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6章 戦後の上富良野 第5節 戦後の交通と通信

826-829p

3、鉄道輸送の状況

 

上富良野駅の営業状況

戦後、国有鉄道は、昭和23年12月20日に日本国有鉄道法が公布され、これまでの運輸省による経営から、独立採算制に基づく公共企業体としての経営に改組され、同24年6月1日から日本国有鉄道として再出発することになった。戦後の国鉄輸送の歩みは決して順調ではなく、それは道内でも同じであった。

というのは産業復興の犠牲となって政策的に低運賃を強制されたことや、かつ自動車輸送の目覚ましい発展があったためで、道内の国鉄では旅客、貨物輸送ともに、同40年代前半を境に落ち込みをみせている(『新北海道史』第6巻通説5)。

こうした状況の中で上富良野駅の営業状況はどうであったろうか。昭和25年版『上富良野村勢要覧』(同24年の実績)、同32年版『町勢要覧』(同31年の実績)、1977年版『上富良野町統計要覧』(昭和42年、44年、46年、48年、50年の実績)によって、上富良野駅扱いの旅客・貨物の輸送状況をみると別表のとおりであった。

これをみると、やはり道内の状況と同じく、ともに昭和40年代前半を境に減少に転じていることが分かる。これは、前述した自動車交通の進展と比べると反対の傾向である。

しかし、40年以前は新聞に「隆盛の一途をたどる上富良野駅」という見出しが踊るほど順調に実績をのばしていたようである(『上富週報』第150号、昭35・1・1)。この記事によって昭和34年頃の上富良野駅の営業状況をみてみよう。

それによれば、乗降客数1日平均1,913人で旭川鉄道管理局管内で21番目(210駅中)、貨物1日平均189dで31番目、乗客収入8万1,589円で13番目、貨物収入13万5,986円で31番目、総収入1日平均21万7,575円で25番目であった。また、取り扱い貨物の主要なものは、まず発送品では、木材が圧倒的に多く1万6,341d、以下、ビート7,874d、米類3,751d、雑穀2,902d、馬鈴薯2,243d、野菜1,239d、飼料1,555d、澱粉510d、家畜360d。到着品では、もっとも多いのは石炭で9,531d、以下、肥料5,965d、藁工品738d、セメント981d、石灰542d、砂利389dであった。

次に、上富良野駅発着の汽車時刻表の推移を昭和21年8月のもの(小樽交通記念館所蔵)と同45年10月のもの(『上富週報』第580号、昭45・10・2)を比較してみてみよう。

旭川・富良野間の列車の本数は、途中止まりの列車を除けば45年のそれは、今日の本数(平成10年4月改正)と変わらない数であり、そしてこの本数は35年の時刻表とも変わらない。これは、後述するように、32年に富良野線にディーゼルカーが導入されたことと関係があり、今日の富良野線の基本的な運行体制は、のちに国鉄からJRに変わっても、ほぼこのころに整ったといえよう。

また、列車の本数だけでなく、この時期には、今日営業している富良野線の駅がすべて開業するに至っている。すなわち、戦前の駅に加えて、学田、鹿討、西中、北美瑛、西聖和、西瑞穂、丙御料、神楽岡の各駅が昭和33年3月25日に同時に開業したのである(『北海道鉄道百年史』下)。

 

6−18 上富良野駅輸送状況

年度

旅客(人)

貨物(トン)

乗客

降客

発送

到着

24年

193,409

193,052

20,063

15,825

31年

346,670

340,175

28,869

33,714

42年

358,772

40,166

36,525

44年

354,278

34,707

27,622

46年

342,332

35,092

24,713

48年

345,664

23,593

23,012

50年

323,287

13,561

12,985

6−19 上富良野駅発着時刻表(昭和21年)

(上り)

(下り)

富良野発

上富良野発

旭川着

旭川発

上富良野発

富良野着

5:20

5:54

7:19

5:45

7:10

7:39

5:54

6:28

8:02

8:42

11:19

11:51

8:18

8:53

10:20

13:02

14:42

15:14

12:30

13:14

14:43

15:43

17:29

18:02

16:45

17:23

18:46

20:50

22:29

22:59

20:32

21:09

22:35

 

 

 

 

写真 上富良野駅(昭和26年)

※ 掲載省略

 

この間、駅業務を担当した職員は、上富良野駅の調査によれば、駅長、助役、予備助役、役務掛、予備役務掛、駅手、予備駅手からなり、全体で8〜13人で構成されていた。このうち駅長を努めたのは次の人たちであった。

