上富良野歴史年表

明治30(1897)〜39(1906)年

西暦 元号 月日 出来事
1897年 明治30年 3月3日 北海道国有未開地処分法公布(法)(開墾・牧畜・植樹等に供する土地は、無償貸付けし、全部成功ののち無償付与、北海道土地払下げ規則その他本法に抵触する規程は、廃止。)
1897年 明治30年 3月28日 三重団体一行30名、敦賀丸で四日市港を出港。
1897年 明治30年 4月12日 田中常次郎、田村栄次郎、久野伝兵衛、高田次郎吉川田七五郎、吉澤源七、川辺三蔵、服部代次郎の一行8名が単身で上富良野の西3線北29号175番地に入地。
1897年 明治30年 5月12日 三重団体の家族らが続々入地する。
1897年 明治30年 5月28日 斎藤助太郎「駄馬運搬業」及び「荒物屋」を開く。
1897年 明治30年 5月29日 北海道区制・北海道一級町村制・北海道二級町村制各公布〔勅〕、区制は1899年、一級町村制は、1902年の全文改正をまって各施行。
1897年 明治30年 06月--日 官設鉄道十勝線(旭川・帯広間)天塩線(旭川・宗谷間)工事を旭川方面より着工。
1897年 明治30年 7月1日 歌志内村、富良野村を創立。歌志内村外一箇村(富良野村)戸長役場を歌志内に置く。富良野村初代戸長加藤尚之就任。
1897年 明治30年 11月2日 道庁官制改正により、従来の郡役所を廃し札幌ほか18支庁を設置〔勅〕(札幌・函館・亀田・松前・桧山・寿都・岩内・小樽・空知・上川・増毛・宗谷・網走・室蘭・浦河・釧路・河西・根室・紗那)
1897年 明治30年 12月18日 歌志内〜(下)富良野間の仮設道路が開通する。
1897年 明治30年 この年 〔農民団体移住〕空知郡フラヌ原野(現中富良野町)へ石川団体、三重県から空知郡フラヌ原野(現上富良野町)へ三重団体(副団体長田中常次郎)、滝川から空知郡フラヌ原野(現富良野市)へ農場小作(筑後組合農場)。
1897年 明治30年 この年 丸谷捨吉十勝岳吹上温泉を発見。
1897年 明治30年 この年 国内外で、赤痢/天然痘が流行、道内で天然痘患者が1,023人に及び298人が死亡。
1897年 明治30年 この年 フラノ原野の測量設定が完了する。*担当技師主任小野政衛、技師島敷恵、永田安太郎、平尾嘉太郎、村岡逓雄、佐藤誠之助(区分農耕適地、公共用地、風防林、堤防用地、河川、区画道路、予定道路、鉄道敷地)
1897年 明治30年 この年 中富良野合力農場経営に着手。
1897年 明治30年 この年 中富良野伊藤農場、鹿討農場、福原農場、岩本農場(後の有富農場)、吉井農場(吉井造林所とあり)貸下げをうく。
1897年 明治30年 この年 中富良野鹿討農場事務所設置。
1897年 明治30年 この年 人見農場、田中農場(上富良野)貸下げをうく。
1898年 明治31年 1月1日 北海道全道に(沖縄・小笠原島にも)徴兵令を施行。
1898年 明治31年 1月2日 高田派専修寺説教場(現専誠寺)創立。創立者島義空
1898年 明治31年 2月3日 内務省、北海道移住民の汽車・汽船賃割引券取扱法を制定〔訓令・告示〕(以後、汽車・汽船割引の事務、北海道協会から内務省に移る。)
1898年 明治31年 3月8日 聯隊区司令部の位置につき、十勝を旭川に、根室を釧路に改める。〔勅〕
1898年 明治31年 4月18日 青山栄松、大嶋新松、野尻初太郎、徳岡平太夫ら福井団体の先駆者入地。
1898年 明治31年 07月--日 亀田政五郎村医として嘱託する。
1898年 明治31年 9月1日 真宗大谷派説教場設立認可(現中富良野町法栄寺)創立者明野獅含
1898年 明治31年 10月--日 岩見澤警察署富良野巡査出張所を創設。
1898年 明治31年 11月28日 富良野村二代戸長三上良知就任。
1898年 明治31年 この年 富良野村を上川支庁管内に編入する。(明治42年12月基礎調査報告書)
1898年 明治31年 この年 東8線北15号において、纓坂源三郎雨紛産赤毛種籾1斗余を移入し、べベルイ川から揚水して、反当り1石2斗の米を収穫する。(本村はもとより富良野沿線の稲作の起源。)
