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6章 戦後の上富良野 第2節 戦後の農業と林業

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6、戦後の畜産

 

 酪農の振興

 戦前においても第二期拓殖計画などで牛馬一〇〇万頭計画を掲げ、寒地農業確立のための有畜農業を奨励し畜産や酪農の振興が図られてきたが、戦争のために計画は挫折、さらに敗戦直後は密殺などもあって牛や馬は大きく減少していたといわれる。これに対し再び酪農や畜産の振興のための施策が検討され、実行に移されていったのは、とりあえず敗戦直後の食糧危機が収束に向かい、北海道の食糧基地化が明確になってきた昭和23、4年以降のことである。具体的にいうと道庁などでは酪農や畜産の振興のために、24年から実施の畜産振興五カ年計画を立案するなど、再び積極的な保護奨励策をとりはじめている。

 そのなかで最も大きな効果をもたらしたのが、24年制定の北海道家畜貸付規則に基づく道有牝牛貸付制度などをはじめとする様々な貸与制度である。例えばこの道有牝牛の無償貸付制度の場合は、無家畜農家に対し市町村や農協を通し、乳牛を4〜5年間貸し出し「子返し」することで無償払い下げを行うというもの(『新北海道史』第6巻)であり、上富良野でもこうした制度を積極的に利用することで酪農の振興が推進されていった。

 『昭和二十六年度上富良野町事務報告』によれば、26年に乳牛増殖五カ年計画が立案され、計画に基づいて導入された乳牛はこの年だけで64頭に上る。内訳は既に述べた道有牛が8頭、他の制度利用と思われるが、町貸付牛が15頭、農協融資によるものが41頭(上富良野農協25頭、東中農協16頭)である。また、翌27年は道有牛10頭、町有13頭、28年が町有13頭と、貸し付けによる乳牛導入はその後も続き、無畜農家の解消や飼育農家の増強が図られていったのである。なお、『上富良野町史』には23年以降の農協などによる乳牛導入の推移が記されている。詳細については分からないところもあるが、これらも既に述べた貸し付け諸制度の利用であったと考えられる。

 また、農業の有畜化促進が奨励されるなかで、町費補助などによる畜産施設の設置も進められていった。『昭和二十八年度上富良野町事務報告』をもとに述べると、28年には町費助成により堆肥場14基(既存数382基)、尿留槽17基(同340基)、サイロ9基(同39基)が設置されたほか、牧野改良のために道庁から委託を受け静修地区1町歩に優良牧草18種類の試作試験も実施されている。

 乳牛など家畜改良については道の家畜人工授精所施設規定(23年)や家畜改良増殖法(25年)の制定によって推進され、31年には乳牛の人工受精率は80lに達していたといわれる。『昭和二十五年上富良野村役場事務報告』によれば既に上富良野にも家畜人工授精所が設けられていたことが分かり、24年の実績で種牡馬(ベルシュタイン雑種)1頭、種牛(ホルスタイン)1頭がそれぞれ繋養、緬羊、豚、山羊についても25年から実施が明らかにされている。ただ、現在の新町3丁目付近にあったこと以外、起源等の詳細は分からない。

 

 写真 乳牛の共進会

 写真 上富良野村人口授精所

  ※ いずれも掲載省略

 

 乳牛と牛乳生産

 このような振興策を通し上富良野で飼育される牛の頭数や牛乳出荷量も次第に増加して行った。『昭和三十九年度上富良野町事務報告』によれば、牛の頭数(肉用牛を含む)は28年の269頭に対し39年は782頭、牛乳出荷量も30年の2,942石に対し39年は7,267石へと増加している。また39年の生産内容を詳しく述べると、出荷戸数は124戸、搾乳出荷頭数は424頭であり、1頭当たり平均搾乳量は24石、1戸当たり牛乳出荷数量は58石8斗であったが、このなかで注目したいのは、飼育されていた牛のなかの育成率がかなり高いということである。

 ただ、既に述べたように上富良野では、32年をピークに農家戸数は減少に向かっていた。こうした状況をふまえ『上富良野町の農業動向』は、40年前後の酪農について次のように報告している。

 

 乳牛の頭数は年々増加しているが、飼育戸数は三二年頃をピークに減少しており多頭化の傾向にある。しかし、ようやく副業的な段階を脱しつつあるのが現状で、酪農経営(混同又は専営)といえるのは(頭数で八頭以上)二五戸程度である。

 飼育戸数の減少と多頭化の傾向は今後も続き、地域が集団化される中で一五〇戸前後が専営又は混同経営となり飼育頭数も一、五〇〇頭程度になると考えられる。

 

 一方、集乳施設は戦前、産業組合の共同集乳所が戦時体制化のなか北海道興農公社に吸収されたことは前章で触れたが、戦後の組織変更や集中排除法による分割、さらには合併などによって所轄は次々と変わっていった。順に記すと興農公社から北海道酪農協同株式会社、北海道バター、北海道クロバー乳業、そして雪印乳業である。

 戦後になると23年に市街地の集乳所に加え、東中にも集乳所が設置されたが、『上富良野町史』によれば、32年7月にこの東中集乳所と、里仁地区の農家が出荷していた美瑛の美馬牛集乳所を併せて日の出に移転して、雪印上富良野集乳所が設立されている。さらに37年12月に富良野工場の施設が拡張されたことで、上富良野での市乳処理は終了し、富良野工場から輸送されることになったことも記されている。

