内祐二氏にお願いしました。辻内氏は二十二号で「上富良野の思い出」の原稿をお寄せいただいた縁で、忙しい中無理なお願いを快く引き受けていただき感謝いたしております。

辻内氏は、現在札幌で趣味を生かした絵画の会セピアの会、一の会、丘美会に所属されて活躍されており、個展なども開いておられるようです。お世話になりお礼申し上げるとともに今後のご活躍を祈念いたします。

シリーズとなった〜各地で活躍している人達〜は、現在東京に在住し株式会社エス・ネット代表取締役として活躍されている齋藤嘉哉氏に寄稿をお願いしました。
−北の大地に育まれて「十勝岳に生かされた青春」−は、氏が歩んだ若き日々の変わり行く心象風景を刻々と記されており、戦前・戦後の苦しい生活と、富良野中学から富良野高校へと変わる青春時代の思い出、そしてスポーツを通じ精神と肉体の鍛錬によって得た勇気が、現在までの氏の活動の原動力となっている様子が生き生きと表現されています。

菅野祥孝氏の「満州からの逃避行」は、そもそも氏が上富良野の市街を一望できる高台に博物館『土の館』を建設し、その建物が北海道遺産に選定されたことから、地域の有志が集まって博物館『土の館』を応援しようと、『土の館友の会』を結成され、その発会式で、土の館相談役である菅野祥孝氏が「満州からの逃避行」の話をされましたが、その講話に多くの会員が深い感銘を受け、「もっと多くの人々に氏の貴重な体験を聞いてもらい後世に残す方法はないものか」という意見が出されました。
それには郷土をさぐる会誌に載せることがもっともふさわしいのではないかとのことから、会員の研修会を開き、その講演内容を原稿にまとめて掲載しようという事になったわけです。
こんな事情を菅野氏にお話したところ、お忙しい中を茨城県からわざわざ出向いて下さり、会場の公民館の研修室には入りきらないほど多くの方が集まりました。その内容を今回原稿にまとめたものであります。
氏の話は、《太平洋戦争から六十一年が過ぎ、戦争が引き起こす悲惨な現状が忘れ去られようとしているこの時期に、多くの人にこの現実を知っていただき、二度と戦争を起こさないような世の中にしなければならない》との願いが、ひしひしと伝わって来るような内容になっています。

「有線放送に思いを馳せて」は、札幌市在住の井出幸恵さんが、若き日に勤めた上富良野有線放送協会での苦労話や、当時、道内各地から視察にくるほど先進的に進められていた上富良野の有線放送事業の内容、NHK旭川放送局に出向いて話し方の研修を受けられた体験など、当時の模様を知る上で貴重な原稿を書いていただきました。これからも益々のご活躍を祈念いたしたいと思います。

「フラヌイから出た幕末の古銃」は、郷土史研究家として全道的に知られている佐藤輝雄氏が、知人との会話の中から偶然に里仁地区で古銃が拾われたことを聞き、その古銃が何時の時代のものであるか、またどうして里仁で拾われたのかなどに興味を抱き、古銃に残されていた刻印や形などを調べ、それを元に関係する機関や研究家に照会して調べたものであります。
まだ未踏の地で、先住民族のアイヌの人たちや動物しか通ることの無かったフラノ盆地に、幕末に使用されてと思われる短銃が発見されたなぞは、今後も富良野地方の歴史で大きな話題になることと思われます。

「十勝岳大爆発・山津波に遭遇して」の原稿は、九十三歳になる岩崎きくゑさん(原稿の編集中に他界された)が、自身が歩んだ半世紀の人生を長男の岩崎治男氏がまとめたものです。
残念ながら執筆者の岩崎きくゑさんは、自分の原稿が印刷され、製本された新しい郷土をさぐる誌を目に触れることも無く、三月一日に逝去されてしまわれました。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。
原稿の内容は昔の生活を綴ったものですが、生活の中で使われていた言葉がそのまま記されており、本人の言葉として原文のまま掲載させていただきました。日記を元に書かれたと思われますが、細かなことまで記録されており、文章から当時の生活ぶりが偲ばれます。

−石碑が語る上富の歴史(その13)−「十勝岳産業開発道路記念歌碑」は、中村有秀氏の連載による記述で、昭和三十六年から始まった十勝岳温泉の観光道路(産業開発道路)開削にまつわる議会解散に至った色々な事件や、昭和四十年完成までの経緯など、残されている記録をたどりながら克明に記載されています。
記念歌碑は、開発に携わった自衛隊の第五代第二師団長渡辺博陸将が完成を記念して詠んだ短歌を、上富良野町が歌碑にして残したもので、歌碑建設にかかわる私たちも知らなかったエピソードなども紹介されています。

「里仁有線ラジオ共同聴取事業」は、里仁に住む高橋博男氏による執筆で、戦後の混乱期に青年団活動で新しいまちづくりを進め、その活動の一環として当時ラジオも無かった農村地帯に、共同でラジオ聴取の道を開こうと立ち上がった様子を、きめ細かに記されており、戦後の貧しかった生活の中で、ラジオの存在がいかに大切な役割を果たしていたかが思い起こされます。(野尻記)

二十四号の編集中に編集委員であった長井良光氏が不慮の事故で亡られました。氏は今年、会が実施した「十勝岳爆破災害八十周年記念事業」の展示部門の責任者として活躍されましたが、当時の事が昨日の様に目に浮びます。氏の安らかなご冥福をお祈りいたします。変って、新しく鈴木真弓さんが入られました。皆さんのご指導とご支援をお願いいたします。
訂正とお詫び

郷土をさぐる第二十三号の石川洋次著「八十八箇所地蔵尊の由来について」の中で四十一頁、別表四、「深山峠霊場歴代護持者名簿」下段、「十七年秋現住所氏名欄」右から十五行目『吉野静江』は『吉野静代』の誤りでした。深くお詫びし訂正いたします。


★在庫のお知らせ★

平成19年4月現在、6号・7号(以上頒布価600円)、13号・14号・15号・16号・17号・18号・19号(以上頒布価800円)、21号(頒布価1,000円)、22号(1,000円)上富良野志(明治42年発行の復刻版頒布価1,000円)の在庫が僅少ですがあります。
上富良野の歴史を伝える貴重な郷土史ですので、町外へ出ている親戚・知人・同級生の皆様に、お土産のつもりで贈ってはいかがでしょうか。
お求めは、上富良野町郷土館にてお願い申し上げます。
皆様の投稿や、取材の情報・御意見をお待ちしております。    

連絡先
 〒〇七一−〇五四一
 空知郡上富良野町富町一丁目 上富良野町郷土館内
    『かみふらの郷土をさぐる会事務局』
    電話〇一六七−四五−五〇三七番

機関誌   2007年 3月31日印刷
郷土をさぐる(第24号)   2007年 4月 1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一