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八十八箇所地蔵尊の由来について

上富良野町東三線北二十七号 石川洋次
  昭和七年二月二二日生(七十四才)

霊場の移駐と完結までの概要

深山峠新四国八十八箇所の誘致へのきっかけは、昭和四十七年三月にさかのぼる。
当時の古老、石川清一、岩井清一、宮野孫三郎、高橋博男の諸氏が雑談に花咲くうちに、沿線四国八十八箇所の衰退の現状を憂い、「深山峠に誘致して信仰の復活をしては」と話が出た。居合わせた者も耳寄りな話に異論もなくその可能性を探る事となった。
この、八十八箇所の霊場とは、富良野市街に第一番のご本尊を安置し、東中、鳥沼、富良野一帯、江花、草分、美馬牛一帯、更に旭川に第八十八番の御本尊を安置して開創したものである。
その後調査を続け検討の結果、私の父である石川清一が世話人代表となり、決意を固くして移駐に向けての準備に入った。
この経緯については、郷土誌「かみふらの郷土をさぐる」第六号に、新四国八十八箇所の由来と題して、当時の功労者岩井清一氏が詳しく記述しているので参考にしていただき、ここでは省略する。

深山峠の由来

「深山峠」の名称については、誰がいつ付けたかについては定かでない。里仁に住む前郷土をさぐる会会長菅野稔氏は、昭和十五年頃に「深山峠」と書かれた標柱を見たと書いており、道路管理者であった旭川土木現業所(開発建設部の以前)の担当者が建てたものと思われる。人々に広く知られる様になったのは、昭和三十八年に深山峠に旭川市の酒造会社が独特のデザインによるあずま屋を建て、北海道新聞に紹介された事が大きな要因となっている。
その頃、西野目喜太郎氏が風光明媚な深山峠の土地を購入して上富良野町に寄付し、町はここに桜の苗を植樹した。
その当時の役場職員の三島五二次氏が案内板を建て、小公園として町民に親しまれるに至った。
その後昭和四十八年、深山峠新四国八十八箇所霊場移駐期成会が発足し、移駐が本格的となり、現在の深山峠霊場の基礎となった。
註「郷土をさぐる」第三号に、「吹上温泉と深山峠」と越して深山峠について、金子全一氏の記述があるので御参照されたい。

松浦武四郎の碑について

その霊場の一角には、北海道の名付け親でもあり、富良野地方探検の第一人者である松浦武四郎の碑が深山峠駐車場展望台に隣接して昭和四十八年に建立されている。
これは宮野孫三郎氏が期成会会長となり積極的に活動して短期間に完成させた松浦武四郎の顕彰碑である。
重量十五トンの台座は陸上自衛隊の協力によって運ばれた自然石で、松浦武四郎顕彰碑の文字は当時の北海道知事堂垣内尚弘の揮毫によるものである。

移駐準備の概要

昭和四十八年二月七日、深山峠観光振興会が設立され、会長に高橋博男氏が就任した。
振興会事業の一環として深山峠新四国八十八箇所移駐期成会も結成され会長には父の石川清一が選ばれた。
すぐさま行動に取りかかり、深山峠新四国八十八箇所移駐趣意書を作成し、観光振興会と移駐期成会の連名で賛同者、協力者に発送。御理解を求めて準備に入った。
二月八日付けの北海道新聞には、上富良野町の有志の計画として、新四国八十八箇所の地蔵尊を深山峠に集める記事が掲載された。内容は次の様になっている。
『町の景勝地、深山峠の一角に、新四国八十八箇所の地蔵尊を集約する計画が有志の間で進められている。七日に誘致期成会を発足、具体策を練って出来れば四十八年度中にも実現したい意向だ。
新四国八十八箇所地蔵尊はその昔、開拓の先駆者たちが建立したもので、富良野寺に三十三体、上富良野町東中に十八体と言うように、富良野から旭川方面にまでまたがり、中には手入れもされないまま土に埋もれているものもある。
これらの地蔵尊を一箇所に集約しようと言うのは、前上富良野農協組合長の石川清一さんら有志三十三人。計画によると、場所は深山峠北三十一号地区から旧国道の美馬牛峠までの二キロの間に、八十八体の地蔵尊を集約し、適当な観光施設を造成、町民や青少年の健全な憩いの場にし、合わせて観光客を呼び込もうとする構想だ。
石川清一ら有志は、各地に散在している八十八体の地蔵尊所在地をすでに確認、移設についても所有権者の了解もほぼとっており、あとは資金調達と、移設場所確保の交渉が残されている。
石川清一は「深山峠は上川管内を代表する景勝地でもあり、霊場としてもふさわしい。誘致に際しては、町十勝岳観光協会、町内各文化団体も応援してくれるので実現に全力を挙げたい」と言っている。』

