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1章 上富良野町の自然と環境 第5節 上富良野の野生動物 65-73p

1 哺乳類

 

 上富良野に生息している野生哺乳類について、十勝岳周辺など標高の高いところに棲むものから、平野部の森林など低標高で見られるものまでを、順を追って取り上げてみたい。

 

 ナキウサギ

 十勝岳周辺の、大岩のごろごろとした溶岩岩礫地帯を歩いていると、時折チキッ、チキッと鋭い鳴声がする。短いが、よく響く烏のような声である。しかし辺りを見渡しても何の姿もない。これはナキウサギの声である。ウサギの名を持つ、しかし一見ネズミのようなこのウサギは、体長15aほどで、耳は丸く小さい。

 ヒマラヤを中心とする世界の高山帯に仲間がいる。ウラル、シベリア、モンゴル、中国東北部、朝鮮半島北部、カムチャッカ、サハリンなどに分布しており、日本では北海道だけに生息している。

 北海道のナキウサギは、氷河時代、サハリン方面から北海道へと南下してすみついた一族である。海水面が下がり、陸橋でつながった宗谷岬とサハリンとの間を、長い時間をかけて渡ってきたものである。やがて冷涼な時代が終わりを迎えると、大陸系の動物の多くは再び氷の後退と共に北方へと移っていったが、ナキウサギはどういうわけか大雪山系や日高山脈などの低温環境にそのまま居残ってしまった。あるいは取り残されたのか。こういう生きものを「氷河期の遺存種」(レリック)と呼ぶ。

 岩塊地帯のある場所では樹林帯にも棲んでいて、自分では巣穴を作らず、岩と岩の隙間や木の根の間などをちょろちょろかいくぐって生活し、植物の葉や茎、花、実などを食べて、岩の上などに丸薬を蓄めたような糞塊を残している。夏の終わりから秋にかけて、多くの植物を岩の下に集め「乾草」をつくり、それを冬の間の貯蔵食料としてすごす。冬眠しない上に結構な大食漢だから、冬に備え秋になると活発に動きだす。

 臆病な動物なのでその姿をゆっくり見られる機会は少ないけれど、早朝や夕方、霧の出たときなどに、鳴声のする方向をゆっくりと探してみるといい。目の前で置物のように座っていたりもする。

 

 写真 ナキウサギ

 写真 ナキウサギの糞

  ※ いずれも掲載省略

 

 シマリス

 ナキウサギと同じ環境でもよく見られ、稜線近くのハイマツ林の小径や散策路わきなどで頻繁に出会える小型の野生動物が、おなじみのシマリスである。北海道に棲むリスは、エゾリスとこのシマリスの2種類だけであるが、この両者は棲んでいる環境を巧みに分けていることで知られている。例えばエゾリスの生活場所は樹上が中心だが、シマリスは地上中心。エゾリスのすみかは主に里山で、シマリスは高山ハイマツ帯に至る。エゾリスの餌はドングリやクルミ、イチイの実、シマリスは草の実や花、昆虫、ドングリ、ハイマツの実。エゾリスの巣は樹洞や高木に懸けられた自作球形のもの、シマリスは木の根元や岩場にトンネルを掘って棲む。エゾリスは冬も活動するけれど、シマリスは地中に木の実などを貯え、冬眠。同じリスでもその生活スタイルはかなり違うのである。

 

 写真 シマリス

  ※ 掲載省略

 

 ノネズミの仲間

 標高の高いところにまで棲んでいる動物としてはノネズミの仲間もまたそうである。ヤチネズミはその名の通り谷地(湿地)のある低地に棲むノネズミであるが、ハイマツのある高山帯にまで広く分布している。とくに山麓の広葉樹林から標高の高いダケカンバ林などで優占種となる。

 森のネズミであるアカネズミも、低地の雑木林から山の針葉樹林にまで分布するが、主には平野部、とくに河畔林を生息環境としている。

 同じ森のネズミであるヒメネズミは、広葉樹林よりも標高の高いエゾマツ林など針葉樹林に多く生息している。木登りを得意とする種類で、ササ類が繁茂し、低木層が多様な環境を好む。ハイマツ林でも少ないながらも生息はしている。おそらくはアカネズミがあまり見られないことによるのだろう。一概にはいえないが、ヒメネズミがどちらかといえば樹上性であるのに対して、アカネズミは専ら地上で生活している。

