上富良野歴史年表

昭和32(1957)〜41(1966)年

西暦 元号 月日 出来事
1957年 昭和32年 2月17日 東中スケートリンク(現東中公園)で町内青少年スケート大会を開催。(競技の外スピード・フィギュアスケートの指導も行う。)
1957年 昭和32年 03月--日 上富良野町初のローラー・スケート遊戯場新築落成し、開業する。(現本町3丁目2付近)(昭和33年7月6日不法侵入者のタバコの不始末により、建物360uを全焼し閉鎖する。)
1957年 昭和32年 7月1日 上富良野町連合婦人会創立。初代会長伊多波コト
1957年 昭和32年 7月20日 上富良野町水道建設期成会発足。会長樋口義雄
1957年 昭和32年 7月30日 上富良野町火防用水鉄道横断の認可を受ける。
1957年 昭和32年 8月1日 米国防総省、在日米軍陸上戦闘部隊の撤去を発表(10.19日付米軍道内基地の534人に解雇を通知)
1957年 昭和32年 8月1日 富良野地区保護司会上富良野分区設置される。
1957年 昭和32年 08月--日 北海道婦人団体連絡協議会が結成される。
1957年 昭和32年 9月5日 上富良野町「町章」制定。
1957年 昭和32年 9月27日 上富良野中学校創立10周年記念式典を挙行。
1957年 昭和32年 10月1日 吹上〜上富良野線道々に認定される。
1957年 昭和32年 10月28日 白樺製肉所(と畜場)新築し創業。(新栄町の簡易と畜場を廃止。)
1957年 昭和32年 11月1日 上富良野町上水道利用組合設立、併せて水道工事竣工式及び通水式を挙行。(揚水/配水タンク施設等設置場所現錦町1丁目1-20付近)
1957年 昭和32年 11月1日 江幌部落開拓50年記念式典を挙行。
1957年 昭和32年 12月1日 国鉄富良野線にジーゼルカーの運行始まる
1957年 昭和32年 この年 公民館で新生活運動による、会費制(300円)結婚祝賀会が行われる。
1957年 昭和32年 この年 全国交通事故5,000件をこえ、5,125件となる(死亡419人、負傷3,958人
1957年 昭和32年 この年 町内でアスパラガスの試作始まる。
1958年 昭和33年 4月1日 農業改良相談所が「農業改良普及所」に改称。
1958年 昭和33年 04月--日 上富良野新聞と旬刊「あゆみ」が合併して、週刊「上富週報」を発行する。
1958年 昭和33年 5月12日 町議会事務室を事務局に昇格。
1958年 昭和33年 5月20日 「町報かみふらの」第1号発行される。
1958年 昭和33年 5月20日 「町広報かみふらの」第1号発行。
1958年 昭和33年 5月22日 第28回衆議院議員総選挙。
1958年 昭和33年 5月31日 十勝岳大正火口下に避難小屋(ブロック造)「シュナイダーハウス」新築。(昭37.6.29〜62'火口大噴火により埋没する。)
1958年 昭和33年 05月--日 和田英彦酪農実習のため渡米(昭和35年9月28日帰町)
1958年 昭和33年 05月--日 「獣魂碑」旧新栄町屠畜場横に建立。(後に空知ミ-ト轄H場庭に移設。)
1958年 昭和33年 6月20日 皇太子殿下来道(18日間道内各地を旅行)
1958年 昭和33年 6月20日 富良野農業協同組合創立10周年記念式典を挙行。
1958年 昭和33年 6月30日 東中農業協同組合創立10周年記念式典を挙行。
1958年 昭和33年 08月09-10日 上富良野町で上川管内青年体育大会が開催される(陸上競技ほか各種目で町内青年が優勝する。)
1958年 昭和33年 8月25日 町道上富良野〜旭中富良野線、道々に認定される
1958年 昭和33年 8月25日 上富良野停車場線、道々となる。
1958年 昭和33年 9月6日 上富良野町立国民健康保険直営病院開院。初代院長佐藤良二(昭和41年4月上富良野町立病院に改称。)
1958年 昭和33年 9月15日 江花小学校開校50周年記念誌発刊。
1958年 昭和33年 9月19日 江花小学校開校50周年記念式典を挙行。
1958年 昭和33年 12月1日 自衛隊上富良野駐屯地に第308地区施設隊旭川から移駐。
1958年 昭和33年 12月1日 1万円札が発行される。
1958年 昭和33年 12月22日 札幌〜旭川間にマイクロ回線が完成。59.1.4〜旭川でNHKテレビジョン放送開始される。
1958年 昭和33年 この年 江幌、静修地区に老人の集まり「明治会」を結成。(後に、江幌静修老人クラブに改称。)