地蔵尊安置所の選定

安置所の選定作業は慎重に検討した結果、現控所を起点に交通安全碑から数百本の桜の木の下を鉄道用地に出て、堀川休憩所までのぼり国道に至る約四キロの路線を選定した。

作業の経過

昭和四十八年四月二十二日から十月十日を期限として富良野線各地から地蔵尊の搬入が開始された。
七月十八日には黄田建設の施工により控所が完成した。(現控所増改築以前のもの)
七月二十七日参道整備、八月二十四日地蔵尊の安置作業。八月二十七日には開眼の儀を執行。八月三十一日お山開きを執行して深山峠霊場の基礎を確立した。
昭和四十九年、霊場整備の重点事業として残っている霊場整備表示碑の整備を重点に進める。
昭和五十年春祭り法要には、岩井清一氏が手作りの杖二百本を贈呈し巡拝者に喜ばれ感謝された。
また、建設が遅れていた中参道碑の建立除幕式も行われた。
深山峠新四国八十八箇所霊場移駐が完了したので、秋の法要を営み、御本尊芳名簿を作成し完結を記念して礼状を送り移駐を完了する。
註 昭和五十年深山峠霊場歴代護持者を刻んだ、御芳名は文末の名簿をご覧下さい。

奉賛会の設立と事業

昭和五十年十二月、深山峠新四国八十八箇所霊場奉賛会を創立する。
深山峠新四国八十八箇所霊場移駐期成会から深山峠新四国八十八箇所霊場奉賛会へと移行し、十二月二日、福祉センターに於いて創立総会を開催。奉賛会の初代会長に石川清一が選出された。
昭和五十一年、春祭り、秋祭りの法要を規約にのっとり実施する。深山峠御和讃原本が出来上がり、御詠歌を定めて実する。
昭和五十一年八月三十一日、会長石川清一七十一才で志しなかばにして逝去する。
石川会長の逝去に伴い、急きょ新会長の選任に入り、役員の一部改選を行った。
会長に菅野學、副会長清水一郎、中川清、今野鏡、岩井清一、書記会計(事務局)白峰亀義、監事佐藤清二、高津須栄。その他顧問、相談役等は留任となった。
昭和五十二年御詠歌を定め、深山峠和讃を秋に発表した。
昭和五十三年春祭りに控所を南側に六尺増築完成させた。(黄田建設七十万円)
昭和五十六年春祭りに控所狭隘のため北側に増築し完成させた。(黄田建設百万円)
昭和六十一年報徳地区のエホロカンべツ川改修に伴い敷地内の地蔵尊を控所裏、中参道両側、鉄道用地、裏参道控所等へ移動する。同時に台石の取り替え、地蔵尊の更新、布施者の書き替え等を実施する。この時代に川の改修等により移動しなければならなくなった地蔵尊は多数あった。
また、護持者も多く更新した事が伺える。同時に破損した地蔵尊を新しく取り替える作業も行われた。
平成三年秋に深山峠新四国八十八箇所霊場札所として六角堂を建立する。(黄田建設百万円)

地蔵尊現在地への集結

平成三年三月二十六日、奉賛会総会の大きな議題となったのは、「最近になって地蔵尊の損傷や、参詣する人々に道路事情など不便を感じさせたり、特に老齢者には身体的な不快感を与えている現状を踏まえて、深山峠控所前にまとめ、地蔵尊も一部修復して、観光資源にも寄与しては」との声があり、意見としてまとめた結果、六角堂を中心に集結する事に決定、期成会を構成して移転準備を進める事になった。
九月十一日木造束石構造、深山峠霊場地蔵尊上屋新設工事を完了する。(一棟八坪、屋体二百六十八万円、名簿その他諸経費二十一万円)
九月吉日参道に安置されていた地蔵尊の移動集結が開始され、十月二日に移動完結し、地蔵尊入魂式も終了した。
註 平成三年の行事の一端として、深山峠霊場に祀られた地蔵尊施主名は文末の名簿を作成したのでご覧下さい。