 

 オコジョ

 シマリスやネズミなど、山岳地の小動物の天敵として、まず筆頭にあげられるのはオコジョの存在だろう。生粋の道産子イタチで、エゾイタチあるいはヤマイタチなどとも呼ばれる。しかし北海道だけではなく、本州でも八ヶ岳などの高山には棲んでいる。

 吹上温泉から三段山に至るルートや、望岳台へと続く道の周辺などで時折その姿を見かける。

 アイヌ伝承では「狩りの守り神」といわれていたようだ。人の生活の敵であったネズミの類をよく捕まえる狩りの名手であったからだろうか。しかし地方によっては「地獄の小犬」などという、恐ろしい名を頂戴していた。一見、とても可愛らしい姿をしているくせに、実は高山のガレ場でナキウサギやシマリスなどを狂暴に襲っている姿に由来しているのだろう。似た仲間にオコジョよりももっと小さいイイズナ(コエゾイタチ)がいるが、こちらは主に平野部に棲む。見かける機会は少ない。

 オコジョはかつて北海道では平野部を含む各地に広く生息していたというが、現在では山岳地に少数が生息しているだけで、平野部ではほとんど見られない。高山での記録もまた少ない。十勝岳温泉の周辺などではわずかながらまだその姿を見ることができる。

 夏は茶色い背中に白い腹、冬になると尾の先端だけを除いて真白になる。尾っぽの先だけが夏毛同様に黒く残る。なぜか真冬でも白変しない変り者が、ときとして見られることもあるという。

 

 キタキツネ

 なじみのキタキツネもまた低地から高山にまで幅広く分布している。厳冬の上ホロカメットク山避難小屋のすぐ横でも見かけることがある。そうかと思えば、十勝岳温泉の駐車場や路傍で観光客相手に卑屈に餌をねだっていたりもする。一般にはこちらの方がなじみのある姿だろう。

 彼らの餌は主にエゾヤチネズミやノウサギであるが、コクワやヤマブドウなど植物の実も食べる。もちろん観光施設の残飯あさりもやっている。要するに雑食性で、それゆえキツネは類い稀な環境適応力の強さをもって、世界的にも繁栄している動物である。現在、多くの野生動物が人間社会からうける影響から衰退していくなかにあって、キツネだけは逆に人間の世界を巧みに利用しながら栄えつつある。そういう意味では昔話の印象同様、まさしく狡滑な獣なのかもしれない。

 最近ではアーバン・フォックスと呼ばれる、街をノライヌ並に俳徊するキツネも目立つようになってきた。これには不要農水産物や残飯などの不法投棄や、不十分な管理などの主原因もあるが、他愛のない観光資源として、愛敬ある可愛らしさだけをやたらとクローズアップする人間側の御都合主義、いたずらな餌付行為などの横行が、ますますキツネのヒト社会への侵入を助長させてきたということもできる。いまやそれが農作物被害やエキノコックス症の媒介などの災厄を持ち込んできた。

 

 写真 キタキツネ

  ※ 掲載省略

 

 トガリネズミ

 貪欲なキツネや狂暴なオコジョが口にしない(餌とならない)小型の動物がいる。それがトガリネズミの仲間である。十勝岳山麓では、オオアシトガリネズミという種類が確認されている。彼らにはネズミという名がついているものの、実は食虫目といってモグラに近い存在である。名の通り、主に地上地中の昆虫類を食べており、顔つきもちゃんと「尖って」いる。人間にはあまり感じないが、臭いに敏感なキツネなどには何やらいやな臭いをだすようで、ほとんど捕食されない。だから食べられずによく道端などでころりと死んでいるのを見かける。よく「路でモグラが死んでいた」といわれるのは、実はこの類のことである。北海道には、いわゆる本当のモグラはいない。

 

 エゾリス

 山麓のエゾマツ・トドマツ林に入るとエゾリスの姿を見かけるようになる。もう少し街よりに下がって、各ダム湖周辺に広がる雑木林やカラマツ林、あるいは樹木の多い神社などにも棲んでいる。人里においてなじみある動物のひとつだろう。オニグルミの硬質な種子をカリカリと齧っている姿をよく見かける。歯をたてながら器用に割って中実だけを食べる。やはりクルミの実を好むネズミでは、この食べ痕がまったく異なる。種に丸いトンネルを空けているのがネズミだ。

