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『昭和のねずみの智恵』昔し話(実話)

高橋 寅吉 大正三年五月十六日生(七十七才)



昔昔ある家に、それはそれは賢い利口なねずみの一族が住んでいました。昔といっても昭和の初期の実話です。
万物の霊長と自負している人間界に、動物の利口、智恵、いや神秘的な人間以上の才能のあることを如実にしらされて、つくづくと今日の人間社会を眺めてこれでいいのだろうかと思う。畜生でさえこの利口さ、人間同士がいがみ合ったり、怒ったり泣かせたり悲しませる様な事が、日常茶飯事の様に行われている今日、これでは畜生とひげしている動物、小さなねずみにさえ笑われる。人間は人間として立派な人間になれる様互に戒め合って行きたいものと、子供達にも童話的に記録し、読んで参考にして貰いたい事を願って投稿しました。



ねずみの智恵の話五題(体験実話)
  一、ねずみ取り器の餌の上手な食べ方
  二、生みたて卵の自動運搬方法
  三、ねずみの仇討ちの(1) ラジオ壊し
  四、ねずみの仇討ちの(2) 洋服荒し
  五、隠遁の術
第一話 『ねずみ取り器の餌の上手なたべ方』
台所に時々現れてごそごそと走り廻るねずみを退治しようとねずみの好きな南瓜の種を餌にしました。
先づ器具のパチンコ金具の餌つけ釣に一ケをしっかり取りつけ、其の餌の廻りの板の台の上に五個の南瓜の種を置き、台所の暗がりにそっと置いて翌朝の成果を期待し、翌日起床して仕掛けた場所にいそいで見に行きました。残念置いたままです。あっと気づいてよく仕掛器具を見ると、真中の釣の南瓜の種はそのままですが、廻りに置いた種は五個共その場所で種の廻りをきれいに食い切って中身だけ抜いて食べ、種の中は空っぽ、それに食い切った屑は板の上からこぼれない様に始末してありました。
さも入間にねずみの智恵を誇示するかの様に、きちんと始末している事はどう考えても入間より利口だと思いしらされました。
第二話 『生みたて卵』の自動運搬方法
食料の少ない時期、自家用として鶏の卵を毎朝楽しみにしていました。卵を生んで鳴声でしらせるコケブコココの声で、それっと飛出して行き、鶏小屋の巣箱からまだ暖かい卵を取り出した時の手の感触は喜びと楽しみの一つでした。
鶏の数が少ないので毎日二、三ケ、子供等も毎朝の何よりの楽しみでした。ところが何時の頃からか、しらせの鳴声を開いてすぐ行っても巣箱は空、がっかりしで空戻りが何日続いた事か、数日後又かと思い乍ら知らせの声で小屋に入り巣箱を見たところ、丸く低くなっている真中のわらのすき間に、白い卵らしいものが一寸見えたのでオヤッと手でその教わらを分けてみたら其の下に卵が有りました。それは巣箱の底板の又その下です。其の卵を取り出してみると又其下の方に白く卵が見えました。オヤオヤと巣箱を持ち上げて見た処、箱の真中に卵が落ち込むだけの穴が聞いており、やっとねずみの仕業とわかった次第です。
早速スコップで穴をたよりに小屋の外まで続く穴を掘ってみた処、出るわ出るわ花咲爺さんが宝物を掘り出す様に見つかりました。次から次と卵が自動的にころがって行く様に、自分の巣に向かって傾斜をつけた先に卵の保存庫があります。ただあきれるというより、巣箱の卵が集中するよう測量したかのようにトンネルを掘ってあり、人間よりも正確に地下からどうして其の位置を確かめて穴を開けたかという事です。もう一つの疑問は、穴を開けて卵を落とせばその跡は必ずポッカリ穴が見える筈です。
それが幾回見に行っても気づかなかったのは、見に行く人間もうかつかと思いますが、生んだばかりの卵を穴におとしたら、すぐその穴を藁で隠したものと考えられます。ねずみにその智恵があるとは思えませんが事実は事実です。
第三話 『ネズミの仇討ち ラジオ壊し』
昔からのいい伝えか、子供の頃から母親にねずみを取り逃がすと仇討、いたずらをされるからね、と常々いわれていました。
あの小さなねずみのいたずらぐらいと気に止めていなかったのに、思いもよらない仇討ちをされて、腹の立つ前にその仇討方法に敬意を表したくなる様な事件が二件続きました。
第一はラジオ壊しです。
ボロ長屋に住んで押入も時々の掃除、たまたま掃除をした処ねずみの巣が見つかりました。中から飛び出したねずみを追い廻し、一匹は退治したのですが一匹は逃してしまいました。別に気にもしないでいつもの通り朝はラジオ体操の音楽で目をさまし起き出すのが一日の始まりですが、そのあくる朝は時間が過ぎてもウンともスンともラジオが鳴りません。
故障で何処かの線でもゆるんだのでないかと、棚の上のラジオをとんとんとつついたり叩いても音沙汰無し、いよいよ故障なら修理をと棚からラジオをおろして念の為裏側の板をはずしてみたところ、中の配線がズタズタです。あの堅い針金の配線を一本二本、喰み切ったというより見事にズタズタです。
どうかんがえてもねずみが腹を立て、食い切ったとしか思えません。これがねずみの仇討でなかったらなんでしょう。つくづくと母親の昔話しが思い出させる災難でした。
