上富良野歴史年表
大正6(1917)〜昭和元(1926)年
西暦 | 元号 | 月日 | 出来事 |
1917年 | 大正6年 | 2月7日 | 第7師団満州駐屯を命ぜらる。 |
1917年 | 大正6年 | 3月4日 | 産米検査規則公布〔庁令〕 |
1917年 | 大正6年 | 4月1日 | 上富良野村を分割して中富良野村をおき、二級町村制を施行。〔告示〕当時の戸数……上富良野村1,484戸、中富良野村1,107戸 |
1917年 | 大正6年 | 5月9日 | 上富良野尋常高等小学校不息特別教授所(旭野)として開校。(大正12年7月20日不息尋常小学校として独立。) |
1917年 | 大正6年 | 09月--日 | 道庁内務部長、各支庁長あてに戸長役場制度に関する調査を依頼し、その廃止の検討を始める。 |
1917年 | 大正6年 | 10月15日 | 中富良野村分村により、18部制を14部制に改める。(設置規則改正) |
1917年 | 大正6年 | 10月--日 | 富良野土功組合(空知郡上富良野・中富良野・下富良野各村)設立。 |
1917年 | 大正6年 | この年 | 絲屋銀行上富良野出張所を開設する。(大正15年5月まで) |
1917年 | 大正6年 | この年 | 菅野農機鉄工場創業。創立者菅野豊治 |
1917年 | 大正6年 | この年 | 安井農場(東中)創立。 |
1917年 | 大正6年 | この年 | ロンドン農産物市況暴騰、青豌豆が天井知らずの商況を示し、豌豆及び薄荷・澱粉等の成金が続出する。 |
1917年 | 大正6年 | この年 | 本年度道内の義務教育就学率が99%に達する。 |
1917年 | 大正6年 | この年 | この年以後、拓殖費により僻地に若干名の医師を招聘し診察料、薬価の補助を実施。 |
1918年 | 大正7年 | 1月15日 | 東中処女会が発足する。 |
1918年 | 大正7年 | 03月--日 | 江幌農友会が設立。 |
1918年 | 大正7年 | 4月13日 | 文部/内務両省、地方農村の処女会などの連絡機関として、処女会中央部設立(大日本女子聯合青年団の初め。) |
1918年 | 大正7年 | 7月1日 | 上富良野神社境内に忠魂碑建立。 |
1918年 | 大正7年 | 8月1日 | 北海道博覧会開会式を挙行。(9.19まで50日間)(期間中の観覧者延べ140万人。) |
1918年 | 大正7年 | 8月15日 | 開道50年記念式典を道博第一会場で開催。開拓の功労者130人を表彰。(参加者2,000人) |
1918年 | 大正7年 | 8月16日 | 北海道産馬共進会開会。(道博第一会場で8.25まで) |
1918年 | 大正7年 | 9月1日 | 江幌、静修地区(西12線北33号)に江幌尋常小学校付属静修特別教授場設置。(昭和4年11月1日江幌尋常小学校に合併) |
1918年 | 大正7年 | 9月18日 | 富士製紙芦別村野花南に日本最初のダム式水力発電所を完成(出力5,100KW)、江別工場へ送電。 |
1918年 | 大正7年 | この年 | 平山硫黄砿業所事業に着手。 |
1918年 | 大正7年 | この年 | 日本通運の前身ー印上富良野運送社創立。 |
1918年 | 大正7年 | この年 | 江花酪農組合設立。 |
1918年 | 大正7年 | この年 | 上富良野村が軍馬購買地として指定される。 |
1919年 | 大正8年 | 1月1日 | 絲屋銀行個人資本から株式会社となる。(資本金100万円として、兵庫県氷上郡黒井村より旭川へ本店を移す。) |
1919年 | 大正8年 | 1月3日 | 上富良野巳未処女会(女子青年団の前身)が草分地区に発足する。初代会長北常蔵(小学校長) |
1919年 | 大正8年 | 2月7日 | 三重団体移住に尽力した、三重団体長板垣贇夫が逝去(享年63歳)-南幌神社過去帳より- |
1919年 | 大正8年 | 2月14日 | 産業組合及び産業組合聯合会補助奨励規定を廃止。 |