 エゾリスはほとんど樹上で生活している動物だが、移動の際には丈夫な脚で地上を活発に駆け回る。冬の、見通しの良くなった森のなかを焦茶色の塊がぴょんぴょん飛ぶように走っていたら、それはきっとエゾリスである。

 

 モモンガ

 その昔「バンドリ」(晩鳥の意)とも呼ばれたモモンガもまたリスの仲間である。ちなみに英名は「空飛ぶリス」。樹間を飛ぶとき、まず木の幹を飛ぶように駆け昇り、そこから前脚と後脚の間に張られた皮膜をぴんと張って、ふわりと数メートルも滑空する。主に夜行性で、木から木へとひらひら飛び回る。森の忍者とか空飛ぶリスとあだなされる理由。バンドリとは、本州方面のムササビに与えられている古くからの呼称である。しかし北海道にはモモンガはいるがムササビはいない。この両者はよく混同されるから、ムササビの分布しない北海道ではモモンガにこの名が与えられていたのだろう。ムササビは猫ほどの大きさもあるが、モモンガはせいぜい20aたらずの小さな獣である。

 広葉樹やトドマツなどの新芽、皮、若葉、そしてドングリなどの木の実を食べ、樹洞に棲む。キツツキの古巣を利用していることもある。小さくて目立たない上に夜行性であるから、人に知られないだけで、かつては平野部のいろいろなところにもたくさん生息していたものと思われる。しかし昨今では広葉樹の伐採が進んで、樹に洞のあるような大木や老木がどんどん消滅するようになったことで、急速に数が減りはじめている。

 

 クロテン

 中茶屋から道道十勝岳温泉美瑛線に至る町道吹上線の森や吹上温泉周辺では、ときにクロテンに出会えることがある。イタチの仲間でも大きなものがテンである。北海道在来のテンは、このクロテンだけである。本州のホンドテン(キテン)に対して、俗にエゾテンとも呼ばれた。

 クロテンは夜行性で木登りがうまい。ノネズミやエゾリス、眠っている小鳥やエゾライチョウなどを捕らえて餌にしている。樹洞にいるモモンガを襲ったりすることもある。その一方でコクワやヤマブドウなどの木の実もよく食べる。日中は樹洞や溶岩穴などに棲んでいて、夜になると活発に動き回る。高価な毛皮を持っているために、明治時代にはかなりの数が乱獲された。一時期は絶滅寸前になってしまったが、1920年(大正9年)になってようやく禁猟となり、その後はなんとか持ちなおしているようだ。

 町道周辺にはエゾマツやトドマツ、ミズナラなどの森が広がってる。彼らの糧となる小動物や鳥がまだまだ豊富で、すみかとなる樹の洞や岩穴もちゃんと残っているのだろう。冬眠はしないから、冬になればきっと彼らの足跡が森の中にテンテン……と続いていることだろう。

 

 ヒグマ

 上富良野の森に、わが国最大の哺乳動物であるヒグマが今も定住しているかどうか。北海道を代表するこの大型野生獣は、低地から高山帯に至るまで広く分布しているが、その実態はまだまだ不明な点が多い。例えばその生息数。正確なところは把握されていないというのが実情だ。ヒグマの行動範囲は広く、約数1000fともいわれているから、追跡は極めて困難なのである。近年は開発と共に生息環境の分断が生じて、ヒグマが広域な移動を妨げられていることが問題となっている。ヒグマ同士の血の交流がなくなってしまうからだ。

 現在、北海道のヒグマの分布域は、黒松内低地帯以南および石狩低地帯以西、以東の3つに大分されている。大雪山系はヒグマ天国ともいわれるが、では十勝岳方面はどうだろう。記録を見ると、ごく稀に姿を見せているだけのようである。

 全道市町村別のヒグマの捕殺記録によると、上富良野におけるここ20年間のヒグマ駆除の記録は昭和53年(1978)にオス1頭、昭和58年(1983)にオスが1頭、メスが2頭の計4頭だけである。近隣の記録を見てみると、旭川市で昭和53年1頭、昭和62年1頭、美瑛町で昭和54年から平成3年の間に計8頭、東神楽町では昭和5年頃が最後の捕殺となっており、美瑛町が最も多い。これは白金温泉の北東に、エゾマツ、トドマツを主体とした広大な針広混交林が十勝岳〜大雪連峰にそって続いていることによるものと思われる。ヒグマの往来がさかんなのだろうか。その分、人目にもつきやすくなるだろう。上富良野では東部一帯をのぞいて、森にはあまりにも人の手が入りすぎてしまった。富良野岳の山麓林は自衛隊の演習場に挿まれている。このあたりにいつきのヒグマがいても、おそらくは人目につかないようひっそり暮らしているに違いない。

