上富良野歴史年表

昭和12(1937)〜21(1946)年

西暦 元号 月日 出来事
1937年 昭和12年 4月5日 防空法公布〔法〕
1937年 昭和12年 6月6日 島津農場解放記念「農為國本彰徳碑」建立落成除幕式挙行(上富良野小学校運動場で祝賀会開催。)
1937年 昭和12年 6月9日 国際オリンピック委員会、第5回冬季オリンピック大会を札幌で開催に決定。(昭13.3カイロ総会で正式決定。7月政府は大会の中止を決定する。)
1937年 昭和12年 7月7日 蘆溝橋で日中両軍衝突(日中戦争の始まり。)
1937年 昭和12年 8月3日 上富良野産業組合、東中産業組合の合併契約が成立。
1937年 昭和12年 8月14日 道庁、準則を示し、全道もれなく銃後後援会を置することを、各支庁長・各市町村に指示〔例規〕
1937年 昭和12年 08月--日 南京政府外交部、北海道・樺太居住の中国人(7月現在約400人)に引上げを命令
1937年 昭和12年 09月--日 千歳に海軍航空隊基地の設立を決定。飛行場の建設に着手。
1937年 昭和12年 10月3日 道庁、国民精神総動員実施要綱を達する。
1937年 昭和12年 10月28日 上富良野共立信用販売購買利用組合設立。(発足昭和13年1月1日)組合長吉田貞次郎
1937年 昭和12年 10月--日 「西谷翁頌徳碑」(西谷元右ヱ門)建立。(東中神社境内)(昭和13.9.5除幕式挙行する。)
1937年 昭和12年 12月1日 東中郵便局集配業務を開始する。
1937年 昭和12年 12月8日 公設東中消防組創立。
1937年 昭和12年 この年 山本木工場(製材工場)創立。社長山本逸太郎
1938年 昭和13年 2月26日 釧路放送局開局。
1938年 昭和13年 04月--日 自作農創設事業開始。
1938年 昭和13年 04月--日 保健所法に基づき、旭川市に保健所を開設。(昭14年小樽、帯広昭15年室蘭に各保健所を開設。)
1938年 昭和13年 8月15日 道庁、開道70周年記念式典を札幌市外円山公園において挙行。
1938年 昭和13年 8月15日 北海道庁編「開道七十年記念誌」発刊。
1938年 昭和13年 9月19日 商工省、石炭配給統制規則を公布。〔省令〕
1938年 昭和13年 10月2日 道民の寄付による飛行機「第2道民号」「第3道民号」「北千島水産号」の3機献納、命名式を札幌飛行場で挙行
1938年 昭和13年 12月--日 昭和14年度版北海道庁管内土功組合聨合会編「北海道土功組合誌」発刊。
1938年 昭和13年 この年 六町内大通り(現中町2丁目4-7)に岡和田歯科医院開業。
1939年 昭和14年 1月30日 真宗大谷派大24世法主「大谷智子裏方」来村。冬の十勝岳山頂へ登頂する。
1939年 昭和14年 2月3日 警察部に警防課を新設〔通牒〕(防空及び警防団関係事務を所管。)
1939年 昭和14年 4月1日 警防団令施行細則公布〔庁令〕(消防組と防護団を統合して警防団として新発足。)
1939年 昭和14年 4月1日 上富良野消防組を廃し、警防団となる。
1939年 昭和14年 4月7日 全道、樺太が一斉に「愛馬の日」を実施。
1939年 昭和14年 4月12日 米穀配給統制法公布〔法〕(米穀商の許可制米穀取引所の統一など。)
1939年 昭和14年 5月13日 道庁、青年学校の義務課程に関する件を示達〔例規〕
1939年 昭和14年 5月21日 上富良野商業組合創立。理事長金子全一
1939年 昭和14年 06月--日 第7師団、ノモンハン事件に参加(〜8月)