第四話 『ネズミの仇討 洋服裏地ズタズタ』
夕食も終わり、子供等がそろそろ寝る支度にと押入れを開けたとたん、布団の上から茶の間にジャンプした一匹の小ネズミ(体調約十糎)、それっと箒と棒切れでこんどは逃さんぞと急いで戸棚や戸のすき間をふさいで追い廻すこと約三分、すきまはなかった筈であったが、玄関のガラス戸の上部、障子の破れの小さな穴からアッという間に玄関の方へ飛出した。
それっと戸を開けたが既に姿は無し、下駄箱の下まで調べたがついにドロン。
諦めはしたものの先日のラジオ事件があったばかりなので又何かやられるぞ、との予感はしたましが、あの小さなネズミがまさかと気に止めませんでした。前日は、たまたま暑かったので洋服の上着を着ないで手に掛けて帰り、それを何の気なしに下駄箱の上に内側を中に二つ折りして乗せたまま、一晩忘れて置かれてありました。翌朝出勤の時気付き、玄関で靴を履き元気よく行って参りますと上着をバッと背中に廻し開いた処、アッと驚くより唯唖然、一面花咲爺ならぬ布切れ吹雪、よくもよくも表から見えない様に裏地だけをズタズタのバラバラにしたもので、表地は全然被害無しです。仇討ち通り過したこの仕返しは、唯々感動の一言でした。
第五話 『隠遁の術』
雨降りの日曜日午後、近所のわんばく五人と奥の六畳間で座り角力でワアワア騒いでいました。その横すみをサッと走った大ネズミ(身長だけで二〇センチを越す大物)を素早く見つけた子供等が、余りにも大きいのでびっくりして飛上がり、ネズミネズミと大騒ぎになりました。それっと例によってネズミの逃げ込んだ場所を確かめ、一同手に手にデレキやほうき、棒切れを準備し総勢六人で包囲体制完了。愈、追出し作戦、ネズミは室の東側のタンスの間からそろそろと顔を出し、警戒しながら隅を通って西側の床間の四枚の立て掛けてあった障子の陰に逃げ込んだのです。
愈、作戦開始、障子の回りを遠巻きにぐるりと囲み、先ず一枚目を静かに持ち上げてそろりと子供達の中を東側のタンスに移動し、続いて二枚目、三枚目愈、最後の陰に隠れている障子にそっと手を掛け、一気にそれっと持ち上げました。前と同じ様に、子供の構えている包囲陣の中を東側に飛ぶように移して、逃げ場を失ってちぢこまているか、またバッと走り出すものと思って身構えたのに、目に写ったのは畳の黒いヘリだけです。一同唖然、しかしこれで大ネズミ騒動は終わりとなったわけでは有りません。戦いはそれからです。頭のいいのはネズミか人間かいよいよ智恵くらべとなった次第です。
昔からよくいわれる忍者が使う隠遁の術、これを人間の私が思い出したのです。徳川時代の名将真田幸村は、伊賀の忍者の隠遁の術を、常に頭を働かせて見破り、追払うという話しも思い出しました。真田幸村ならぬ名将振りを発揮して考えました。
あの大きなネズミが多くの人間の目の前から消えるわけがない、隠遁の術ならぬ、人間の真理を見抜いて障子の影に集中している目を利用して、人ごみの中を運ばれる障子の何処かにへばりついて移動すればきっと発見されないと考えたネズミの智恵、これ又感服の至りです。
だが其の智恵を見破り感づいた私も自称まんざらでも有りません。と申しますのは、これだけの事をしてもまだ何処からも飛出していないし、逃げ込んだ穴もない。とすれば最後の障子の何処かに秘中の秘、いんとんの術を使ってへばりついて移動した事を見抜いたわけです。子供等に号令を掛け廻れ右、再度重ねた障子を包囲させ、きっと飛出すぞと注意して四枚の障子を一せいにガタガタ四方を叩いた処案の定、我慢出来ずに飛出して来ました。
大勢でなんなく叩きのめした大ネズミは頭の先から尾の先まで約四十センチの大きさでした。私達はこの大物をついに仕留めた次第でめでたしめでたしでした。
世の中には色々大事な事や不思議な事が有りますが余り気に止めないで忘れてしまう。「喉元過ぎれば熱さをわすれる」の諺も有ります。大事な出来事、注意、心得は人から人に伝えて置く事も無意味な事ではないと思います。
特に畜生と卑下しているネズミ、猫、犬、カラス、鶏など動物には人間ではわからない霊感と申しますか、何か貴重な神経が有るとも考えられます。
若し私の様な体験、実話、例えば動物の動作、鳴声で気象の急変(雨、風、嵐)或いは事故の事前の知らせ、火災、水害の発生注意等、想像的なものでなく、自証の出来る体験を持って居られる方は是非当方へご一報下さい。貴重な体験記録として収録させてもらいたいものと思います。よろしくお願いいたします。
私はネズミについては前記の外ねずみのかな縛りも幾度か体験し、その一部ですが立証出来る事を取得しました。その外自然の力、自然の脅威も二、三体験しておりますので折りを見て是非記録に残して置きたいと思っています。

機関誌 郷土をさぐる(第9号)
1991年2月20日印刷  1991年2月25日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会会長 金子全一