1959年 昭和34年 1月11日 上富良野地区労働組合の結成大会が行われる。初代議長森本春雄(11単組-217名で組織。)[国労、北教組、全逓、全電通、伊藤木材、北日本木材、大成木材、全日通、雪印乳業]
1959年 昭和34年 2月9日 十勝岳山麓「勝岳荘」火災によって焼失。
1959年 昭和34年 2月17日 上富良野建設業協会結成。会長遠藤藤吉(上富土建)
1959年 昭和34年 02月--日 上富良野バレー研究会発足。初代会長佐藤満
1959年 昭和34年 3月30日 自衛隊父兄会発足する。会員130名、初代会長毛利勝太郎
1959年 昭和34年 4月1日 上富良野文化服装学院設立開院。(院長北條とみ子)
1959年 昭和34年 4月1日 上富良野農協で「農協だより」創刊。(毎月発行-組合員全戸に配布)
1959年 昭和34年 4月10日 皇太子・正田美智子さん結婚の儀挙行。(テレビ各社、パレードを中継放送。)
1959年 昭和34年 4月23日 第4回北海道知事、道議会議員選挙。
1959年 昭和34年 4月30日 町長・町議会議員選挙。
1959年 昭和34年 04月--日 卯月産婦人科医院開業。院長卯月省三(昭和57.7札幌市へ転出閉院)
1959年 昭和34年 04月--日 文化団体華道池坊菊窓会、茶道宗菊会が開門。(水谷小菊)
1959年 昭和34年 05月07-29日 自衛隊第308地区施設隊により、上富良野中学校グランドの整地工事が行われる。
1959年 昭和34年 5月1日 町長海江田武信再任。
1959年 昭和34年 06月20-29日 上富良野町皇居清掃奉仕団(団長松浦清他青年団員30名)が皇居内草刈り・清掃等の奉仕を行う。
1959年 昭和34年 6月2日 第5回参議院議員通常選挙。
1959年 昭和34年 6月4日 3代助役酒匂佑一就任。(〜38.6.3)
1959年 昭和34年 8月1日 公民館内に上富良野有線放送協会放送施完成。受信施設完了地域より放送開始。常任理事酒匂佑一(教育長)、事務局長平塚武(教育次長)(放送回線により、簡易電話が通話可能となる。)
1959年 昭和34年 10月6日 4代教育長久保茂儀就任。(〜43.9.30)
1959年 昭和34年 10月24日 上富良野駅開駅60周年記念式典を挙行(上富良野中体育館)
1959年 昭和34年 10月--日 旭川法務局上富良野出張所新局舎落成(現宮町1丁目1)(旧庁舎は、「いしずえ荘」として老人憩いの場に利用)
1959年 昭和34年 10月--日 上富良野町青年研修所新築落成。(現大町1丁目1)
1959年 昭和34年 11月2日 上富良野農協ビル新築落成、祝賀会挙行。
1959年 昭和34年 11月4日 東中市街付近に親子連れの熊が出没。映画観帰りの4人が襲われる。(重傷3人軽傷1人)5日昼ころ、東中町有林内で地元ハンターにより、射止められた。(4歳くらいの雌熊で、体重約200s)
1959年 昭和34年 12月5日 上富良野町体育指導委員会設置。
1959年 昭和34年 この年 上富良野農協ビル完成に伴い、新生活運動による会費制(300円)結婚祝賀会が行われる。
1959年 昭和34年 この年 市街地内の国道舗装工事始まる。(9月末竣工)(駅前通り〜旧郵便局前まで延長373m)
1959年 昭和34年 この年 いわゆる「岩戸景気」始まる。(昭和34年下期から35年下期ころまで)
1959年 昭和34年 この年 上富良野町都市計画委員設置。
1960年 昭和35年 3月29日 十勝岳単独登山の芦別市高校生石川宏一が遭難。4月6日上富良野町捜索隊(隊長松浦清ほか3名)により、大砲岩馬の背付近で遺体発見し収容する。
1960年 昭和35年 4月1日 上富良野町巡査部長派出所が「警部派出所」に昇格。
1960年 昭和35年 4月1日 上富良野消防団条例及び上富良野町消防本部設置条例により、機構を改組する。(・本部・消防団・2分団制)
1960年 昭和35年 4月1日 上富良野町父母と先生の会連合会設立。
1960年 昭和35年 04月--日 上富良野町防犯協会設置。(会長町長)
1960年 昭和35年 04月--日 都山流尺八同好会発足。
1960年 昭和35年 04月--日 自衛隊隊友会上富良野支部結成。
1960年 昭和35年 5月20日 商工会の組織等に関する法律公布。〔法〕
1960年 昭和35年 5月22日 自衛隊上富良野駐屯地開庁5周年記念式典を挙行。