1898年 明治31年 この年 田中常次郎道庁よりの請負で地域団体、住民と共に、金子農場から北26号に至る、村内始めての仮設道路を設ける。
1898年 明治31年 この年 神田農場貸下げをうく。
1898年 明治31年 この年 金子庫三(旧名忠四郎)三重団体において、金物商のかたわら、日用品販売業を行う。
1898年 明治31年 この年 牧野吉蔵 東中で鍛冶業を始める。
1898年 明治31年 この年 田中常次郎、田村岩蔵馬を導入。
1898年 明治31年 この年 森川房吉三重団体にて旅人宿業を開業。(上富良野村史年代は、明治31、2年頃)
1898年 明治31年 この年 現上富良野駅前付近にて鈴木金次郎。同じ頃、旧避病院(現大町2丁目6番)のところで後藤某と共に料理店を開業する。
1898年 明治31年 この年 旭川〜下富良野間及び歌志内〜下富良野間に仮設道路開通。
1898年 明治31年 この年 島義空(高田派専誠寺創設者)説教場を利用して、冬季農閑期に寺小舎を開く。
1898年 明治31年 この年 〔農民移住団体〕神田農場(東中)・倍本農場(東中)・永山農場(富原)
1899年 明治32年 2月13日 所得税法公布〔法〕本道においては、従来官より受ける、俸給、手当、年金および恩給金の所得のほかは付課税のところ、本法発布により、府県と同じく徴収する。
1899年 明治32年 2月16日 駒崎政一空知支庁長の命により、富良野村村医となる。
1899年 明治32年 02月--日 第7師団の位置を、鷹栖村字近文と内定。
1899年 明治32年 03月--日 島津農場創業(明治31年に調査を実施。)
1899年 明治32年 03月--日 金子庫三市街地に店舗を建てる。
1899年 明治32年 03月--日 神田和蔵東中富良野簡易教育所を開く。(現東中小学校)(現東9線北17号付近)
1899年 明治32年 4月6日 永山農場経営に着手。
1899年 明治32年 5月10日 上川支庁管内所轄富良野村戸長役場を設置する。
1899年 明治32年 6月20日 上川管内編入後の初代富良野村戸長松下高道就任。
1899年 明治32年 6月25日 富良野村戸長役場を上富良野に開庁。(東1線北25号-現本町一丁目1付近)
1899年 明治32年 06月--日 西1線北26号(現泉町付近と思われる)仮道路傍らの民家を仮庁舎とする。
1899年 明治32年 07月--日 道庁福井技師により市街予定地測設。
1899年 明治32年 9月1日 富良野郵便局(現上富良野局)開局。通常郵便物の引受け、集配の取扱いを開始する。
1899年 明治32年 9月1日 旭川〜美瑛間に鉄道開通。
1899年 明治32年 10月--日 東京帝国大学農科大学、演習林を空知郡富良野村(現山部)に開設。(約3万町歩)
1899年 明治32年 11月3日 西中富良野簡易教育所(現西中小学校)開校。
1899年 明治32年 11月15日 美瑛〜上富良野間鉄道開通、上富良野駅開業。
1899年 明治32年 11月--日 谷流山道隆寺(現中富良野町東9線北13号)仮説教所を創立。創立者奥内諦道
1899年 明治32年 12月1日 富良野郵便局、小包郵便物の取扱いを開始。
1899年 明治32年 12月26日 富良野郵便局、郵便貯金/為替事務取扱い開始。
1899年 明治32年 12月--日 札幌農学校生徒川上滝弥、イモチ病の発生を始めて正式に報告。
1899年 明治32年 この年 〔農民団体移住〕夕張郡から空知郡フラヌ原野(現上富良野町)へ(農業小作)島津団体入殖。
1899年 明治32年 この年 倍本農場事業開始。中島農場経営に着手。
1899年 明治32年 この年 戸田松次郎柾屋開業。
1899年 明治32年 この年 舘甚兵衛飲食店、豆腐店を開業。
1899年 明治32年 この年 境柳輔運送店を開業。
1899年 明治32年 この年 松原勝蔵馬4頭を買入。
1899年 明治32年 この年 纓坂源七始めて馬を飼育。
1899年 明治32年 この年 島津農場の農神・守護神として「島津神社」創祀。(9月4〜5日例祭行われる。)
1900年 明治33年 02月--日 上川郡農会創立。
