第7章 現代の上富良野 第7節 現代の社会
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7、社会活動の諸団体
社会的な活動は戦後、昭和21年に日本国憲法、翌22年に労働基準法が公布され、基本的人権や労働三権の確立をみて、政治や労働運動などをはじめとして、文化・教育・福祉など多面的な分野が活発化した。文化・教育などのほか生活に関わる諸団体は関係分野で取り扱ってきたところなので、ここでは労働組合・女性団体(婦人団体)・政党などの団体に限り、諸団体の簡略な紹介にとどめる。
労働組合
戦後の上富良野の労働組合運動は、第6章第1節の「町政の諸相」で触れられ、昭和30年代までの労働組合の創立は第6章第7節の「戦後の息吹きと労働組合」にまとめた。つぎに、45年(1970)から平成7年(1995)までの25年間の上富良野の労働組合の推移を一覧したい。各年次とも、上川支庁を通して報告された組合員の数値であって、『北海道労働組合名鑑』(北海道商工労働観光部発行)により作成した(表7−65)。
労働組合として、組合員の多いのは、1970年には上富良野農業協同組合労働組合で140名のうち女性が約3分の1を占め、次いで上富良野町職員組合が128名(うち女性26名)、1995年には上富良野町職員組合が206名(うち女性91名)で、上富良野農業協同組合労働組合が減少して108名(うち女性36名)と変化した。
上富良野における労働組合を構成してきた木材関係が減少し、ハイヤー関係も継続した組合運動は困難であった。また、日雇労働者の組織である全日自労北海道地方本部上富良野支部は、全日自労のなかでも遅くに組織化されていたが、上川管内でも息長く1987年まで活動し、女性が約3分の2を占めてきた。さらに、失業保険制度が変わり、雇用保険制度により、積寒給付金が支給されて冬期技能講習が始まった1985年に、上富良野においては160名にも達する季節労働者が北海道季節労働者組合上富良野支部を組織した。新しい労働組合として、スガノ農機釜J働組合も1974年以降、11年間活動した。
上富良野の労働組合の協議組織は上富良野地区労働組合協議会(地区労)で、表7−65における上部加盟の欄へ、該当組合には地区労の「地」を記載している。ただし、地区労に加盟しているのは、表7−65の各組合だけではなく、上富良野にある出先機関や出張所などに働く公務員や各企業などの組合支部などの労働組合が参加しているので、単一組織の組合員数と地区労の組合員の数値は一致しない。地区労加盟の北海道教職員組合(北教組)、高等学校教職員組合(高教組)、全逓信労働組合(全逓)、国鉄労働組合(国労)などがあり、表7−65の注を参照願いたい。
なお、平成元年(1989)11月21日に労働運動の中央段階で大きな組織変化があった。「連合」と略される日本労働組合総連合会(総評系・中立労連系の民間労組と官公労組)と「全労連」と略される全国労働組合総連合(旧統一労組懇系労組)に再編された。上富良野地区労働組合協議会は「連合」傘下である連合北海道のもとに活動している。
表7−65 上富良野町における労働組合組織の推移
〔1970(昭和45)年〜1995(平成7)年6月未現在〕
労働組合名 年代 (単位・単一組織) |
昭和 45 |
47 |
49 |
1975 50 |
51 |
52 |
53 |
54 |
1980 55 |
56 |
57 |
58 |
59 |
1985 60 |
61 |
62 |
63 |
平成 1 |
1990 2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
1995 7 |
上部 加盟 |
上富長野町農業協同組合労働組合 |
(57) 140 |
(63) 138 |
(54) 136 |
(54) 135 |
(50) 132 |
(57) 132 |
(57) 140 |
(49) 135 |
(52) 141 |
(53) 140 |
(51) 138 |
(50) 137 |
(46) 131 |
(39) 119 |
(35) 113 |
