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4章 大正時代の上富良野 第1節 分村と大正期の村政

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4、地方改良運動の展開

 

 民力涵養運動

 第一次世界大戦は大正7年11月に終結したが、戦後は日本軍のシベリア出兵、米価の騰貴による米騒動、相次ぐ小作争議と大工場での労働争議、新思潮によるデモクラシー運動、反動不況の到来と増税による国民生活の圧迫、以上の数々の問題が噴出し社会不安が増大していったのである。

 これに対して内務省の指導もあって道庁では、既に大正7年1月5日に告諭を出し、1公共心の涵養、2実業の振興、3金融の円滑、4土地の利用、5実業教育の振興、6実業道徳の向上、7執務の矯正、8労働の改善という8大項目を挙げ、あわせて詳細な実行項目を付して「戦後準備に遺算なきを期す」ように指示していた(道庁告諭第5号)。そして8年8月14日に至り「戦後の重大なる時局に処し最善の努力を致し以て国運の進展に貢献せむことを希望」する「民力涵養に関する告諭」を出し、5大項目と33事項の実行要目が示された。これにそって官公庁、民間団体などにより様々な民力涵養運動が広く、活発に展開されるようになるのである。

 

 「上富良野村民力涵養実行方案」

 道庁では各町村に対して民力涵養運動の指導と実践を強力にはかっていくのであるが、その基準となる「実行項目」の策定を各町村に求めていった。これに応じて上富良野村でも「上富良野村民力涵養実行方案」が策定となり、以下の「上富良野村トシテ努ムベキ必行要項」が取り決められた(『大正八年六月参考書』役場蔵)。

 

 一、官尊民卑ノ弊習ヲ打破シ国家並ニ町村ヲ背負フテ立ツモノハ国民即チ村民ナリトノ自覚ニ基キ共同責任ヲ負担スルコト。

 二、基本財産ヲ増殖シ薪炭用材備林ヲ設置シ、一村財政ノ基礎ヲ鞏固ナラシムルコト。

 三、戸主会、在郷軍人会、青年会、処女会ヲ村内整一ニ発達セシメ社会的教育ノ作興ヲ期スルコト。

 四、村社ヲ創立シ祖先崇拝ノ美風ヲ顕揚スルト共ニ迷信的弊習ヲ芟除スルコト。

 五、納税組合ヲ設ケ国民参政ノ真意ヲ了解セシムルコト。

 六、衛生組合ヲ設ケ国民保健ノ向上進歩ヲ図ルコト。

 七、国民生活ノ安定ヲ保修シ民風作興ノ基礎ヲ作リ併セテ共存共栄ノ実ヲ挙クル為メ、一村一区域ノ信用組合ヲ組織シ金融機能ト産業開発ノ衝ニ当ラシムルコト。

 八、農会、農友会ノ活動ヲ促シ農業ノ改良進歩ヲ図ルコト。

 九、畜産組合ノ活動ヲ図り、副業ノ振興ヲ期スルコト。

 一〇、道路保護組合ヲ設ケ交通ノ便ヲ図ルコト。

 一一、水利統一ト造田拡張ノ趣旨ヲ以テ村内ニ二個以上ノ土功組合ヲ設ケ、土地利用ノ価値ヲ増進スルコト。

 一二、地主会ノ活動ヲ促シ小産者及労働階級ノ生活向上ヲ図ルコト。

 

 以上のうち、「期間ヲ予定シ実施スルモノ」として、9年3月31日に青年会・処女会の作興、納税・衛生・産業・道路保護の各組合の設置、5月1日に土功組合の設置、7月1日に村社の創立が挙げられていた。実際に上富良野神社が9年2月11日に無格社としての認可を得、4月には上富良野村聯合青年会が創設となり、納税・衛生・道路保護の各組合も設置されており、この計画にそって着々と実行されていた。「上富良野村民力涵養実行方案」は村の振興をはかる上で重要な意味をもっていたといえる。