1900年 明治33年 02月--日 富良野村農会創立。
1900年 明治33年 2月16日 北海道拓殖銀行創立総会開催。(札幌市)(4.1開業式4.2営業開始)
1900年 明治33年 4月2日 簡易教育所の認可を受け、部落民の寄付で校舎を建設して上富良野簡易教育所(元創成小学校)開設。
1900年 明治33年 6月24日 真宗大谷派上富良野仮説教場(現明憲寺)創設。(現宮町1丁目交番所付近)
1900年 明治33年 8月1日 上富良野〜下富良野間鉄道開通。併せて電信の取り扱いを始める。
1900年 明治33年 9月9日 東中富良野簡易教育所(現東中小学校)を東9線北17号に校舎建築し、授業を開始。
1900年 明治33年 この年 東1線北25号(現本町1丁目2)に、民家を借上げ、役場庁舎を新設(以後20年間執務する)
1900年 明治33年 この年 福原農場(現中富良野)経営に着手。
1900年 明治33年 この年 東中に灌漑溝できる。
1900年 明治33年 この年 青山原七基線104番地において、水稲の試作をなし、結果良好なり。
1900年 明治33年 この年 小笠原林三郎「理髪業」を始める。
1900年 明治33年 この年 真宗高田派専修寺説教所(現専誠寺)建立。創立者島義空(西3線北28号)
1900年 明治33年 この年 昨年から今年にかけ、上富良野のほか西中、下富良野に相次いで簡易教育所が建設される。
1901年 明治34年 2月7日 富良野村総代人選挙施行手続き制定の件認可される。(上川支庁長)
1901年 明治34年 02月--日 愛国婦人会上富良野支部創立。
1901年 明治34年 3月12日 富良野原野東9線北104番地(現東中小学校付近)の小学校校舎敷地及び付属実習地の目的に未開地4町6反2畝24歩北海道国有未開地処分法第4条により付与許可される。(上川支庁長)
1901年 明治34年 4月2日 富良野村字上富良野外三地方に簡易教育所施行の認可をうける。(但し施行の期限は開始之月より三箇年以内と心得べし。)(北海道庁長官)
1901年 明治34年 4月4日 石狩国空知郡富良野村字上フラヌ市街地840坪同村字中フラヌ市街地840坪、同村下フラヌ市街地840坪夫々宅地目的を以って未開地無償貸付け許可される。(上川支庁長)
1901年 明治34年 4月7日 横山文太郎「木挽業」を営む。
1901年 明治34年 05月--日 杉山九市「農機具(馬車・馬橇)製造業」を開業。
1901年 明治34年 7月1日 下富良野郵便局開設。(現富良野郵便局)
1901年 明治34年 07月--日 上富良野市街地貸付け開始。
1901年 明治34年 9月6日 富良野村字中富良野東9線北17号公用地4万3千500坪東中富良野簡易教育所の付属樹栽地として認可を受く。(上川支庁長)
1901年 明治34年 10月--日 西川竹松「木材業」を始める。
1901年 明治34年 10月--日 ・西川牧場経営に着手。
1901年 明治34年 11月--日 愛国婦人会北海道支部が結成される。
1901年 明治34年 12月1日 三浦忻郎富良野村二代戸長となる。
1901年 明治34年 12月25日 明治34年12月1日願出の空知郡富良野村字上富良野市街予定地に於て小学校敷地の目的を以って未開地1町3反6畝歩付与許可を受く。(上川支庁長)
1901年 明治34年 この年 中村千幹(現富良野)田丸正善(現中富良野)富良野村総代となる。
1901年 明治34年 この年 〔全道の人口〕・戸数………18万9,526戸・人口……101万1,892人(うちアイヌ人……4,158戸、1万7,688人)
1901年 明治34年 この年 〔農民団体移住〕三重県から空知郡下富良野へ伊勢団体。
1901年 明治34年 この年 中富良野井形農場貸付けをうく。
1901年 明治34年 この年 新井牧場経営に着手する。
1901年 明治34年 この年 下富良野にドロ材による、マッチ軸木工場ができる。
1901年 明治34年 この年 安川某、松浦市兵衛(現在の大町1丁目付近)の所で、石屋兼業で湯屋を始める。
1901年 明治34年 この年 伊藤七治郎、岡田甚蔵(現西5線北28号付近)に1反5畝を造田、毛長早生種を播き、1俵半の青米を収穫する。
