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4章 大正時代の上富良野 第5節 大正期の教育と青年会

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5、十勝岳噴火における学校被害と復興計画

 

 被害状況

 大正15年5月24日の十勝岳噴火は、日新尋常小学校、上富良野尋常小学校に甚大な被害を与えた。日新尋常小学校では、校舎が泥流により一瞬にして決壊・埋没し、それ以前の記録の全てを失った。また当日は、同校教員の菊池政美が旭川に検定試験を受けに行き臨時休校だったため、児童たちは学校で被害にあうことはなかったが、それでも在籍児童46人中2名と菊池教諭の家族4名が死亡した。上富良野尋常小学校でも、改築工事中の校舎部分が泥流の被害にあい、全てが流失し工事も中止された。

 また泥流に巻き込まれて児童9名が死亡、学校も3尺(=約91a)あまり浸水したため児童の通学は不能となった。

 

 応急救護

 一方、市街地の上富良野尋常高等小学校は、高等科の児童1名が死亡したのみで、校舎自体は被害を受けなかった。しかし村内の混乱の影響を受けて5月31日まで臨時休校し、高等科の男女児童たちは救護に動員され、男子は受持ち教員とともに罹災地で奉仕作業に従事し、女子は救護事務所で罹災者に配給する袷[あわせ]の縫製を行った。

 日新、上富良野の各尋常小学校が復旧するまで、両校の児童は上富良野尋常高等小学校に収容された。応急処置として仮校舎の建設も直ちに行われ、上富良野尋常小学校は、残った校舎に仮修繕を施したうえで6月4日再開された。日新尋常小学校は旧校舎位置から約4`b下に22坪の応急的なバラック校舎を建て、6月16日より授業を開始した。両校の仮校舎建築に要した経費は義損金でまかなわれ、上富良野尋常小学校の応急修繕費が400円、日新尋常小学校のバラック建設費が500円、設備費100円の合計1,000円が支出された。また罹災児童には、義損品が寄贈されたり、或いは罹災救助基金399円で購入した学用品が配給された『十勝岳爆発災害志』)。

 

 復興への取り組み

 その後10月26日の村会で、被害にあった小学校に対する復旧資金起債に関する件が提案され(『大正十五年村会』役場蔵)、同日可決された。その内容は、十勝岳爆発災害罹災小学校の復旧資金として、2万1,915円を大正15年度国庫より無利子で借り入れ、大正15年度から大正19年度まで5年間は据え置きし、その後大正20年度から39年度の20ヵ年で償還するというものである。また償還財源は、戸数割、反別割をもってこれにあて、資金の分配は上富良野尋常小学校に1万5,555円、日新尋常小学校に6,360円とし、この資金をもとに昭和初年から両校の本格的復興がスタートするのである。

 また12月2日の村会では、日新尋常小学校の校舎位置を空知郡上富良野村字上フラノ1834番地に変更する旨の諮問案が提出され、同日原案通り可決した(『大正十五年村会』)。さらに日新尋常小学校に対しては、15日付で噴火の際流失した教育勅語謄本、戊申詔書、国民精神作興に関する詔書等が再下付された。