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4章 大正時代の上富良野 第4節 交通と通信の整備

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5、十勝岳噴火と交通・通信施設

 

 道路の被害

 大正15年5月24日に十勝岳が大噴火を起こし、上富良野村は大きな被害を受けた。ここでは、交通・通信施設に及んだ影響についてまとめておきたい。

 噴火に伴う泥流による被害にあったのは上富良野駅から美瑛に向かう、三重団体を中心とする一帯であった。幹線道路は、準地方費道浦河旭川線の上富良野市街地から美瑛側に向かって1里18町(約5.9`b)が3〜4尺(約1b前後)の泥土に埋もれたという。また、町村道の被害は11里12町に及んだ。橋は、準地方費道で3カ所、町村道で30カ所損壊した(『上富良野町史』)。北海道庁の調べでは、その損害額は、準地方費道8,000円、町村道5万3,200円、橋梁は、前者が3,000円、後者が1万800円と見積もられた(『旭川新聞』大1515・27)。

 その復旧には多大の労力と資金が必要で、なかなか思うように進まなかった。本格的な道路整備は遅れたものの、応急の道路は、管内各村の青年団らの働きによって、流木や新板材を利用してなんとか確保された(同大15・5・31)。

 

 鉄道の被害

 鉄道線路は上富良野・美瑛間の上富良野寄り1マイル14チェーン(約1.9`b)が泥流によって飴細工のように曲がったといわれる。線路に被害はあったものの、他の道路がほとんど泥に埋もれたため、線路に木材を敷き並べ道路代わりに使われた。

 鉄道の復旧工事は昼夜兼行で行なわれ、5月28日の午後の列車から開通した。しかし、開通によって、人々が上富良野に集まり、道路の復旧が進んでいなかったため、かえって交通が一層困難になったという。また、損害額は比較的少なく、4万8,000円と報告されている(『北海タイムス』大15・5・29)。

 爆発の時、駅長は旭川出張でいなかったが、助役が泥流によって駅が全滅すると思い、駅夫1人を駅に残し、他の1人を官舎に走らせ家族の避難係にあて、自分は被害のない中富良野駅間の通信機関を使って危険を報じ、その他の者にはレールその他の警戒に従わせたという(同)。

 

 写真 西2線付近で寸断された鉄道

  ※ 掲載省略

 

 通信施設の被害と上富良野郵便局の奮闘

 通信機関の被害は電柱の倒壊によって、電信・電話とも一時全く不通となった。当時の新聞によれば、電柱約50本が倒れ、24日午後7時から電話は旭川・上富良野、旭川・富良野、旭川・帯広の各線、電信は旭川・富良野、旭川・釧路、札幌・落石、札幌・帯広間が不通となり、富良野・滝川を経由して旭川にようやく通信している状態であった(『北海タイムス』大15・5・26)。

 しかし、25日の午後5時半から富良野・上富良野間の電話が、同九時からは電信の一部が回復している(同、大15・5・27)。

 電信電話の一部が回復するや、郵便局に人々が殺到し、また、電報の着信も激増し、局員はその対応に忙殺され、河村局長以下全局員、臨時配達夫の20余人は不眠不休で奮闘したという(同、大15・5・28、29、30)。

 また、業務の一つであった保険について、札幌逓信局から局員が派遣され、被害にあった加入者に対して特別の便宜を図ったということである(同、大15・5・30)。

 

 写真 十勝岳噴火による通信被害

  ※ 掲載省略