近年の奉賛会活動の推移

平成四年には、看板、仮設トイレ等周辺整備を図り衛生環境に配慮した。
平成五年には、奉賛会会長の菅野學氏が上富良野町長に就任したことから役員の一部改選が行われ、会長に清水一郎、副会長石川洋次、書記会計菅野稔が選任され、他の方は留任となった。
永年活躍された白峰亀義氏は千歳市へ転出された。
平成十年の役員改選では会長に石川洋次、副会長西村春治、南川知広、高木誠が選ばれ他の方は留任となった。
現在まで、春、秋の法要を恒例化して営み、深山峠全体の美化と、桜苗木の補植、花壇等の整備、雑木類の除間伐を実施して深山峠新四国八十八箇所霊場の維持に勤めている。

平成十七年度の環境整備事業

菅野學氏等の尽力により、現在の六角堂前に全ての地蔵尊を集結したのが前述した平成三年の秋であり、それ以来、今日まで護持者の信仰と、ご支援のもとに霊場を護持して来たが、この度、霊場の控所は場所が低くて不便であり将来を考える時、土台を上げて環境を整備すべきとの意見が多くあったので、この霊場が発足して三十年の節目でもあり各位のご支援を得ながら整備を実施する事になった。
あわせて、護持者の高齢化、居住地の変更等に伴って不在者も出ている現状を踏まえ、今回新しく地蔵尊の護持者を求めたところ多くの方が護持者になって頂き、地蔵尊全部を護持することができ、厚くお礼を申し上げたい。
新しく地蔵尊名、護持者の名札も新設して環境の整備を図った。
工事の概要は総予算三百五十万円、収入は地蔵尊護持者奉納金二百四十八万七千円、奉賛会維持費より百一万三千円、支出は土台上げ工事一式三百十五万円(高橋建設)、追加工事三万一千五百円、護持者名札の設置十五万円、控所看板、地蔵尊修理七万円、記念品、事務費等九万八千五百円で整備した。
註 平成十七年の環境整備に新しく護持者となられた方のご芳名は文末の名簿を作成したのでご覧いただきたい。

あとがき

沿線地蔵尊八十八体が深山峠に集められ、春は桜、秋の紅葉に彩られる深山峠新四国八十八箇所霊場として、信仰と観光の一助として脚光を浴びつつ時代の流れにその姿は変化していますが、古老たちの願いと情熱は完全に実を結び現在に引き継がれて参りました。
深山峠新四国八十八箇所霊場がこの地に完成して三十年の節目となる今年、過去を振り返りながらこの霊場の変遷を記録にまとめてみました。
父が奉賛会の世話方を引き受けて私が事業を継承する事に縁を感じると共に、この深山峠霊場が信仰の中心となる地蔵尊護持者の皆様と共に、地域の発展と観光スポットの一つとして益々皆様に親しまれる事を祈念してあとがきとします。
深山峠新四国八十八箇所霊場の歴代地蔵尊護持者の名簿は文末の(別紙四)の通りです。

別紙一
深山峠新四国八十八箇所 霊場本尊移駐完結礼状

深山峠に新四国八十八ヶ所の霊場を誘致しようと話し合いいたした昭和四十七年の秋から数えて四年目で、皆様のご理解とご協力で漸く完結いたしました。
ご協賛をいただいた方々の名をご本尊様の台石に刻んであります。何とかして明治四十四年に開創された本尊様と願いましたが一部やむを得ず新造いたしました。
ここ深山峠の景観は稀に見る好いところとの評であります。信仰と健康と観光の聖地として一層の功徳あらんことを祈念して止みません。
ここ四年近くかかりました新四国八十八ヶ所の霊場として完結を記念し、そのご芳名を記してお礼と致します。

昭和五十年九月吉日
                                        会長 石川清一
                                        移駐期成会一同