1919年 | 大正8年 | 3月22日 | 北海道農産物検査規則公布〔庁令〕 |
1919年 | 大正8年 | 3月28日 | 南富良野村、占冠村組合役場設置〔庁令〕4.1施行 |
1919年 | 大正8年 | 3月28日 | 空知郡下富良野村を富良野町と改称〔告示〕4.1施行 |
1919年 | 大正8年 | 4月1日 | 道営検査を実施(大正6年の産米検査規則/雑穀及び澱粉検査規則を廃止。) |
1919年 | 大正8年 | 5月23日 | 衆議院議員選挙法改正公布〔法〕(小選挙区/納税資格が10円から3円になる。) |
1919年 | 大正8年 | 6月24日 | 一級初代村長吉田貞次郎就任する。 |
1919年 | 大正8年 | 06月--日 | 上川畜産組合上富良野支部創立。 |
1919年 | 大正8年 | 8月29日 | 初代助役下平森市就任。(〜大正12.9) |
1919年 | 大正8年 | 08月--日 | 函館消防組本道初の自動車ポンプを配置する。 |
1919年 | 大正8年 | 10月--日 | 小田観螢歌集「隠り沼」を刊行。 |
1919年 | 大正8年 | 11月4日 | 市街地(7部区域)を、第7部東・第7部西の二部に分割する。 |
1919年 | 大正8年 | 11月21日 | 道会において、住宅建設資金にあてるため、起債を決議。(住宅資金を低利資金から借入れ、札幌・函館・上富良野・滝川・北竜・由仁の各区町村に転貸。) |
1919年 | 大正8年 | 11月--日 | 一級町村施行と共に、村役場庁舎を建設。(現本町1丁目1番)庁舎建設工事期間中6月〜9月村会議会は大雄寺本堂を借用して開かれる。 |
1919年 | 大正8年 | この年 | 農産物検査所上富良野派出所設置。 |
1919年 | 大正8年 | この年 | 飛沢清治私財を投じて、吹上温泉までの道路 |
1919年 | 大正8年 | この年 | 海江田武信「獣医業」を開業する。 |
1919年 | 大正8年 | この年 | 除虫菊の作付け始まる。 |
1919年 | 大正8年 | この年 | 植民地撰定心得を制定〔本庁決議〕 |
1919年 | 大正8年 | この年 | 日新神社(祠)造営。 |
1920年 | 大正9年 | 3月30日 | 市街に一般電話がつく。 |
1920年 | 大正9年 | 3月31日 | 上富良野郵便局で電話交換業務を開始する。(市街普通加入数32台) |
1920年 | 大正9年 | 4月11日 | 上富良野仏教婦人会創設(真宗本願寺派に属し、聞信寺に事務所を置く。 |
1920年 | 大正9年 | 4月18日 | 村役場庁舎落成し、移庁式を挙行。(大正8年6月に着工、同年10月竣工) |
1920年 | 大正9年 | 04月--日 | 天理教上富分教会、布教を開始する。 |
1920年 | 大正9年 | 5月18日 | 上富良野神社創立許可(正規の神社となる。)(大正12年8月7日村社に列す。) |
1920年 | 大正9年 | 7月30日 | 上富良野仏教団創立。 |
1920年 | 大正9年 | 8月10日 | 新井兎司道会議員に当選。(上富良野新井牧場主で、上富良野から立候補し富良野地方から初の道会議員となる。) |
1920年 | 大正9年 | 9月8日 | 二代収入役金子浩就任。(〜大正12.9) |
1920年 | 大正9年 | 10月1日 | 第一回国勢調査実施。(国)(内地人口5,596万3,053人、外地人口2,102万5,326人) |
1920年 | 大正9年 | 10月1日 | 第一回国勢調査を行う。上富良野村…世帯数1,924戸、人口10,691人※北海道の人口…235万9,183人 |
1920年 | 大正9年 | 12月--日 | 富士電気鰍ノより、上富良野市街に電灯が付く。 |
1920年 | 大正9年 | この年 | 向井(東中)長野(東中)両農場設立。 |
