第7章 現代の上富良野 第9節 現代の生活
1152-1164p
2、住環境
都市計画の充実
都市計画は都市計画法によって、自然や社会的な条件、人口、土地利用、交通量などを勘案した将来的な見通しのもとに、道路・公園・上下水道・住居・学校などの都市施設を配置するものである。
北海道の開発計画は、昭和21年に第二期拓殖計画を終了し、戦後の26年までは緊急開拓や食糧増産に力を注いだ、開発計画空白の時代で、27年に第一期北海道総合開発計画がスタート、38年に第二期北海道総合開発計画が発足して、施策の基本方針に「社会生活環境施設などの整備拡充」が盛り込まれるようになった。それまでは、緊急開拓や食糧増産、資源開発のための道路事業が優先して整備された(『新北海道史』)第6巻)。
第一期北海道総合開発計画の事業に、「住宅の建設」「都市計画及び水道」は示されていたが、都市計画が「健康で文化的な都市生活」と「機能的な都市活動を確保する」ものとなるのは、43年の新都市計画法公布や45年の建築基準法改正による、都市計画決定権限の自治体への委譲、都市計画策定への住民参加が打ち出されてからである。
上富良野では、昭和27年度「行政報告」によれば同年7月16日に上富良野の行政区域の全域を都市計画区域と決定(建設省第965号告示)、基礎計画樹立の都市現況測量を実施した。都市計画事業のはじめの段階で、上富良野都市計画委員を務めたのは海江田武信以下13名で、市街地側溝工事、火防水路、市街地舗装工事などが進んだ。34年には福家敏美を委員長とする都市計画委員8名が改選され、互選して北海道都市計画地方審議委員が4名選出された(『上富良野町史』)。
用途地域の拡大と住宅地への転用
土地利用の点からみると、上富良野の場合、農林業との調和を図るための利用制限をどのようにするのか、住居・商業・準工業に分けた用途地域の確定、さらに57年には建築物の多様化により用途地域の見直しが町勢の発展とともに行なわれ、平成6年の法改正によって、住居区分も細かくなった。表7−74をみると、都市計画用途地域が拡大し、その内訳(表7−75)では、住宅系の土地利用が進み、1991年には312fで、12年前(243f)の約1.3倍に拡大した。
なお、市街地における火災の危険を防除するための地域指定である準防火地域は、上富良野では建物密集地である商業地域と近隣商業地域約20.0fを昭和50年8月1日に決定(町告示第36号)し、平成8年1月8日に約19.3fと変更した(町告示第2号)。
ここで、図7−10を見ていただきたい。目的別農地転用の推移である。ただし、表7−73と表7−74に表れる以前の11年間にすでに、住宅地への農地転用は進んでいた。全道的には昭和46年(1971)以降、開発行為が急増し、全道に占める約7lの都市計画区域に道民の約75lが住むようになった(昭和50年版『道民生活白書』)。
表7−73 用途地域の推移
決定・変更年・月・日 |
告示番号 |
内容 |
昭和50(1975)・8・1 |
町告示第35号 |
282.0f |
昭和58(1983)・9・2 |
町告示第29号 |
341.0f |
平成3(1991)・9・19 |
町告示第22号 |
359.4f |
平成8(1996)・1・8 |
町告示第3号 |
360.1f |
表7−74 都市計画用途地域別面積の推移
用途別 |
昭和54年 (1979) |
昭和58年 (1983) |
平成3年 (1991) |
第1種住居専用地域 |
43f |
43f |
45f |
第2種住居専用地域 |
115f |
151f |
156f |
住居専用地域 |
85f |
96f |
111f |
近隣商業地域 |
7f |
7f |
7f |
商業地域 |
13f |
13f |
13f |
準工業地域 |
19f |
21f |
21f |
工業地域 |
|
10f |
7f |
(用途地域集計) |
(282f) |
(341f) |
360f |
図7−10 目的別農地転用の推移
※ 掲載省略
都市公園の整備拡充
都市施設の道の整備状況は昭和50年版『道民生活白書』によると50年には、水道普及率は道民の約83l、下水道普及率は45年以降伸びて20数l、し尿処理は総人口の約97l、ゴミの収集区域人口は約94lを超え、都市公園は49年末で人口1人当たり8.7uと全国平均3.2uの2倍以上の高い水準を示していた。