1960年 昭和35年 05月--日 上富良野町散水組合設立。市街地内の散水事業を行う初代組合長樋口義雄
1960年 昭和35年 6月19日 上富良野町農協が専務理事制を廃し、村上國二が12年の任期をお終える。
1960年 昭和35年 7月15日 上川ホップ農業協同組合設立。組合長野崎孝資
1960年 昭和35年 8月1日 上富良野ラベンダー組合創立10周年記念式。
1960年 昭和35年 8月21日 東中高松海不、日新地区で熊(3歳メス約200キロ)の逆襲を受け、重傷を負うも他のハンターが射止める。
1960年 昭和35年 8月27日 国風流詩吟吟舞会上富良野支部発会。初代支部長加藤清
1960年 昭和35年 08月--日 郡部無電灯地域が逐次電化される。各地域で点灯式が行われる。[8.20日新地区、11.10里仁地区、12.25清富地区]
1960年 昭和35年 9月9日 東中小学校開校60周年記念式典。
1960年 昭和35年 9月12日 江幌小学校開校50周年記念式典。
1960年 昭和35年 9月26日 「いしずえの松」町保存木に指定する。(旧上富良野村役場庭内の松)
1960年 昭和35年 10月1日 国勢調査実施。北海道の人口503万9,206人。上富良野町人口…1万7,101人、世帯数…3,097帯
1960年 昭和35年 10月7日 上富良野町就学指導委員会設置(教委規則第1号)
1960年 昭和35年 11月4日 上富良野町農協を母体とする農業機械化協会設立する。
1960年 昭和35年 11月10日 富良野地方自衛隊協力会設立。(歴代会長上富良野町長)(美瑛町、上富良野町、中富良野町、富良野市南富良野町、占冠村1市5町村で組織。)
1960年 昭和35年 11月10日 東中土地改良区事務所新築落成。(東中農協仮事務所より移転。)
1960年 昭和35年 11月16日 「十勝岳温泉凌雲閣」(会田久左ヱ門申請)建設計画が厚生省より認可される。
1960年 昭和35年 11月20日 第29回衆議院議員総選挙。
1960年 昭和35年 12月12日 上富良野商工会設立認可。初代会長山本逸太郎(9月6日創立総会開催。会員数210名)
1960年 昭和35年 この年 上富良野町畜産振興会設立。初代会長西武雄
1960年 昭和35年 この年 清富地区簡易水道工事着工(36年に完成)
1960年 昭和35年 この年 農業機械化が急激に進展。(全道の保有台数昭和36トラクター数2,525台、昭和454万618台)
1960年 昭和35年 この年 普通畑面積が減少はじめ、牧草地等が大拡張に向かう。
1961年 昭和36年 1月8日 上富良野町銃剣道連盟設立。(北海道銃剣道連盟富良野支部として創立。)初代会長宇佐見利治[加盟団体…上富良野、美瑛、中富良野、富良野、山部、南富良野、占冠]
1961年 昭和36年 2月28日 陸上自衛隊第7混成団(真駒内)初めての機械化混成団として改編。
1961年 昭和36年 4月1日 上富良野町青少年問題協議会設置。(会長町長)
1961年 昭和36年 4月1日 上富良野町民生児童委員協議会設置。
1961年 昭和36年 4月1日 上富良野町国民健康保険運営協議会設置。
1961年 昭和36年 4月1日 戦後改めて、全町に区制をしく。◎市街地内の行政区…北栄区、中央区、西富区、東区、南区、新日の出区◎郡部…清富、日新、旭野、里仁、江幌、静修、江花、西島津、島津、富原、草分、日の出、西日の出、東中の各区
1961年 昭和36年 4月1日 農協中央会、農協の経営管理改善策の一環として、組合員勘定(組勘)制度を採用。
1961年 昭和36年 4月1日 東中第一集団養鶏組合創立。初代会長床鍋正則
1961年 昭和36年 4月1日 畑作振興計画として、桃・サクランボの栽培を奨励する。(苗木3,800本を新植する。)
1961年 昭和36年 4月1日 東中有明養豚組合創立。組合長太田晋太郎
1961年 昭和36年 4月15日 上富良野町農民協議会(後の農民連盟)結成。(初代会長谷与吉)
1961年 昭和36年 4月23日 上富良野町菊花愛好会が盆栽愛好会及び東中菊花会と合併して、「上富良野町菊花盆栽愛好会」と改称し発足する。
1961年 昭和36年 4月30日 デージー食品工業株式会社上富良野工場が操業開始。(完工式8月27日挙行)
1961年 昭和36年 04月--日 上富良野〜美沢線道々に認定される。
1961年 昭和36年 5月1日 町の農業行政と農協営農指導を協議する「産業連絡協議会」設立。初代会長薮下鉄次郎(産業課長)