(29) 107 |
(27) 102 |
(22) 97 |
(16) 79 |
(16) 79 |
(12) 73 |
(25) 100 |
(36) 112 |
(36) 108 |
|
全日自労北海道地方本部上富良野支部 |
(19) 27 |
(17) 26 |
(16) 21 |
(15) 20 |
(15) 20 |
(15) 20 |
(14) 19 |
(14) 19 |
(14) 18 |
(14) 18 |
(11) 15 |
(11) 15 |
(10) 14 |
(10) 14 |
(10) 14 |
(5) 8 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
建設 地 |
上富良野町職員組合 |
(26) 128 |
(19) 125 |
(31) 137 |
(38) 147 |
(43) 154 |
(42) 153 |
(41) 154 |
(42) 157 |
(41) 159 |
(41) 160 |
(39) 152 |
(39) 156 |
(39) 156 |
(35) 148 |
(34) 149 |
(33) 142 |
(35) 141 |
(37) 135 |
(37) 143 |
(75) 188 |
(83) 197 |
(79) 190 |
(95) 207 |
(91) 206 |
自治 地 |
伊藤木工場労働組合 |
(2) 15 |
(1) 15 |
(1) 12 |
(1) 12 |
(1) 11 |
(1) 11 |
(1) 11 |
(1) 11 |
(1) 10 |
(1) 9 |
(1) 7 |
(1) 7 |
(1) 6 |
(2) 8 |
(2) 8 |
5 |
4 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
|
北日本木材工業鰹]業員労働組合 |
(3) 28 |
(6) 29 |
(5) 27 |
(4) 32 |
(5) 26 |
(5) 25 |
(5) 24 |
(5) 24 |
(4) 24 |
(5) 32 |
(4) 30 |
(3) 22 |
(3) 22 |
(3) 22 |
(3) 21 |
(2) 21 |
(3) 22 |
(4) 23 |
(4) 22 |
(3) 20 |
(3) 18 |
(3) 19 |
(2) 14 |
(1) 16 |
|
十勝岳ハィヤー労働組合 |
4 |
9 |
(1) 10 |
(1) 10 |
(1) 12 |
7 |
10 |
10 |
9 |
12 |
12 |
12 |
12 |
12 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
全交 地 |
上富良野ハィヤl労働組合 |
2 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
11 |
8 |
3 |
3 |
1 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
全交 地 |
スガノ農機釜J働組合 |
− |
− |
(8) 46 |
(10) 40 |
(14) 47 |
(16) 53 |
(13) 63 |
(13) 55 |
(13) 50 |
(14) 51 |
(14) 44 |
(11) 45 |
(11) 45 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
|
上富良野一般労働組合 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
10 |
9 |
9 |
8 |
4 |
3 |
3 |
3 |
3 |
4 |
3 |
3 |
3 |
− |
− |
地 |
北海道季節労働者組合上富良野支部 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
(62) 162 |
(43) 121 |
(36) 89 |
