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6章 戦後の上富良野 第10節 戦後の宗教

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4、民間信仰

 

 地神

 戦後も地神が建立されている。もと日の出三にあった地神は、日の出部落住民会一同によって昭和22年9月26日に建てられた。五角形の石塔であり、天照皇太神、彦火火出見命、忍穂耳命、瓊瓊杵命、大己貴命の神名を刻んでいる。この頃、日の出神社が廃止となり部落の祭も出来なくなったために和田松ヱ門、村上学蔵、藤田太十郎が発起人となり、この地神を創祀したという。57年11月に日東会館が設置されて、敷地内にこの地神も移設された。

 日新四の地神は22年に、日新四部落によって創祀された。行政組織として部落が独立した際に、「部落の神」として創祀されたものである。この地神はイチイの角柱である。日新四の部落は日新ダムの建設にともない水没し、現在は地神の奉祀も行われていない。

 江幌更生の地神は24年11月に建立され、日の出と同様に五神名を記す五角形の石塔である。近藤利十即、沢野由太郎、谷口米吉、古川吉之助、一色久市、足達音松、菊池辰五郎の6人の名前が刻んである。

 日新一の地神は34年に建立されたもので自然石に地神と刻まれている。

 

 写真 江幌の地神

  ※ 掲載省略

 

 山神

 戦後につくられた山神は、静修六(静修開拓)の山神があるのみである。27年4月12日に静修開拓部落一同、代表長島音三郎によって建立された。静修六は戦後開拓の地であったが当時、5年間続けて死者が出たために、部落の各家々の家内安全を祈願して山神を創祀することになったという。この山神は地域の守護神として建立されたのであった。当初は会館の横に所在していたが、30年4月に丘の上に移設されている。

 既設の山神は農神、作神としてそれぞれ信仰を受け奉祀されていた。

 

 写真 静修の山神

  ※ 掲載省略

 

 馬頭観世音

 戦後は昭和30年頃を境に農耕馬の使用は終わり、農作業や収穫物の運搬は農業機械や自動車へ転換されていった。それにともない馬頭観世音の建立もみられなくなり、僅かに地区で馬頭観世音の祭祀が細々と継続されるのみであった。

 この時期、地区で建立された馬頭観世音は、昭和30年4月7日に江花三部落一同による「南無馬頭観世音菩薩」と刻まれたものがある。江花三の馬頭観世音は新たに建立されたというより、大正年代に作られたもとの木柱を自然石に替えたものであった。その他は、個人で建てられたものが僅かにみられる程度である。

 

 写真 江花の馬頭観世音

  ※ 掲載省略