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7章 現代の上富良野 第6節 十勝岳と防災

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3、防災体制の整備

 

 十勝岳火山防災会議協議会の設立

 昭和63年12月16日から始まった十勝岳の噴火は、平成元年3月5日以降一度も起こらず、火山対策専門委員会は「火山活動が当面異常拡大の傾向を示していない」との統一見解をだした(『1988−89年十勝岳噴火災害対策の概況』)。一方上富良野町と美瑛町は、「災害対策基本法第17条第1項に基づき、地域住民、観光客等の生命、身体及び財産を保護する」目的から、平成2年4月17日十勝岳火山防災会議協議会を設立し、6月4日には共同で「十勝岳火山噴火地域防災計画」を策定した。この計画は、今後2〜30年以内に噴火が起こるものと想定し、十勝岳で過去2,000年間に発生した噴火のうち、最も発生の可能性の高いケースを考え、その際の火山岩塊・火山弾の落下による災害、降下火山礫・火山灰による災害、火山崩壊による災害、火砕流による災害、溶岩流による災害、泥流による被害を予想し、それに対処するための防災組織、情報通信計画や災害予防計画、避難計画、災害応急計画、災害復旧計画を明らかにしたものである(『十勝岳火山噴火地域防災計画』)。ちなみに同協議会は、その後平成3年に「十勝岳噴火災害対策図」、平成5年に『十勝岳−防災対策のあらまし−』を作成して、両町の避難施設や防災施設の種類や設置場所、観測体制などを紹介した。

 このように防災連絡体制の強化がほぼ完了すると、上富良野・美瑛両町は平成2年6月10日災害警戒本部を廃止し、警戒区域を解除した。また道も「十勝岳情報連絡班」を廃止し、通常の防災体制に移行した。

 

 観測体制の強化

 一方十勝岳の火山活動観測体制の強化は、上富良野町の陳情項目の第一に挙げられていたが、基本的には昭和37年の噴火以来行われていた観測体制を引き継ぎ、さらに充実した観測、研究が行われることになった。観測機関は、@気象庁(旭川地方気象台や十勝岳火山観測所)、A北海道大学理学部(付属有珠火山観測所)、B北海道立地下資源調査所の3カ所である。気象庁は、地震計や空振計による振動観測、目視や遠望観測装置、熱映像装置による遠望観測のほか、噴気温度や地中温度、PH、泉温、火山ガス、噴煙量、色、高さ、臭い、音など種目とし、毎年6月、8月、9月に実施する現地観測を行っている。また北大理学部は、十勝岳の火山活動の現地観測のほか、十勝岳火山観測坑道に設置した地震計や傾斜計、伸縮計の観測データを無線テレメーターで望岳台観測点に送信し、望岳台中継所から、或いは十勝岳温泉観測地点から送信された観測データを十勝岳送信所をへて有珠火山観測所に送信し、解析するシステムをとっている。また北海道立地下資源調査所も現地観測のほか、地震計を設置して振動観測を行っている。

 さらに、火山に関する各種の情報を一元的に監視するため、平成4年10月には白金温泉北側の台地に十勝岳火山砂防情報センターが設置された。同センターは、各種の泥流センサーや気象情報、監視モニターなどを集中監視して情報をすばやく正確に提供するとともに、噴火および泥流の発生が予測される場合は、最前線の対策本部として機能し、地域住民の避難拠点にもなる施設で、火山砂防事業や防災の啓蒙のため、一般見学者に展示室を開放している(『十勝岳−防災のあらまし−』)。

 

 泥流防止施設の建設

 しかし観測体制をいくら強化しても、噴火時期の完壁な予知方法がない以上、万一泥流が発生した場合にそれを防止し、あるいは被害を最小限度にくい止めるための設備が必要である。具体的には、上流部で泥流を制御、抑制し、中流部で泥流を捕捉、貯留し、下流部で流水をコントロールする総合的な諸施設の整備が泥流災害防止の核になるのである。そこで北海道開発局と北海道は、総合的な火山泥流対策基本計画を策定し、平成元年度から創設された国の火山砂防事業により、これを推進することとなった。平成元年度には、透過型ダムによってふるい分けられた小さな土砂を貯留する1号ブロックダム、2号ブロックダムが完成し、平成2年9月12日、富良野川1号透過型ダムが竣工した。