 

 写真 雪印上富良野集乳所(昭和36年当時)

  ※ 掲載省略

 

 肉用牛と白樺製肉所

 乳牛の導入が中心であった北海道で、農民の間に肉用牛飼育の関心が高まりだしたのは、肉用牛にも道有あるいは国有の貸し付け制度が実施された31、2年以降といわれている。上富良野での取り組みの始まりは資料がなく分からないが、『昭和三十九年度上富良野町事務報告』によれば39年現在で飼育頭数が140頭、内肥育が40頭と、相当数の飼育が記録されており、全道各地同様、30年代初期だったと考えられる。

 一方、24年には小家畜のための簡易屠殺場が新栄町に設立されている。翌25年、正式に発足する上富良野畜産加工協同組合(代表・海江田武信)が運営したものだが、32年には町に移管することになり、この年の10月28日、日の出に1,250万円の起債で近代的な設備を持つ町営白樺製肉所が完成している。39年には施設老朽化のため改修工事も行われ、豚肉を中心に戦後の食肉生産の主要な役割を担ってきた。『昭和四十年度上富良野町事務報告』をもとに、この年の年間実績を掲げると別表(表6−10)の通りである。

 

 写真 畜産加工協同組合の簡易屠殺場

 写真 白樺製肉所での獣魂祭

  ※ いずれも掲載省略

 

 表6−10 昭和40年自樺製肉所利用実績

 

頭数

単価

金額

14

650

9,100

23

70

1,610

犢大

1

400

400

犢小

155

350

54,250

5,795

400

2,318,000

緬羊

224

200

44,800

山羊

1

200

200

合計

6,213

2,428,360

 

 馬産の衰退

 上富良野畜産の中心だった馬産は戦後になって大きく衰退した。いうまでもなく軍馬の需要が途絶え、さらに農業の機械化が農耕馬の需要を減少させたからである。『昭和四十年度上富良野町事務報告』をもとに、飼育頭数の推移をみると28年の1,619頭から、39年には922頭と1,000の大台を割り、40年には876頭となっている。さらにこの年の飼育頭数が876頭だったのに対し、飼育戸数が854戸というのも注目される。つまり、ほとんどの農家が飼育しているのは1頭であり、既にこの時期には育成・繁殖という目的はほぼ失われ、飼育目的は農耕など使役に限定されるようになっていたと想像されるのである。

 既に触れた24年の畜産振興五カ年計画や北海道家畜貸付規則、25年の家畜改良増殖法など畜産振興に関連の法規や奨励策には、もちろん馬産の振興も含まれていた。実際、馬に関しては@農用馬生産を基本に本州向け供給を確保する、A強健強力で飼いやすい実用的な産業用馬の生産、B生産比率は当分の間は中間種六割、重種四割を標準にこれまでの生産地の保護維持する、C酪農振興や農業機械化の推移に即応して調和調整を図る(『上川開発史』昭56)などの方針が掲げられ、上川経済農業協同組合連合会に対する補助や種牡馬貸し付けが行われ、上富良野でも『昭和二十八年度上富良野町事務報告』によればこの年、購入助成を受けて種牡馬の導入が行われている。だが、こうした振興策も農業機械化の大きなうねりのなかで効果を生むことはできず、上富良野の馬産も終わりを告げることになったのである。

 

 中小家畜飼育の奨励

 中小家畜についても牛や馬同様、有畜農業振興の方針から積極的な奨励策が進められた。まず、羊は「寒地衣料を目途として一戸当二頭を目標に増殖」(『昭和二十八年度上富良野町事務報告』)と、役場と農協の協力で25年度から種牡緬羊や基礎牝羊の導入や助成が行われている。豚についても中ヨークシャ種の牡牝の計7頭が27年に導入されたのをはじめ、その後も例えば40年のランドレース、ヨークシャ、ハンプシャなどの優良品種種豚が、上川生産農業協同組合連合会の斡旋により導入(『昭和四十年度上富良野町事務報告』)されるなどの奨励策が継続して進められた。

 26年の時点での中小家畜飼育頭数をこの年度の『上富良野町事務報告』に見ると、緬羊が2,900頭、山羊380頭、豚3,750頭、兎420頭などとなっているが、40年前後の中小家畜の飼育をめぐる環境について『上富良野町の農業動向』はつぎのように記している。

 

 中小家畜は多頭羽飼育の傾向にはなってきているが、まだ副業的な段階のものが大部分である。現在の飼育頭羽数は概ね豚4,800頭、鶏32,000羽(成鶏)であり、豚は変動はあるが37年頃から増加しており、鶏はあまり変わらない。

 農家戸数が900戸になっても経営規模の小さなものはかなり残ると思われる。今後これらの農家の補完的部門として、500羽、100羽といった経済的に見合う規模の飼育が進み、中小家畜は増加すると思われる。

 

 なお、『上富良野町史』によれば、中小家畜の飼育に関連して31年に中小企業協同組合法による上富良野養豚協同組合(組合長・佐藤敬太郎)、36年4月には7戸の農家が参加した東中有明養豚組合(組合長・太田晋太郎)、同年11月には農業近代化資金による模範モデル鶏舎を建設した東中第一集団養鶏組合(代表・床鍋正則)などの設立が記録されている。

 

 写真 東中有明養豚組合・第一集団養鶏組合創業記念式

 写真 東中第一集団養鶏組合の養鶏場

  ※ いずれも掲載省略