 もちろん開拓期には上富良野もまた他と変わらずヒグマの闊歩する地域であった。日の出地区のコルコニウシュベツ川付近はかって「熊の沢」とも呼ばれていたし、演習場北の中の沢地区もまた「熊の沢」と呼ばれていた。明治時代の十人牧場は「クマの牧場だ」といわれるほどであったし、「明治3年代の中頃には野犬のごとくいた」と語る人もいる。大正6年8月にはベベルイ地区の相撲大会で優勝した丸田吉次郎という人が、酒宴の帰りにクマに襲われ死亡するという痛ましい事件もあった。それを悼んだ地蔵尊が同年12月、東中に建立されている。大正10年頃まで中茶屋付近の畑は、常時クマに荒らされていたといわれる。また10数年前まで、中の沢では自衛隊演習場から出る残飯を狙ってやってくるクマが頻繁に出没していたという話もある。

 しかし上富良野の特筆すべきヒグマ事件といえば、なんといっても「東中映画見物客襲撃事件」であろう。そんなに古い話ではない。昭和34年11月4日、東中市街地(東8線北19号道路)でのことである。開拓時代のことならばともかく、田も畑も整備され、町はずれとはいえ人家も点在していた昭和の時代のことである。その日の午後10時半、東中公民館での映画上映後、帰途についた客5人を、突然クマが襲った。林や畑でのことではない。道路の真中、まさに往来での事件。人々を襲撃したのは4歳ほどのメスグマで、体重は200`ほどある仔連れであった。

 なぜ市街地に現れたのか。おそらくは十勝岳山麓から芦別方面(幌内山地)に抜けようとしていた親仔であろう。夜半、仔熊と連れ立っての移動中、突然映画館からの帰途客がぞろぞろと往来に現れた。驚いたクマは慌てて路傍のトウキビ畑に飛び込み隠れたが、恐れを知らぬ仔熊が、人に興味を示してのこのこ道路に出てしまった。母グマは仔グマを護ろうと興奮して飛び出し、人々を次々と襲ったあげく逃走。翌朝、射殺された(『北海道新聞』昭34・11・5)。幸いにして死亡者はなかったものの、5人のうち数名が大怪我をした。被害者の1人、三好清次郎氏は郷土誌に事件当夜の手記を発表している(『郷土をさぐる』第2号)。

 大型野生動物の恐ろしさもさることながら、「ヒグマは移動する動物である」ということを、この事件はいみじくもよく物語っているのである。

 最近では、三段山スキースロープ付近や、吹上温泉東部で、足跡や糞などの痕跡の発見があるが、もちろんいまでは滅多に見かけない動物となっている。

 

 エゾシカ

 森に棲む大型の野生動物といえば、エゾシカもまた北海道を代表する存在だ。こちらは近年になって数が増えており、上富良野市街東部および西部の畑地で、豆、ビート、トウキビ、ニンジンなどで食害が起こっている。駆除騒動も続いているが、明治の末期から大正初期には絶滅寸前の状態だった。大正8年の記録では全道で10数頭しか捕獲されていない。明治4年頃には、美馬牛付近にはいつも鹿角がたくさん落ちていたというが、姿はほとんど見かけなかったといわれる。ヒグマとはまったく反対の境遇である。

 シカは肉や毛皮、そして角などが珍重され、絶えず狩猟の対象となってきた。当時の北海道におけるシカは実に大変な頭数であったという。勢い、乱獲されたというわけだ。激減の原因は、闇雲な狩猟圧と明治12年と14年の記録的な豪雪による餌不足であった。餓死したエゾシカはゆうに数10万頭といわれ、一挙に危機的状況へと追いやられた。それまでは毎年かなりの捕獲があり、袋角、毛皮、肉などは、中国をはじめとする海外に輸出までされていたほどだった。それがあわや絶滅かと思われるほどの状態。いま再び、北海道でシカが増えはじめてきたのは、いつ頃からのことからだろうか。

