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7章 現代の上富良野 第5節 現代の交通と通信

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1、道路の整備

 

 上富良野町総合計画と道路事業

 北海道の第2期総合開発計画が終了に近づいたころ、上富良野町でも長期計画が策定された。昭和44年から10カ年を期間とする「上富良野町総合計画」で、それ以降、上富良野町の道路事業は国の道路整備計画をにらみつつ、この長期計画をもとに推進されることになる。しかしこの長期計画は、1960年代の高度成長の下に立案されたもので、石油ショックを契機とする1970年代の低成長期の実情とそぐわないとされ、昭和53年から見直し作業が進められた。その際、町は初めて住民の意識調査を実施し、それに基づいて新しい総合計画の策定に努めた。その結果、同54年から63年までの「上富良野町総合計画」が成立し、実施に移された。

 この総合計画は、「美しい自然に生活・生産が調和した心豊かなまち」をテーマに健全な地域社会の実現をめざしたものである。

 そのための施策を5つに分類し、その第1に「市街地の基盤整備と農村集落整備による農村都市の建設」をあげている。具体的には、道路整備計画として、@町道の整備、A都市計画街路の整備、Bバイパス連絡道路の建設、C道道各路線整備の要請、D冬期除排雪の推進、E道路台帳の整備、F道路環境の向上を掲げている。

 また、交通網の整備計画のなかにバス路線網の充実が盛り込まれていた(『上富良野町総合計画』昭和54年〜昭和63年)。

 この計画に続き、平成元年から同10年までを計画年度とする新たな「上富良野町総合計画」が策定、実施された。この新しい計画は、「地方の時代」を強く意識したもので、町の将来像を「豊かな風土に明日を創るふれあいのまち」と設定した。まちづくりの柱を5つに分け、その筆頭に「足腰の強い産業を育てる」が掲げられ、道路事業はこの方針の中で推進されることになった。道路事業の具体的施策としては広域幹線道路の整備、一般道路の整備、道路の維持管理、農道の整備をあげている(『上富良野町総合開発計画』平成元年〜平成10年)。

 

 国道237号のバイパス化

 旭川市と上富良野町を結ぶ重要幹線である国道237号は、町内では市街地の中央を通過し、さらに鉄道と平面交差しており、かねてから交通事故の危険や、踏み切りでの一時停止による交通混雑が懸念されてきた。

 そこで、旭川開発建設部ではこれらを解消するためにバイパスルートの建設を計画した。そして、昭和48年から調査測量を始め、翌49年からは用地買収を始めた。しかし、用地買収にあたっては、耕地が分断されることや、騒音といった営農、環境問題のほか、単価などで難航した。それも話し合いによって同意を得、同54年から本格的な改良、舗装工事に入り、同63年9月30日にようやく開通した。調査測量から15年、総工費47億円に及ぶ大事業であった。

 そのルートは、西3線北29号を起点に、そこから西へ向かい、北26号で江幌完別川を跨いで東南に大きく曲がり、北24号で富良野川を越え、北23号と北24号の中間で鉄道線路と立体交差し、北23号よりやや富良野寄りの地点で再び国道と合流するものであった。区間の延長はこれまでの国道とほぼ同じ4.8`b、道幅はこれまでより6b広い16bで、市街地を通過していたときより見通しがよく、十勝岳連峰も一望できた(『北海タイムス』昭52・2・18、『広報かみふらの』第353号、昭63・10)。

 このバイパスの完成によって旧道となった元の国道路線は、バイパスの供用開始の昭和63年9月30日を以て、西3線北29号の起点から上富良野駅前の交差点までが道道吹上上富良野線、交差点から終点の北23号よりやや富良野寄りの地点までが道道上富良野停車場線となった。

 

 写真 上富良野バイパス開通式

  ※ 掲載省略

 

 道道の整備

 近年における道道の認定状況を、北海道旭川土木現業所富良野出張所蔵の「路線認定資料」によってみれば次のとおりであった。

 

 道道奈江富良野線(昭和47年3月31日告示第904号にて認定)

  ・中富良野町字奈江を起点とし、富良野市に至る路線で、路線の極一部が上富良野町管内に含まれている。

 道道上富良野中富良野線(同50年3月31日告示第951号)

  ・上富良野町字上富良野を起点とし、中富良野町の国道237号との交点に至る路線

 道道十勝岳温泉美瑛線(同54年4月17日告示第2159号)

  ・上富良野町十勝岳温泉を起点に、美瑛町に至る路線。

 

 このうち、十勝岳温泉美瑛線の道道昇格は、昭和36年に十勝岳産業開発道路の建設が始まったころからの懸案事項で、ようやく実現したものである。上富良野町と美瑛町は十勝岳地区と白金地区を結ぶこの路線を「産業及び国民保養のための重要路線」と位置づけていた(『広報かみふらの』第235号、昭53・12)。

 なお、この他に、国道のバイパス化によって旧道となった路線が、上富良野駅前交差点を境に道道吹上上富良野線と上富良野停車場線の一部として昭和63年に道道に認定されている。

 舗装の状況については、国道は早くから100lを達成していたが、道道は、平成9年4月の時点で98.9lに止まっていた(1998年版『上富良野町勢要覧』)。

 

 町道の整備拡充

 昭和48年の石油ショックによる経済混乱に対し、政府は総需要抑制政策を取るに至った。上富良野町もこうした動向に即応して、緊縮予算の下、緊急事業を重点に政策の実施を図った。そうしたなかで、上富良野町は同49年以降、投資的経費の多くを町道整備に振り向けたという(『上富良野町総合計画』昭和54年〜昭和63年)。

 実際に、町の決算書をみると、道路橋梁費のうち道路に関する費用が昭和50年以降、ほぼ8割から9割を占めている。平成6年、7年にはそれぞれ99.8l、99.9lを占めた。またこの間、道路・橋梁ともに新設・改良に多くの費用がかけられた。

 町道整備の推移を数字で示すと表7−22のとおりである。このうち、昭和51年までは『上富良野町総合計画』(昭和54〜63年)、61年までは『上富良野町総合計画』(平成元〜10年)、平成2年・7年・9年はそれぞれ1991年版・96年版・98年版『上富良野町勢要覧』の資料編を利用した。

 これをみると、昭和46年から現在まで30カ年弱で、道路の実延長が72.3`b伸びたことになる。この中で注目されるのは、舗装・改良ともに同56年以降急速に拡充したことである。これは、同54年から「上富良野町総合計画」が始まり、その中で、道路整備計画の第1に「町道の整備」が掲げられ、「整備水準を改良・舗装とも上川管内平均までの引上げに努める」ことが目標とされ、それがほぼ順調に推進されたことを意味しよう。しかし、舗装率が41.0l、改良率が50.8lと今だに決して満足する水準に達しておらず、今後一層の取り組みが必要となろう。

 

 表7−22 町道整備の推移

 

実延長(b)

舗装延長(b)

舗装率(l)

改良延長(b)

改良率(l)

昭和46

329,900

500

0.15

1,100

0.33

51

345,855

3,709

1.07

16,115

4.66

56

343,649

20,719

6.0

35,473

10.3

61

371,904

49,259

13.2

80,214

21.6

平成2

387,100

98,700

25.5

134,100

34.6

7

398,900

151,800

38.1

185,400

46.5

9

402,200

165,200

41.0

204,500

50.8