別紙二
深山峠和讃(金剛流入定和讃の譜に同じ)

艱難辛苦に絶えるため 萬の憂いを除かんと
大師の誓にすがりつつ 願求発願開創[がんぐほつがんかいそう]の
富良野沿線霊場に 菩薩勝慧[ぼさつしょうえ]と導びかれ
法悦歓喜[ほうえつかんぎ]の鈴の音は 絶えて詣ずる人もなし
開拓以来百年の 拓きし人の辛苦をば
萬世[よろずよ]までも伝えんと 緑の起伏そのまゝに
弥勒[みろく]の浄土をあらわしぬ 日本一[ひのもといち]の景勝地
深山の峠に霊場と 諸仏を集めて安置なす
信仰厚き人々が 仏の慈悲[じひ]に手を合わせ
余教超過[よきょうちょうか]の御法[みのり]をば 十一州に流すなり
深山峠の霊場は 平和を呼びかく信仰地
南無頂礼遍照尊[なむちょうらいへんじょうそん] 南無頂礼遍照尊

別表四
深山峠霊場歴代護持者名簿

本尊
番号
本尊名 昭和五十年創設当時住所氏名 平成三年六角堂前へ集結当時住所氏名 平成十七年秋現在住所氏名
釈迦如来 上富良野市街地 山本逸太郎 上富良野町光町二丁目 山本 康夫 上富良野町光町二丁目 山本 康夫
  明治時代のまま 杉山 九市 同  本町三丁目 桐山 ハツ 同  西一一線北三三号 数山  勇
  上富良野町日の出 和田松ヱ門 同  日の出 和田松ヱ門 同  日の出 和田 昭彦
四九   同  新日の出 岡崎 ハツ 同  宮町三丁目 岡崎 ハツ 同  宮町三丁目 岡崎 豊勝
七三   同  深山峠 渡辺 総治 旭川市 藤間 テツ 同  東二線北二一号 西村 昭教
阿弥陀如来 上富良野町本町五 出口 貞代 上富良野町宮町二丁目 出口 貞代 上富良野町宮町二丁目 出口 貞雄
  同  富原五 小川 笑子 同  富原 小川 笑子 同  富原 小川 笑子
三〇   同  島津 谷  與吉 同  島津 谷   忠 同  島津 谷   忠
三七   中富良野町西中 松田 忠治 中富良野町西中 松田 忠治 中富良野町西中 松田 忠治
四七   上富良野町島津 山田 金吉 上富良野町島津 山田 金吉 上富良野町日の出 米谷  一
五三   同  五町内 西村ナツエ 同  中町二丁目 西村 永長 同  中町二丁目 西村 永長
五七   同  日の出 西崎  清 同  新町四丁目 西崎  清 同  新町四丁目 西崎  清
六四   同  日の出 和田 正治 同  日の出 和田 正治 同  日の出 和田 正治
六八   同  日の出 柴田 純哉 同  日の出 柴田 純哉 同  日の出 柴田 純哉
七八   同  島津 吉野 栄作 同  島津 吉野ハツエ 同  島津 吉野 静江
七八-1     美瑛町市街地 杉本伊三男 美瑛町本町一丁目 杉本伊三男
大日如来 上富良野町富原 清水 一郎 上富良野町富原 清水 一郎 上富良野町西一線北二四号 志賀 利光
二八   同  常盤区 水谷 小菊 同  大町一丁目 水谷 小菊 同  大町一丁目 水谷 小菊
四二   中富良野町鹿討部落一同 中富良野町鹿討部落一同 中富良野町鹿討鹿討句会
六〇   上富良野町清富 北条 真一 美瑛町美馬牛大成 伊藤 武士 美瑛町美馬牛大成 伊藤  勲
六一   同  七町内 大柳喜久子 上富良野町栄町一丁目 大柳喜久子 上富良野町栄町一丁目 大柳 正男
七二   同  深山峠 小玉  繁 旭川市 藤間 テツ 同  栄町二丁目 佐川 泰正
地蔵菩薩 上富良野町富原 末永はるえ 上富良野町富原 末永 千之 上富良野町富原 末永 千之
一九   同  八町内 西村 マス 同  栄町二丁目 西村 春治 同  栄町二丁目 西村 春治
二〇   同  四町内 多湖 すぎ 同  大町二丁目 多湖 安信 同  大町二丁目 多湖 安信
