上富良野歴史年表

昭和2(1927)〜11(1936)年

西暦 元号 月日 出来事
1927年 昭和2年 2月7日 大正天皇大葬、霊轜車出発時に各地で遥拝式を執行。
1927年 昭和2年 2月26日 糸屋銀行、和議裁判確定し、拓殖銀行に買収される。
1927年 昭和2年 02月--日 硫黄山駅逓経営(吹上温泉)
1927年 昭和2年 4月7日 東中青年訓練所を設置する。(東中富良野尋常高等小学校に併置。)
1927年 昭和2年 4月17日 海江田信哉翁の碑建立。(旧島津会館前庭に)
1927年 昭和2年 04月--日 トラシエホロカンベツ川支流域に江幌貯水池の造成着工。(昭和7年完成)
1927年 昭和2年 5月24日 「十勝岳爆発惨死者の碑」建立。(村役場庭内に建立後昭和30年代末に所在不明となり、63年8月末共和橋工事現場で発見され、専誠寺境内に移転安置。)
1927年 昭和2年 5月24日 「十勝岳爆発遭難記念碑」建立。(日新入り口付近に泥流により流されてきた巨石の上に立てられる。)
1927年 昭和2年 06月--日 「水難予防鎮魂碑」上富良野神社境内に建立。
1927年 昭和2年 07月--日 俳人石田雨圃子の句碑、十勝岳山麓中茶屋付近に建立。
1927年 昭和2年 8月13日 「十勝岳爆発横死者血縁塔」建立。(聞信寺境内)
1927年 昭和2年 8月27日 北海道一級町村制/二級町村制各公布。〔勅〕1927/10/1施行(従来の同名勅令廃止。一級町村への府県町村制の準用、普通選挙制、自治の拡大など)
1927年 昭和2年 12月21日 東中郵便局に電信電話が開設される。
1928年 昭和3年 4月20日 銀行法の改正により、拓殖銀行上富良野出張所を開設。
1928年 昭和3年 04月--日 農会の下部組織として、農事実行組合制度を設ける。
1928年 昭和3年 04月--日 上富良野〜東中間に幌形客用車を運転開始。(客用車2台で)
1928年 昭和3年 5月27日 日本農民組合と全日本農民組合が合同し、全国農民組合(全農)を結成。
1928年 昭和3年 7月1日 私設東中消防組創立。
1928年 昭和3年 7月10日 昭和天皇、即位礼を挙行。
1928年 昭和3年 10月7日 「十勝岳爆発記念碑」十勝岳元山事務所付近に建立。
1928年 昭和3年 11月1日 「ラジオ体操」の放送開始。
1928年 昭和3年 11月--日 大昭寺(修験道上富良野教会)創立。仮堂を建立。(日の出東1線北27号)
1928年 昭和3年 この年 同人誌「すずらん」を発行する。
1929年 昭和4年 3月25日 「十勝岳爆発災害志」発行所北海道庁学務部社会課内十勝岳爆発罹災救済会
1929年 昭和4年 4月7日 佐渡団体(東中)入地。
1929年 昭和4年 5月1日 聞信寺で農繁期(農村)幼児託児所を開設。
1929年 昭和4年 05月--日 上富良野村愛国緬羊飼育組合設立。
1929年 昭和4年 6月17日 駒ヶ岳大爆発。山麓町村に総額838万円の大被害をもたらす。(家屋の全壊365戸、半焼・半壊・半埋没1,550戸など)
1929年 昭和4年 7月9日 九條武子の歌碑十勝岳中腹泥流跡に建立。
1929年 昭和4年 この年 東中市街地区に電灯がつく。
1930年 昭和5年 1月20日 小田観螢ら、歌誌「新墾」を創刊。
1930年 昭和5年 4月17日 十勝岳爆発横死牛馬「追善記念碑」建立(西8線北28号)
1930年 昭和5年 04月--日 上富良野養鶏組合設立。
1930年 昭和5年 04月--日 スキーヤーのオーストリー人、シュナイダー来道、小樽・札幌・十勝岳泥流跡等において講演、実演に妙技を公開。
1930年 昭和5年 5月24日 十勝岳爆発後に「新四国三十三カ所観世音菩薩碑」建立。(大雄寺境内)
1930年 昭和5年 7月23日 上富良野駅前倉庫より出火、15棟20戸を全焼する。
1930年 昭和5年 9月20日 村報「我村」創刊号を発行。(隔月発行となる)
1930年 昭和5年 9月20日 村広報紙「我村」を創刊。
1930年 昭和5年 12月31日 第3回国勢調査実施。〔上富良野村の人口〕世帯数1,655戸、人口10,104人
1930年 昭和5年 この年 上富良野酪農組合創立。初代組合長吉田貞次郎
1930年 昭和5年 この年 山本運送店始めてトラックを購入。
1930年 昭和5年 この年 世界恐慌が日本にも波及し、「昭和恐慌」として不況状態が昭和7年ころまで続く。
1931年 昭和6年 1月26日 日本農民組合(日農)結成。(日本農民総同盟と全日本農民組合が合同。)
1931年 昭和6年 2月11日 上富良野村産業組合青年連盟設立。