上富良野の状況について、ここでは都市施設のなかでも道路、上下水道は他で述べられているので、公園をとりあげたい。
公園のもつ意味もまた、時代のくらしを反映して変化した。近所の異年令の仲間と遊びや草野球をした子どもたちのたまり場、除雪・排雪や避難所としてのスペース、幼児を介してのヤングママたちの出会いの場、高齢者のゲートボールなどの運動用にも使われ、そして都市景観の形成に果たす役割も増している。
公園が上富良野において、『町勢要覧』に掲載されるのは昭和36年からで、児童公園として、青年研修所広場(450坪)、公民館広場(300坪)、自衛隊官舎の児童用公園(750坪)、丸一山公園(1,800坪)、東中遊園地(1,500坪)の5ヵ所であった。54年には、児童公園7、地区公園1(島津公園)、風致公園1(日の出山公園)を設置するに至った。人口1人当たりの公園面積は9.2uで、公園基準設置面積1人当たり(6u)や市街地内公園面積に対する1人当たり(4.2u)をも、上回っていた(『上富良野町総合計画』昭54)。
表7−75は、昭和41年以降に都市計画公園として、整備してきた一覧である。表7−76は都市計画用途地域以外の公園であり、表7−77は都市計画地域内のコミュニティ・広場・緑地である。コミュニティとは、ここでは地域の連帯を強めることを目的に環境づくり、組織づくりを国が50年代、全国的に展開してきた一環で、コミュニティ施設としての公園である。表7−78は公園・広場の施設である。
表7−75 都市計画公園一覧
公園名 |
種別 |
位置 |
計画決定 面積(ha) |
当初計画決定 年月日告示番号 |
中央公園 |
児童 |
上富良野町中町3丁目 |
0.45 |
昭和41年6月9日 建設省告示1796号 |
みやまち公園 |
児童 |
上富良野町宮町3丁目 |
0.30 |
昭和44年5月20日 建設省告示2636号 |
おおまち公園 |
児童 |
上富良野町大町2丁目 |
0.10 |
昭和46年11月25日 建設省告示56号 |
なかよし公園 |
児童 |
上富良野町本町3丁目 |
0.20 |
昭和46年11月25日 建設省告示56号 |
しらかば公園 |
児童 |
上富良野町緑町1丁目 |
0.15 |
昭和48年2月1日 上富良野町告示2号 |
北栄公園 |
児童 |
上富良野町栄町1丁目 |
0.32 |
昭和48年2月1日 上富良野町告示2号 |
にしまち公園 |
児童 |
上富良野町西町3丁目 |
0.52 |
昭和50年12月10日 上富良野町告示55号 |
島津公園 |
地区 |
上富良野町富町3丁目 |
4.00 |
平成6年6月3日 北海道告示869号 |
日の出公園 |
総合 |
上富良野町東1線北27号 |
20.80 |
平成元年12月14日 北海道告示1882号 |
合計 |
|
|
26.84 |
|
表7−76 都市計画用途地域外の公園
公園名 |
種別 |
位置 |
決定面積(ha) |
当初決定年月日 及び告示番号 |
東中公園 |
児童 |
上富良野町東6線北18号 |
0.9 |
|
資料都市計画課(平成中年3月31日現在)
表7−77 都市計画地域内コミュニティ広場及び緑地・広場等一覧
番号 |
緑地・広場名 |
種別 |
位置 |
面積(u) |
設置年月日(供用) 告示番号 |
1 |
中央コミュニティ広場 |
コミュニティ |
本町3丁目 錦町1丁目 |
16,020 |
平成2年9月28日 上富良野町第27号 |
2 |
旭広場 |
コミュニティ |
新町2丁目3番 |
1,500 |
平成8年12月13日 上富良野町第号 |
3 |
富良野川桜づつみミュニティ広場 |
コミュニティ |
国道237号バイパス(新栄橋)よりあすなろ人道橋までの富良野川左右岸 |
38,900 |
平成8年12月13日 上富良野町第号 |
4 |
大町ランド |
広場 |
大町1丁目7番 |
277 |
(寄贈登記日又は供用日) 昭和52年8月11日 |
5 |
扇町公園 |
広場 |
泉町2丁目 |
227 |
昭和58年9月29日 |
6 |
東明広場 |
広場 |
新町4丁目5番 |
331 |
昭和57年3月24日 |
7 |
丘町広場 |
広場 |
丘町1丁目7番 |
696 |
昭和50年12月19日 |
