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5章 昭和初期と戦時下の上富良野 第2節 昭和戦前期の農業と林業

618-619p

5、昭和戦前期の林業

 

 昭和戦前期の林産物

 大正期は第一次世界大戦、関東大震災の特需など、活況を呈した上富良野の林業だったが、昭和初期の恐慌による影響は林業も例外ではなかった。当時の様子を『旧村史原稿』は次のように記す。

 

 昭和年間に入るや経済界の不況に伴い木材価格亦暴落し、林業方面も萎縮沈滞して造林事業甚だしく不振なりて、殆んど停頓状態を示せり。

 

 この時期の不振には不況以外にも、大正末期から急激に生産を伸ばした樺太材の移入や、米材の輸入急増の影響もあったといわれるが、上富良野の場合、また別の要素もあったようである。ここまでも農業統計について参照してきた『自昭和二年統計報告控』のなかの昭和4年末現在の林産物統計で、その備考欄に「前年ニ比シ全部減少セシハ、国有林ノ払下ゲ減少セシト、民有林ノ原木欠乏トニヨル」との添え書きがあるからである。つまり、開拓期に始まった牧場地などでの造材がここにきて終わりを告げ、資源の減少が林業生産全体にに影響を及ぼし始めたていたということであろう。

 ただ、この時期から林産物に早切が登場していることは注目される。表5−21は『自昭和二年統計報告控』など限られた統計資料のなかから、上富良野における昭和初期の林業生産の推移を表したものだが、昭和三年の統計に一五〇〇本が計上されている。

 資料備考欄の添え書きによれば「早切材新規ニ伐採セルハ相当成長セル落葉松ノ間伐ヲ為シ、ホップ支柱トシテ産出セシニヨル」とある。大正期に一部で落葉松の植樹、造林があったことは既に述べたが、次第に成果を見せ始めたことの傍証であろう。

 また、日中戦争への突入など戦時体制に入るに伴い需要も回復し、価格も上昇、再び活況が戻ってきたといわれるが、先の表のなかで新たに登場しているのが炭坑丸太である。戦争の拡大とともに石炭の増産体制が強化され需要が急激に増大したものだが、これに関連して『旧村史原稿』には次のように記されている。

 

 支那事変勃発後、軍需資材坑木等の用途に或は建築資材としての需要、頓に盛んとなり、民間造林の重要性増大し資材価格の高騰は更に拍車を加へて造林熟を盛んならしめ、大正末期に於ける活況を再現し国家的見地より造林の指導奨励等徹底的に行はるヽに至り全村的に造林事業の発達を見たり。従って従来の荒廃地も現在は植樹地に利用せらるヽ等将来益々と林業の発達を促し需要資源の確保に資するところ少からざるを信ずるものなり。

 而して本村の植樹種は殆んど落葉松にして坑木として利用せらるヽものの最も多く、其の他ヤチダモ、トド松、ドロノ木等を挙げ得るも極めて僅少なり。

 

 表5−21 昭和前期木材生産高

 

 

角材

丸太

薪材

早切

炭坑丸太

炭坑矢木

下駄用材

車橇用材

柾用材

樽桶用材

合計

昭和3

材積

10,992

13,870

1,349

1,500

350

30

350

70

金額

43,968

58,254

4,096

450

450

141

1,470

315

108,829

昭和4

材積

3,826

5,290

1,138

382

10

181

30

金額

15,304

22,218

2,845

115

47

760

135

41,289

昭和5

材積

3,216

3,123

738

232

7

96

30

金額

10,291

9,369

1,476

58

28

384

126

21,606

昭和6

材積

840

3,200

350

 

金額

2,536

9,410

525

 

12,471

昭和9

材積

42

4,425

1,880

24,600

200,000

110,000

金額

165

14,249

3,384

1,230

6,000

1,100

26,128

昭和10

材積

31

4,166

2,060

25,500

210,000

109,000

金額

121

13,470

3,503

1,275

6,300

1,090

25,759

昭和12

材積

58

19,542

2,860

148,600

金額

1,676

54,968

3,503

11,888

 

72,035

   『自昭和2年統計報告控』『大正14年村勢要覧』より作成。

   単位は薪材・柵、早切及炭木・本、その他は石。

 

 上富良野村森林組合の設立

 昭和十四年三月に森林法が改正され、保安林関係のみに適用されていた北海道でも、翌十五年からすべてにこの法律が適用されることになった。これに基づき設立されることになったのが森林組合である。施業案の編成による私有林の育成や計画的造林、組合員の利益保護などが目的とされていたが、道内の全民有林を国家の林業統制のなかに組み込む役割ももっていたといわれる。

 『上富良野町史』によれば、昭和十七年七月二十九日、上川支庁技手ほかが出席し、上富良野村森林組合の発起人会が開かれている。そこで発起人のなかから理事に金子浩、白井弥八、高畠正信、西谷元右エ門、村上国二、穴田祐二、和田松ヱ門が互選され、組合長には金子浩村長が決定した。そして翌十八年二月十日、設立総会が開催され追補責任上富良野村森林組合の設立が決まったのである。その事業等については、『上富良野町史』に次のように記されている。

 

 施業案にもとずく森林の造成及び新産物の処分、樹苗の養成、林道の開設、運搬加工保管及販売に関する施設、資金の貸付、森林保有者創設のための地区内森林の取得等。

 

 なお、実際の登記については、戦後に入り昭和二十三年六月二十日だったことも『上富良野町史』には書かれている。