1939年 昭和14年 7月15日 五代収入役新井與市郎就任。(〜30/6/3)
1939年 昭和14年 7月27日 青年勤労総動員共励要項に関する件示達〔例規〕(青年勤労総動員を実施)
1939年 昭和14年 8月1日 道庁土木部、築港・治水・土木各事務所を土木現業所と改称。〔告示〕
1939年 昭和14年 9月1日 第1回興亜奉公日を実施(国民精神総動員運動の一環、料理店での飲酒の禁止など。)
1939年 昭和14年 9月2日 道庁、体力章検定実施に関する件を示達〔例規〕(以後、毎年実施)
1940年 昭和15年 1月20日 源照庵(上富良野墓地寺)創立。
1940年 昭和15年 2月22日 道庁、米穀配給調整の指示をだし、府県に先がけ配給体制をとる。〔通牒〕
1940年 昭和15年 2月27日 山部村を分割し、東山村をおく〔告示〕4/1施行
1940年 昭和15年 3月26日 北海道女子師範学校(札幌)の設置認可。4月開校。
1940年 昭和15年 3月29日 歌志内村・美瑛村をそれぞれ町とする〔告示〕4/1施行
1940年 昭和15年 4月2日 上富良野(創成)尋常小学校開校40周年記念式典を挙行。
1940年 昭和15年 4月8日 国民体力法公布〔法〕9/26施行(17〜19歳の男子の身体検査を義務化)
1940年 昭和15年 5月20日 北海道聯合青年団、北海道青年団に改組。
1940年 昭和15年 05月--日 五代助役本間庄吉就任。(〜22/3/-)
1940年 昭和15年 7月15日 札幌で米の配給切符制を実施。
1940年 昭和15年 8月10日 第12期道会議員選挙(定数65名、有権者543,466人)(本期議員選挙延期のため、昭22/4/29まで在職)
1940年 昭和15年 8月10日 灯火管制規則施行細則公布〔庁令〕
1940年 昭和15年 8月12日 北海道産業組合青年総聯盟、産青聯の解散と農村壮年聯盟の設立を決議。
1940年 昭和15年 09月--日 東中警防団解散(上富良野警防団に吸収合併。)
1940年 昭和15年 11月10日 全国各地で、紀元2600年記念式典を挙行。
1940年 昭和15年 11月--日 家畜市場(現島津公園付近)に馬魂碑を建立する。(昭和46年富原肥育センター内に移設する。)
1940年 昭和15年 この年 東中養蜂組合を設立する。組合長床鍋正則
1940年 昭和15年 この年 村内に牛馬商組合員に加入する商人39人に及ぶ。
1941年 昭和16年 1月10日 大政翼賛会北海道支部結成式を道会議事堂で挙行(道支部事務局を道庁内に設置。)
1941年 昭和16年 1月10日 上富良野青壮年連盟を設立。
1941年 昭和16年 1月18日 大政翼賛会道支部、各支庁支部長及び市町村支部長に対して、大政翼賛会支部規程を示す。
1941年 昭和16年 2月1日 北海道青少年団結成。(従来の青年団、女子青年団、少年団を統合。)3月にかけて支庁、市の地方団、及び全道単位団の組織結成を完了する。
1941年 昭和16年 02月--日 大政翼賛会上富良野支部発足する。支部長金子浩(村長)
1941年 昭和16年 3月1日 国民学校令公布〔勅〕(4.1小学校を国民学校と改称。)
1941年 昭和16年 3月26日 町内会・部落会森林防火部規則公布〔庁令〕、森林防火組合を森林防火部と改組。町内会・部落会に設置。
1941年 昭和16年 03月--日 産業組合青年聯盟・農村壮年聯盟の系統をつぎ農業報國挺身隊結成。(本部長安孫子孝次、常務理事東隆)
1941年 昭和16年 4月1日 村内各尋常小学校を国民学校(初等科、高等科)に改称。