8 |
若葉ちびっこ広場 |
広場 |
旭町3丁目1番 |
277 |
昭和57年9月6日 |
9 |
本町5丁目4 |
緑地 |
本町5丁目4番 |
289 |
昭和52年9月6日 |
10 |
本町5丁目5 |
緑地 |
本町5丁目5番 |
633 |
平成7年9月28日 |
11 |
本町5丁目12 |
緑地 |
本町5丁目12番 |
230 |
平成9年2月24日 |
12 |
泉町1丁目 |
緑地 |
泉町1丁目 |
317 |
平成元年8月22日 |
13 |
新町4丁目 |
緑地 |
新町4丁目 |
507 |
平成元年10月27日 |
14 |
西町4丁目 |
緑地 |
西町4丁目 |
267 |
平成3年7月16日 |
15 |
北町2丁目 |
緑地 |
北町2丁目 |
353 |
平成6年12月19日 |
16 |
桜町2丁目 |
緑地 |
桜町2丁目 |
165 |
平成7年3月6日 |
17 |
南町3丁目 |
緑地 |
南町2丁目 |
215 |
平成9年2月24日 |
計 61,204 (内コミュ56,420 緑広4,784) |
資料都市計画課(平成9年3月31日現在)
表7−78 都市計画公園・広場施設一覧表(平成9年3月末日現在)
|
所在地 |
公園名 |
遊戯施設 |
修景・休養・便益・管理施設 |
備考 |
||||||||||||
ブランコ |
滑り計 |
シーソー |
ジャングルジム |
低鉄棒 |
砂場 |
その他の遊戯施設 |
便所 |
水飲場 |
ベンチ |
照明 |
屑かご |
フェンス |
その他の施設 |
|
|||
(都市計画決定公園)
1 |
|
日の出公園 |
|
|
|
|
|
|
アスレチック3基 |
水洗1汲取2 |
4 |
9 |
10 |
10 |
|
ステージ・パーゴラ・展望台・広場 |
エントラスゾーン一式 |
2 |
|
島津公園 |
2連×1 |
|
12連×1 |
|
3連×1 |
1 |
平均台・対面ブランコ・メリーゴーランド |
水洗1汲取2 |
3 |
10 |
10 |
10 |
有 |
ボート池・パーゴラ・野外卓4 |
パークゴルフコース |
3 |
中町 |
中央公園 |
2連×2 |
1 |
2連×1 |
R・グローブ |
3連×1 |
|
対面式ブランコ、メリーゴーランド |
汲取式 |
1 |
8 |
1 |
4 |
有 |
バックネット |
|
4 |
宮町 |
みやまち公園 |
2連×2 |
1 |
2連×2 |
R・グローブ |
3連×1 |
1 |
対面式ブランコ、メリーゴーランド、波型平均台 |
水洗式 |
1 |
4 |
2 |
2 |
有 |
バックネット |
|
5 |
大町 |
おおまち公園 |
2連×1 |
1 |
|
ロケット型 |
3連×1 |
1 |
対面式ブランコ |
|
|
|
|
1 |
有 |
|
|
6 |
本町 |
なかよし公園 |
4連×1 |
1 |
2連×1 |
R・グローブ |
3連×1 |
1 |
リングブランコ、メリーゴーランド |
水洗式 |
1 |
7 |
1 |
1 |
有 |
|
|
7 |
緑町 |
しらかば公園 |
3連×1 |
1 |
2連×1 |
飛行機型 |
3連×1 |
1 |
リングブランコ |
汲取式 |
1 |
5 |
1 |
2 |
有 |
防球ネット |
|
8 |
栄町 |
北栄公園 |
4連×1 |
たこ型外1 |
2連×1 |
|
3連×1 |
1 |
リングブランコ、小型メリーゴーランド、遊動橋 |
水洗式 |
1 |
6 |
1 |
3 |
有 |
防球ネット |
|
9 |
西町 |
にしまち公園 |
2連×1 |
1 |
|
|
|
1 |
タイヤロープウェイ、キリン型ジャンプロープ |
汲取式 |
1 |
5 |
2 |
1 |
有 |
パーゴラ、バックネット |
|
(都市計画用途地域外の公園)
10 |
東中 |
東中公園 |
2連×1 |
1 |
単×1 |
|
3連×1 |
|
|
移動式 |
|
8 |
|
2 |
一部有 |
池・東屋1 |
|
(コミュニティ広場)
11 |
中町・本町 |
中央コミュニティ広場 |
|
|
2連×1 |
|
3連×1 |
|
|
汲取式 |
1 |
10 |
10 |
6 |
有 |
パーゴラ |
パークゴルフコース |