(53) 120 |
(14) 61 |
(1) 10 |
(1) 10 |
(1) 10 |
2 |
− |
− |
道季 地 |
(協議組織)上富良野地区労働組合協議会(地区労) |
333 |
294 |
314 |
174 |
186 |
185 |
194 |
194 |
177 |
398 |
403 |
426 |
398 |
373 |
305 |
261 |
275 |
345 |
298 |
338 |
348 |
317 |
332 |
323 |
|
*各年版『北海道労働組合名鑑』(北海道商工労働観光部発行)により作成。( )内は内数で女子組合員数を示す。−の表示は、前書に未記載の部分、末結成または解散などを示す。
*労働組合名は発足時の名称を用いた。なお、各年6月末現在であり、平成7年の名称と代表者名は次の通りである。
上富良野町農業協同組合労働組合・服部久雄、自治労上富良野町職員組合(上富良野町職員組合)・前田満、北日本木材工業鰹]業員労働組合・村上祐二、連合北海道富良野地区連合上富良野支部(上富良野地区労働組合協議会)・並河秀幸。
*上部加盟(団体)は、平成7年現在および解散時の上部加盟団体名である。団体名を次のように省略した。地=上富良野地区労働組合協議会(地区労)、自治=自治労=全日本自治団体労働組合、建設=建設一般全日自労、全交=全自交労連=全国自動車交通労働組合連合会、道季=道季労=北海道季節労働組合。
*上富良野地区労の加盟人員は、掲載以外の組合の下部組織(分会・班など)による参加も含まれているので、本統計資料とは異なる。
地区労加盟の他の組合に、北教組(北海道教職員組合)、高教組(高等学校教職員組合)、全林野(全林野労働組合)、全逓(全逓信労働組合)、全農林(全農林労働組合)、国労(国鉄労働組合)、全道庁(全北海道教職員組合)、全山労(全国山林労働組合)などがある。
政党
日本国憲法により政治活動の自由が保障され、昭和21年4月に女性も初めて参政権を行使した。30年には自由民主党、日本社会党、日本共産党の各政党が、中央において出そろい、北海道でも経済、労働運動、婦人運動などに影響を及ぼした。
上富良野における各政党の政治活動は、富良野や旭川などを中心にした活動とともに展開されていたが、地方組織を最初に結成したのは自由民主党であった。
自由民主党上富良野支部は30年頃に結成された。支部長は、初代中西覚蔵、2代目(32年から42年頃まで)は宇佐見利治、3代目仲島徳五郎(56年前後)、4代目(62年まで)竹内正夫、5代目(昭和63年から平成7年)鎌倉周吉、6代目(平成8年から9年6月)三橋功、そして7代目(9年6月〜)は初の女性支部長として村上和子が就任。46年には町議会議員12名を擁した。近年の活動として、男女雇用機会均等法や夫婦別姓などのアンケート調査などがある。(自由民主党上富良野支部調べ)
日本社会党上富良野支部は41年5月1日に結成した。支部長は樋口勇作(41〜43年度)、菅野稔(44〜52年度)、大井謙一(53〜58年度)が歴任してきた。平成5年4月には富良野地方支部と統合し、活動している。町議会議員として、菅野稔(42年から4期)、松原勝俊(46年1期)、細川勇(50年から2期)を送り出してきた。(結党15周年記念誌『前進』1981年日本社会党上富良野支部発行)
日本共産党上富良野支部としての活動は、竹谷行平が町議に立候補した46年頃から活発となり、50年の初当選後に、「鉄砲水の被害甚大」であったことから防衛庁への補償要求などを行ない、2期務めた。ついで、米沢義英を58年以降の4期、町議会へ送っている。(『ひとすじ貫くもの』1985年日本共産党道北地区委員会発行)
女性団体
戦後の女性たちは、男女平等の理念が教育や文化、スポーツ、労働などの活動を通して、人間性を発揮できるようになった。こうした女性の要求と連帯の高まりから、女性団体が誕生してきた。