1901年 明治34年 この年 殖民公報第1号に上川地方の沿革が記される。
1901年 明治34年 この年 村より徴兵入営者2名を出す。
1901年 明治34年 この年 東中神社を建立創祀(東8線北17号付近に開拓時代の有志が建立)
1902年 明治35年 2月22日 北海道二級町村制改正(二級町村に収入役を設け町村会の推薦により、北海道庁支庁長が任命する。選挙権の要件を低下する。)
1902年 明治35年 3月3日 上富良野神社(当時富良野神社という)創祀。(7月25〜26日初の祭典が行われる。)
1902年 明治35年 3月8日 北海道土功組合法公布。
1902年 明治35年 4月20日 五味勝太郎「菓子商」を始める。
1902年 明治35年 05月--日 田中常次郎(草分)山口五平(東中)及び島津農場で稲作を始める。
1902年 明治35年 05月--日 真宗本願寺派西本願寺仮説教所(現聞信寺)創設する。
1902年 明治35年 6月3日 空知郡富良野村字上富良野西2線北25号官林解除地に、墓地3,500坪火葬場100坪設置の件聞届く。(北海道長官)
1902年 明治35年 7月1日 上富良野尋常小学校開校。(明治38年7月3日上富良野尋常高等小学校に改編)
1902年 明治35年 9月30日 北海道会議事堂が新築落成。
1902年 明治35年 10月15日 草分神社創立。(伊勢皇太神宮の分霊を受ける。)(創祀に当り、開拓者が家内安全を願い、出身地・移住の状況を記した「木簡」を奉納する)-上富良野町郷土館に所蔵-
1902年 明治35年 12月2日 国勢調査に関する法律公布〔法〕(10年ごとに国勢調査を行う。第1回は1905年と予定。後に延期。)
1902年 明治35年 12月24日 夕張郡角田村土功組合設立。(本道における土工組合設置の始め。)
1902年 明治35年 この年 〔富良野村の人口〕戸数……913戸、人口……4,005人(男2,123人女1,882人)
1902年 明治35年 この年 杉山力三郎「精米業」を始める。
1902年 明治35年 この年 森川房吉「質屋業」と「宿屋」を始める。
1902年 明治35年 この年 田畑浅吉(東中)「澱粉工場」を始める。
1902年 明治35年 この年 第一本間牧場(明治34年貸下げ〜36年入地
1902年 明治35年 この年 第二本間牧場経営に着手。
1902年 明治35年 この年 森農場入地開始(現在の演習地)
1902年 明治35年 この年 村医横田信着任する。
1903年 明治36年 3月20日 郵便電信局を改め、郵便局とする。〔勅〕
1903年 明治36年 5月29日 明治36年6月1日より町村の役場において気象観測施行の旨達せられる。(上川支庁長)
1903年 明治36年 7月8日 石狩国空知郡富良野村の南方を割き下富良野村をおき、富良野村を上富良野村と改称する。(道庁告示第464号)
1903年 明治36年 7月30日 札幌農学校(現北海道大学)の地に校舎を新築、移転(明治36年4月1日施行)する。
1903年 明治36年 07月--日 下富良野村を分村したことにより、富良野農会が上富良野村農会となる。(現錦町2丁目4付近)
1903年 明治36年 9月1日 下富良野村戸長役場開庁。(道庁告示第547号)
1903年 明治36年 11月--日 真宗大谷派上富良野説教場、御堂を建替え移転。
1903年 明治36年 この年 日新神社創祀。
1903年 明治36年 この年 村医平野慶頼着任する。
1903年 明治36年 この年 渡辺牧場(日の出)開場。
1903年 明治36年 この年 牧野吉蔵「蹄鉄業」を始める。
1903年 明治36年 この年 山本一郎「木材業」を開業する。
1903年 明治36年 この年 森傳吉「理髪業と料理店」を開く。
1903年 明治36年 この年 村木農場(江花)開墾に着手。(貸下げは明治35年度)所有者村木久兵衛
1903年 明治36年 この年 〔この年の人口〕上富良野村3,160人(520戸)、下富良野村1,357人(300戸)
