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十勝岳登山案内図標

日の出 和田松ヱ門 記(七十四歳)

旭野(十人牧場)山加(山加農場)へ行く道路は、二十六号の翁橋(和田牧場)の手前から左へ、ヌッカクシフラヌイ川に沿って、第一安井の処で橋を渡り、中の沢の入口の所で橋を渡り、曲りくねった開拓道路であった。

大正八年、和田前の三斜路を起点として、中茶屋橋まで開削道路が出来た。この土工工事(タコ部屋)は、残酷な人夫の使用によって完成したのである。この道路が出来てから十勝岳登山者が急に増加したのである。

登山道路の部落である日の出青年会が、登山者の便を図る為に、十勝岳登山案内図を作ることを計画し、鉄道局に許可申請を出したのは、大正十五年二月の初め頃であった。
長瀬製作所の仕事場を借りて、会員の奉仕によって製作にかかった。トタン二枚合せて六尺角の大きなものに、白ペンキの下塗りをし地図を書いた。側の方には登山注意を書加え、枠は長瀬さんに作ってもらい、上部に日の出のマークを入れた立派なものだった。
製作に一ケ月以上もかかって出来たのであるが、鉄道の方から牧場名を消すように言われ、地名であるという説明をしても駄目だった。その許可を得るのに二ケ月近くかかって、漸く会員総出で駅前に建てたのが、五月二十三日で吉田村長を迎えて記念写真を撮ったのである。

十勝岳大爆発は皮肉にも、その翌二十四日起ったのである。
当時、上富良野へ着いた爆発見舞者が、この案内図に大勢集って見て居たのであった。
又この案内図標は駅前の大火で失くなるまで、多くの人々に利用されたのである。

かみふ物語  昭和54年12月 2日発行
編集兼発行者 上富良野町十二年生丑年会 代表 平山 寛