氏名

就任

退任

16代

月沢義雄

昭和21年2月10日

昭和25年1月20日

17代

葉柴樵作

25年1月20日

29年3月12日

18代

平山利文

29年3月12日

33年2月25日

19代

山内 昇

33年2月25日

35年2月16日

20代

三上良雄

35年2月16日

37年2月10日

21代

伊藤吉蔵

37年2月10日

39年2月10日

22代

橘  繁

39年2月10日

41年2月10日

23代

護摩堂武雄

41年2月10日

43年2月10日

24代

広川正敏

43年2月10日

46年8月11日

なお、昭和34年に上富良野駅は開業60周年を迎え、同年11月3日に上富良野中学校で町内有志多数が出席して盛大な記念式典が挙行されている(『北海道新聞』昭34・11・6)。

 

ディーゼルカーの登場

当該期には、富良野線の近代化もはかられた。すなわち、ディーゼルカーの導入である。これが北海道にはじめて導入されたのは、戦前の昭和8年のことで、札幌機関庫にディーゼル機関車が入換用として配置された(『北海道鉄道百年史』下)。旭川鉄道管理局管内で最初に導入されたのは、同30年のことで、宗谷本線、北見線(音威子府・浜頓別・稚内間、現在廃止)、天塩線(幌延・遠別間、現在廃止)で運行が始まった(『旭川・鉄道八十年の歩み』旭川鉄道管理局)。

こうした中、富良野線でも昭和32年12月1日からディーゼルカー(気動車、ディーゼル機関等を搭載して、旅客や手小荷物などを乗せて自走する鉄道車両)が運行している。また、同33年1月25日にはすべての客車がディーゼルカーとなり、ダイヤも改正され、客車と貨物車の分離が実施された(上富良野駅の調査による)。

ディーゼルカーの導入については、本町の住民にも強い関心がもたれたようで、その導入の背景には富良野沿線各町村の強い要請があり、また、導入されてからは、その運行にあたっていろいろな要望が相次いでいる。

導入の3年前にあたる昭和29年に上富良野町をはじめ、神楽町、美瑛町、中富良野町、富良野町の間で「デイゼルカーの運行に関する陳情書」がまとめられ、陳情が行なわれている(上富良野町蔵「昭和二十八年度町提出関係陳情書綴」)。その趣旨は、現在通学や通勤で列車が混雑し利用に不便であること。富良野沿線は、旭川市のベッドタウンとして、また観光地として注目されており、将来富良野線利用者はますます増加することが予想されること。それゆえ、ディーゼルカーの導入によって列車運行の効率化をはかり、列車の増発を期待しようとしたのである。

導入後の昭和33年5月には次のような要請が出されている(役場所蔵「昭和三十三〜三十五年度請願書綴」)。1つは、富良野沿線町村長会、同町村議会議長会から提出された「ジーゼルカー運行に関する請願書」である。車両の増結、運行回数の増加、小荷物運搬を可能にすることなどが要請されている。もう1つは、草分地区住民代表から出されたもので、内容は、気動車の「停留所」を上富良野町字上富良野西4線北30号に設置すること。および、その所用経費の一部を町費で賄ってほしいというものであった。

これらの要請のうち、「停留所」の設置は実現しなかったが、運行回数の増加は実現したようである。前述した29年の陳情書では富良野線の当時の運行回数を1日6往復といっているが、『上富週報』(第150号、昭35・1・1)掲載の35年の時刻表をみると、上り下り各12本ずつ運行されているのである。

 

6−20 上富良野駅発着時刻表(昭和45年)

(上り)

(下り)

富良野発

上富良野発

旭川着

旭川発

上富良野発

富良野着

5:55

6:32

7:31

5:15

6:43

7:06

7:17

7:40

8:40

6:55

8:10

8:33

8:48

9:04

9:57

8:15

9:06

9:19

11:14

11:30

12:22

8:50

9:48

10:03

12:17

12:40

13:36

10:57

11:55

12:11

13:37

14:00

14:58

12:00

13:04

13:25

15:25

15:54

17:07

13:43

14:44

14:59

16:44

17:07

18:00

15:52

16:14

17:30

17:54

18:49

15:43

16:47

17:08

20:00

20:15

20:56

17:33

18:37

18:59

21:36

21:59

23:00

18:14

19:26

19:41

 

 

 

19:40

20:57

21:18

 

 

 

22:00

23:15

23:32

 

写真 富良野線で運行が始まった気動車(昭和32年)

※ 掲載省略