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十勝岳連峰にある避難小屋

上富良野町本町5丁目14番1号 中村 有秀
昭和12年11月28日生れ(79歳)

  はじめに
 大雪山国立公園の西南端にそびえる十勝岳は、標高2077mで十勝岳連峰の主峰であり、20世紀に入り3回の火山噴火が記録され、また山岳事故・遭難が発生しています。
 十勝岳大正噴火90年回顧の時を迎え、十勝岳連峰にある「避難小屋」の歩みを辿って記します。
 この十勝岳連峰には、登山道が通りピークに立てるものとして、主な12座の峰々が連なっており、北から順に記すと下記の通りです。






トウヤウスベ山・大麓山の山列は前富良野岳の奥影、境山・下ホロカメットク山の山列は上ホロカメットク山の奥影で見えない

 @ オプタケシケ山   2013m
 A ベベツ岳      1860m
 B 石垣山       1822m
 C 美瑛富士      1888m
   [美瑛富士避難小屋 ※トイレ無し]
 D 美瑛岳       2052m
 E 平ケ岳       2008m
 F 十勝岳       2077m
   [十勝岳避難小屋 ※トイレ無し]
 G 三段山       1748m
 H 上ホロカメットク山 1920m
   [上ホロカメットク山避難小屋 ※トイレ有り]
 I かみふらの岳    1893m
 J 三峰山       1866m
 K 富良野岳      1912m
 なお、正規の登山道から離れているため通常ルートでアクセスできない山は、鋸岳(1980m)、前十勝(1744m)、前富良野岳(1625m)、旭岳(1334m)、境山(1837m)、下ホロカメットク山(1920m)、トウヤウスベ山(1400m)、大麓山(1460m)などがあります。
 十勝岳連峰の12座に、春夏秋冬を通じて登山に観光、スキー・スノーボード・バックカントリースキー等に多くの人々が訪れています。
 特に近年は、高齢者及び女性の山を楽しむ人達が増えていますが、天候の急変、体調不良、装備不十分、経験不足等で、事故や遭難が報道されています。
 十勝岳連峰には、3座に避難小屋が設置されていますが、この避難小屋の歩みについて記します。
 安全と楽しい登山と、自然環境の保護のため、環境庁・上川振興局・上川中部森林管理署・上川南部森林管理署と美瑛町・上富良野町と地元の山岳会及び山岳救助隊の皆様が、登山道・案内指導標の整備と避難小屋の維持管理を長年にわたって実施されていることに感謝を申し上げます。
 避難小屋のトイレ設置は、上ホロカメットク山のみで、登山者のマナーもありますが、長時間の登山となるのでトイレの問題は切実で、早急な対策が求められています。
 大雪山国立公園連絡協議会発行の「登山者のみなさまへ」の案内書には、トイレについて次のように記してあります。
―登山者の糞尿が環境や景観に及ぼす影響が懸念されます。大雪山がいつまでも、大雪山にあるためにと―登山者に注意喚起をしています。
 @ 登山開始前にトイレに行きましょう。
 A トイレのない所では携帯トイレを使いましょう。
 B 使用済みの携帯トイレや紙類は持ち帰りましょう。
 十勝岳連峰にある避難小屋の暦年と写真を掲載し、岳人の皆様が『あの避難小屋に寄った・泊まった等』と懐かしく思いを馳せていただければ幸いです。
1. 十勝岳避難小屋
@1925(大正14)年建設

 十勝岳頂上東北の肩に北海道庁林務課により『十勝岳石室(いしむろ)』として建設される。
  ・収容人員  30人
  ・面積    記載なし
 日本山岳会発刊の『山日記』第1輯[1930(昭和5)年6月]版にて、『十勝岳石室』として、上記の様に記載、経過は山日記の項参照。

A1931(昭和6)年頃に建設(写真bP)

 美瑛町百年史に『頂上から数100mの所にあった』[1931(昭和6)年]と写真に記されている。
 北大山岳部部報第4号に、1932(昭和7)年11月3日の十勝岳山行記事で、十勝岳小屋の利用については、次のような記録があります。
『吹上温泉(前8時)〜前十勝岳(10・55―12・00〜頂上小屋(後1時)リュックを置く〜十勝岳頂上(1・15〜1・30)〜小屋(1・35〜2・30)氷の張った入口を破って入る』
 この十勝岳避難小屋の柱の一部や基礎部分が、「残っているのを見た」と古参の岳人が語っています。

掲載省略:(写真) bP:頂上から数百メートルの所にあった避難小屋[1931(昭和6)年頃]
掲載省略:(写真) bQ:大正火口下にあったシュナイダーハウス[1958(昭和33)年頃]右上奥に磯部硫黄鉱業所の宿舎が見える。1963(昭和37)年十勝岳噴火で破壊され噴石に埋没した。
掲載省略:(写真) bR:1968(昭和43)年に完成した十勝岳避難小屋。
掲載省略:(写真) bS:現在使用されている2008(平成20)年建替の避難小屋と、新築を知らせる『びえい新聞(2009年1月1日号)』

B1958(昭和33)年5月31日建設(写真bQ)

