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永遠につゞく「東中清流獅子舞い」の伝承

上富良野町社会福祉協議会嘱託
佐藤 正男 大正十五年三月三十一日(六十三歳)

私どもの町老連が、東中睦会との共催で、道老連の行う「老人クラブ社会参加モデルクラブ推進事業」の一つとして、上富良野町の郷土芸能の一つである「東中清流獅子舞い」が「伝承活動」の部でモデル事業として指定を受けたのは、三年前の昭和六十一年九月でした。
この事業の内容を簡単に申し上げますと、吾が町の誇る穀倉地帯であります東中地区の中央を流れる清流ベベルイ川の改修が行われ、昭和五十五年、その工事が完了したのを機に、記念碑の建立が計画され、その碑文が当時の北海道知事でありました堂垣内尚弘氏の揮ごうにより「清流の郷」と命名されたのでありました。
当時、東中睦会の会長でありました中西覚蔵氏を中心に有志が相集りまして、この意義を後世に遺さんものと考え、編みだされたのがこの「東中清流獅子舞い」なのであります。
日夜のたゆみない研究努力と練習が実を結び、翌年の夏頃からは「舞い」も披露できるまでになり、早速地元東中地区の秋祭りを皮切りに、老人大学、老人クラブ等の芸能発表会、翌年からは、町の例大祭への奉納、ラベンダー観光祭りへの協賛出演など、練習、出演と忙しい毎日でありました。
しかし、いかに張り切っていたとはいえ、高齢者の集団でしかなかったのであります。残念ながら病魔に倒れる者あり、亡くなられる者ありで、次第に人数の充足が困難になって参り、昭和五十八年の秋に至り出演中止の止むなきに至ったのであります。
しかし、天は見捨てなかったのです。地元東中中学校の生徒さん達が、この「獅子舞い」をクラブ活動の一つとして取り上げようという気運が生じつつあったのであります。
助けに舟、睦会では早速笛、太鼓、舞い、衣装などそれぞれが分担してその指導に当り、若さと熱意に燃える生徒さんたちは、老人たちの良き指導もあって瞬く間に各行事への協賛出演が出来るようになったのであります。
私どもの老連は、このことを聴くにおよび、この「獅子舞い」の意義を考え、この保存伝承について何らかの手助けをすべきであるという事になり、この間題に参画し種々の溢路打開のため、会議を起し話し合い、指導者の育成、他町村における伝承活動の実態の把握、そして大道具、小道具の補修補強などの方途について取り組んでいったのであります。
そして、折よく道老連が新たに創設した「モデル事業」指定をお願い致し、お力添えを頂くべく、申請に踏み切ったのが実情であります。
幸い受け皿となって頂いております東中中学校の前校長の藤原敏寿氏、並びに現校長の阿部 武氏はじめ、学校関係者のご理解あるご協力は本当に大きなものがあり、毎週水曜日の「ゆとりの時間」の二時間をこの活動に当てて頂き、たゆみない研さんを通じ、郷土芸能の伝承は勿論、世代間交流の実践の場として老人との触れ合いから敬愛の念が育まれて参っております事は、申し述べる迄もございません。
一昨年の旭川市、昨年登別市と二度にわたり、老人クラブ全道大会の「演芸と交流の夕べ」に特別に上演参加させて頂き、生徒さん達も後継者として一層の自信が増したことと思います。張り切って練習に励んでおり、学習にそして種々の行事参加に忙しい毎日を過ごしておるのであります。
この「獅子舞い」の伝承活動が、町、教育委員会、そして国にも認められるに至り、六十二年度「一般コミニユティ助成事業」の対象となり、器具整備費として二〇〇万円の補助金を受けるにいたっております。
本年、策定されました町の総合十ヶ年計画の中でも、今後の伝承育成についての認知を受けるまでに至っております。
私共が常に念じておりましたこの「獅子舞い」の無理のない伝承についても、今年その努力の可斐あって、地区の壮年層も保存会のメンバーに加わり、文字通り「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」の万全の体制が整ったと言えると思います。
こゝまでこの「獅子舞い」が持続してこられたのも、睦会の婦人部の方々の黒子に徹したお力添えは非常に大きく、忘れてならないことは申し上げるまでもございません。
今後、まだ幾多の問題は残っておりますものの、老、壮、若相携えて取り組んで行くならば、世代間のしっかりとした「きずな」とともに、創始者の心の隠ったこの「獅子舞い」は、清流ベベルイ川の流れが東中の地を潤すかぎり続いて行くことを信じて止みません。
※ 平成元年九月八日、九日釧路市において行なわれた、全道老人クラブ大会におい
 て、中西覚蔵氏がこの事例について発表され、伝承事例の実践者として表彰を受ける。

機関紙 郷土をさぐる(第8号)
1990年 1月31日印刷  1990年 2月 6日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一