1941年 昭和16年 4月1日 富良野中学校(旧制)が開校する。
1941年 昭和16年 4月30日 上富良野産業組合(現上富良野町農協)の味噌正油醸造工場新築落成。(現栄町1丁目3)
1941年 昭和16年 04月--日 東中警防団を合併し、上富良野警防団となる。
1941年 昭和16年 04月--日 東中尋常高等小学校開校40周年記念式を挙行。
1941年 昭和16年 7月15日 上富良野農業報國挺身隊を結成。
1941年 昭和16年 11月5日 永楽座館を増改築し、上富良野劇場落成開業。支配人桐山英一(昭和38年閉館)
1941年 昭和16年 12月8日 米英両国に宣戦の詔書を発布〔詔〕(米英、対日宣戦布告。12/9国民政府、対日・独伊宣戦布告。12/11独・伊、対米宣戦布告。)第2次世界大戦勃発。
1941年 昭和16年 12月12日 閣議、戦争の名称を、支那<日華>事変を含めて、この年・米穀配給通帳制を実施。大東亜戦争とすることを決定。
1941年 昭和16年 12月--日 大東亜戦争に突入し、村役場事務も戦時態勢となる。
1941年 昭和16年 この年 天理教会の教規改正により、各分教会に改称。(上富、上富良野、北鎭、旭江、甲富各分教会)
1942年 昭和17年 1月18日 北海道翼賛壮年団結団式を行う。(団長柏岡清勝)
1942年 昭和17年 01月--日 中小菓子業者が現物出資し、上富良野菓子有限会社を設立。(5月許可指令を受く。)
1942年 昭和17年 01月--日 村内国民学校(小学校)に、それぞれ青年学校を設置。(江花、旭野、里仁、日新、清富の各小学校に併置)
1942年 昭和17年 2月1日 衣料購入に点数切符制を実施。
1942年 昭和17年 2月2日 愛国・国防婦人会等を統合、大日本婦人会を創立。
1942年 昭和17年 3月31日 青壮年連盟解散。上富良野翼賛壮年団結成。出張所に改称。
1942年 昭和17年 4月14日 渋江医院開業する。(中堀医院を引き継ぐ。)院長渋江北海
1942年 昭和17年 4月30日 第21回衆議院議員総選挙で、前上富良野村長吉田貞次郎衆議院議員に当選。
1942年 昭和17年 5月8日 大日本婦人会北海道支部結成式を挙行。
1942年 昭和17年 7月4日 大日本婦人会上富良野支部創立。支部長金子シナ(村長夫人)
1942年 昭和17年 8月26日 十勝岳山頂に「光顔巍々」石碑建立し、除幕式(建碑式)を行う。
1942年 昭和17年 9月1日 中央食糧営団設立(食糧管理法に基づき、日本米穀(株)など5団体を吸収。)
1942年 昭和17年 09月--日 上富良野村農産物出荷協力隊が発足する。
1942年 昭和17年 10月1日 上富良野村国民健康保険組合を創立。
1942年 昭和17年 10月11日 国鉄が時刻表に24時間制を実施。
1942年 昭和17年 12月21日 食管法の改正により、北海道食糧検査所上富良野
1942年 昭和17年 この年 北海道農材公業鰹纒x良野土管工場が、操業に入る。(現栄町1丁目5)*食糧増産の国策により、日の出地区(西1線北28号付近)の粘土を原料に素焼き土管を製造。(昭和24年6月10日8町内大火災により焼失)
1943年 昭和18年 2月10日 上富良野森林組合設立総会。組合長金子浩(村長)
1943年 昭和18年 3月20日 町村制の改正により、北海道一級町村制および二級町村制の各勅令廃止。〔法〕6.1施行
1943年 昭和18年 5月9日 幌別村付近の牧場に、潜水艦による砲撃を受ける