12 |
新町 |
旭広場 |
2連×1 |
1 |
|
|
|
|
アザラシ型スプリング遊具、ロッキングホース |
水洗式 |
1 |
2 |
1 |
|
有 |
キノコシェルター、チェーン棚 |
車止め3 |
13 |
富良野川左右岸 |
桜づつみコミュニティ広場 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
東屋 |
駐輪場 |
(広場及び緑地)
14 |
大町 |
大町ランド |
単×2 |
1 |
2連×1 |
|
2連×1 |
1 |
リンーグブランコ、平均台、木馬、埋込タィヤ外2 |
|
|
1 |
|
|
有木製 |
|
|
15 |
泉町 |
扇町公園 |
|
1 |
単×1 |
|
3連×1 |
|
リングブランコ |
|
|
|
|
|
有 |
|
|
16 |
新町 |
東明広場 |
2連×1 |
1 |
|
|
|
1 |
ジャングルジム |
|
|
|
|
|
|
カラードカン2 |
|
17 |
丘町 |
丘町広場 |
2連×1 |
動物型外1 |
2連×1 |
1 |
3連×1 |
1 |
動物腰掛×3 |
|
|
2〈丸太) |
1 |
1 |
|
|
|
18 |
旭町 |
若葉ちびっこ広場 |
|
|
2連×1 |
|
|
1 |
ジャングルジム |
|
|
|
|
|
|
防球ネット |
|
19 |
本町 |
本町5丁目4緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
20 |
本町 |
本町5丁目5緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
21 |
本町 |
本町5丁目12緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
22 |
泉町 |
泉町1丁目緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
一部フェンス |
|
|
23 |
新町 |
新町4丁目緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
24 |
西町 |
西町4丁目緑地 |
|
ラーダ式1 |
|
R・グローブ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
25 |
北町 |
北町2丁目緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
26 |
桜一町 |
桜町2丁目緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
27 |
南町 |
南町2丁目緑地 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
資料都市計画課
写真 日の出公園
写真 島津公園
※ いずれも掲載省略
戦後の住宅事情
住宅建設は、戦後の食糧不足と並んで、緊急対策を要する課題であった。自治体は福祉政策として取り組み、引揚者住宅・母子住宅は寒地住宅とはいえないほど粗雑な建物が多かった。昭和28年までに建設された道内の住宅戸数は約25万戸であったが、世帯数の増加と火災などによる滅失で、29年現在の推定不足戸数は12万戸を超えた。1人当たりの畳数は札幌で、28年には3.70畳と、まだ戦前の16年(4.29畳)の水準を回復していなかった(平成7年『道民生活白書』)。
戦後の復興は衣、食生活が落ち着くにつれて、やや立ち遅れていたのが住生活の部分であった。それでも全国の1住宅当たり居住室畳数は、30年代の住宅建設の増加によって、33年の21.1畳から43年の23.29畳へと伸び、水洗トイレ、浴室などを備えた公団団地が大阪・札幌などに登場し、国民的なあこがれともなった(平成7年『道民生活白書』)。
上富良野の戦後住宅事情は次のように都市部と変わりなく、深刻な状況であった。
福祉事業としての住宅建設が、23年に引揚者住宅、29年に母子住宅を確保し、36年に低家賃住宅の建設となった。
