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7章 現代の上富良野 第1節 現代の町政

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3、町議会と議員

 

 議会の開催

 町議会議員の定数は42年8月から20人となっており、議会には総務、教育民生、産業経済、土木建設の4常任員会であったが(各定員5人)、62年より総務(定員7人)、教育民生(定員6人)、産業建設(定員7人)の3委員会となった。他に議会運営を協議する議会運営委員会、特別な問題を調査・審議するために臨時に設置される特別委員会があった。

 表7―4は昭和47年度から平成8年度までの議会開催数を示したものである。議会回数は定例、臨時を合わせて10回前後、会期は32、33日前後、本会議は20日前後が平均となっていた。

 議会の広報活動としては平成6年2月に広報紙が発刊された。道内では議会の広報紙を発刊している自治体は7割にも及んでいたために、5年9月に定例会ごとに年4回の議会広報『議会だより−かみふらの』の発刊を決議した。そして議会広報特別委員会を設置して編集準備を進め、6年2月に第1号を刊行した。同紙は5年4月に『議会だよりNOW』と改称している。

 議員定数に関して6年12月15日の議会にて、議員定数を20から18に削減する条例改正案が議員から提出されたが、賛成4、反対14で否決となっている。

 

 表7−4 議会の開催(昭47〜平8)

議会回数

会期

本会議

休会

47

10

25

18

7

48

9

26

17

9

49

8

21

15

6

50

10

23

17

6

51

13

34

21

13

52

8

23

16

7

53

10

25

17

8

54

9

33

18

15

55

7

25

15

10

56

9

28

17

11

57

13

33

21

12

58

12

35

21

14

59

10

33

17

16

60

13

38

21

17

61

9

29

16

13

62

12

30

19

11

63

14

35

21

14

1

11

30

16

14

2

14

32

21

11

3

12

29

19

10

4

15

35

22

13

5

14

35

21

14

6

12

34

19

15

7

12

35

19

16

8

11

32

17

15

    『議会事務報告』より作成。

 

 昭和46年の選挙

 昭和46年8月22日に行われた町議選(町長選と同時)には、定数20人のところ、29人が立候補するというまれにみる激戦であったが、当選者は以下の通りであった(任期:46年8月25日〜50年8月24日。定数20人)。

  谷  与吉  南  藤夫  松原 勝俊  宇佐見利治

  鎌倉 周吉  大場 清一  広川 義春  清水 一郎

  坂彌  勇  辻  甚作  佐藤敬太郎  菅野  稔

  松岡 隆七  小野 三郎  高田 秀雄  多湖正二郎

  久保 茂儀  桐山 英一  高橋 重志  西谷 勝夫

 この選挙では新人7人、元1人が当選し、党派別にみると自民党12人、社会党2人、無所属6人であった。議長に西谷勝夫、副議長に谷与吉が選任されている。

 46年12月21日に屠[と]畜場建設位置の調査に関する食肉センター建設調査特別委員会を設置(委員5名、47年5月6日に廃止)。48年6月18日に上富良野高校整備対策調査に関する高等学校整備対策特別委員会を設置(委員5名、48年8月24日に廃止)。50年3月22日に国民宿舎カミホロ荘の経営改善に関するカミホロ荘整備対策調査特別委員会を設置(委員7名、50年6月3日に廃止)。

 この期を最後に5期つとめた坂彌勇、8期つとめた桐山英一も引退したが、桐山英一は52年2月に8期30年にわたる議員としての功績により全国町議会議長会から表彰を受けた。

 

 写真 昭和46年選挙当選の町議

  ※ 掲載省略

 

 昭和50年の選挙

 昭和50年8月17日に行われた町議選(町長選と同時)には25人が立候補したが、当選者は以下の通りであった(任期:50年8月25日〜54年8月24日、定数20人)。

  酒匂 佑一  細川  勇  竹谷 行平  菅野  稔

  多田 良雄  大場 清一  高田 秀雄  鎌倉 周吉

  吉岡 光明  広川 義春  仲島徳五郎  巽   清

  清水 一郎  辻  甚作  宇佐見利治  小野 三郎

  久保 茂儀  松岡 隆七  南  藤夫  谷  与吉

 この選挙では新人6人、元1人が当選したが、前職が3人も落選するという厳しい少数選挙であった。竹谷行平が初の共産党公認として当選しているが、党派別にみると自民党11人、社会・共産党各1人、無所属7人となっていた。議長に谷与吉、副議長に南藤夫が選任されている。

 特別委員会では50年8月28日に、台風6号の大雨被害の現状と対策に関する災害対策調査特別委員会が設置(委員9名、51年3月12日に廃止)、51年3月25日には以下の3特別委員会が設置されている。