1920年 | 大正9年 | この年 | 東洋製繊株式会社、日本麻糸株式会社亜麻工場を設立。(現中町3丁目2付近) |
1920年 | 大正9年 | この年 | 第一次世界大戦後の、豆の値下がりで被害を受けたもの続出する。 |
1921年 | 大正10年 | 4月1日 | 上富良野村巡査部長派出所を設置(昇格改称) |
1921年 | 大正10年 | 6月20日 | 旭川区裁判所上富良野出張所(登記所)を設置する。(7月1日より業務施行)(現本町1丁目1番付近) |
1921年 | 大正10年 | 07月--日 | 富良野用水土功組合(空知郡中富良野・富良野・上富良野各町村)設置。 |
1921年 | 大正10年 | 8月10日 | 北海道社会事業協会を設立し、道庁社会課に事務所をおく。 |
1921年 | 大正10年 | 8月15日 | 村連合青年会「會報」を発刊。(隔月1回発行) |
1921年 | 大正10年 | 09月--日 | 静修神社再祀。 |
1921年 | 大正10年 | 10月3日 | 上富良野魚菜卸売市場開設。(初代社長吉田吉之輔支配人毛利勝太郎) |
1921年 | 大正10年 | 11月25日 | 皇太子裕仁摂政となる。 |
1921年 | 大正10年 | この年 | 多田牧場(旭野)・相馬牧場(日の出)経営に着手。 |
1921年 | 大正10年 | この年 | 九人牧場(日の出)及び五十嵐牧場(日の出)創設。 |
1921年 | 大正10年 | この年 | 米谷牧場(日の出)及び藤井農場(旭野)開場。 |
1921年 | 大正10年 | この年 | 多田農場売却。 |
1921年 | 大正10年 | この年 | 草分地区の水田がほぼ完成。 |
1922年 | 大正11年 | 2月1日 | 東中巡査駐在所を設置。(昭和37.9から上富良野警部派出所に吸収される。) |
1922年 | 大正11年 | 02月--日 | 東中富良野土功組合(現東中土地改良区)設立。 |
1922年 | 大正11年 | 4月20日 | 北海道会法改正〔法〕(道会にほぼ府県会と同等の組織・権限を移譲) |
1922年 | 大正11年 | 04月--日 | 明治製糖株式会社上富良野派出所設立。(ビート栽培始まり、買入が行われる。) |
1922年 | 大正11年 | 7月26日 | 札幌区・函館区・小樽区・室蘭区・旭川区及び釧路区を廃し、各市制を施行[内省告示]8.1施行 |
1922年 | 大正11年 | 8月26日 | 東中郵便局(無集配)開局。 |
1922年 | 大正11年 | 08月--日 | 篤敬聖徳会を創立。門上浄照十勝岳に太子堂を建立。 |
1922年 | 大正11年 | 10月3日 | 札幌・旭川・室蘭・小樽・釧路各市において初の市会議員選挙を施行。(〜7日) |
1922年 | 大正11年 | 11月18日 | 中川三郎吹上温泉施設を飛澤清治に譲渡する。 |
1922年 | 大正11年 | 12月--日 | 上富良野果樹組合創設。 |
1923年 | 大正12年 | 1月14日 | 山本運送店で、山本木工場(製材)を創業。 |
1923年 | 大正12年 | 1月22日 | 北海道区制を廃止〔勅〕 |
1923年 | 大正12年 | 02月--日 | 下富良野土功組合(富良野町)設立。 |
1923年 | 大正12年 | 3月2日 | 俳人長谷川零餘子/石田雨圃子が、十勝岳に橇で旅する。 |
1923年 | 大正12年 | 3月15日 | 上富良野神社新社殿新築竣工。 |
1923年 | 大正12年 | 3月18日 | 東中富良野尋常高等小学校校舎全焼失(東7線北18号) |
1923年 | 大正12年 | 3月30日 | 戸長役場を全廃し、町村制を施行(内省告示〕4/1施行(6市、99一級町村、155二級町村となる) |
1923年 | 大正12年 | 4月20日 | 東中富良野土工組合が東中高台地区の造田計画。水源確保のため、水源をヌノッペ川に求めた、幹線水路造成工事が竣工。(大正11年5月1日着手) |