二五   同  四町内 金子 全一 同  錦町二丁目 金子 全一 同  錦町二丁目 金子 乙女
五六 地蔵菩薩 上富良野町三町内 高橋  忠 上富良野町錦町一丁目 高橋  忠 上富良野町錦町一丁目 高橋 ミト
薬師如来 上富良野町本町五 出口 貞雄 上富良野町宮町二丁目 出口 貞雄 上富良野町栄町二丁目 一色 美秀
一一   同  富原 村上富士雄 同  富原 村上富士雄 同  富原 村上喜久太郎
一五   上富良野町西富区 松原 長吉 上富良野町錦町三丁目 松原 長吉 上富良野町錦町三丁目 松原 タツ
一七   同  深山峠 中川  清 同  深山峠 中川  清 同  光町一丁目 中川 一男
一八   同  日の出 杉山 量機 同  本町三丁目 高藤 忠雄 同  本町三丁目 高藤 忠雄
二二   同  北栄区 西村 国夫 同  栄町二丁目 西村 国夫 同  栄町二丁目 西村 義浩
二三   同  島津 仲川善次郎 同  島津 仲川善次郎 同  島津 仲川 正治
二六   同  西富区 西村 三郎 同  西一線北二四号 西村 三郎 同  西一線北二四号 西村 三郎
三三   同  東中 西村 又一 同  中町三丁目 西村 清己 同  中町三丁目 西村 清己
三四   同  東中 多田 良雄 同  東中 多田 良雄 同  東中 多田 繁夫
三五   同  里仁 菅野  學 同  里仁 菅野  學 同  里仁 菅野  學
三九   中富良野町市街地 新崎 沖正 旭川市西神楽南二条一丁目五四 貝塚 ソヨ 旭川市西神楽南二条 貝塚 ソヨ
四〇   中富良野町福原部落一同 中富良野町福原部落一同 中富良野町福原 福原区会
四六   上富良野町本町一 多田 武雄 上富良野町中町二丁目 多田 武雄 上富良野町中町二丁目 多田 武雄
五〇   同  新日の出 岡崎建設 同  宮町三丁目 岡崎 豊勝 同  大町三丁目 北川 浩毅
五一   同  常磐区 徳島  稔 同  大町一丁目 徳島  稔 同  大町一丁目 徳島  稔
五九   同  清富 北条ナツエ 同  清富 北条ナツエ 同  栄町二丁目 桑田 茂市
六七   同  江花 新屋 政三 同  江花 新屋 保則 同  江花 江花第一班
七四   同  深山峠 佐藤  勇 同  西町二丁目 佐藤  勇 同  宮町二丁目 寄谷  弘
七五   同  深山峠 高橋 博男 同  里仁 高橋 博男 同  里仁 高橋 博男
七六   同  深山峠 宮野孫三郎 同  里仁 南川 知宏 同  里仁 南川 知宏
七七   同  本町一 寺田 秋治 同  大町一丁目 寺田 正勝 同  大町一丁目 寺田 正勝
八八   旭川市永山 河口 陽一 同  東中 初田タマエ、タケノ 同  富町二丁目 村上  登
千手観世音 上富良野町富原 城越  登 上富良野町富原 城越  登 上富良野町富原 城越  寛
一〇   同  新日の出 荻野 昭一 同  旭町三丁目 荻野 昭一 同  旭町三丁目 荻野 昭一
一六   同  東中 青島 節二 同  東 中青島 節二 同  栄町二丁目 對馬 勝義
二九   同  東中 高木 信一 同  東中 高木 信一 同  泉町二丁目 高木  誠
三八 千手観世音 同  江花 村上 國二 同  江花 村上 幸美 同  江花 村上 幸美
四三   同 常磐区 小玉キヌエ 同  南町二丁目 小玉 康雄 同  南町二丁目 小玉 康雄
五八   同  旭区 白峰 亀義 千歳市柏陽町二丁目 白峰 亀義 千歳市柏陽町二丁目 白峰 亀義
六六   上富良野町草分 上村  勇 上富良野町草分 上村  勇 上富良野町草分 上村  勉
七一   同  深山峠 今野  鏡 同  里仁 今野  鏡 同  里仁 今野  昇
