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『子ども』のあそびの思い出

上村 重雄 昭和三年四月三日生(六十二才)

春休み中の或る日、小学生の子ども達に、「おじさんの子どもの頃や、昔の人にどんな遊びがあったの?」と聞かれたとき、私達の先輩の開拓当時の子ども達の遊びに、どんなものがあったのかなど、自分達の少年の頃を含めて調べてみようと思い、この稿を書き記した次第です。
開拓時代の子ども達は、今のように玩具、運動用具がなかったので身のまわりにあるものを利用し、工夫して手製のもので遊びました。昔の部落は戸数も少なく、家々が遠く点在していたから精々隣同士、近所同士の家庭を訪ね合って遊んだもので、同じ学校に通っていても、隣部落にまで出かけるという事は余りなかった。この事は熊の出没を用心したり、森林の中で道に迷うことも警戒したのだと思います。
私達の少年の頃、各家庭の子どもの数は、少なくとも三、四人、多いところは七、八人以上も居たので、隣近所だけでもいつも十人以上の子ども達が集まったものです。上級生、下級生が仲良く勉強を教え合ったり、時にはけんかをしたり、結構楽しく、よく学びよく遊んだものです。
北海道は各府県からの移住者で村落を作っていたので、子どもの遊びも極めて多彩なものがあったように思いますが、今になってはすっかり忘れ去ったものが多い中で、記憶に残る幾つかの遊びを紹介することに致します。
― 男の子 ―
○ すもう
室内でするすもうに、座りずもう、足ずもう、腕ずもう、指ずもう等がある。
座りずもうはひざを立ててするすもう、足ずもうは片足を両手で支え片足だけで相手を倒す競技である。

○ 板出し
板の間の一枚に向かい合って立ち、片手で相手を押したり、引いたり、突いたりして板から出た方が敗けである。

○ 片足飛び
互に片足で立ち、腕を組み、勢込めてぶつかって両足を着くか、又は倒れた方が敗けである。

○ パッチ(めんこ)
円形の直径十センチ前後の厚紙を丸くして作ったものを床の上に置き、これを一方が投げつけて風のあおりで相手の札を裏返しそれを貰う(勝)。またすくいといって、自分の札が相手の札の下に入ったのも有効という遊び方もあった。商品として出ているものには武者絵など美しく印刷したものもあり、私達少年の頃、上級生と一緒に楽しく遊んだものである。
雪が溶け始めて屋外で地面が乾きかけると、待ちこがれていたように子ども達はパッチ遊びに夢中になって、春の訪れのよろこびを味わったものである。

○ 天下落とし
ジャンケンで勝った順に右から一列に並び、一番左の者から順にジャンケンをして、勝った方がその位置に代わり最右端を負かすと天下を落とした事になり、今迄天下だった者が最下位から又勝負する方法である。この遊びはジャンケンでなく、グー、チョキ、パーといって相手に同じものを出させた方が勝ちというのやら、また手拭いを両手又は片手に持ってこれを素早く取った方が勝ち、取りそこなった方が負けという方法もあった。
私達の小学生頃は学校の廊下や、野外の陽当たりの良い軒下等で同級生や上級生、下級生の隔てなく楽しく遊んだものである。

○ かくれんぼ・鬼ごっこ
鬼ごっこには助け鬼、手つなぎ鬼、ふやし鬼、猫ねずみに、すわり鬼などがあった。

○ かるた、すごろく
いろはかるた、すごろくなど正月に買ったものや手作り(画用紙などでつくる)のものを一年中大切に使った。

○ 口遊び
この遊びは主として冬に行われた遊びで、こたつ等に入って昔ばなし、なぞなぞ等の遊びである。

○ 子ども将棋
行軍将棋といって小さな駒に大将、中将、大佐、中佐等軍人の階級が書いてあり、相手に見えないように紙の盤に並べて勝負する。間者、地雷とかいうのがあって大将でも負ける定めになっていた。これを紙片に書いて「ドンドコドン」と唱えながら一枚ずつ出し合い勝負を争う方法などもあった。

○ はさみ将棋
紙の碁盤の上で白と色のついた豆を利用し、一つ一つ交互に前後左右に動かして相手の豆をはさむと取れるという遊びである。

○ こま
木ごまは木片を紡錘形に削り先端にいぼをつくり、これにひもをまいて地面に強く投げつけて廻す。ひもを棒の先につけてこのひもでこまを叩いて回転を助けるという廻し方である。これは一人でも遊べるしまた相手と回り続ける時間を競い合うという遊びの方法もあった。大きなこまになるとうなりを発して回るものもあり、なかなか勇壮であった。
― 女の子 ―
○ ままごと
昔も今も遊びつがれたもの。以下略。

○ 手まり
ゴムまりが出廻った大正時代以前は、自作の糸で綿を丸く巻いた手まりなどで遊んだ。
手まり唄があり、
「どうどうは いやどんど どうどうは にやどんど どうどうは みやどんど どうどうは よやどんど どうどうは ごいあがり」
「じいばば十よ じいばば二十 じいばば三十 じいばば四十 おねんじょさあま」
片足を上げてその下をくぐらせながら、数え唄にして全国各地の地名等を入れて唄いながら器用にまりを突いて遊んだものである。

○ お手玉(あや)
布で小袋を作りその中に豆などを入れた物、様々の端切れを利用して美しい図案に作り上げた物もあった。又音を良くするために豆の中に足袋の小はぜや鈴等を混入したものもあった。
あやこ唄には「旅順開城約なりて…」と言うように、学校で習った幾つかの唱歌を歌いながら遊ぶものもあった。

○ おはじき
後年にはガラスに着色した商品化されたものが使われたが、その以前は小石や、貝殻、色の着いた偏平の豆などがよく使われた。遊ぶ方法も子供なりの「ルール」を作って飽きることなく遊んだものである。

○ あやとり
太めの糸を使って片手で色々の形を作るものや、両手にかけて繰り相手と交互に渡し合って。色々の形に変形させて行くという遊びで今も続けられている遊びである。

○ せっせっせ
向い合って座り両手を互いに好く合せながら、歌に合わせて遊ぶ。

○ お人形つくり
布の端切れや色紙などで着物を作って着せ替えをする。又、人形の首を作って顔を描いたり、女としての夢を果しなくひろげたものであった。

○ 縄跳び

○ 石蹴り
冬の遊びには、スケート、スキー、ソリ滑りなど男の子と一緒に、上級生、下級生の隔てなく協力し合って楽しく日の暮れる迄雪にまみれて遊んだものであり、当時の友達が懐かしく思われる。
また、女の子には、プロマイド集めや竹とり遊びなどがあった。
また歌としては
「れーれーれっぽ、かたわの雀
あぶらすけとすけ 十夜の三つでこんー」
などを歌いながら遊んだものである。
おわりに
私達の少年の頃は戦争中であった為遊び道具などもなく、自分達の工夫で工作したもので上級生のリードで団体活動をして、きびしい中にもルールを守って楽しく遊んだものである。
当時の友達、今元気だろうか ― なつかしさひとしおなものがある。

機関誌 郷土をさぐる(第9号)
1991年2月20日印刷  1991年2月25日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会会長 金子全一