1961年 昭和36年 5月23日 天皇・皇后両陛下空路来道、(24日支笏湖畔の国土緑化大会植樹行事に出席。25日札幌市で北海道体育大会に出席。栗山町、苫小牧市を巡幸し、還幸する。)
1961年 昭和36年 6月12日 農業基本法公布〔法〕(農業生産の選択的拡大、生産性の向上、構造改善、流通の合理化など。)
1961年 昭和36年 07月24-26日 全道的に7月豪雨災害が発生。(死者19人、行方不明7人、被害総額194億円)
1961年 昭和36年 7月4日 自衛隊第308地区施設隊十勝岳産業開発道路工事中茶屋から工事に着手。(昭41年完成)
1961年 昭和36年 7月8日 中央老人クラブ発足。(設立当時は「老人親和会」)代会長服部清次郎
1961年 昭和36年 7月14日 十勝岳温泉旅館(代表會田久左ェ門)建設に着手。(昭和38年7月10日凌雲閣開館営業)
1961年 昭和36年 7月15日 役場屋上に「愛の鐘」を設置。鳴鐘式を行う。
1961年 昭和36年 7月16日 神社鳥居奉納期成会(四十一歳前厄、四十二歳厄年会)が上富良野神社に「大鳥居」を奉納する。奉納式を挙行。
1961年 昭和36年 7月24日 集中豪雨により、一昼夜に2億7千万円の被害がでる
1961年 昭和36年 8月24日 本町農家3世帯がブラジル移住のため離町する。(江花十鳥新吉-10名、日の出小形義雄-6名、東中宮崎明善-8名
1961年 昭和36年 8月30日 合同缶詰株式会社上富良野工場設立操業。
1961年 昭和36年 9月1日 里仁小学校「開校五十周年記念誌」発刊。
1961年 昭和36年 9月14日 里仁小学校開校50周年記念式典を挙行。
1961年 昭和36年 9月16日 北海道農民同盟が解散し、北海道農民連盟が発足する。
1961年 昭和36年 9月21日 佐川団体の簡易水道工事完成。
1961年 昭和36年 10月26日 全国一斉に中学校学力調査が行われる。
1961年 昭和36年 10月28日 上富良野消防団創設50周年記念式典を挙行。
1961年 昭和36年 1月20日 上富良野町第一生産組合(草分二区更生)発足。(農家6戸による共同経営)
1961年 昭和36年 この年 上富良野町バスケットボール協会が設立。
1961年 昭和36年 この年 江幌、静修、旭野、日の出、草分各地区の無電灯農家に電気が導入、点灯される。
1961年 昭和36年 この年 道内の交通事故件数が1万件をこえ、1万1,732件となる。(死亡638人負傷9,044人)
1961年 昭和36年 この年 広島産肉牛黒毛和種37頭導入される。
1961年 昭和36年 この年 耕土改良用トラクター新車1台増車(NTK4)となり、インター、コマツと共に3台フル操業する。
1961年 昭和36年 この年 上富良野営農同志会(阿部朝一他7名)結成。
1962年 昭和37年 1月18日 陸上自衛隊に8師団誕生。本道は第2(旭川)第5(帯広)第11(真駒内)の3師団発足。
1962年 昭和37年 1月18日 上富良野駐屯地に第2対戦車隊が新編となる。
1962年 昭和37年 3月6日 上富良野駐屯地第2特科連隊が旭川へ移転。
1962年 昭和37年 3月6日 自衛隊営庭に第2特科連隊「駐屯地移駐記念碑」建立。
1962年 昭和37年 3月13日 上富良野駐屯地に第4特科群が北千歳から移駐。
1962年 昭和37年 3月17日 旭野小学校閉校式(4/1上富良野小学校に統合)(町内初の統合学校となる。)
1962年 昭和37年 4月1日 上富良野町スポーツ振興審議会設置。(条例第6号)
1962年 昭和37年 4月1日 上富良野町公明選挙推進協議会設置。(現明るく正しい選挙)
1962年 昭和37年 4月1日 上富良野町農業共済組合を解散し、農業共済事業を町に移管する。
1962年 昭和37年 05日20-30日 自衛隊上富良野駐屯部隊で援農部隊を編成、上富良野町をはじめ、沿線市町村に田植え等の援農を行う。(延べ2,000人が出役)[・上富良野町…戦車大隊、120大隊、・中富良野町…104大隊、117大隊、・富良野市…104大隊、(山部町)戦車大隊]
1962年 昭和37年 5月2日 上富良野町消防後援会(全町的)設立。初代会長金子全一
1962年 昭和37年 5月18日 消防本部に日赤救急車が配置され、救急業務が行われる
1962年 昭和37年 5月29日 集中豪雨で、江花・江幌地区に局地的被害発生。
1962年 昭和37年 6月11日 前月に続き清富地区でも床上浸水5棟等の被害が発生する。
