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4章 大正時代の上富良野 第5節 大正期の教育と青年会

444-447p

1、教育施設の整備

 

 大正期における課題

 明治40年代に90lを越えた上富良野の就学率は、大正年間にも順調に伸び、大正10年には遂に99.94lに達して、ほぼ義務教育は達成された(大正13年8月『村勢一班』道立図書館)。

 またどの小学校も軒並み生徒数が増加し、特に上富良野尋常高等小学校は、大正末年には尋常科、高等科を合わせて15学級というマンモス校となった(各小学校の児童数、学級数、教員数は表4−15)。

 しかし就学率が伸び生徒数が増加することは、学級の増設、校舎の増築、教員数の増加を招く。上富良野では、既に明治期に教育費が歳出の約7割を占めて村財政を圧迫し、また寄付による学校の増改築は、通学区域住民の負担となりつつあった。

 したがって大正期における教育の課題は、教育設備の拡充と経済的問題をいかに両立させ、教育内容の充実を図るかという点にあった。

 

 大正初年の校舎新増築

 大正元年(1912)11月13日、上富良野第一教育所が字上富良野西5線北23号第134番地の5町歩を学校敷地として指定下付され、翌2年9月にはここに新校舎を建築した。その構造は教室と教員住宅を同棟で建てたもので、坪数は52坪5合であり、工費745円は部落住民の寄付でまかなわれた。また同年6月には上富良野尋常小学校でも1教室・廊下・昇降口など計43.75坪の校舎増築が行われ、やはり工事費587円52銭は全額通学区域住民の寄付であった。

 ところがこの年の秋になると、大規模な凶作のため、11月に開催された上川管内の町村長戸長会議で教育費の節約などの緊縮方針が指示され、学級増加や学校の増改築の延期が提案された(『町村戸長会議録・附参考書類』役場蔵)。上富良野でもこの方針は尊重されたとみえ、ちょうどこのころ起こった林熊七、末永友槌、村上忠吉ら十人牧場付近の住民による教育所新設運動は認可されず、また翌3年4月には、上富良野尋常高等小学校でも新たな屋内運動場を建築せず、2つの教室を仮屋内運動場として使用している。

 

 写真 第1教育所(江花尋小)の落成式

  ※ 掲載省略

 

 表4−15 大正における各小学校の児童数・学級数・教員数

  上富良野尋常高等小学校(上富良野小)

 

高等科

学級

教員

学級

大正2

196

136

322

6

11

56

11

67

1

3

197

157

354

5

9

59

8

67

1

4

209

163

372

6

7

56

12

68

1

5

213

175

388

6

9

56

11

67

1

6

223

189

412

6

12

65

30

95

2

7

220

233

453

7

12

111

13

124

2

8

270

234

504

9

9

75

19

94

2

9

295

271

566

10

12

81

26

107

2

10

328

309

637

9

15

99

35

134

2

11

364

309

673

11

18

124

32

156

3

12

308

337

645

11

24

112

48

160

3

13

341

286

627

11

18

122

54

176

3

14

369

312

681

12

20

123

41

164

3

15

376

322l

698

12

17

119

57

176

3

   〔出典〕 『上富良野小学校沿革誌』

 

  上富良野尋常高等小学校(創成・上富良野西小)

学級

教員

大正2

65

42

107

2

3

3

71

61

132

2

3

4

88

68

156

2

3

5

97

75

172

2

3

6

101

75

176

3

4

7

99

83

182

3

4

8

103

86

189

3

4

9

95

85

180

3

4

10

112

85

197

3

4

11

102

74

176

3

4

12

95

79

174

3

3

13

89

77

166

3

3

14

83

82

165

3

3

15

54

59

113

3

3

   〔出典〕『創成小学校沿革誌』

   ※ただし児童数は学年末在籍数

 

  江幌尋常高等小学校

学級

教員

大正2

53

33

86

2

3

3

63

46

109

2

3

4

75

55

130

2

3

5

73

76

149

2

3

6

84

79

163

2

3

7

65

58

123

2

5

8

66

63

129

2

5

9

60

49

109

2

5

10

56

58

114

2

5

11

44

48

92

2

4

12

48

46

94

2

4

13

43

41

84

2

4

14

45

41

86

2

4

15

46

43

89

2

5

   〔出典〕『江幌小学校沿革誌』

 

  東中富良野尋常高等小学校(東中小)

 

補習科・高等科

学級

教員

学級

大正2

163

92

255

 