また、27年の開発庁に対する町の「請願書」には6つの道路整備とともに2つの住宅要求、「公営住宅について」と「金融公庫法による住宅の枠について」が提出された(昭和26年9月起『陳情書綴』上富良野町)。ここで、すでに住宅政策の二本柱である公営住宅の整備と個人住宅の推進が現われていた。
26年12月2日には「上富良野町営住宅管理条例」が前年の公営住宅法などを施行するために、入居者の公募、入居資格、家賃額の決定などを定めて発布された(昭和26年度『条例発布報告』上富良野村)。公営住宅建設は28、29年に各5棟10戸(延坪110坪)を新築した。
一方、融資住宅関係は年毎に増し、27、28年に8戸を建設、29年は4戸(木造3・ブロック1)そして農村モデル住宅ブロック造り(30坪)1戸であった。町振興公社で宅地の分譲が33年に開始され、持ち家の住宅政策も推進した。41年に日の出住宅団地、44年の島津団地、富原柏台団地が50年代に分譲された。
公営住宅の建設と陸上自衛隊の駐屯
昭和30年には公営住宅建設を必要とする、上富良野独自の新たな事情、陸上自衛隊の上富良野駐屯に関する住宅用地の確保が必要となった。公営住宅を100戸建設するための「請願書」を北海道電力鰍ヨ町は提出し、26年に上富良野変電所敷地として、上富良野町有地8反歩を譲渡した一部分の「割愛」を要請した(昭和28年『陳情書綴』)。
「請願書」
本町は御承知の如く富良野盆地の北端に位置する……純農村でございますが、開拓以来六十年にして今回一大転換期に直面致して居ります。
十勝岳秀峰山麓数千町歩が陸上自衛隊演習場に決定せられ加えて、自衛隊キャンプの完成に伴い八月中に約三千名の隊員が移駐する訳でありますが、当面の問題は幹部の宿舎を如何にするかで、目下二百数十世帯を収容すべく全町民に呼びかけ、貸家、貸間の確保に努めて居りますが、全戸数二千数百戸の戸数のみしか有しない寒村の本町に於いては、なかなか容易でない現状であり、この解決策として公営住宅(アパート)百戸を急速に建築することになり、その建築敷地について、都市計画その他の見地から、種々協議の結果、昭和二十六年四月貴社旭川支店上富良野変電所敷地として当時、上富良野町有地八反歩を譲渡致しました一部を割愛頂きたいので実情を申し述べ請願する次第で御座います。
やがて、30年8月17日の議会は、自衛隊駐屯のため、町が50戸、民間50戸(3年間で町が買い上げる)の住宅建設を議決し、翌31年に4棟20戸(あかしあ団地)、2棟6戸(丸一山公園敷地)を建設した。
なお、同31年の公営住宅建設は、上富良野団地(東町)10戸、東中団地(4戸)の14戸で、1戸12.2坪(1.5坪の物置を含む)の広さであった(31年『町議会』会議録)。
公営住宅の間取りの変化
公営住宅は、戦後の住宅不足に急きょ対応した時期から、「公的な立場からの住宅需要への対応」に止まらず、「住宅の質や環境面でも地域のモデル」としての住宅として、整備、改善が図られるようになった(『上富良野町総合計画』平元年)。こうした意味から、公営住宅の間取りの変化は、住宅の質の向上を示しているので、大きな変化をみたい。
図7−11 間取り図(1) 間取り図(2) 間取り図(3) 間取り図(4)
図7−12 間取り図(5) 間取り図(6) 間取り図(7)
※ いずれも掲載省略
図7−11の間取り図(1)は昭和36年の道営特別低家賃住宅で8戸建設、4.5畳2間の9坪、家賃月額1,700円、母子世帯・身体障害者世帯・引揚者や疎開世帯・低額所得世帯が入居資格であった。35年に教育施設も重点がおかれ教員住宅が10.5〜12坪の住宅間取りで江幌、清富に建てられた。間取り図(2)は、38年に春日団地の新築で石炭小屋と物置を住宅に併設し、子ども部屋、使い勝手よくフローリングを配置した(6畳、4畳、台所と居間=DK)。間取り図(3)は、43年に東明団地に建てられ、公営住宅に3部屋タイプ(4.5畳、4.5畳、4.5畳、DK)が導入され、調理台スペースも設置された。翌年には3部屋タイプの1室が6畳と広くなった。間取り図(4)は、45年の西日の出団地に建てられ2部屋タイプ(4.5畳、4.5畳、DK)と3部屋タイプ(6畳、6畳、4.5畳、DK)ができて、6畳間が作られた。