1923年 | 大正12年 | 4月23日 | 東中富良野尋常高等小学校の仮校舎で、始業式及び入学式を行う。 |
1923年 | 大正12年 | 05月--日 | 道庁警察部、高等警察課から特別高等を分離独立。(思想・労働その他社会問題、新聞紙・出版物の取締り等を主管。) |
1923年 | 大正12年 | 07月--日 | 富良野川北31号水門付近で、上流の上富良野対下流の中富良野の農民が、水争いの末、集団的石合戦をなす。 |
1923年 | 大正12年 | 08月--日 | 天理教甲賀大教会秩父分教会武光支教会「甲富宣教所」として設置。布教を開始する。 |
1923年 | 大正12年 | 9月1日 | 関東地方に、午前11時58分大地震起こる。大火災、津波発生(死者9万1,344人、全壊焼失46万4,909戸に及ぶ関東大震災) |
1923年 | 大正12年 | 9月15日 | 二代助役金子浩就任。(〜昭和10/7) |
1923年 | 大正12年 | 9月26日 | 三代収入役朝倉孫作就任。(〜昭和10/7) |
1923年 | 大正12年 | 10月--日 | 富原畜牛組合設立。 |
1923年 | 大正12年 | 12月30日 | 中川三郎旭川営林区署より温泉用地(吹上温泉)として貸付けを受け、温泉経営に着手。 |
1923年 | 大正12年 | この年 | 大日本麦酒株式会社(現サッポロビール)直営ホップ園(上富良野村富原地区)でホップの試作栽培始まる。 |
1923年 | 大正12年 | この年 | 園田歯科分院開業。 |
1924年 | 大正13年 | 1月26日 | 摂政裕仁親王久邇宮良子女王と結婚式を挙行。 |
1924年 | 大正13年 | 1月26日 | 北大伊藤秀五郎ら5名、吹上温泉から十勝岳登頂。スキーによる冬山初登頂。(旭川山岳部会報1) |
1924年 | 大正13年 | 4月14日 | 撫養大教会北鎮宣教所(天理教北鎮分教会)東8線北18号に設置。教会長笹山喜五郎 |
1924年 | 大正13年 | 07月--日 | 長谷川零餘子の句碑(旧十勝岳吹上温泉玄関横に)建立。 |
1924年 | 大正13年 | 9月5日 | 東中富良野尋常高等小学校校舎新築落成(現在地) |
1924年 | 大正13年 | 12月13日 | 婦人参政権獲得期成同盟会結成(理事久布白落美市川房枝)大正14年4月婦選獲得同盟と改称。 |
1924年 | 大正13年 | 12月18日 | 上富良野村江幌完別巡査駐在所庁舎新築落成。 |
1924年 | 大正13年 | この年 | 空知管内で徴兵検査に応じなかった者、19人空知支庁長より告発される。(前年度は24人) |
1924年 | 大正13年 | この年 | 日の出酪農組合設立。初代組合長矢野辰次郎 |
1924年 | 大正13年 | この年 | 五十嵐農場解放(11年頃にもあった)大正14年完了。 |
1924年 | 大正13年 | この年 | 上富良野村在郷軍人会除隊兵19名により日の出地区(東2線北27号)に新射撃壕を築造設置。(大正14/4/10新設射撃壕で小銃射撃大会を開催。) |
1924年 | 大正13年 | この年 | 函館市内一円に火災報知機を配置。 |
1925年 | 大正14年 | 3月1日 | (社)東京放送局(現NHK)試験放送開始する。(7.12芝愛宕山新局より本放送開始。)(一般家庭への普及は、昭和10年ころになる。) |
1925年 | 大正14年 | 3月7日 | 衆議院、治安維持法案を修正可決。 |
1925年 | 大正14年 | 03月--日 | 日の出/富原青年団で、同人雑誌「黎明」発刊。 |
1925年 | 大正14年 | 4月24日 | 上富良野村草分土功組合(現草分土地改良区)設置認可される。組合長理事吉田貞次郎 |
1925年 | 大正14年 | 5月1日 | 産業組合中央会家庭雑誌「家の光」2万5,000部を発刊(北海道に1,000部) |