八〇   同  草分 高士 茂雄 同  草分 高士 茂雄 同  草分 高士 茂雄
八一   同  里仁 菅野  稔 同  里仁 菅野  稔 同  里仁 菅野  稔
八二   東神楽町 宮本常次郎 同  東中 内村良三郎 同  東中 内村美代子
八四   上富良野町東中 高津 須栄 同  東中 高津 須栄 大阪府茨本市舟木町三 今井政治・誘子
一二 虚空蔵菩薩 上富良野町本町三 和田 利之 上富良野町本町三 和田 利之 上富良野町本町三 和田トミエ
二一   明治時代のまま 木内小三郎 同  宮町三丁目 木内百合子 同  宮町三丁目 木内百合子
二四   上富良野町四町内 金子 トヨ 同  江幌更正 谷本 和一 同  江幌更正 谷本 和一
一三 十一面観世音 上富良野町倍本 泉  民治 上富良野町倍本 泉  俊信 上富良野町倍本 泉  俊信
二七   同  四町内 菅野 サツ 同  光町二丁目 菅野 祥孝 同  光町二丁目 菅野 祥孝
三二   同  里仁 長谷川八重治 同  里仁 長谷川長見 同  里仁 長谷川長見
四一   同  富原 黄田 義栄 同  富原 黄田 義栄 同  富原 黄田 正行
四四   同  島津 海江田武信 同  島津 海江田博信 同  島津 海江田博信
四八   同  三町内 伊藤 富三 同  錦町一丁目 伊藤 千代 富良野市山部一九線一号 濱口 和子
五二   中富良野町本幸 藤田 武義 中富良野町本幸 藤田 武義 中富良野町本幸 藤田 義明
六二   上富良野町新日の出 加藤  清 上富良野町大町一丁目 酒匂 佑一 上富良野町大町一丁目 酒匂ヨシ子
六五   同  日の出 寺尾  力 同  扇町三丁目 寺尾  力 同  扇町三丁目 寺尾  力
七九   美瑛町美生 早崎部落 美瑛町美沢 安東 則夫 美瑛町美沢 安東 則夫
八六   札幌豆金協会 道下 正生 上富良野町宮町三丁目 高橋 重志 上富良野町宮町三丁目 豊田 慶子
八六−1     同  富町二丁目 平井  進 同  富町二丁目 平井  進
一四 弥勒菩薩 上富良野町本町二 岩井 清一 上富良野町宮町二丁目 岩井 清一 上富良野町宮町二丁目 岩井 史雄
三一 文殊菩薩 上富良野町四町内 荻野 栄太 上富良野町錦町二丁目 荻野 秋信 上富良野町錦町二丁目 荻野秋信・義雄
三六 不動明王 上富良野町六町内 庵本はつえ 上富良野町中町二丁目 庵本はつえ 上富良野町中町二丁目 庵本 茂雄
四五 不動明王 中富良野町市街地 佐藤ヨシ子 中富良野町 佐藤ヨシ子 同  中町二丁目 奥田  斎
五四   上富良野町日の出 石川フジエ 上富良野町日の出 石川 洋次 上富良野町日の出 石川 洋次
五五 大通智勝仏 上富良野町深山峠 小田島晋一 上富良野町深山峠 小田島晋一 上富良野町栄町二丁目 斉藤 正弘
六三 昆沙門天 上富良野町六町内 河合 絹子 上富良野町中町一丁目 河合 絹子 上富良野町錦町一丁目 伊藤 幹男
六九 聖観世音 上富良野町江花 新屋 政一 上富良野町江花 新屋 勲夫 上富良野町江花 江花第一班
八三   明治時代のまま 杉山芳太郎   上富良野町旭町三丁目 尾岸美恵子
八五   上富良野町本町一 西條 常雄 上富良野町本町一丁目 西條 常雄 上富良野町本町一丁目 西條 正男
八七   美深町 松浦周太郎 上富良野町日の出 松岡 隆七 同  日の出 松岡 静子
七〇 馬頭観世音 上富良野町島津 松田 春雄 上富良野町島津 松田 春雄 上富良野町島津 松田 縞子
  修業大師     中富良野町 弘照寺
  弘法大師     上富良野町草分 佐藤 清二
  諸龍地蔵尊     杉山芳太郎 外有志一同