1903年 明治36年 この年 〔農業団体移住〕滋賀団体(江幌)入地。(団長奥野仙造)
1904年 明治37年 2月10日 ロシアに宣戦布告〔詔〕(日露戦争)
1904年 明治37年 4月13日 上富良野尋常小学校の教科目に裁縫を加設する件認可。(上川支庁長)
1904年 明治37年 05月--日 現在の中富良野に産業組合(信購販利)できる。
1904年 明治37年 9月8日 上富良野尋常小学校に補修科設置の件認可(上川支庁長)
1904年 明治37年 12月3日 東中富良野簡易教育所を尋常小学校に変更し、其の位置を、上富良野村字中富良野東7線北114番地(畑1町歩)に変更指定する。但し校名は之を定めて届出すべし。(北海道庁長官
1904年 明治37年 この年 山加農場(旭野)設立。
1904年 明治37年 この年 酒井農場(旭野、日の出)及び山田牧場(旭野)貸下げを受ける。
1904年 明治37年 この年 岡部農場(日の出)及び堀川牧場(草分)経に着手。
1904年 明治37年 この年 河村善次郎始めて東3線北25号で落葉松を造林する。
1904年 明治37年 この年 東中で豚の飼育を始める。
1904年 明治37年 この年 〔農業団体の移住〕福島団体(静修)入地。
1905年 明治38年 1月28日 三代戸長(上富良野村初代)和井内喜之就任。
1905年 明治38年 2月1日 三重団体有志において、三重団体戦争記念(日露開戦記念)共同開墾組合を設立。組合長吉田貞吉ほか組合員38名
1905年 明治38年 03月--日 真宗高野山派説教所開設(東8線北18号)※大正7年慈雲山弘照寺として移転(中富良野基線北12号)創立時の建物を弘照寺出張所「源照庵」として存置。
1905年 明治38年 7月3日 上富良野小学校に高等科を併設し、尋常高等小学校となる。
1905年 明治38年 7月25日 上富良野小学校高等科の修業年限を2年に制定の認可を受く。
1905年 明治38年 8月11日 真宗本願寺派説教所(現聞信寺)設置認可を受く。(上川支庁長)
1905年 明治38年 12月23日 政府農務局長の発案になる馬券競馬の開催を、黙許することに決定。
1905年 明治38年 この年 東旭川村農民末武安次郎、黒田式水稲直播機を完成。(旭川町黒田梅太郎製作のいわゆる蛸足型直播機)
1905年 明治38年 この年 東中富良野尋常小学校校舎を、東7線北18号に新築し、移転する。
1906年 明治39年 01月--日 長岡牧場(中富良野)経営に着手。
1906年 明治39年 4月1日 戸長役場を廃止し、二級町村制を施行。初代村長に草浦耕蔵就任。
1906年 明治39年 4月1日 上富良野村農会設立。(3月12日設立総会開催)初代会長安井新兵衛
1906年 明治39年 4月10日 〔農業団体の移住〕岐阜団体(江幌)入地(団体長後藤貞吉)
1906年 明治39年 4月30日 上富良野尋常小学校高等科の随意科目として、農業を採択する件の認可を受ける。(上川支庁長)
1906年 明治39年 5月1日 初代収入役福屋新就任。(〜大正8.6.13)
1906年 明治39年 5月5日 全村(現中富良野を含む)を9部の区域に分けて部長をおき、その下に組長を置いた。(部長設置規則明治39.5.5許可)
1906年 明治39年 5月10日 十人牧場(旭野)設置。
1906年 明治39年 6月1日 二級町村制施行に伴う初の村会議員選挙行われる。
1906年 明治39年 8月6日 「上富良野村附加税・賦課徴収規則」を村議会の決議を経て、北海道庁長官に許可申請書を提出。
1906年 明治39年 9月23日 愛国婦人会北海道支部第1回総会を札幌で開く。
1906年 明治39年 この年 上富良野在郷軍人団組織。
1906年 明治39年 この年 芝居小屋「田村屋」が開業する。
1906年 明治39年 この年 カクヒラ牧場(富原)経営に着手。
1906年 明治39年 この年 燕麦共同販売会組織。
1906年 明治39年 この年 三重団体吉田貞吉始めて札幌の日の丸商店より過燐酸肥料2叺購入する。
1906年 明治39年 この年 河野保槌「椎茸」栽培始める。
1906年 明治39年 この年 村医牧諭輔着任する。