1943年 昭和18年 6月15日 各小学校に併置の青年学校を、上富良野青年学校に統合。(島津農場倉庫を改修、事務所・訓練施設とする。)(現富町1丁目3-25付近)
1943年 昭和18年 6月24日 北日本木工製作株式会社創立。初代社長大賀光蔵(主にフローリング材の製造販売)従業員20名(現中町1丁目2)*昭31.4.1社名を北日本木材工業鰍ノ改称。
1943年 昭和18年 7月15日 函館市、室蘭市に官設の消防署(特設消防署)を設置する。
1943年 昭和18年 7月15日 農耕馬にまで及ぶ軍用馬の大徴発が行われる。
1943年 昭和18年 8月13日 東中部落に有線放送施設が完成。放送を開始する。(第7部落)
1943年 昭和18年 09月--日 軍用飛行機「上富良野号」1機を献納。(献納寄付総額13万1,548円76錢)
1943年 昭和18年 この年 富原神社が創祀(富原二北)
1943年 昭和18年 この年 村内に戦時中の農家人手不足を補うためと、食糧増産の担い手として、学徒勤労動員派遣が行われた。*5.8〜6.12岐阜県可児実業校(45名)江幌、静修、草分地区、*岐阜県郡上農林校(46名)市街地近郷農家、*6.7〜8.12山口県小郡農業校(105名)東中を除く村内全域、*6.6〜8.13山口県宇部農業校(41名)東中地区、*昭和17年6月〜終戦まで旭川師範学校村内各地に、*8.10〜10.9福岡県八女農学校(51名)
1943年 昭和18年 この年 上富良野開基50年記念発刊予定の「上富良野村史」原稿がまとまる。(執筆者役場書記熊谷一郎-未発刊-)(上富良野町郷土館に所蔵)
1944年 昭和19年 3月7日 閣議で、学徒勤労動員を通年実施と決定。
1944年 昭和19年 3月20日 札幌、小樽2市に官設の消防署(特設消防署)を設置〔告示〕
1944年 昭和19年 4月4日 閣議で、国内13道府県に非常警備隊設置を決定。
1944年 昭和19年 6月3日 連合軍捕虜約600人を、三井芦別鉱業所に収容坑外労働に使役。
1944年 昭和19年 7月18日 東條内閣が総辞職する。
1944年 昭和19年 07月--日 岩見沢に放送局が設置される。
1944年 昭和19年 8月4日 閣議で、国民総武装を決定。(竹槍訓練など始まる。)
1944年 昭和19年 10月1日 日本通運富良野支店上富良野営業所を開設する。
1944年 昭和19年 10月18日 兵役法施行規則改正公布〔陸軍省令〕(17歳以上を兵役に編入。)11/1施行。
1944年 昭和19年 11月1日 タバコが隣組の配給となる。(男子1日6本)
1944年 昭和19年 11月24日 マリアナ基地のB29爆撃機約70機、東京を初爆撃。
1944年 昭和19年 12月7日 東海地方に大地震・津波発生、死者998人、家屋等全壊2万6,130戸。
1944年 昭和19年 この年 東中診療所が設置される。(昭和23年11月3日道立東中診療所となり、昭和30年頃閉鎖。)担当医岩切医師。
1944年 昭和19年 この年 村内農家に、昨年に引き続き学徒勤労者の受入れが行われる。*5.20〜8.25長野県立北安曇農学校(83名)村内各地域*6.15〜10.31札幌商業学校(約300名)村内各地域*8.12〜11.15茨城県立大子農林学校(96名)村内各地域
1944年 昭和19年 この年 中富良野標準農村の指定を受ける。
1945年 昭和20年 3月9日 B29、東京を大空襲(〜3.10、23万戸焼失、死傷者12万人)この頃より国内の空襲、激化。
1945年 昭和20年 4月1日 米軍、沖縄本島に上陸。6.23守備軍全滅。(戦死9万人。一般人死者10万人。)
