上富良野中学校女子バレーボール部
「全道大会初優勝」の思い出
元上富良野中学校教諭 坂本 暁昭
昭和十年四月二十二日生(六十六歳)
夢の全道大会初優勝に輝く
「全道中学校バレーボール大会で上富良野中学校女子が初優勝に輝く!!」「優勝した上富良野中学校女子バレーチーム市街地を優勝パレード!!」
昭和三九年八月一〇・一一日の「北海タイムス」に、こんな記事が掲載されました。今から三七年も前のことであり、町民の皆さんの記憶には残っていないかもしれませんが、このことは間違いのない事実なのです。
当時の全道大会は、おそらく文部省の規制が厳しかったのでしょう。事実上は北海道全域を四地域に分割して行われ、この大会は北海道中北部地域の大会だったのです。でも、この上につながる大会は無く(勿論全国大会もありません)この大会が当時としては中学生として最高レベルの大会だったのです。
赴任して五年間の女子バレーボ―ル部の歩み
私が上富良野中学校に体育の教師として赴任したのは、昭和三八年四月でした。昭和三七年六月の十勝岳爆発の翌年です。すぐ、女子バレーを担当しましたが、当時は九人制であり、練習も大会も屋外が定番でした。上富良野中学校の練習コートは中庭にあり、練習はみんな一生懸命でしたが、成績は北富良野地区大会でも一回戦で敗退でした。
ところが二年目の昭和三九年に大きな転機が訪れたのです。
@ 卒業生が二人しかいなく、前年度のレギュラーのほとんどが残ったこと。
A 江幌中学校が統合になり、三人の選手が補強されたこと。
B 練習コートが、前庭に二面新設されたこと。
C 新たに滝沢先生、沖野先生をコーチとして迎えたこと。
こんなことが全道優勝への条件になっていったのでしょう。勿論つらく厳しい練習が毎日のように続きました。屋外の火山灰コートでの練習です。体中が泥だらけ、傷だらけの毎日でした。暗くなり手元が見えなくなるまで何回も何回も繰り返しの回転レシーブです。練習だけではありません。ユニホームを揃えたり、遠征の費用を捻出するために秋の農繁期休業には、稲刈りや芋掘りの出面作業にも江幌や清富まで出かけました。
全道大会の内容は、後ほど述べるとして、この年から四年間上富良野中学校女子バレー部は北富良野地区大会で連続優勝しているのです。
・昭和三九年地区大会を初め五大会で優勝
戦績31戦29勝2敗(勝率93・5%)
・昭和四〇年地区大会を初め四大会で優勝
戦績24戦20勝4敗(勝率83・3%)
・昭和四一年地区大会を初め二大会で優勝
戦績14戦川勝4敗(勝率71・4%)
・昭和四二年地区大会を初め二大会で優勝
戦績16戦11勝5敗(勝率68・8%)
感激の初優勝と戦いの足跡
さて、話をもとに戻してですが全道大会は、次の様なことで行われたのです。
・日 時 昭和三九年八月八〜九日 ・場 所 旭川市常盤公園バレーボールコート ・宿泊所 旭川市「えび松旅館」 ・試合後の評 「北海タイムス」に記載されたもの
感激の全道優勝を果した選手の喜びの顔々 (前列左より)楢林先生、藤井千恵子、春名峰代、岡本典子、荒関純子、照井勝子、土井啓子(中列左より)三浦敏子、河井ふみ、滝沢幸枝、坂本洋子、岡田優子、久保優子、武内世志子(後列左より)仲野先生、坂本先生、佐藤先生、伊藤先生、滝沢先生
◎試合第一日目の結果
『優勝候補の旭川常盤が上富良野にフルセットの末敗れる番狂わせがあった』
◎大会後の講評
『上芦別は優勝を意識してか堅くなり、得意の速攻が全く影をひそめた。この点上富良野は上背こそないが、体格のよさをそのまま、気力に反映させ、伸び伸びしたプレーをみせた。
上富良野はFL岡本、FC久保のコンビよく、最初から快調に走った。前半凡ミスこそあったが、攻撃力がそれをカバーして余りあり、後半はレシーブにもたつく上芦別陣を軽く抜き、矢つぎ早に岡本が決めて振り切った』
〈組み合せと戦績〉