1962年 昭和37年 6月15日 「憩の楡跡記念碑」草分青年団の手によって建立する。
1962年 昭和37年 6月29日 十勝岳が噴火。噴煙が高さ1万余mに達し、62火口(昭和37年)ができる。(死者4人、行方不明1人、負傷者12人)
1962年 昭和37年 07月27-28日 上川管内連合婦人協議会研修大会を上富良野小体育館で開催する。参加者約2,300人(宿泊自衛隊営内800人、上富良野小500人)
1962年 昭和37年 7月1日 第6回参議院議員通常選挙。
1962年 昭和37年 7月3日 上富良野小学校開校60周年記念式を挙行。
1962年 昭和37年 7月6日 6月29日の十勝岳噴火により、日新ダム建設促進運動がおこる。
1962年 昭和37年 7月15日 上富良野町農協組合設立50周年記念農民大運動会を開催。
1962年 昭和37年 07月--日 十勝岳噴火により、富良野川の酸度が上昇し、水田農家が注目する
1962年 昭和37年 8月1日 上富良野駐屯地に第315武器野整備隊、島松から移駐。
1962年 昭和37年 8月3日 十勝岳温泉株式会社設立。代表者會田久左ェ門
1962年 昭和37年 8月3日 9・10号台風災害発生。(死者29人行方不明8人、負傷46人、被害総額420億円)
1962年 昭和37年 8月4日 自衛隊上富良野駐屯部隊が、台風災害支援のため隊員を派遣(上富良野町、富良野市、占冠村の各市町村へ)
1962年 昭和37年 8月5日 自衛隊駐屯地営庭に伊藤凍魚(俳人)の句碑を建立。(除幕式を挙行)
1962年 昭和37年 8月15日 千歳駐屯の第7混成団、第7師団となる。
1962年 昭和37年 9月20日 前年発足した「第一生産組合」が道内初の農事組合法人となる。(代表理事北村美学)
1962年 昭和37年 9月20日 上富良野町東中地域団体加入電話利用組合設立。(通話開始は、昭和38年2月)
1962年 昭和37年 10月--日 上富良野町防災会議設置。
1962年 昭和37年 10月1日 第四代教育委員長 反怖 伊太郎(〜昭和38.9.30)
1962年 昭和37年 11月1日 災害対策基本法(36.11.15)の制定により、北海道防災会議条例、北海道災害対策本部条例を各公布。
1962年 昭和37年 12月16日 連合青年団と青少年クラブ連絡協議会が合併して、「上富良野町青少年団体協議会」を設立。初代会長浦島与二
1962年 昭和37年 この年 上富良野町バレーボール協会設立。初代会長金子全一
1963年 昭和38年 2月7日 清富ダム対策委員会設置。(7月日新ダム対策委員会と改称する。)
1963年 昭和38年 3月29日 上富良野日赤奉仕団結成。委員長宮野静江(会員820名)上川管内町村で、三番目の結成となる。
1963年 昭和38年 03月--日 富良野地方自衛隊協力会上富良野支部結成。支部長海江田武信(町長)
1963年 昭和38年 4月5日 上富良野町卓球協会設立。初代会長酒匂佑一
1963年 昭和38年 4月17日 第5回北海道知事・道議会議員選挙(当日有権者 9,601人、投票率 83.46%)
1963年 昭和38年 4月30日 町長・町議会議員選挙(当日有権者 9,690人、投票率 93.48%)
1963年 昭和38年 05月23-31日 自衛隊上富良野駐屯部隊で、沿線市町村に援農支援を行う(隊員延べ1,591人が出役)[上富良野町…300人、中富良野町…300人、山部村…210人、良野市…300人、占冠村…136人、美瑛町…345人]
1963年 昭和38年 5月1日 3代町長に村上國二就任。
1963年 昭和38年 5月7日 4代議長に中西覚蔵就任(〜41.12.17)
1963年 昭和38年 6月17日 4代助役に加藤清就任(〜40.6.30)・3代収入役に薮下鉄次郎就任(〜40.6.30)
1963年 昭和38年 6月23日 上富良野町農協が専務理事制を復活、手塚官一が就任する。
1963年 昭和38年 07月21-24日 東中地区でヘリコプターによる空中農薬散布で病害虫防除の試験が行われる。(764ha実施)
1963年 昭和38年 7月8日 上富良野町交通安全推進協議会設置。(会長町長)
1963年 昭和38年 7月8日 交通安全都市宣言、青少年健全育成都市宣言を行う。
1963年 昭和38年 7月12日 十勝岳温泉「凌雲閣」が完成。開業する。社長會田久左ェ門
1963年 昭和38年 7月13日 町内初の「町民プール」完成(上富良野神社境内に)プール開きを行う。