公営住宅に浴室ができたのは51年で16戸を建設し、49年度から着手した公営住宅建設5ヵ年計画によって既設の公営住宅は総数で432戸となった。図7−12の間取り図(5)は西日の出団地に建てられ、2部屋タイプはなくなって、浴室付きの3部屋タイプ(6畳、6畳、4.5畳、DK)だが、石油・プロパンガスが一般化しているなかで石炭庫が付き、居住部分を狭めていた。翌年には浴室に脱衣室のスペースができた。こうして7団地が形成され、核家族化や町内で所帯をもつ自衛官の増加から公営住宅への需要は高かった。
居間の空間が広がったのは55年で、3部屋タイプ(間取り図(6))は3LDK(6畳、6畳、4.5畳、LDK)となった。
この頃から環境整備として公営住宅地域の集会場がそれぞれ建設されたり、手狭な公営住宅の改善を図って43、44年建設分を2戸を1戸分に併せて居住するなど、公営住宅の居住性に改善が見られた。58年以来新たな建設はなく、63年に2階建てが登場した(間取り図(7))。公営住宅への入居では高齢者・単身者の需要、建て替えによる家賃の増額などが検討課題となっている。
昭和40年代以降の住宅事情
上富良野における昭和48年以降の住宅建設の推移は表7−79で、50年代後半の公営住宅の建設が中断した時期からは、持家建設の棟数が50年代前半より大幅に減少してはいるものの、持家建設が主流となり、共同住宅(アパート、マンションなど)は60年頃から安定して増加した。住宅建設の推移を図7−13でみると住宅建設が、オイルショックの48年以降、49年の国の持家建設促進資金融資制度が設けられ住宅融資条件の緩和も背景にあって増加した。第二次オイルショックを経て54年に大きなピークがある。2つめのピークはバブル崩壊後で平成5年の低金利政策のもと、持家・給与住宅(教職員や商工業従業員の住宅など)・共同住宅ともに活発であった。
また、住宅状況の推移は表7−80である。表7−81は平成8年度公営住宅の管理戸数である。
なお、マイホーム(持家)の新築が年間約100戸にもなっていた頃の昭和49年に建築した農家(両親と10代の姉妹の4人家族)の住居で、「農作業に便利、広い勝手口」を重視した間取りの一例(間取り図(8))を、広報『かみふらの』(昭49・12)は紹介した。2階建て、8畳、4.5畳、8畳、6畳、4.5畳、居間の6室、そして広い勝手口は家族や農業労働者の出入り、農作業に使う地下たびや長ぐつなどの履物を置く、板の間での汚れた衣服の着替えなどを容易にする設計であった。そして、小物入れなどの工夫された家づくりも取り上げられた。
また、高断熱材を取り入れた「北国住宅」が普及しはじめた五十四年には、「北国の住まいと生活」をテーマに「寒冷地積雪地の住宅計画」などの専門的な成人講座(旭川東海大学)が開催され、上富良野町としても受講を勧めた。六十三年からは、寒冷地に適した機能・設備・町並みなどに配慮した「北方型住宅」の開発研究が進み、町内にも三重窓や木製窓枠・ロードヒーティングなどの成果を生かした家屋がみられる。
表7−79 住宅建設戸数の推移
|
公営住宅 |
給与住宅 |
共同住宅 |
持家 |
合計 |
昭和48年度 |
36 |
4 |
4 |
83 |
127 |
昭和49年度 |
40 |
8 |
8 |
94 |
150 |
昭和50年度 |
32 |
6 |
4 |
118 |
160 |
昭和51年度 |
32 |
9 |
13 |
119 |
173 |
昭和52年度 |
32 |
6 |
5 |
96 |
139 |
昭和53年度 |
16 |
5 |
22 |
113 |
156 |
昭和54年度 |
16 |
34 |
24 |
128 |
202 |
昭和55年度 |
12 |
60 |
3 |
86 |
161 |
昭和56年度 |
8 |
6 |
4 |
66 |
84 |
昭和57年度 |
4 |
5 |
0 |
101 |
110 |
昭和58年度 |
0 |
1 |
21 |
39 |
61 |
昭和59年度 |
0 |
0 |
43 |
32 |
75 |
昭和60年度 |
0 |
0 |
0 |
33 |
33 |
昭和61年度 |
0 |
0 |
26 |
43 |
69 |
昭和62年度 |
8 |
5 |
60 |
51 |
124 |
昭和63年度 |
16 |
5 |
72 |
52 |
145 |
平成1年度 |
0 |
6 |
45 |
50 |
101 |
平成2年度 |
0 |
4 |
20 |
56 |
80 |
平成3年度 |
0 |
54 |
18 |
42 |
114 |
平成4年度 |
2 |
2 |
