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1章 上富良野町の自然と環境 第2節 上富良野の地形と地質 13-14p

1 上富良野の地質・地層

 

 市街地周辺の地質

 国土地理院発行の火山土地条件図『十勝岳』によると、上富良野の市街地中心部付近の地盤は、表層が主に火山砂、軽石、溶岩塊を多量に含んだ扇状地堆積物で構成されている。扇状地堆積物の下には、流紋岩質の軽石を大量に含む火砕流堆積物が厚く堆積する。火砕流とは軽石、火山灰その他の火山砕屑物が、火山ガスや周囲の大気と入り乱れて、高温状態で高速に流下する現象である。これが堆積すると、次第にガスは抜けて、軽石や岩片及び火山灰などの入り交じった、淘汰の悪い(様々な粒径のものが混在していること)堆積物となる。

 上富良野の市街地から十勝岳を遠望すると、手前に海抜300bから700bの平坦な台地が広く発達していて、この台地上に十勝岳を含む多くの成層火山体(大雪−十勝火山列)が配列しているのを見ることができる。この台地は、広大な火砕流堆積物で構成されており、富良野盆地はこれらの大規模火砕流堆積物によって埋積されている。上富良野は基本的に大規模火砕流の地盤の上に建っている町なのである。また、富良野盆地の底とも言うべき広い低地帯は、火砕流堆積物からなる両側の台地や丘陵とは、十勝火山列と同方向の北北東−南南西方向の逆断層群によって境されている。この地質構造は、東西方向から大きな圧力が加えられたことを示している。

 

 地層とその構造

 市街地北西の低地では、現在の作土の下には、部分的に安山岩質の岩塊や礫を含む砂礫〜シルト(16分の2_b〜256分の2_bの粒子)質砂で構成される淘汰の悪い堆積物が数10abの厚さでたまっている。これは、十勝岳の大正15年噴火による泥流の堆積物である。その下には大正泥流の堆積以前の水田土と思われる有機質土が30abほどの層厚で埋没しており、そのさらに下の層位には火山灰質の粘土(256分の1_bより細粒の粒子)や砂礫などが堆積している。一方市街地南部、中富良野町との境付近では、砂、礫などの粗粒な層と粘土層及び泥炭層の互層が認められる。

 北海道開発庁が作成した地質図幅『下富良野』によると、富良野盆地の東西断面は、前期更新世に噴出堆積した大規模な火砕流堆積物である溶結凝灰岩の上に、更新世末期〜完新世に堆積した河床礫、氾濫原堆積物、泥炭などが堆積するという構造を呈している。また盆地の西では、中生代ジュラ紀〜白亜紀前期に海底で堆積した「空知層群」という地層と、それ以後に空知層群を覆って堆積した「エゾ層群」という地層が、東から西へ古い順番に現れてくる(図1-7参照)。

 さて、これまで述べてきたような上富良野周辺の地層及び地質構造は、いつ頃どのような経過を経て形成されてきたのであろうか。上富良野が位置する場所は、実は今から数1000万年前には海の底であったと考えられている。それが現在見られるような地質的環境になるまでには、壮大なスケールの地殻変動や火山活動が繰り広げられてきたのである。最近の様々な構造地質学的研究や火山地質学的研究により、その変動の歴史が次々に解き明かされてきている。次項では、現在有力と見られている説を紹介しなから、上富良野を北端に抱える富良野盆地が形成されるまでのドラマを見ていきたい。

 

 図1−7 富良野盆地の地質縦断面図(東西方向)

   出典 橋本亘、地質図幅『下富良野』(昭30)

  ※ 掲載省略