 透過型ダムは泥流中の土砂をふるい分け、破壊エネルギーの大きい巨石、転石、流木などをおさえる働きを持つダムで、富良野川1号透過型ダムは堤長544bの当時日本一長い砂防ダムであった。またこの年、土砂と水を分離する4号底面スクリーンダムも完成し、さらに平成3年には4号透過型ダム(760b)、平成5年には3号透過型ダム(263b)が完成し、平成7年には2号透過型ダムの建設が開始された。ちなみに2号透過型ダムは平成11年完成予定で、堤長は917bであり、完成すれば長崎県水無川1号砂防ダムの870bをぬいて全国最長となる(『北海道新聞』平9・12・4)。

 

 写真 泥流対策のための透過型ダム

  ※ 掲載省略

 

 避難施設、避難通路の整備

 また実際に噴火が起こった場合、住民が迅速に避難し、しかもただでさえ疲労しやすい避難生活をできるだけ快適にする施設が必要である。そのために、昭和63年の噴火後、避難所の整備や避難道路、橋の拡幅工事などが行われた。

 平成2年には、砂防ダムに溜まった土砂を運び込んで安全な高台とし、その上に建設した草分防災センターが完成し、平成4年1月6日には泉栄防災センターがオープンした。これらの施設は、緊急時は避難施設として利用されるが、平時は地域の公民館としてレクリエーションに利用したり、地域の集会施設として活用されている。また平時には町民の公共施設として利用され、緊急時には避難施設として活用される施設としては、平成2年に完成したセントラルプラザがある。

 セントラルプラザは、「ふるさと創生」で各自治体に交付された1億円を資金に、上富良野町が旧国鉄精算事業団から払い下げを受けた中町1丁目の用地に、商工業研修等施設と学習等供用施設をあわせた複合施設として建築されたが、十勝岳噴火の際の緊急避難所としても活用できるようになっている(『広報かみふらの』397号、平2・12)。また平成5年には十勝岳避難広場も建設された。

 一方避難道路の整備は、国に申請した避難施設緊急整備計画の1項目であり、平成元年度から4年度をめどに計画達成が予定されていた。上富良野では、平成2年度の町政執行方針のなかに、避難路の整備として道路改良延長2,424b、道路舗装530b、3つの橋のかけかえと拡幅が含まれている。

 この方針に基づいて、平成元年から3年度にかけて町道西2線道路、平成元年から4年度にかけて町道西4線北道路、平成2年度に町道北26号道路、平成3年度に町道北29号西道路で拡幅などの整備が行われ、また道道では、平成元年度に道々留辺蘂上富良野線の歩道延長が行われた。橋梁ではあすなろ人道橋の建設も行われている。

 

 防災意識の高揚

 しかしいざ大正噴火規模の泥流が発生して、不幸にも泥流防災施設が崩壊した場合、パニックに陥らず迅速で安全な避難を行うためには、平時から各人が緊急時における行動のシュミレーションを行い、それを実際に訓練すること、そして十勝岳噴火と防災体制に対するより多くの知識を得ることが重要である。そこで町は昭和63年の噴火以降、住民に対してより完成度の高い「緊急避難図」を提供すべく、平成4年度以降数度の改訂を行い、また毎年避難訓練を実施した。

 特に避難訓練は、昭和63年の噴火以前は、全国的な防災の日にあたる9月1日に実施されていたが、泥流災害が冬から雪解け時期に起こること、また昭和63年の噴火が比較的夜に起こったことなどから、冬季の夜間に、より実践的な訓練が行われるようになった。

 また、危険区域の児童が通学する上富良野西小学校の防災教室や親子防災施設見学、泉町住民会の家族防災ゼミナールなど、学校や住民の防災に対する知識獲得のイベントが開催され、旭川土木現業所も平成4年度から毎年、「親と子火山砂防見学会」を主催している。