 @ 町立病院の整備対策と調査に関する病院整備対策調査特別委員会(委員6名、51年12月20日に廃止)

 A 食肉センターの運営対策と調査に関する食肉センター運営対策調査特別委員会(委員7名、51年12月21日に廃止)

 B 自衛隊基地の対策調査に関する基地対策調査特別委員会(委員6名、53年3月10日に廃止)。

 52年3月22日には十勝岳の開発調査に関する十勝岳開発調査特別委員会(委員6名、53年9月25日に廃止)、また52年12月5日には資材置場調査特別委員会(委員6名、52年12月22日に廃止)も設置されている。この委員会が設置となった「資材置場問題」とは、農業振興地域に指定されていた農地を取得した谷与吉議長が、町建設課の資材置場として町と賃貸契約を結び、農地法上での許可申請を出さぬままに無許可で農地を転用していた問題であった。

 このために52年12月5日に開かれた臨時町議会では、資材置場調査特別委員会が設置された。そして12月22日の定例議会にて議長不信任動議が出され、18人の全会一致で議決となった。議長としての道義上の責任を求める議員団と、陳謝の上で議長職の遂行を求める谷与吉議長との間でしばらく対立が続き議会が混乱した。

 この間題は町議会議長と町役場との賃貸借でもあって、上富良野地区労でも53年1月26日に「明るい町を築く町民集会」を開催し、関係者の出席を求めて真相を究明する集会を行っていた。この間題の責任をとって53年2月27日の臨時町議会にて和田町長は2カ月、助役が1カ月(ともに月額10分の1)の減給処分を表明し、谷議長と議員団との間では適当な時期をみて辞任することで和解が成立し、4カ月にも及んだ町政、議会の混乱が収拾された。

 過半数を占める自民党議員により51年に地方自治の研究、町政の研究などを目的に町政研究同志会が結成されていた。議員の辞職では酒匂佑一は54年5月12日に町長選の出馬のために、久保茂儀は53年3月6日死亡、広川義春は54年6月9日死亡によりそれぞれ辞職している。また、この期を最後に6期をつとめた宇佐見利治、谷与吉が引退した。

 

 写真 昭和50年選挙当選の町議

  ※ 掲載省略

 

 昭和54年の選挙

 昭和54年8月12日に行われた町議選(町長選と同時)には26人が立候補したが、当選者は以下の通りであった(任期:54年8月25日〜58年8月24日、定数20人)。

  徳島  稔  細川  勇  長瀬 勝雄  辻  甚作

  多田 良雄  野口 光雄  菊地 建蔵  千葉  誠

  巽   清  船引 定雄  多田 武雄  小野 三郎

  竹谷 行平  海江田博信  山崎  稔  高尾  明

  菅野  稔  仲島徳五郎  吉岡 光明  南  藤夫

 この選挙では新人が10人も当選し、議員の世代交代を画する選挙となった。党派別では自民党8人、社会・共産党各1人、無所属10人となっており、初めて自民党が過半数を割り、逆に無所属が半数を占めるようになり政党離れがみえはじめてきていた。議長に南藤夫、副議長に吉岡光明が選任された。

 この期には議長を除く19名が委員となる新しい方式の次の対策特別委員会が設置されている。

 @ 55年12月9日に国民宿舎カミホロ荘関連の施策に関するカミホロ荘対策特別委員会(56年3月11日に廃止)

 A 56年7月18日に行財政改善対策特別委員会(56年12月14日に廃止)

 B 8月の集中豪雨の災害対策調査に関する災害対策調査特別委員会(56年9月14日に廃止)

 議会活動では議員会主催のもとで54年12月7日に、町内婦人団体代表との懇談会が開かれている。

 

 写真 昭和54年選挙当選の町議

  ※ 掲載省略

 

 昭和58年の選挙

 昭和58年8月14日に行われた町議選(町長選と同時)は、立候補者が僅かに24人という少数激戦となったが、当選者は以下の通りであった(任期:58年8月25日〜62年8月24日、定数20人)。

  多田 良雄  長瀬 勝雄  谷本 和一  山崎  稔

  松田 勝利  米沢 義英  藤沢 直幸  千葉  誡

  徳島  稔  野口 光雄  温泉 国一  尾岸 孝雄

  二瓶  諭  山岡  寛  三橋  功  藤原 利雄

  高尾  明  海江田博信  菅野  稔  小野 三郎

 この選挙でも新人10人が当選し、党派別では自民党9人、共産党1人、無所属10人となっており、唯一の共産党の公認候補である米沢義英が当選を果たし、社会党からの当選者はなかった。議長に小野三郎、副議長に菅野稔が選任され、小野三郎は平成7年8月まで議長を3期つとめることになる。