 

 

 

 

 

3

171

97

268

6

7

 

 

 

 

4

180

111

291

 

 

23

1

24

1

5

182

109

291

 

 

36

2

38

1

6

 

 

 

 

 

 

 

 

1

7

 

 

 

6

8

 

 

 

1

8

 

 

 

 

 

 

 

 

1

9

 

 

 

6

8

 

 

 

1

10

 

 

 

6

8

 

 

 

1

11

184

124

308

6

5

44

10

54

1

12

178

145

323

6

9

32

9

41

1

13

172

152

324

6

9

49

16

65

1

14

184

148

332

6

7

30

20

50

1

15

182

159

341

6

9

37

15

52

1

   〔出典〕『北海道庁管内学校一覧』『東中小学校沿革誌』

 

  江花尋常小学校(上富良野西小)

学級

教員

大正2

51

31

82

1

2

3

50

25

75

1

2

4

55

36

91

1

2

5

71

62

133

1

2

6

73

66

139

2

3

7

72

71

143

2

2

8

62

84

146

2

2

9

42

69

111

2

2

10

45

55

100

2

2

11

52

52

104

2

2

12

58

45

103

2

2

13

63

50

113

2

2

14

65

46

111

2

2

15

65

44

109

2

2

   〔出典〕『江花小学校沿革誌』

   ※ただし児童数は学年末在籍数

 

  上富良野第三教育所→里仁尋常小学校(上富良野西小)

学級

教員

大正2

23

21

44

1

2

3

31

29

60

1

2

4

31

41

72

1

2

5

35

41

76

1

2

6

60

55

115

2

3

7

61

71

131

2

3

8

54

67

121

2

3

9

45

60

105

2

3

10

40

57

97

2

3

11

32

49

81

2

3

12

38

47

85

2

3

13

37

49

86

2

3

14

41

54

95

2

3

15

38

45

83

2

3

   〔出典〕『里仁小学校史年表』

 

  日新尋常小学校(上富良野西小)

学級

教員

大正2

13

6

18

1

1

3

20

10

35

1

1

4

30

18

53

1

3

5

29

16

51

1

1

6

 

 

61

1

1

7

 

 

 

1

1

8

 

 

 

1

1

9

 

 

 

1

2

10

 

 

 

1

1

11

24

14

38

1

1

12

 

 

 

1

2

13

 

 

 

1

2

14

 

 

 

1

3

15

 

 

 

1

2

   〔出典〕『大正六年調小学校沿革誌』

 

  不息特別教授所

学級

教員

大正6

37

23

60

1

2

7

47

27

74

1

3

8

 

 

90

2

2

9

 

 

108

2

3

10

 

 

117

2

3

11

 

 

108

2

3

12

 

 

91

2

3

13

 

 

86

2

3

14

 

 

85

2

3

15

 

 

83

2

3

   〔出典〕『旭野小学校沿革誌』

 

  静修特別教授場

学級

教員

大正7

30

23

53

1

1

8

31

26

57

1

1

9

33

27

60

1

1

10

38

30

68

1

1

11

30

38

68

1

1

12

39

35

74

1

1

13

40

30

70

1

1

14

42

30

72

1

1

15

38

30

68

1

1

   〔出典〕『江幌小学校沿革誌』

 

 東中富良野尋常小学校の高等科設置

 一方、凶作の余波を受ける以前の大正2年4月には、東中富良野尋常小学校に高等科に準ずる補習科が設置された。同校における補習科の設置は「多年ノ宿題」といわれ『大正二年村会関係書類』役場蔵)、学校関係者にとって待望の設置であったが、実際に授業を開始してみると生徒数がわずか20名で予想の半分以下しか集まらなかった。この原因は、大正3年2月3日村会に提出された「東中富良野尋常小学校併置ノ補習科ヲ高等科ニ変更可否ノ件」によると、「高等科ノ学科課程ニ対シ補習科教科目ニ於テ其欠タル所数科目アルヲ以テ、自然入学ヲ仲止[マゝ]致居ルモノヽ如シ。」(『大正三年議案綴』役場蔵)とあり、教科目の不十分とみられている。そして同校通学区域有志の申し出により、「該校周囲ノ義務教育終了後ノ児童ニ対シ高等教育ノ均霑[きんてん]ヲ得セシムル」ため、大正3年度から補習科を高等科に変更することが提案されている。

