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5章 昭和初期と戦時下の上富良野 第8節 昭和戦前期の村民文化

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2、スポーツの流行

 

 野球の流行

 昭和期に上富良野で特に盛んになるスポーツの一つに、野球がある。野球は既に大正期から行われていたらしく、大正15年にも上富良野尋常高等小学校の野球チームが旭川に遠征し、日章小学校と対戦した(『上富良野町史』)。しかし昭和になると、毎年5月から9月までをシーズンとして、小学生から大人までさまざまなチームが結成され、村内や他町村と軟式野球の試合が行われている。たとえば昭和4年9月26日には、上富良野尋常高等小学校校庭で同校と中富良野尋常高等小学校の試合が行われ、3対3で引き分けた(『旭川新聞』昭4・9・29)。また上富良野尋常高等小学校は、3日後の29日にも上富グラウンドで上富良野村役場と対戦し、9対13で敗れている。さらに昭和12年には8月1、2日に行われる上富良野神社の祭礼で、青年相撲などとともに小学校の校庭で村内青年対オールドの野球の試合が行われた(『富良野毎日新聞』昭12・8・5)ほどで、どの試合も多くの観衆を集めた。

 

 富良野沿線他町村との野球大会

 一方昭和6年からは、旭川新聞富良野支局後援による富良野沿線軟式野球大会が開催され、翌7年8月から同支局の主催で行われるようになった。昭和7年大会は、8月27日、28日の両日富良野尋常高等小学校グランドで行われ、上富良野協会軍、上富良野青年軍をはじめ7チームが参加し、上富良野青年軍は中富良野職員軍に準決勝で13対4で敗れた(『旭川新聞』昭7・8・30)。また同時期には、富良野沿線の町村役場対抗の野球試合も年に1、2回行われており、さらにはオールドボーイ野球大会と称して、年齢30才以上の選手が参加する野球大会なども企画された(『旭川新聞』昭8・9・7)。

 そのほかにも昭和11年7月19日には、第二回富良野沿線教職員体育懇親野球大会が富良野尋常高等小学校校庭で開催され、この時上富良野尋常高等小学校チームは残念ながら美瑛尋常高等小学校チームに敗れている(『富良野毎日新聞』昭11・7・21)。また昭和13年7月17日には山部尋常高等小学校で、富良野沿線の各町村小学校による恒例の野球対抗試合大会が開催されており(『富良野毎日新聞』昭13・7・11)、野球は昭和10年代には子供から大人まで幅広く楽しめるスポーツとして大流行していた。

 

 テニス

 テニスは比較的裕福な人々のスポーツとしてとらえられていたため、野球ほど普及はしなかったが、それでも昭和8年9月3日には旭川新聞富良野支局主催による富良野地方庭球大会が開催され、上富良野もこれに参加している(『旭川新聞』昭8・9・3)。

 また昭和11年ころには、村役場庁舎の隣や郵便局のそばにテニスコートがあることから(佐藤輝雄作図「今から60年前、昭和11年頃の上富良野村市街地街並み推定概略図」)、テニスも愛好者の間では楽しまれていたとみられる。

 

 武道・射撃

 武道や射撃の鍛練は、明治・大正期からすでにその愛好者や在郷軍人・青年団を中心になされ、大会の開催も昭和戦前期には恒例となっていた。たとえば、昭和7年4月10日には、在郷軍人や青年団の射撃訓練を目的として、恒例の上富良野射撃大会が行われ(『旭川新聞』昭7・4・11)、昭和12年6月12日には、富良野で在郷軍人会上川連合分会主催の第一八回武道大会が行われている(『富良野毎日新聞』昭12・6・12)。

 一方、日中戦争勃発により日本国中が戦争へとまきこまれつつあった昭和12年以降になると、武道や射撃は、非常時下における「尚武の精神」の発揮といったスローガンのもと、その実現の一環として位置づけられるようになった。特に射撃は、戦争勃発による兵士の技能向上という要請もあり、上富良野では昭和13年6月に腐朽の激しかった木造の射撃場が鉄筋コンクリート造りで建てかえられ、在郷軍人や未教育補充兵、青年学校生徒の射撃技能の練成が図られた(『我村』第28号昭13・7・25)。また武道の大会も開催され、昭和13年3月6日には、美瑛尋常高等小学校屋内運動場で行われた富良野沿線教育部会主催の第一回少年剣道大会に、上富良野尋常高等小学校から中尾弘也、佐々木俊、中川庚、横山作吉、山平昇、佐々木賢二、平田寛治が出場した(『富良野毎日新聞』昭13・3・8)。同年9月8日にも、上川支庁主催の青年学校生徒心身鍛練競技会が士別町九十九グランドで開催され、上富良野からは、武装行軍という種目に大場新が出場している(『富良野毎日新聞』昭13・9・10)。

 

 陸上競技

 陸上競技は、もともと小学校・青年団の運動会の種目に取り入れられているのであるから、意外に身近なスポーツといえるし、運動会の花形選手は村内に数多くいたと考えられる。『上富良野町史』には、昭和初期に東中の尾崎行雄が槍投げの選手として上川管内の大会に出場していたことや、800bリレーに飛沢辰巳、佐古善一、原口英一らが上川管内の代表として全道大会に出場していたことが記されている。また昭和11年7月5日には上富良野連合青年団の陸上競技会が上富良野尋常高等小学校校庭で開催されており、100b走、800bリレーなどの種目が行われ、北海タイムス社寄贈のメダルが、1万b優勝者の江花青年団員大場信勝に授与された(『富良野毎日新聞』昭11・7・7)。