第7章 現代の上富良野 第5節 現代の交通と通信
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3、鉄道の推移
上富良野駅周辺の整備と国鉄の民営化
マイカーや航空機の発達などによって利用者が減少したことなどを背景に、累積赤字に悩んだ日本国有鉄道は分割・民営化されることになった。6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社に分かれ、昭和62年4月1日をもって再出発することになった。これらのグループの総称として、JRという略称が使われた。
北海道の国鉄は、北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)となり、その結果、上富良野駅もJR北海道上富良野駅と呼ばれるようになった。JRには当初から、「地域ニーズに応じたダイヤ編成などのサービス向上、セールス活動を軸にした旅行や駅構内施設を利用した関連事業の拡大などを緊急課題に、将来は鉄道を中心にした総合サービス業への進出を目指す」ことが期待された(『北海道新聞』昭62・4・1)。
こうした方向性は、上富良野駅においては駅舎の改築として具体的に示された。すなわち、民営化された昭和62年に、同8年の改築以来54年を経過した駅舎が、濃紺の屋根に、クリームイエローの外壁をもつ「ペンション風駅舎」に改築されたのである。9月10日に工事が終わり、利用客にも「おとぎの国に出てくる家みたい」と好評であった(『北海タイムス』昭62・9・12)。
こうした鉄道当局側の新しい動きとともに、一方で、町側のはたらきかけによる駅周辺の整備事業も本格化している。これは駅東地区の開発、駅前広場の有効利用を目指したものであった。上富良野町は富良野線が町の中心部を走り、市街地が東西に大きく分断されるため、これまでは駅周辺で町民参加の行事を行なっても、東西それぞれに偏る傾向があった。それで、地域社会活性化のために東西地区の結節点である駅周辺を整備し、町民の交流の場を作ろうというのである。すなわち駅東地区を「コミュニティー広場」にしようというのである。そこで、町は駅裏の国鉄遊休地を買収し計画の推進に努めた(『広報かみふらの』第299号、昭59・4、『北海タイムス』昭59・11・25)。
駅周辺整備事業が本格化するのは近年のことであるが、その趣旨での事業は早いうちから行なわれており、そうしたものも含めて、これまでに町が行なった整備事業の具体的な経過をみてみると次のようになる。
昭和48年11月に駅前広場の舗装を行なった(『広報かみふらの』第175号、昭48・11)。同54年7月に、町を訪れる人々に便利なように、駅前広場に市街地案内のための俯瞰図を設置した。同59年には、まず7月30日に普通乗用車120台収容の駅東地区町営駐車場が完成した(『広報かみふらの』第303号、昭59・8)。そして11月20日にはやはり駅東地区に中央コミュニティ広場が完成した。さらに12月3日には、鉄道によって分断されていた市街地の東西をつなぐ人道跨線橋(歩道橋)が駅舎横に設置された(『広報かみふらの』第307号、昭59・12)。
こうした町による駅周辺整備についての取り組みは、平成元年〜10年の「上富良野町総合計画」に引き継がれ、都市計画の主要事業として位置付けられるところとなり、イベント広場、花の広場、経済センターの建設、駅周辺道道の整備などの実現が目指された。そうしたなか、町は1988年度から89年度にかけて政府が「ふるさと創生」資金として全国の市町村に配分した1億円で旧国鉄清算事業団から払い下げを受けた駅前の用地に、多目的の「セントラルプラザ」を建設した。これは商工業研修等施設(1階)と学習等供用施設(2階)を合わせた複合施設で、平成2年12月25日に完成し、翌年1月8日にオープンしている(『広報かみふらの』第379号、平2・12)。
民営化して、地域のニーズに応える使命をもった上富良野駅も、こうした動きに合わせたサービスの提供が今後一層期待されているといえよう。
写真 改築された上富良野駅
※ 掲載省略
上富良野駅の営業状況
昭和57年11月15日から上富良野駅では貨物輸送の取り扱いをやめている。そこで、乗客輸送の推移によって近年の上富良野駅の営業状況をみてみよう(表7−27)。なお、同52年までは1983年版『上富良野町統計要覧』、それ以降は、1983年版・91年版・93年版・98年版『上富良野町勢要覧』の資料編によった。
乗車人員の総数はやや減る傾向にあるが、定期客の利用は近年ほぼ変わらない。これは、富良野線が通勤通学用の足としてしっかりと定着していることを示していよう。
次に、駅の調査に基づき、近年の沿革をみてみよう。
昭和48年11月、駅前広場が舗装される(『広報かみふらの』第175号、昭48・11)。同57年11月15日、貨物輸送の取り扱いを廃止。同58年4月10日、駅待合室に乗車券自動券売機を設置。同58年、この年に駅構内敷地を上富良野町及び関連民間人に売却。同59年2月1日、駅での小荷物取り扱いを廃止。同年12月3日、駅構内に人道跨線橋設置。同62年4月1日、国鉄の民営化により、北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)が営業を始め、国鉄上富良野駅は「JR北海道上富良野駅」となる。平成4年10月1日、この日から富良野線の全列車がワンマン運転となる(『広報かみふらの』第401号、平4・10)。
この間の駅長は、24代広川正敏のあと、次の人々が就任している。
歴代 |
氏名 |
在任期間 |
25代 |
片山丑太郎 |
昭和46年8月11日〜昭和47年6月5日 |
26代 |
渡部良平 |
〃47年6月5日〜〃49年2月9日 |
27代 |
村本弘吉 |
〃49年2月9日〜〃51年2月10日 |
28代 |
工藤多蔵 |
〃51年2月10日〜〃53年2月21日 |
29代 |
池田昭平 |
〃53年2月21日〜〃54年3月10日 |
30代 |
森田 勝 |
〃54年3月10日〜〃56年3月7日 |
31代 |
石川淳二 |
〃56年3月7日〜〃58年3月5日 |
32代 |
常楽吉春 |
〃58年3月5日〜〃59年3月10日 |
33代 |
金森 茂 |
〃59年3月10日〜〃61年2月14日 |
34代 |
芝橋利明 |
〃61年2月14日〜〃61年11月25日 |
35代 |
高屋舗英之 |
〃61年11月25日〜〃62年2月14日 |
36代 |
舟橋 健 |
〃62年2月14日〜〃63年4月1日 |
37代 |
清水目悦也 |
〃63年4月1日〜平成元年3月15日 |
38代 |
木曽成雄 |
平成元年3月15日〜〃2年12月1日 |
39代 |
佐藤 勝 |
〃2年12月1日〜〃4年3月18日 |
40代 |
斉藤信義 |
〃4年3月18日〜〃7年3月17日 |
41代 |
三浦静夫 |
〃7年3月17日〜〃8年3月19日 |
表7−27 乗客輸送状況(単位・人)
年度 |
定期客 |
定期外客 |
途中下車客 |
計 |
昭46 |
196,944 |
145,388 |
− |
342,332 |
52 |
67,575 |
179,295 |
− |
246,870 |
57 |
143,872 |
167,060 |
106 |
311,038 |
62 |
119,614 |
94,756 |
1,320 |
215,690 |
平4 |
130,604 |
120,209 |
1,810 |
252,623 |
8 |
131,909 |
67,131 |
1,298 |
201,113 |