1945年 昭和20年 5月11日 北海道国民義勇隊組織要項を公布(5.27同隊本部結成式を札幌神社で挙行。)
1945年 昭和20年 6月23日 農会、産業組合を統合し、上富良野農会設立。会長田中勝次郎
1945年 昭和20年 6月25日 B29爆撃機1機、初めて本道に飛来浸入し、偵察を行う。(以後、連日のように浸入偵察。)
1945年 昭和20年 06月--日 上富良野村国民義勇隊が組織される。
1945年 昭和20年 7月11日 主食の配給量1割削減され、基準量は米2合1勺(約315g)
1945年 昭和20年 7月14日 各地に米軍機、機動部隊による空襲、艦砲射撃が加えられる。(〜15日、室蘭、釧路、根室、函館帯広などで、死者853人、家屋被害4,274戸。青函連絡船12隻のうち、8隻沈没、4隻損傷し全滅。)
1945年 昭和20年 7月15日 富良野上空に米軍機が飛来し、空襲を受ける。
1945年 昭和20年 7月15日 米軍艦上戦闘機富良野地方に襲来、富良野町に銃撃を加えたが、本村における人的、物的、被害損害は無し。
1945年 昭和20年 7月28日 青年学校並びに国民学校報國団設置要領制定〔通牒〕
1945年 昭和20年 8月6日 B29、広島に原子爆弾投下。(死者約20万人)
1945年 昭和20年 8月8日 ソ連、対日宣戦布告。北満、朝鮮、樺太に侵攻。
1945年 昭和20年 8月9日 B29、長崎に原子爆弾投下(死者約12万2,000人)
1945年 昭和20年 8月13日 樺太からの疎開第一船が出発(8.23ソ連が島外移動を禁止するまで、推定8万7,640人が脱出。)
1945年 昭和20年 8月15日 正午、戦争終結の詔書を放送。日本の降伏により第2次世界大戦終わる。
1945年 昭和20年 8月15日 上富良野国民学校(現上富良野小学校)に住民が集まり、終戦の詔書をラジオ放送で聞く。
1945年 昭和20年 8月15日 大東亜戦争の敗戦により、施政全般にわたって、改革の一歩を踏み出す。
1945年 昭和20年 8月28日 連合軍先遣部隊、厚木飛行場に到着。(以後、各地に進駐。)
1945年 昭和20年 8月28日 樺太の日本軍の武装解除完了。
1945年 昭和20年 9月2日 降伏文書に調印。(東京湾、米艦ミズーリ号上にて全権大使重光葵、梅津美治郎)
1945年 昭和20年 10月5日 北海道進駐軍最高司令官ライダー少将(第9軍団司令官)と第77師団長ブルース少将の指揮下に、米兵8,000人が小樽に上陸(札幌その他に進駐、第9軍団司令部を札幌逓信局に、第77師団司令部を拓殖銀行本店新館に設置。
1945年 昭和20年 10月6日 国民勤労動員署は、勤労署と改称し、職業紹介を行う。
1945年 昭和20年 10月30日 道内の兵力2万1,630人、全道で235カ所を接収。
1945年 昭和20年 10月--日 噴煙短歌会が発足。主幹和田耕人(松ヱ門)
1945年 昭和20年 11月14日 中富良野、上富良野、美瑛各駅に、2,000人余の買い出し人が下車し、農業倉庫・澱粉工場等に押しかけ、勝手に金を払って、澱粉等を持ち帰る。
1945年 昭和20年 12月11日 農村建設同志会(上富良野農民同盟の前身)設立。
1945年 昭和20年 この年 桜庭医院開業。
1945年 昭和20年 この年 森林愛護組合設立。組合長田中勝次郎(村長)
1945年 昭和20年 この年 上富良野衛生組合設立する。
1945年 昭和20年 この年 全道的な冷害凶作の年となる。(収穫高101万石…米に換算して約15,000トン)反収0.691石…〃約103.65s