とくに昭和50年(1975)の国際婦人年では「平等・発展・平和」をかかげてメキシコ・シティで世界会議が開催され、六十年(一九八五)に国連婦人の十年には、日本においても「女子差別撤廃条約」が発効し、平成七年(一九九五)の中国で開かれ北京会議へ北海道からも約五〇名が参加するなど、国際的な女性の交流が継続されてきた。また、それまで婦人と称していた呼称などが変化してきた。人間の一方の性としての「女」を用いるようになり、戦前から婦人運動と云われていたものを女性運動、女性団体などに変わった。上富良野における各団体の名称の変化もみられる。
上富良野の女性団体は、『上富良野町史』には各地域の「戦後の婦人会」としてまとめている。昭和二十一年には、戦時下の地域婦人を組織していた大日本婦人会上富良野支部が組織的には敗戦によって解散したものの、地域婦人の向上や生活改善を目的に地域婦人会として、再組織が始まった。二十九年には農村各地域の婦人会が農業協同組合(農協)婦人部として組織され、同年九月十一日、上富良野町農協婦人部(部長林下フサ)が発足、平成八年に名称を農協女性部(部長伊藤元子)に変更した。農村地域と市街地の婦人団体を組織して三十二年七月一日、上富良野町連合婦人会(会長伊多波コト)が結成され、五十六年三月二十六日に解散した。
道内各町村の婦人単位団体、グループ・サークルの総数は、昭和五十年調査によると約七四〇〇団体で、地域婦人会、町内会婦入部および農協婦人部の三団体が、総団体数の六二l、会員数で七三lを占めた。会員数では、地域婦人会と農協婦人部に会員減がみられ、飛躍的な会員増はスポーツ・文化・消費者活動・商工関係と町内会婦人部であって、全道の婦人三三lが何らかの婦人団体に属していたことになる。婦人団体の運営の問題点に「役員・リーダー不足」、「事業のマンネリ化」、「資金不足」などがあげられ、全道的に大きな転換期を迎えていた(「北海道における婦人団体等の現状」『婦人ほっかいどう』第13号北海道総務部青少年婦人事務局編集発行 昭52)。
上富良野における奉仕的な団体として誕生したのは、56年4月結成の婦人ボランティアあゆみ会(会長高尾君子)で、公民館講座の受講者の賛同から、在宅老人の入浴介助などの奉仕活動を継続している。翌57年11月には、日本赤十字奉仕団(委員長六平美子)が結成された。家庭における幼児や老人などの看護技術を取得して、高齢者事業にもボランティアとして協力する一方で、平成7年には戦後50年の節目に皇居勤労奉仕のため35名が上京した。
上富良野の各団体は自主的活動を継続していたが、各団体との連携の気運が生まれて、平成元年12月12日に上富良野町婦人団体連絡協議会(会長松浦正子)が発足した。表7−66は上富良野の女性団体の一覧である。
表7−66 上富良野町婦人団体連絡協議会加盟団体(平成6年)
加盟団体 |
代表者氏名 |
会員数 |
婦人スポーツ団体協議会 |
安川美音子 |
94人 |
交通安全協会婦人部 |
松浦正一子 |
550人 |
赤十字奉仕団婦人部 |
佐々木幸子 |
130人 |
更正保護婦人会 |
高橋よしの |
28人 |
女性学級こてまり会 |
羽賀美代子 |
64人 |
農協婦人部 |
三橋 セツ |
190人 |
商工会婦人部 |
小沢 治子 |
155人 |
中央婦人会 |
竹谷 愛子 |
120人 |
ボランティアあゆみ会 |
一宮 孝子 |
48人 |
合計 |
|
1,379人 |
なお女性団体として、上富良野町婦人団体連絡協議会に加盟している団体以外に、泉町住民婦人会・栄町住民婦人会・西富婦人会・農協婦人部若妻会・婦人防火クラブ・各宗派寺に所属した仏教婦人会・新日本婦人会の会などがある。
その他の団体
北海道傷痍軍人会富良野地区支部上富良野分会
傷痍軍人による大日本傷痍軍人会は昭和13年に設立した。戦後27年に戦傷病者戦没者遺族等援護法が公布されると、日本傷痍軍人会に再編され、翌年に北海道傷痍軍人会も発足した。同28年に恩給法が復活して戦傷病者、戦没者の遺族などに援護が手厚くなった。36年には日本傷痍軍人会に妻の会が結成され、翌年北海道にも誕生した。
上富良野の戦傷病者、戦没者遺族らは39年4月に富良野地区支部を結成し、各町村に分会を置き、41年には上富良野から同支部長本田茂らが就任した。(北海道傷痍軍人会編『北海道傷痍軍人会四拾年誌』平4)。