1931年 昭和6年 04月--日 札幌放送局、北海道郷土史講座を放送。(〜10月)
1931年 昭和6年 08月--日 全道的に水害が起きる。
1931年 昭和6年 9月18日 関東軍参謀ら、柳条溝の満鉄線路を爆破。関東軍これを中国軍の行為として攻撃を開始。(満州事変が始まる。)
1931年 昭和6年 10月2日 東中産業組合青年連盟設立。
1931年 昭和6年 この年 十勝岳山岳会を結成。(会長に村長が就任。)
1932年 昭和7年 1月16日 札幌スキー連盟の主催で、大倉山シャンツェ開場式を挙行。
1932年 昭和7年 2月6日 函館放送局開局。
1932年 昭和7年 2月15日 草分土地改良区主幹で工事が進められていた、「江幌貯水池」が完工。
1932年 昭和7年 02月--日 消防組で、フォード型自動車ポンプを購入する。
1932年 昭和7年 3月1日 満州国、建国宣言を発表(首都長春<新京>とす。)
1932年 昭和7年 5月15日 海軍青年将校と陸軍士官学校生ら、首相官邸などを襲い、犬養首相を射殺。(5/15事件)
1932年 昭和7年 7月19日 門上浄照、吉田貞次郎等、十勝岳連峰の縦走に成功する。
1932年 昭和7年 7月24日 愛国機北海道号の献納命名式を札幌で行う。(所沢飛行学校長荒時中将ら参列。)
1932年 昭和7年 8月4日 南部忠平オリンピック・ロスアンゼルス大会で三段跳に15m72pの世界新記録を樹立。
1932年 昭和7年 9月7日 産業組合法改正〔法〕(農事実行組合〈法人〉の加入を認め、農民全戸加入の道をつける。)
1932年 昭和7年 10月6日 農林省農山漁村経済更生計画助成規則〔省令〕を公布し、道府県に農山漁村経済更生計画に関する件を通達〔訓令〕
1932年 昭和7年 この年 北海道庁から経済更生計画樹立の指定を受く
1932年 昭和7年 この年 吹上温泉株式会社創立。代表者山本一郎(昭和18年解散。のちに終戦まで建物は軍用施設に転用される。)
1932年 昭和7年 この年 全道的冷害凶作に水害も加わる。〔米の収穫高76万石(約11万4,000トン)〕-反収0.399石(約60s)-
1932年 昭和7年 この年 この年から昭和11年まで輸移入米、凶作のため毎年100万石(約15万トン)を越える。
1932年 昭和7年 この年 清富神社(松井牧場解放の時)創祀。
1933年 昭和8年 1月28日 十勝岳山麓に「白銀荘」(ヒュッテ)新築竣工。(2月5日ヒュッテ開きを挙行)
1933年 昭和8年 01月--日 2月にかけ、上川支庁管内農村振興会主催の農村更生精神作興講演会を、31町村で開催。
1933年 昭和8年 3月3日 三陸地方に大地震・大津波発生。死者1,535人、流失家屋3,500戸。
1933年 昭和8年 4月8日 産業組合青年聯盟全国聯合結成。
1933年 昭和8年 05月--日 1933/5/-・森林防火組合設立。
1933年 昭和8年 6月6日 駅前竹料理店より出火し、駅本屋、物置、公衆便所、駅前飛澤自動車部、集乳所、、住宅家屋等13棟15戸を延焼した。
1933年 昭和8年 6月17日 北海道国有未開地処分法施行規則を改正〔勅〕(特殊の経営を必要とする地域の特定地処分面積を拡張)
1933年 昭和8年 8月30日 北海道佐上長官、十勝岳白銀荘を視察し宿泊する。
1933年 昭和8年 9月4日 旭川放送局が開局。
1933年 昭和8年 この年 飛澤清治吹上温泉までバス運行を始める。(夏期間)
1933年 昭和8年 この年 十勝岳観光協会を設立する。会長吉田貞次郎
1934年 昭和9年 1月13日 十勝岳山麓に白銀荘に続いて「勝岳荘」新築落成。
1934年 昭和9年 1月28日 第七師団管下帝国在郷軍人支部聯合会を札幌で開く。
1934年 昭和9年 3月21日 函館市に大火災発生。全市の三分の一を焼いて22日朝鎮火。焼失戸数2万4,186戸罹災人口12万4,558人死者2,054人行方不明662人
1934年 昭和9年 6月10日 省営バス苗穂〜手宮間の運転を開始。(本道最初の省営バス)
1934年 昭和9年 9月21日 室戸台風、関西を襲う。死者・行方不明3,036人、全壊及び流失家屋4万戸。
1934年 昭和9年 10月28日 沼崎農場(農場主沼崎重平)開放記念式挙行。(農場開放を受けた小作人らが、昭和36年6月美馬牛駅前庭に「彰徳碑」を建立する。)
1934年 昭和9年 12月12日 日新尋常小学校清水沢特別教授場(後の清富小学校)開設授業開始。児童30名。(昭和13年7月22日清富小学校に昇格独立。)