1945年 昭和20年 この年 村内農家に昨年に引き続き、学徒勤労動員が行われる。*5.20〜11.16函館商業学校(65名)東中、島津地区、*6.12〜10月上旬小樽双葉女学校(120名)東中地区、*8.1〜9.25小樽市立女子商業学校(45名)東中地区、*5.10〜5.14旭川中学校(13名)(入地場所は不明)
1945年 昭和20年 この年 北海道食糧検査事務所旭川支所上富良野出張所に改称。
1946年 昭和21年 01月--日 上富良野自由懇話会が設立される。
1946年 昭和21年 2月5日 旭川に18カ町村53人の農民代表を集め、北海道農民組合連盟を結成(五十嵐久弥委員長)、1946/8月10日日本農民組合北海道連合会となる。
1946年 昭和21年 2月10日 政府買上げ米の累計、10万7,366石で割当量の10%に留まる。(全国平均46%)
1946年 昭和21年 2月20日 ソ連、樺太・千島の領有を最高幹部会令で確認。(1945/9/20に遡及)
1946年 昭和21年 2月25日 新円と旧円紙幣の交換が始まる。(証紙貼付の紙幣が流通し、3月3日以降の使用禁止となる。)*聖徳太子像の新百円札が発行される。
1946年 昭和21年 3月3日 道庁、北海道開拓者集団入植施設計画を定め、緊急開拓事業を進める。
1946年 昭和21年 3月24日 米国からの救援米7,750トンを積んだ船小樽港に入港。(戦後道内における外米輸入の最初)
1946年 昭和21年 3月31日 「教育基本法」「学校教育法」公布〔法〕
1946年 昭和21年 4月1日 上富良野遺族会設立。初代会長山口梅吉
1946年 昭和21年 4月10日 新選挙法による、第22回衆議院議員総選挙
1946年 昭和21年 4月12日 開拓地を記念し「憩の楡」の碑を建立。
1946年 昭和21年 04月--日 上富良野連合青年団を創立する。初代団長和田松ェ門
1946年 昭和21年 7月1日 佐藤喜一著小説「十勝岳泥流」発刊。
1946年 昭和21年 7月12日 占領軍、札幌に道地方軍政部を置く。
1946年 昭和21年 8月16日 東中勧農組合設立。理事長西谷五一(のちに東中農民同盟に改称。)
1946年 昭和21年 8月16日 上富良野村農民同盟設立。委員長和田松ヱ門
1946年 昭和21年 08月--日 村有農地を解放(水田193町歩)
1946年 昭和21年 9月27日 府県制を道府県制と改め、北海道会法・北海道地方費法を廃止。〔法〕(自治権能の拡大強化)
1946年 昭和21年 10月9-10日 開村50周年記念式典を挙行。(上富良野小運動場)
1946年 昭和21年 10月--日 地方制度改正により、選挙管理委員会が設置され4人の委員が選任される。
1946年 昭和21年 10月--日 上富良野村農地委員会設立。
1946年 昭和21年 11月3日 村長公職追放により、村長代理に本間庄吉就任。(22年4月5日まで)
1946年 昭和21年 11月--日 山崎歯科医院開院する。院長山崎慶一(現中町2丁目1-21)
1946年 昭和21年 12月5日 樺太からの引き揚げ第1船が函館に入港。
1946年 昭和21年 12月22日 農地改革のため、全道一斉に市町村農地委員会の選挙を実施。
1946年 昭和21年 この年 生活物資が配給制となる。
1946年 昭和21年 この年 東中倍本西谷木工場(経営者西谷五一)を澱粉工場に改造し、秋から本格的生産操業に入る。
1946年 昭和21年 この年 田中社中田中喜代子華道・茶道を開門する。
1946年 昭和21年 この年 日の出神社(地神)創祀。(後に、昭和57/11日東会館敷地に移設。)