第6章 戦後の上富良野 第4節 自衛隊演習場の誘致
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1、演習場誘致活動の開始
警察予備隊の創設と北海道
本節では、演習場及び駐屯地の設置に至る経緯を明らかにすることを主眼として、町による誘致活動の開始から自衛隊の部隊移駐の完了までを叙述する。移駐後については、次章を参照していただきたい。
警察予備隊は、昭和25年6月25日に勃発した朝鮮戦争を直接の引き金として設置された。当時占領下の日本に駐留していた連合国軍の主力部隊であるアメリカ軍は、朝鮮半島に急速派遣されることとなった。日本の治安体制に不安を感じた連合国軍総司令部のマッカーサー元帥は、同年7月8日に「日本警察力の増強に関する」書簡を吉田茂首相へ送り、国内の治安確保のために警察力の強化を進言した。
この書簡を受けて、政府は警察予備隊の設置をめざすこととし、政府は総司令部との折衝を重ねて、基本構想を策定した。その結果、警察予備隊は、従来の国家地方警察(国警)や自治体警察(自警)とは全く別組織のものとして、内閣総理大臣直属の警察隊とすること、またその任務は事変や暴動に備える治安警察隊とされて、ピストル・小銃などの武器を装備することになった。そして8月10日ポツダム政令として「警察予備隊令」を公布した。同月14日には初代警察予備隊本部長官に増原恵吉、制服部隊の最高指揮官である部隊本部長に林敬三がそれぞれ就任し、7万5,000人の隊員の募集が始まった。
警察予備隊は発足後、全国を4管区に分けた。札幌には第2管区総監部が設置され、北海道及び東北北部3県(青森・岩手・秋田)を管轄することとなった。12月8日には中野敏夫が第2管区総監に就任した。この時道内には約1万1,860人の隊員が、札幌・帯広・遠軽・美幌・函館・恵庭に駐屯した。さらに道内では旭川を部隊設置予定地とした。
予備隊による十勝山麓の視察
増原予備隊長官と林同総隊総監が26年10月2日来道し、翌日恵庭部隊などを視察後、記者会見した。そこで長官は、予備隊設置1年後の訓練・営舎設備と演習場の視察が来道の目的であるとして、その中に新しい演習場の獲得計画も含まれていると語った。この発言の背景には、当時予備隊の演習地には小規模なものしかなく、大・中演習場の獲得が急を要していたことがあった。
その夜増原らは、駐屯予定地の旭川に向かった(『北海日日新聞』昭26・10・4)。さっそく四日に林総監はアメリカ軍将校らを伴い、さらに札幌・帯広の駐屯地からの一行も加わって、予備隊演習地設置の調査を行った。この時上富良野が演習地として注目されたのは、十勝岳山麓の広大な末開拓地の存在であった。また十一月二十六日警察予備隊第二管区総監部の中野敏夫総監は旭川を視察後、旭川の予備隊設置がほぼ決定的であると語った。中野は設置理由の中の一つとして、上富良野に二〇〇〇町歩にわたる演習地としての適地があることをあげており(『北海日日新聞』同11・28)、先の現地調査の結果を受けて、予備隊側が十勝岳山麓地区を候補地として重視していたことが判明する。
町の対応
田中勝次郎町長・福家敏美町議会議長らは、町の発展のために是非演習場を誘致すべきであると判断して、予備隊による視察直後の十月十五日には札幌の第二管区総監部を訪れて、「警察予備隊演習地設置方陳情書」を提出した。陳情書は、まず町の概要に触れ、次いで演習場予定地について、
過日来、東京、札幌、帯広の関係の向より来町の上、再三、御検分を戴いた十勝岳山麓地帯は明治四十五年に佐渡団体、橋野農場移住者約四十戸が入殖し、次いで大正十年森農場移住者十戸が入植し開墾を始めたが地味不良のため一度開墾した農地を放棄し以后、もとの原野に返ったもので、次いで大正十四年頃には、五十日に一旦る山火のため廣大な針葉樹林が焼失し、その跡地に天然濶葉樹が散生し始め、現在の如き樹林又は原野となったものである。(史料は原文のまま、以下同じ)
と記している。演習計画地が農地として不適当な土地柄であると自然環境を説明し、さらに演習場とすべき地点などについて町としての所見を述べている。
写真 陳情書の冒頭部分
※ 掲載省略
この時点では、町長など一部町関係者による誘致活動に止まっていた。定例第五回町議会(十月二十四日)で初めて議員たちにも概要が知らされることとなった。議題の中に協議事項として「予備隊演習予定地調査報告について」とあり、まず町長が進駐軍並びに警察予備隊による現地調査の経過について説明し、協議の結果左記のような方針が決定された。
一、町発展の上から是非融[ママ]致すること
二、キャンプと演習地とを併行して設置されるよう運動し協力すること
三、演習予定地内には相当の民有地が含まれているのでこれの買収になった時には所有者並びに町民にも價格の面では協力してもらう 尚町としても出来るだけ助成するようにする
四、議員を中心とした期成会を造って早急に町としての進み方を強力に推進する
五、話しの進むにつれて期成会も構成範囲をひろげて行く
六、町長は町の立場でこれが実現に遇進する
七、協議の決果〔ママ〕期成会役員左の通り決定
会長 一名
副会長 三名 内一名は範囲の拡大により一般より入れる。現存の処伏せておく
役員 現在の処全町議会議員
八、会長 町議会議長 福家敏美
副会長 副議長 村上国二
佐藤敬太郎
九、十月二十九日札幌へ陳情に行く
陳情出札するもの 町長田中勝次郎、議長福家敏美、議員村上国二、同佐藤敬太郎
協議会での話し合いの中で、町の発展のために演習地にとどまらずキャンプ(駐屯地)を誘致するという方針が打ち出され、町議会議長福家敏美を会長とする町議による期成会の設置が承認された。そして、15日と同文の「警察予備隊演習地設置方陳情書」を再び第二管区総監に提出し、まずは演習地の誘致に全力を尽くすことにした。
予備隊の設置にあたっては、土地利用の変更を要することから北海道庁による認可を得る必要があった。そこで町は、12月27日になって、上川支庁長に宛てて関係書類を送付した。この書類には、予定地の地目・現況と全体計画が記されている。全体計画によると、
農地 232町2反212歩
原野 2,208町1反321歩
山林 677町6反702歩
その他 3反602歩
合計 3,118町3反837歩
を予定面積とし、これを所有者別にみると、
国有地 577町212歩
町有地 24町7反824歩
民有地 2,620町8反5歩
となっていた。さらに町長としての意見が述べられているが、そこには農地に適さないという自然条件に触れつつ、
本地は十勝連峰より富良野盆地へ吹降す風が強くどうしても防風林地と水源涵養林地が必要でありまして本町では産業経済の保全上計画的にこれが実現を実施して来ている訳であります。本地が警察予備隊演習地として指定される場合は防風林地を国費をもって設置せられると共に水源涵養林を保障存置して戴きたい。尚此れと併せて本町にキャンプを設置して戴きたい。
以上の要件が具備し保障される場合は警察予備隊演習地として提供しても差支えない。
と記されている。
町当局は、演習地を提供する条件として、国費による防風林・水源涵養林の設置と駐屯地の誘致を挙げた。町議会においても潅漑用水の確保への不安が再三取り上げられており、その心配を取り除くことが町民の理解を取り付けるためにも大事な問題となっていたからである。
また、キャンプ設置を前提とした演習場の誘致についても、既に協議会で承認されていたところであった。