上芦別 中空知地区一位 ─2─┬─2┬─2┬─0┐ 愛 別 上川地区一位 2┬1─┘ │ │ │ 旭川北星 0┘ │ │ │ 富良野西 ─2─┬─0┘ │ │ 玉 川 ─0─┘ │ │ 永 山 ─0─┐ │ │ 上徳富 北空知地区一位 ─2─┴─2┬─0┘ │優勝 野花南 ─0─┐ │ ┝上富良野中学校 旭川六合 ─2─┴─0┘ ┃ 老節布 ─0─┐ ┃ 添牛内 ─2─┴─2┬─1┐ ┃ 焼 尻 留萌地区一位 ─2─┬─0┘ │ ┃ 旭川明星 ─0─┘ │ ┃ 西芦別 ─0─┐ │ ┃ 旭川常磐 旭川地区一位 ─2─┴─1┐ │ ┃ 上富良野 ━2━┯━2┷━2┷━2┛ 浅 野 ─0─┘ 21-14 21-19 12-21 16-21 21-13 19-21 22-20 9-21 18-21 18-21
大会時の上富良野中学校女子チームのメンバー
区別 位置 氏名 新姓 学年 現住所 監督 坂本暁昭 教諭 札幌市北区新琴似九条十二丁目九―十五 コーチコーチ 滝沢弘光 教論 旭川市神居富沢四四三―四旭川美景園 〃 沖野陽子 教諭 旭川市西神楽三線六号(旭川忠和中学校勤務) マネジャー 河井ふみ 島 三年 上富良野町宮町三―一―三三 選手 LF 岡本典子 三年 鹿追町北町一丁目七番 〃(主将) FC 久保優子 杉山 三年 上富良野町大町一―七―三二 〃 RF 照井勝子 上北 三年 旭川市末広東二条七丁目 〃 LH 武内世志子 松藤 三年 上富良野町西一線北二一号 〃 HC 春名峰代 米陀 三年 上富良野町富町二―五―四〇 〃 RH 岡田優子 山室 三年 旭川市二条二丁目五三シュロス二条八〇一 〃 LB 土井啓子 蛯原 二年 福岡県三井郡北野町今山八三〇―八 〃 CB 三浦敏子 工藤 三年 上富良野町泉町二丁目一―十三 〃 RB 荒関純子 佐藤 二年 旭川市神楽岡十五条五丁目一―六 〃 滝沢幸枝 荒川 二年 札幌市手稲区前田七条十五丁目三―二一 〃 坂本洋子 金子 二年 旭川市末広東一条二丁目四―八―六 〃 藤井千恵子 一年
感激の優勝祝賀パレードと祝賀会
北海タイムス旗争奪全道中学校バレーボール大会に優勝した「上富良野中学校女子バレーボールチーム」は、八月八日〜九日の熱戦の疲れを取るべく九日夜は父母のもとで過しながら優勝の喜びの話が尽きなかったのでした。
翌日の八月十日、午後一時から農協前から大通り―上富良野中学校へと感激の市街地「優勝祝賀パレード」が行われ、選手の父母、多くの町民の皆様、PTA役員、教職員の暖かい拍手の中で、生徒達は最初は恥かしながら行進を始めたが、途中から優勝旗を先頭に首からの優勝メダルで胸を張って堂々の祝賀パレードでした。
優勝祝賀パレードが終了後、午後二時から上富良野中学校音楽室で優勝祝賀会が関係各位の御配慮で開催され、生徒と共に再び喜びを感じました。
―坂本暁昭氏のプロフィル(編集委員作成)―
昭和10年
4月22日室蘭市にて生れる。 昭和31年3月 北海道教育大学旭川分校卒業 少年時代の和寒中学では陸上競技、旭川東高及び旭川教育大学ではサッカー部で青春の汗を 昭和31年4月 和寒町立東和小学校 七年間在職し、東和中のバレー部・陸上競技部を指導 昭和38年4月 上富良野町立上富良野中学校
五年間在職し、女子バレーボール部を全道優勝に導き、生徒に感激を地域に喜びを与えた昭和43年4月 名寄市立名寄東小学校
七年間在職、名寄東ママさんバレーの指導と名寄市体育指導委員として社会体育振興に寄与昭和50年4月 風連町立風連中央小学校
七年間在職、ママさんバレーの指導と体育指導委員長、スケート協会事務局長として活躍 ・昭和57年4月昭和62年4月 士別市立士別西小学校
五年間在職、旭川市及び士別市スケート連盟理事、士別市スポーツ少年団本部副委員長歴任平成4年4月 旭川市立向陵小学校
四年間在職、旭川市スケート連盟事務局次長、向陵ジュニア陸上指導部長を歴任平成8年3月 四十年間の教職から定年退職
退職後も、平成4年からのスポーツ関係の役職を継続されると共に、旭川市体育指導委員会西地区委員長を歴任平成10年 住み馴れた地より札幌へ転居
現在はパークゴルフのアドバイザー資格を取得し、北海道退職教職互助会札幌北支部パークゴルフサークル事務局会計を担当、世話役とパークゴルフ、そして教え子のクラス会等に出席する事を楽しみにしているそうです。
機関誌 郷土をさぐる(第19号)
2002年3月31日印刷 2002年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