別紙三

深山峠新四国八十八箇所霊場奉賛会規約

第一条 本会は深山峠新四国八十八箇所霊場奉賛会と称し、事務所を会長宅に置く。
第二条 本会は深山峠地域住民、安置者並びに信仰者で組織する。
第三条 本会は八十八箇所の本尊の信仰により功徳を得ると共に、この地域での展望により精神の浄化、巡拝により健康の増進を図る。
第四条 本会は趣旨を生かす為に次の事業を行う。
 ・峠開きの春祭り、峠じまいの秋祭り
 ・霊場の整備と清掃
 ・その他関係する事業
第五条 本会に役員及び世話人を置く。
会長一名、副会長若干名、監事二名、会計一名、書記一名、世話人若干名
第六条 役員は世話人会または総会で、世話人は地域から選ぶ。
第七条 本会に顧問、相談役をおく事ができる。
第八条 世話人はその地域をまとめ、奉賛会運営の母体となる。
第九条 概ね、春と秋に世話人会を持ち、奉賛会事業の推進を協議する。
第十条 監査は必要時に行い、会計、書記は事務会計を担当する。
第十一条 役員会は必要により開く。
第十二条 本会の経費は寄付金、その他を以って当てる。
第十三条 本会の会計年度は、一月一日から十二月三十一日までとする。
第十四条 この規約は総会若しくは、世話人会で変更し、議事は出来るだけ申し合わせで、決めてゆく事とする。

昭和五十年の奉賛会設立時の役員

会 長 石川 清一
副会長 清水 一郎  中川  清(書記兼務)    岩井 清一
    新崎 沖正  今野  鏡  菅野 サツ
会 計 小田島晋一
監 事 佐藤 清二  手塚 輝一
事務局(書記会計兼務) 白峰 亀義
顧 問 海江田武信  和田松ヱ門  門上 美義  滝本 幸朗
    増田 修誠  近藤 信行  岩田 実道
相談役 高橋 博男  松原 照吉  谷  與吉  山本逸太郎
    村上 国二  多田 良雄  高田 秀雄  菅野  稔

平成十七年現在の深山峠奉賛会役員

会 長 石川 洋次
副会長 西村 春治  南川 知広  高木  誠
会 計 岩井 史雄
監 査 和田トミエ  海江田博信
事務局(書記兼務)   佐藤 政幸
顧 問 菅野  學  弘照寺住職及び上富良野町仏教団住職
相談役 菅野  稔  高橋 博男
世話人 立松 慎一  炭田  茂  小川 笑子  松岡 静子
    新屋 勲夫  谷本 和一  寺尾  力  高橋 ミト

深山峠新四国八十八ヶ所霊場を町指定文化財として保存管理することについて

  平成五年十二月二十八日  深山峠霊場奉賛会から教育委員会に町文化財指定の要望書提出
  平成七年一月十七日    教育委員会から回答書を受ける
 回答要旨
町の文化財として指定するにあたっては、町民の多くの方々から、賛同の得られる物件でなくてはならず、また、文化財として何に該当するか、歴史上、学術上、芸術上、その価値はどうか、ということが最重要問題です。
これらを相対的に判断した場合、大まかに次のことにより指定をしないこととします。
@石仏について、製造された時代当時の技術として、特に優れた技法であるかの確認が出来ないこと。
A霊場を移駐した深山峠は、道内の市町村で指定されている名勝地と比較して、学術的価値が高いなどの価値が認められないこと。
B霊場が史跡としては高く評価されるものであるが、道内においては当霊場より、はるかに歴史的に古いものも多く、それらが指定されているものがないこと。
C町指定文化財と比較した場合、歴史上、学術上、芸術上のその価値の重要性が、あまり認められないこと。
以上のことにより、現状で指定することは認められないと回答をします。

機関誌  郷土をさぐる(第23号) 
2006年3月31日印刷   2006年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田 政一