1925年 | 大正14年 | 05月--日 | 天理教上富分教会(上富良野宣教所として)設置認可。主管者森久八 |
1925年 | 大正14年 | 7月13日 | 第一回北海道青年団幹部軍事訓練講習を第七師団にて行う。(道庁主催〜18日まで) |
1925年 | 大正14年 | 10月1日 | 第2回国勢調査施行。北海道の人口……249万8,679人、・上富良野村…戸数1,727戸、人口10,026人 |
1925年 | 大正14年 | 12月30日 | 飛澤清治吹上温泉経営に着手。 |
1925年 | 大正14年 | この年 | 上富良野村伝染病隔離病舎建設(現大町1丁目6付近) |
1926年 | 大正15年 | 01月--日 | 飛澤清治中川三郎から温泉の経営譲渡を受ける。(吹上温泉) |
1926年 | 大正15年 | 4月20日 | 青年訓練所令公布〔勅〕7/1施行。 |
1926年 | 大正15年 | 5月1日 | 北海道第一回メーデーを挙行。(小樽・函館でデモ行進、札幌・室蘭・旭川・釧路等で記念行事を行う。) |
1926年 | 大正15年 | 5月20日 | 十勝岳鳴動爆発の前兆を示す。 |
1926年 | 大正15年 | 5月24日 | 十勝岳大爆発により大規模な泥流が発生し、上富良野・美瑛・中富良野各村に甚大な被害を与える。・死者・行方不明…144人、・罹災戸数…482戸、・田畑全滅…1,187町歩。 |
1926年 | 大正15年 | 5月24日 | 十勝岳爆発により、上富良野〜美馬牛間鉄道不通となる。 |
1926年 | 大正15年 | 5月24日 | 午後9時十勝岳爆発被害調査のため、決死隊を出す。 |
1926年 | 大正15年 | 5月24日 | 絲屋銀行整理休業をなし、十勝岳爆発と共に、世情不安におとしいれる。 |
1926年 | 大正15年 | 5月24日 | 草分土功組合十勝岳爆発の被害を受ける。 |
1926年 | 大正15年 | 5月26日 | 十勝岳爆発に対し、天皇陛下より御下賜金を受く。 |
1926年 | 大正15年 | 7月1日 | 上富良野青年訓練所開所。(上富良野尋常高等小学校に併置。) |
1926年 | 大正15年 | 07月--日 | 絵葉書「十勝岳爆発大惨事の実況」発行。(印刷所旭川絵葉書倶楽部) |
1926年 | 大正15年 | 8月25日 | 陸軍科学研究所美瑛射撃場で第七師団の毒ガス演習を行う。(陸軍大臣宇垣大将、海軍軍軍令部長鈴木大将らが視察。) |
1926年 | 大正15年 | 9月1日 | 「十勝岳爆発遭難記念碑」建立。(草分に建立後、昭和25年明憲寺境内に移設。) |
1926年 | 大正15年 | 9月10日 | 美馬牛駅営業を開始。 |
1926年 | 大正15年 | 9月15日 | 道参事会十勝岳爆発・暴風雪災害復旧土木工事費の追加予算の一部を可決。(大正15年地方費予算歳出臨時部土木費は総計106万833円、同じく土木補助費71万1,343円にのぼる。) |
1926年 | 大正15年 | 10月--日 | 大日本麦酒株式会社直営上富良野ホップ園開設する。(事務所現本町3丁目15-28) |
1926年 | 大正15年 | 10月--日 | 富良野町磯野農場で小作料減額の第二次小作争議発生。 |
1926年 | 大正15年 | 12月23日 | 北海道拓殖銀行上富良野派出所設置。 |
1926年 | 大正15年 | この年 | 上富良野駅前小松商店にラジオが入る |
1926年 | 大正15年 | この年 | 私設(吉村啓四郎宅)集乳所を設ける。 |
1926年 | 大正15年 | この年 | 富良野実科高等女学校開校する。 |
1926年 | 大正15年 | この年 | 日本農民組合富良野支部結成。 |
1926年 | 昭和1年 | 12月25日 | 天皇没(1879年明治12年生48歳)摂政裕仁親王踐祚し、昭和と改元。1927年1月19日追号を大正天皇と勅定。 |