1963年 昭和38年 7月21日 日本では今世紀最後の皆既日食、本道で観測される。
1963年 昭和38年 7月30日 十勝岳道路建設問題で議会紛糾、町長辞職。町議会議員総辞職。
1963年 昭和38年 8月5日 宗教法人専誠寺高田育児園(季節保育所)創設。(39.2.28宗教法人高田幼稚園設置認可。)(54.4.28学校法人専誠寺学園「高田幼稚園」設置認可)
1963年 昭和38年 8月25日 町長・町議会議員選挙(当日有権者 10,231人、投票率 89.71%)
1963年 昭和38年 8月25日 4代町長に海江田武信就任
1963年 昭和38年 9月1日 上富良野町議会議員会結成される。
1963年 昭和38年 9月21日 上富良野中学校に特別教室が完成する。(鉄筋コンクリート造2階建一部鉄骨造)
1963年 昭和38年 9月28日 町議会に「上富良野町総合庁舎建設特別委員会」を設置し、総合庁舎建設計画の推進に関する事項調査を行う。委員長佐藤敬太郎委員6名。(〜42.7.15)
1963年 昭和38年 10月1日 五代教育委員長 金子全一(〜昭和42.9.30)
1963年 昭和38年 11月10日 東中青年団創立五十周年記念誌「五十年の歩み」発刊。
1963年 昭和38年 11月18日 道営圃場整備事業島津・富原連合期成会組織される。初代期成会長石川清一(受益戸数447戸650ha)
1963年 昭和38年 11月23日 東中土地改良区創立10周年記念式を挙行する。
1963年 昭和38年 11月23日 自衛隊隊員クラブ(防衛庁共済組合上富良野娯楽センター)が落成する。(現南町2丁目1)(旧富良野電信電話中継所を改装。)
1963年 昭和38年 11月25日 上富良野町婦人防火クラブ結成。初代会長宮野静江
1963年 昭和38年 11月28日 上富良野消防本部に初めて消防無線機が購入配置される。
1963年 昭和38年 12月30日 日の出水道組合設立。(組合長岡久松太郎)
1963年 昭和38年 この年 町内医療機関に従事する医師・歯科医師・薬剤師による「上富良野三師会」が結成される。初代会長高畠正男
1964年 昭和39年 1月17日 市街草分会が発会。名誉会長田中勝次郎会長一色正三
1964年 昭和39年 2月28日 文化団体日本棋院上富良野支部結成。初代会長本間庄吉(昭和45.8.31上富良野町囲碁愛好会に改称。)
1964年 昭和39年 3月17日 上富良野町指定金融機関及び収納代理金融機関を指定するための、町内金融機関と町との覚書締結。指定は昭和39年6月1日。
1964年 昭和39年 3月24日 自衛隊上富良野駐屯地第315武器野整備隊改編により、第304武器野整備隊・第305装輪車整備隊に改編。(第305隊は、41.7.31旭川へ移駐。)
1964年 昭和39年 3月31日 江幌中学校が閉校。(4/1上富良野中学校に統合)
1964年 昭和39年 4月1日 富良野地区土地改良区連合会設立。
1964年 昭和39年 4月1日 上富良野町消防「纏会」が結成される。初代会長高畠正男(会員45名)
1964年 昭和39年 4月1日 全国小中学校児童生徒の教科書、無償支給が実施される。
1964年 昭和39年 4月16日 空知郡中富良野村を町とする。〔告示〕5.1施行。
1964年 昭和39年 04月--日 文化団体「筝曲まさひろ会」が創立。代表松本紘子
1964年 昭和39年 5月17日 上富良野ライオンズクラブ結成(ライオンズクラブ国際協会331ーB地区第2リジョン第2ゾーン)初代会長酒匂佑一、チャターメンバー17名で発足。
1964年 昭和39年 5月20日 千葉整骨院開業。(旧山崎歯科医院跡に)院長千葉陽一
1964年 昭和39年 5月21日 深山峠(西5線北31号)に展望台が完成し、開園式を挙行する
1964年 昭和39年 6月1日 北海道拓殖銀行上富良野支店が「上富良野町指定金融機関」となる。(〜47.3.31)[収納代理金融機関:上富良野町農業協同組合、東中農業協同組合、富良野信用金庫上富良野支店]
1964年 昭和39年 7月28日 株式会社上富良野町振興公社設置(代表取締役町長)
1964年 昭和39年 7月31日 東中「専妙寺」(住職長尾乗教)病弱により、閉寺する。(大正6年春東9線北19号に布教所建設)
1964年 昭和39年 09月03-12日 自衛隊第308地区施設隊により、東中小学校校庭拡張工事施工される。
1964年 昭和39年 9月18日 公民館旭野分館(旧旭野小学校)落成式を挙行する。