 この期には59年12月20日に社会教育総合センターの建設調査に関する社会教育総合センター建設調査特別委員会(委員8名、60年12月16日に廃止)、60年3月20日に国土利用計画審査特別委員会(委員11名、60年6月18日に廃止)が設置されていた。また、58年10月29日に上富良野町議会OB会が創設されている。

 

 写真 昭和58年選挙当選の町議

  ※ 掲載省略

 

 昭和62年の選挙

 昭和62年8月9日に行われた町議選は、立候補者が僅かに22人という前回以上の少数激戦であった。町長選の方は酒匂佑一が無投票当選していたが、投票総数が9,060票(有権者数9,822人)、投票率は92.24lであった。当選者は以下の通りである(任期:62年8月25日〜平成3年8月24日、定数20人)。

  松岡 安司  尾岸 孝雄  海江田博信  谷本 和一

  藤沢 直幸  高尾  明  松田 勝利  中川 一男

  二瓶  諭  山崎  稔  吉岡 光明  多田 良雄

  三橋  功  野口 光雄  徳島  稔  藤原 利雄

  山岡  寛  米沢 義英  菅野  稔  小野 三郎

 この選挙では22人が立候補する少数激戦であったために新人2人、元1人が当選したのみ前職が17人も占めるという、結果的には波乱の少ない選挙であった。党派別では自民党7人、共産党1人、無所属12人となっていた。議長に小野三郎、副議長に菅野稔が8月29日にそれぞれ再任されている。

 特別委員会では63年12月20日に、上富良野総合計画の基本構想に関する総合計画基本構想審査特別委員会(委員19名、平成元年3月9日に廃止)、平成元年12月19日にゴルフ場建設に対する基本方針と対応に関するリゾート対策調査特別委員会(委員9名、平成3年6月18日に廃止)が設置されていた。

 

 写真 昭和62年選挙当選の町議

  ※ 掲載省略

 

 平成3年の選挙

 平成3年8月11日に行われた町議選は、23人が立候補し前回同様に少数激戦であった。町長選の方は酒匂佑一が無投票で3選を果たしていたが、投票総数が8,737票(有権者数9,717人)、投票率は89.91lであった。当選者は以下の通りである(任期:平成3年8月25日〜7年8月24日、定数20人)。

  松井喜代治  佐藤政幸  山崎 稔  山岡 寛

  三橋  功  米沢 義英  石川 洋次  倉本 チヨ

  海江田博信  青柳 輝義  高尾  明  谷本 和一

  平田 喜臣  松岡 安司  松田 勝利  徳島  稔

  中川 一男  岡和田 繁  尾岸 孝雄  小野 三郎

 この選挙では新人7人が当選したが、中でも倉本チヨ(千代子)が当選し初の女性町議の誕生をみた。党派別では自民党6人、共産党1人、無所属13人となっていた。議長に小野三郎、副議長に尾岸孝雄が8月29日に選任される。

 特別委員会では4年3月23日に、町立病院に関する町立病院改善対策特別委員会(委員9名、平成4年12月15日に廃止)、5年6月25日に一般廃棄物処理計画等の問題の調査研究に関する一般廃棄物処理対策特別委員会(委員19名)が設置されている(7年6月22日に廃止)。

 尾岸孝雄は町長選出馬のため4年12月2日に議員辞職したが、後任の副議長には4日に海江田博信が選ばれた。また、その欠員補充の補欠選挙が4年12月27日に町長選と同時に実施されて吉岡光明が当選した。

 

 写真 平成3年選挙当選の町議

  ※ 掲載省略

 

 平成7年の選挙

 前回まで町議選は町長選と一緒に行われてきたが、平成4年12月に酒匂佑一町長の死去にともない町長選が実施されたことにより、今回から町議選が単独で行われることになった。平成7年8月13日に行われた町議選には22人が立候補し、投票者数は8,532人(有権者数)、投票率は85.85lと過去最低に終わった。当選者は以下の通りである(任期:平成7年8月25日〜11年8月24日、定数20人)。

  吉岡 光明  笹木 光広  西村 昭教  梨澤 節三

  久保田英市  中川 一男  青柳 輝義  米沢 義英

  松井喜代治  松田 勝利  吉武 敏彦  石川 洋次

  清水 茂雄  小野 三郎  徳島  稔  佐藤 政幸

  中島 康行  小野  忠  海江田博信  平田 喜臣

 議長に平田喜臣、副議長に海江田博信が選任されている。

 

 写真 平成7年選挙当選の町議

  ※ 掲載省略