 標高が高くなると生息密度は低くなり、山麓の針広混交林などで多く見られる。冬には河川流域にもよく姿を現す。上富良野には幌内(芦別)方面から姿を見せるものと、白金温泉方面から姿を見せるものとがあるようだ。もちろん行き来もある。現在、全道的な生息分布状況の動向によれば、シカは明らかに道東部から西部に向かって拡大しつつある。彼らの生息環境は必ずしも原生的自然ばかりではなく、農耕地や造林地周辺にも適応しやすいことが増加の一因ともなっているのだろう。かつて絶滅の危機にあったとは到底信じられないほど、今では身近な野生動物となりつつある。無論、農林業への食害対策は、これからの大きな課題となっている。

 

 ミンクとホンドイタチ

 毛皮業者の飼育場から逃げ出した帰化動物のミンクも、旺盛な繁殖力であっという間に野生化し増大した動物である。よく養魚場の鯉などが襲われて、ときに全滅させられることもある。ミンクは毛皮のためばかりでなくノネズミ駆除のために人為的に放された経緯を持つ。上富良野では東中で飼われていた記録がある。

 また島津地区では、湧水を利用して飼っていたコイが板こそぎやられてしまったこともあるという。

 もうひとつ、ネズミ駆除のため積極的に放され大繁殖し、一時期は毛皮獣として外国にまで出荷されるようになった動物にホンドイタチがある。こちらは養鶏場などで被害が続出した。魚や水鳥なども好むため川に沿って生活する傾向があるが、完全な河川依存型であるミンクの勢いに押されて、最近ではあまり見かけなくなった。

 

 タヌキ

 名を知らぬ人のないタヌキは、しかし今では昔話で親しまれているほど人に縁のある獣でもない。昼間も動くようだが、夜の方が動きは極めて活発である。タヌキならではの習性に、巣穴の近くや通り道の決まった場所にまとめて糞をする「ため糞」がある。

 これが案外なところにひと山積んであるのを見かけることがある。静修、江幌、江花、日新、清富、日の出、富原、旭野、倍本、東中から中富良野本幸にかけてなどに点在する、いわゆる里山の雑木林で見かけることがある。

 タヌキは足が短いので冬の移動は不得手らしく、キツネと違って標高の高いところにまでは現れない。あくまでも里の獣で、丘や沢筋など、多様な地形、植生のある環境を好む。それは彼らの食生活が、昆虫を獲ったり、カエルやミミズや果実を食べたり、ときに小動物の死体や、冬には木の皮やササなども食べたりするという天然の雑食パターンであるためだ。田畑のスイカやメロン、カボチャなどもよく狙われるとされるが、昨今ではキツネなどと混同されているケースも多いと思われる。この辺り、きちんとした調査が必要な部分だろう。キツネと同じ雑食性だが、人間社会にべったり依存することのないせいか、こちらは年々出会う機会の少なくなってきている獣である。

 

 ノウサギ

 昔日に較べ、周囲からぐんと数が減ったといわれる野生動物がもうひとつある。ノウサギことユキウサギのことである。近くではとんと見かけなくなったという人は多い。天敵であるキタキツネが最近急に増えてきたためだと、まことしやかに語る人もいる。

 すっかりいなくなったわけではなく、現在でも山麓から高山稜線とかなり広い範囲に生息はしているものの、確かに多くはなさそうだ。なぜこうもウサギが減ってしまったのか、その本当の理由はナゾである。よくいわれるキツネ増加説に、あまり信憑性はない。

 かつては身近な野生動物の代表選手であり、民話や伝説などにもよく登場した人気者だった。反面、農産物や樹木の食害によって長らく駆除の対象となってきた存在でもある。開拓創史期には植林の若木に害を与えるという理由で、駆除がさかんに奨励された。その一策としてノウサギの耳1対をいくばくかの金額で購入するとの公示が、営林署担当区を窓口として行なわれていたこともある。毛皮はつなぎあわせて着衣に利用され、その肉はしばしば食卓にのぼったりもした。

 そんなに昔の話ばかりでもない。昭和45年にも、ノウサギが異常発生して困っているという旨の記事が大きく新聞に出ている(『北海道新聞』昭和45・4・3)。カラマツや果樹の幼木を喰い荒らす犯人として、猟友会が連日掃討作戦を展開しているとの旨が報道されている。