22 |
49 |
75 |
平成5年度 |
0 |
84 |
60 |
76 |
220 |
平成6年度 |
8 |
1 |
8 |
73 |
90 |
平成7年度 |
4 |
0 |
28 |
57 |
89 |
平成8年度 |
12 |
6 |
44 |
78 |
140 |
(都市計画課建築係)
表7−80 住宅状況の推移
|
昭和45年 (1970) |
昭和50年 (1975) |
昭和55年 (1980) |
昭和60年 (1985) |
平成2年 (1990) |
平成7年 (1995) |
総数 |
1,994 |
3,659 |
3,739 |
3,795 |
3,867 |
4,070 |
持家戸数 |
940 |
2,276 |
2,402 |
2,448 |
2,493 |
2,627 |
(割合) |
(47.1) |
(62.2) |
(64.2) |
(64.5) |
(64.5) |
(64.5) |
公営借家 |
133 |
381 |
458 |
428 |
404 |
391 |
民営借家 |
652 |
617 |
498 |
493 |
552 |
612 |
給与住宅 |
253 |
374 |
370 |
408 |
364 |
404 |
間借 |
16 |
11 |
11 |
18 |
42 |
15 |
1世帯当人員 |
4.09 |
3.76 |
|
|
3.20 |
2.95 |
1世帯当畳数 |
27.1 |
29.2 |
|
|
88.0 |
93.4 |
1人当畳数 |
6.6 |
7.8 |
|
|
27.5 |
31.6 |
※各年国勢調査及び『上富良野町総合計画』(平成元年)より作成。なお、平成2、7年の1世帯当、1人当の単位はu(延べ面積)である。
表7−81 公営住宅管理戸数(平成8年度末現在)
団地名 |
戸数 |
宮町団地 |
24 |
東中団地 |
10 |
緑町団地 |
42 |
富町団地 |
42 |
東町団地 |
36 |
泉町北団地 |
30 |
泉町南団地 |
72 |
扇町団地 |
96 |
西町団地 |
80 |
合計 |
432 |
〈資料〉都市計画課
図7−13 住宅建設戸数の推移
図7−14 間取り図(8)
※ 掲載省略
高齢社会の住まい
さて、高齢化や長寿社会の到来を迎え、子育てを終え、退職後の生活を「第三のライフステージ」として持つようになり、「仕事のための余暇」から「仕事と余暇の両立」へと、余暇観も変化してきた(平成七年『道民生活白書』)。住まいは、こうした人々の営みを支える多様な質の住宅が求めらてきた。
たとえば、高齢者のための高齢者住宅(シルバーハウジング)・軽費老人ホーム(ケアハウス)・グループホームなどが望まれてきた。上富良野ではケアハウス「ハイムいしずえ」が平成九年十二月一日にオープンした。設置者は上富良野町で、管理運営は社会福祉法人上富良野社会福祉協議会が行い、三〇名の定員である。
また、在宅介護は、緊急の課題となっているが、高齢者が自宅で暮らすための住宅改善事業は昭和五十年代からみられた。
広報『かみふらの』によれば、道は五十二年に「老人(六十歳以上)の専用居室の整備(増築・改築)」のために、一件につき一〇〇万円以内、年利六・五〇四、総収入三六〇万円以下で一二年以内償還という条件である。
58年には1件につき150万円以内に増額され、総収入額を引き上げ、償還期間を2年間延長するなど利用しやすいようになった。身体障害者住宅の増築・改築するために必要な資金も貸し付けており、平成5年には1件につき230万円以内、年利3.0l、総収入850万円以下が条件である。
国際障害者年をきっかけに、障害者が社会の中で障害がない者と同等に生活し、社会活動に参加することが本来の社会のあるべき姿であるという考え方(ノーマライゼーション『上富良野町総合計画』平成元年)がひろまりつつある。さらに障害者の生活を容易にするために部屋の段差を解消し、引き戸をつけて車イスの通りをよくするなどのバリアフリーによる居住空間を保障することは、公共建築物においてもしかりである。介護支援体制の充実とともに、障害者や高齢者自身が何をしたいのか、自己決定を尊重して人権や生活権を保障することが大切になっている。
写真 軽費老人ホームケアハウス「いしすえ」
図7−15 間取り図(9)
※ いずれも掲載省略