1964年 昭和39年 9月19日 江花部落開拓60周年記念式典を挙行。
1964年 昭和39年 9月19日 江花部落開拓六十周年記念誌発刊。
1964年 昭和39年 9月20日 江花開拓60周年記念「開拓碑」を建立。
1964年 昭和39年 9月30日 上富良野文化服装学院校舎新築落成。(院長野口トミ子)
1964年 昭和39年 09月--日 株式会社十勝岳観光開発公社設立。
1964年 昭和39年 10月10-24日 第18回オリンピック東京大会開催。(参加94か国、選手総数5,541人。日本、女子バレーなど16種目に優勝。)
1964年 昭和39年 10月1日 上富良野町財政調整基金設置。(条例第35号)
1964年 昭和39年 10月--日 文化団体華道草月流研修会(村上和草社中)が開門。
1964年 昭和39年 11月2日 空知郡山部村を町とする。〔告示〕40.1.1施行。
1964年 昭和39年 11月5日 政府、本道に天災融資法、激じん災害法の適用を内定。
1964年 昭和39年 11月--日 江幌地区に電気改良補助事業が実施される。(農家46戸ほか)
1964年 昭和39年 12月1日 上富良野町立保育所が開所。(後に中央保育所となる。)
1964年 昭和39年 12月1日 宗教法人聞信寺に私立臨時保育所が開設される。
1964年 昭和39年 12月15日 上富良野魚菜市場が閉鎖となる。
1964年 昭和39年 この年 NHK札幌放送局管内でカラーテレビの放送が始まる。
1964年 昭和39年 この年 全道的に冷害凶作の被害が出る。(被害総額約570億円)
1964年 昭和39年 この年 稲の改良品種「ユーカラ」が急速に伸び、全作付けの21.7%、4万haの作付け面積を示す。
1964年 昭和39年 この年 本年の道内企業の倒産が258件に及び、戦後最高記録となる。
1964年 昭和39年 この年 東中地区で初めて、「青しそ」を試作する。(耕作者6戸で、5.5sの搾油を生産する。)
1965年 昭和40年 2月7日 第1回上富良野町雪まつりを開く。(会場自衛隊上富良野駐屯地営庭)
1965年 昭和40年 2月24日 田中勝次郎元町長上富良野町名誉町民となる。
1965年 昭和40年 2月28日 宗教法人聞信寺「上富良野ふたば幼稚園」設置認可園長門上美義(昭和40年4月8日開園する。)
1965年 昭和40年 3月4日 上富良野スキー連盟設立。初代会長金子全一
1965年 昭和40年 03月--日 文化団体華道池坊春月会が開門。代表(教授)三島笑子
1965年 昭和40年 4月18日 中富良野町で町議会リコール投票成立。
1965年 昭和40年 04月--日 上富良野建設業協会再編設立初代会長小山国二(町内建設・建築業者10社で組織)
1965年 昭和40年 5月6日 北海道公明選挙運動推進協議会を、「北海道明るい選挙推進協議会」に改称。
1965年 昭和40年 5月6日 町主導の上富良野町観光協会が発展的に解散し、民間団体及び賛同する個人による「かみふらの十勝岳観光協会」が新発足する。
1965年 昭和40年 07月10-11日 上富良野名誉町民元町長田中勝次郎の葬儀を町葬をもって執行。(専誠寺にて)
1965年 昭和40年 7月1日 5代助役藤原利雄就任。(〜46.6.21)
1965年 昭和40年 7月1日 指定金融機関(取扱銀行拓銀上富良野支店)により公金取扱を行い、収入役は町長兼掌となる。(出納室に出納室長を置く。)
1965年 昭和40年 7月4日 第7回参議院議員通常選挙。
1965年 昭和40年 7月4日 旭川電気軌道バスが、新設道路を十勝岳温泉凌雲閣前まで運行を開始する。
1965年 昭和40年 7月8日 上富良野名誉町民元町長田中勝次郎逝去。
1965年 昭和40年 7月25日 自衛隊上富良野駐屯地開庁10周年記念式典を挙行。営庭に「創立十周年記念碑」建立。
1965年 昭和40年 8月1日 上富良野町農業学園(普通科課程)が開園。入学式を挙行。
1965年 昭和40年 10月1日 国勢調査実施。・国の総人口…9,827万4,961人、・本道の人口…517万1,800人、・上富良野町…人口1万6,204人、世帯数3,419戸
1965年 昭和40年 10月6日 上富良野町文化連盟(加盟34団体)結成初代会長和田松ェ門(昭和39年11月結成の文化団体協議会を改組。)
1965年 昭和40年 10月8日 町営国民宿舎「カミホロ荘」営業を始める。支配人加藤清