1934年 昭和9年 12月26日 プロ野球団大日本東京野球倶楽部創立。(昭和10年2月14日東京巨人軍の名で初渡米)
1934年 昭和9年 この年 北海道の人口が、300万人をこえる。
1934年 昭和9年 この年 上富良野産業組合事務所を建設
1934年 昭和9年 この年 北海道農産物検査事務所上富良野村派出所事務所を新築。
1934年 昭和9年 この年 東北地方の冷害・大凶作で、娘の身売り、欠食児童、行き倒れなどが増える。
1935年 昭和10年 2月11日 東中産業組合青年連盟設立。
1935年 昭和10年 4月1日 青年学校令公布〔勅〕(実業補修学校と青年訓練所を統合して青年学校とする。)
1935年 昭和10年 4月1日 上富良野、草分、江幌各青年学校が設置される。(各小学校に併置)
1935年 昭和10年 5月1日 第16回メーデー開催(戦時中の最後となる。)
1935年 昭和10年 6月10日 国防婦人会上富良野分会設立。
1935年 昭和10年 7月10日 一級村二代村長金子浩就任。
1935年 昭和10年 7月10日 三代助役朝倉孫作就任。(〜11/4/30)
1935年 昭和10年 7月11日 金子庫三氏の「謝恩碑」丸一山に建立。
1935年 昭和10年 10月1日 第4回国勢調査実施。・内地人口6,925万4,148人・外地人口2,844万3,407人〔北海道の人口〕世帯数54万5,390戸、人口306万8,282人〔上富良野村の人口〕世帯数1,759戸、人口11,092人
1935年 昭和10年 10月1日 東中青年学校設置。(東中尋常高等小学校に併置。)
1935年 昭和10年 10月--日 島津地区に家畜市場設置される。(現富町1丁目4付近)(篤志者の出資により)
1935年 昭和10年 12月26日 四代収入役谷口清就任。(〜14/7/6)
1935年 昭和10年 この年 村上農場(里仁)事業開始
1935年 昭和10年 この年 大印自動車会社が富良野沿線バス開業。富良野町に車庫を置き、・上富良野駅前〜東中〜鳥沼〜富良野駅前・上富良野〜中富良野〜富良野間を運行。
1935年 昭和10年 この年 北海道聯合教育会が青年学校用教科書として、「北海道青年読本」を編纂。
1935年 昭和10年 この年 村と市街地区衛生組合(組合長高畠正男)が富良野川河川敷にごみ焼却場を設置する。
1936年 昭和11年 1月13日 上富良野商工会設立。初代会頭山本一郎
1936年 昭和11年 2月26日 皇道派青年将校、クーデターを企図し、歩兵第1聯隊ほかの部隊1,400人余をもって決起。首相官邸等を襲撃して、内大臣斎藤実・蔵相高橋是清・教育総監渡辺錠太郎らを殺害し、永田町一帯を占拠(2/26事件)内閣総辞職。
1936年 昭和11年 5月1日 四代助役白井重吉就任。(〜15/4/-)
1936年 昭和11年 5月31日 上富良野村会議員選挙執行。
1936年 昭和11年 6月19日 午後3時18分から24分まで、北海道の東北部で皆既日蝕が観測される。
1936年 昭和11年 6月27日 島津家農場解放決定。(小作農を自作農に開放)
1936年 昭和11年 7月31日 第12回オリンピック開催地を東京に決定。(昭13.7.15東京開催の返上を決定。)
1936年 昭和11年 8月1日 第11回オリンピック、ベルリンで開催。日本選選手、179人が参加(三段跳、マラソン、水泳に優勝者が出る。)
1936年 昭和11年 8月6日 三井砂川礦業の田島直人、オリンピックベルリン大会で三段跳に16m00の世界新記録を樹立し優勝。
1936年 昭和11年 8月10日 北海道議会議員選挙執行。
1936年 昭和11年 9月25日 帝国在郷軍人会令公布〔勅〕(軍の公的機関となり、陸海軍大臣が所管。)
1936年 昭和11年 9月26日 天皇、陸軍特別大演習につき、室蘭に到着。室蘭、旭川、釧路、根室、帯広、大樹等を巡幸して、10月1日札幌市北大農学部に設置の大本営に入る。10月2日〜6日特別大演習を統監。
1936年 昭和11年 10月7日 天皇、道庁に臨幸の折、開拓奨励金として2万5,000円を下賜。
1936年 昭和11年 10月--日 東中青年会館新築落成(一部を翌年造作し完成)(東8線北18号東中市街)
1936年 昭和11年 11月7日 帝国議事堂が完成し、落成式を挙行。(大正9年起工)
1936年 昭和11年 11月22日 帯広放送局が開局。
1936年 昭和11年 11月--日 天理教道栄分教会(中富良野村で)曾根某が布教を開始。(昭和42年本町3丁目5に教会を新築移転する。)
1936年 昭和11年 この年 上富良野信用購買販売利用組合事務所(農会事務所併置)を新築。(現栄町1丁目3)