 この案が村会でその後どう扱われたかは不明だが、結局同校への高等科併置が大正4年4月に行われたことからすると、とりあえず大正3年度は見送られたとみられる。

 

 学校新設と簡易教育所の尋常小学校化

 しかし大正4年になると、再び学校の新設と簡易教育所の尋常小学校への昇格がすすんだ。4月には上富良野第三教育所が里仁尋常小学校となり、また10月12日の村会でも、既設小学校への遠さと交通の不便を理由に、宮城団体時岡農場と西谷農場方面に1カ所、鈴木牧場方面に1カ所、山田牧場方面に1カ所の教育所新設の諮問案が提出され認可されている(『大正四年村会関係書類』役場蔵)。

 その結果大正5年には時岡、西谷両農場方面に東中富良野尋常高等小学校付属明教特別分教場(現中富良野町立本幸小学校、翌6年の分村の時、中富良野村に編入)が設置され、大正6年5月には山田牧場(十人牧場)方面に上富良野尋常高等小学校付属不息特別教授所(のちの旭野尋常小学校、現上富良野小学校に統合)が開校した。この付近の児童は、以前から約6`の山道を3時間以上かけて上富良野尋常高等小学校に通学しており、学校設置の必要が唱えられていたが、凶作のおさまった大正5年になって再び学校設立の気運が盛り上がり、林、末永、村上、沖野常吉、野崎米三郎、福田慈三郎、前田林太郎、岡沢政吉らを中心とした運動の結果、設置が実現したのである。校舎を建築した土地は道井林太郎、山崎政五郎の寄付によった。なお同校は大正12年7月20日に上富良野尋常高等小学校から独立し、不息尋常小学校と改称した。

 一方、大正5年12月には明治41年に制定された改正「特別教育規程」が再び改正され、従来の教育所の名称を廃止し、全て尋常小学校とすることとされた。この結果大正6年4月には、上富良野第一教育所が江花尋常小学校に、上富良野第四教育所が日新尋常小学校に変更された。

 

 校舎増築と学級の増設

 さらに校舎の増築も、大正4年以降活発化している。大正4年5月、東中富良野尋常高等小学校では高等科併置による学級増設にともない、校舎を26坪増築した。また大正5年3月には里仁尋常小学校が教室20坪を増築し、8月には上富良野尋常高等小学校が旧校舎の第一昇降口を取り除いて住宅玄関の改築を行い、大正6年1月には校舎の一部修繕を行った。上富良野尋常小学校(のちの創成小学校)では同年7月に35坪2合5勺の校舎増築と模様替えを行い、9月には江花尋常小学校でも合計47坪の1教室の増築と模様替えを行い、さらに12月には、再び里仁尋常小学校で30坪の増築と模様替えが行われた。これらの経費は、いうまでもなく各通学区域の住民の寄付によるものであった。

 ところでこのような校舎増築は、校舎の廊下や昇降口の模様替え、教員住宅建築の場合を除けば、概ね生徒増加による学級増設に対応して教室を増築する場合が多い。「小学校令施行規則」によると、1学級の児童数は尋常小学校では70名以下、高等小学校では60名以下とされ、特別の事情がある場合に限り10名まで超過が許容されているが、逆にこの規則に従えば、少なくとも1学級80名以上になれば学級を増設しなければならない。そこで上富良野尋常高等小学校、里仁尋常小学校、江花尋常小学校、上富良野尋常小学校の4校は、「従来就学児童充満シ、学級ノ増設ハ最モ急ヲ要スル」状況(『大正六年村会』役場蔵)となったため、大正6年度にそれぞれ1学級ずつ増設し、上富良野尋常高等小学校は高等科が2学級に、里仁尋常小学校と江花尋常小学校は2学級編成に、上富良野尋常小学校は3学級編成になった。

 ただし就学児童が増加して学級数が増えれば、教員の増員が必要となり、必然的に教育費の増大を招く。先にあげた4校の学級増設も、「小学校令ニ定ムル規程超過ノ収容ヲ為スモ、尚且ツ編成不可能ナルカ故ニ已ムヲ得ズ学級四学級ヲ増設シタルカ為メニ、之レニ伴フ諸経費ヲ併セ本年度ハ教育費ノ増加ハ已ムヲ得ザルモノトス」(『大正六年村会』)とあり、ぎりぎりの選択であったことがうかがえる。ちなみにこのときは「土地等級調査費」が予算から削除され、その分が教育費にあてられた。