1965年 昭和40年 10月16日 国立大雪青年の家、美瑛町十勝岳山麓(白金地区)に設置される。
1965年 昭和40年 12月6日 上富良野新聞創設、創刊号を発行。(初代社長和田松エ門主幹宮野孫三郎)
1965年 昭和40年 12月24日 上富良野高等学校校舎新築落成。(上富良野中学校[併置]より新校舎に移転。)
1966年 昭和41年 1月21日 日新ダム補償協定調印式を行う。
1966年 昭和41年 3月19日 町議会議員定数条例改正案可決。(議員定数26人から「20人」になる。)
1966年 昭和41年 3月31日 日新中学校閉校。(4/1上富良野中学校に統合)
1966年 昭和41年 4月1日 上富良野町国民健康保険財政調整基金を設置。(条例第6号)
1966年 昭和41年 4月10日 上富良野高等学校の学部が、昼間季節制/夜間定時制の2学級編成となる。
1966年 昭和41年 4月11日 空知郡富良野町山部町を廃し、その区域をもって、富良野市とする。〔告示〕5/1施行。
1966年 昭和41年 4月15日 文化団体「七宝焼こまくさ会」が結成される。初代会長飛澤尚武
1966年 昭和41年 4月27日 道営圃場整備事業富原地区期成会が発足。期成会長清水一郎
1966年 昭和41年 5月1日 消防本部の組織を、総務、予防、警防に改編。
1966年 昭和41年 6月14日 町役場庁舎新築起工式を行う。
1966年 昭和41年 6月20日 和田松エ門、北川三郎国際酪農会議に出席のため渡欧、ヨーロッパ各国を視察する。
1966年 昭和41年 6月25日 国民の祝日法改正公布〔法〕・9/15…敬老の日、・10/10…体育の日、・2/11…建国の日(41.12.9公布)〔政令〕
1966年 昭和41年 6月30日 旭川空港(第3種)供用開始される。
1966年 昭和41年 7月7日 石川清一(農協組合長)中近東及び欧州各国を視察する。
1966年 昭和41年 7月17日 上富良野町農業委員会委員選挙。
1966年 昭和41年 7月22日 町議会に「事務共同化調査特別委員会」を設置しじん介・し尿処理、学校給食、公営病院の経営等について調査を行う。委員長林財二委員6名(〜42.3.1)
1966年 昭和41年 08月17-21日 道南、道東、道北地方に豪雨災害。(死亡者15人負傷19人家屋流失・田畑冠水等被害総額170億円)
1966年 昭和41年 8月3日 旭川地裁、税金を不法に軽減したとして、森善治中富良野町長を背任罪で起訴。(サラリーマン減税事件)
1966年 昭和41年 8月20日 町内集中豪雨の被害発生(農作物、道路、河川橋梁等)被害額約6億円に達する。
1966年 昭和41年 8月23日 中富良野町本幸辻純一所有地で遺跡が発見される。
1966年 昭和41年 8月26日 日新ダム工事の起工式を行う。
1966年 昭和41年 9月1日 自衛隊第308地区施設隊が、統合予定学校(現上富良野西小学校)敷地整地工事着工(同11/12完了)
1966年 昭和41年 9月1日 上富良野町「郷土誌」町教育研究会編発刊。
1966年 昭和41年 9月5日 東京都の男性2名が上ホロカメットク山から十勝岳本峰へ登山中遭難、翌日1名が遺体で発見される。
1966年 昭和41年 9月30日 道民投票で「北海道の木」にえぞまつを選定。
1966年 昭和41年 09月--日 道営富原地区圃場整備事業着工(区画整理15.9ha潅漑排水939m)
1966年 昭和41年 10月3日 町長海江田武信欧米11カ国を視察する。
1966年 昭和41年 10月16日 上川町/上富良野町老童野球倶楽部第1回交歓試合を行う(上川町に於いて、以降交互に両町で開催。)
1966年 昭和41年 10月31日 北海道百年のテーマスローガンを「風雪百年輝く未来」と決定。
1966年 昭和41年 11月4日 清富小学校前の農業センター付近より、土器と石器発見。
1966年 昭和41年 11月--日 上富良野町商工会青年部創立。初代会長堀内慎一郎
1966年 昭和41年 11月--日 園田歯科医院新築開業。院長園田守正
1966年 昭和41年 12月16日 上富良野町体育協会設立。初代会長一色正三
1966年 昭和41年 この年 全国の交通事故による死亡者1万3,904人で、史上最高を記録。(「交通戦争」の新語うまれる。)
1966年 昭和41年 この年 深山峠「さくら園」に展望台できる。
1966年 昭和41年 この年 上富良野町農協広域化促進協議会(会長海江田武信-上富良野町長)が発足し、農協合併を検討する。