 十勝岳噴火口下の磯部硫黄鉱山元山事務所及び宿舎に隣接して、ブロック造りで建設され『シュナイダ―ハウス』と呼称された。
  ・収容人員  25人
  ・面積 不明
 ○1962(昭和37)年6月29日の十勝岳噴火により倒壊埋没した。

C1968(昭和43)年10月9日建設(写真bR)

 十勝岳周辺の登山者が増加し、山岳遭難事故が多発したことにより建設された。
 避難小屋は、北海道開拓100年を記念して入口ドアと窓枠で『100』をデザインしている。
  ・収容人員  不明
  ・面積    58.32u

D2008(平成20)年12月20日建設(写真bS)

 1968(昭和43)年建設から40年が経過し、その間に美瑛山岳会・美瑛町職員等が補修をしていたが、老朽化が甚だしいので美瑛町と上川中部森林管理署によって建設された。
 建設費用の内訳は次の通りである。

  ・上川中部森林管理署 4,672,500円
      (資材の製作及び現地までの運搬費)
  ・十勝岳避難小屋建設連絡協議会
             2,205,000円
            (組み立て・建設費)
       合計    6,8777,500円

 十勝岳避難小屋建設連絡協議会は、美瑛町・美瑛山岳会等の関係機関で構成されている。その後、組織は『美瑛町山岳事故防止協議会』(会長 浜田 哲)となる。建設後の2008(平成20)年12月15日にて『上川中部森林管理署長 小原正人氏』と『美瑛町山岳事故防止協議会長 浜田 哲氏』の両者で確認書が交わされた。
 その内容は、『十勝岳避難小屋の維持・管理等については、関係機関の協力を得て上川中部森林管理署が行う』とあり、現在も維持管理は上川中部森林管理署が担っている。
  ◇避難小屋の概況
 ・建設  上川中部森林管理署・美瑛町山岳事故防止協議会
 ・建設面積 29.16u
 ・高さ   4.575m
 ・構造   木造平屋建て、屋根切妻
       (風除室・小上がり・避難室)
 ・外壁   針葉樹野地合板(茶色)
 ・屋根   長尺カラー
 ・収容人員 20人
 ・トイレ  無し
2. 美瑛富士避難小屋
@1940(昭和15)年建設(写真bT)

 美瑛富士南側に帝室林野管理局旭川出張所が建設す。
 ・収容人員 14人
 ・面積   記載なし
  (『北海道の登山史探求』高澤光雄著 2011(平成23)年6月10日発行 P246)
 日本山岳会発刊の『山日記』第8輯(しゅう)〜第14輯1937〜1943(昭和12年〜昭和18年)版に追記された山小屋として、上記のように記載されている。

A1953(昭和28)年建設(写真bU)

 美瑛町が設置者及び管理者として建設す。
 ・収容人員  記録なし
 ・面積    記録なし
○1955(昭和30)年7月
 屋根破損し修理する。
○1963(昭和38)年
 建設後十年が経過し損傷が激しく大改修を行う。
○1995(平成7)年9月12日
 厳しい自然環境と、建設後42年が過ぎて老朽が著しく強風により倒壊す。増補中央高地登山詳述年表稿(吉田友吉編著 平成8年8月8日発行)によると、倒壊の知らせが望岳台に9月13日に掲示されたと記録されている。

B1996(平成8)年8月11日建設(写真bV)

 1995(平成7)年9月12日に倒壊したので、大雪山系では初の軽量鉄骨造りの平屋建にて、美瑛町が設置者及び管理者として建設される。

  ◇避難小屋の概況
 ・建設   美瑛町
 ・敷地   28.92u(国有林借地)
 ・建設面積 27.00u
 ・高さ   2.6m
 ・構造   特注のスーパーハウス(プレハブ)
 ・外壁   金属サイデイングボード(淡クリーム)
 ・屋根   長尺カラートタン(赤褐色)
 ・収容人員 10人〜20人(実質15名位)
 ・トイレ  無し
 ・建設費  美瑛町  8,700千円

 避難小屋の利用状況は、下記の記録があったので記する。現在は一シーズン500名位と推計される。
  2000(平成12)年7月3日〜9月17日
               481名
  2001(平成13)年6月〜10月
               573名

掲載省略:(写真) bT:1940(昭和15)年建設の美瑛富士避難小屋
掲載省略:(写真) bU:1953(昭和28)年建設の美瑛富士避難小屋。1995(平成7)年9月12日の強風で倒壊した。
掲載省略:(写真) bV:現在使用中の1996(平成8)年8月11日建設の美瑛富士避難小屋

3. 上ホロカメットク山避難小屋
 1980(昭和55)年9月29日建設(写真bW・9)

 この避難小屋は、十勝岳連峰を訪れる登山者の休憩や宿泊の場として、また天候急変・遭難等の避難施設として建設された。
  ◇避難小屋の概況
 ・建設   北海道
 ・工事   当麻町 平井建設工業
 ・建設面積 19.8u
 ・延べ面積 35.6u
 ・構造   木造・中2階建て
 ・外壁   カラマツ丸大の校倉積(素地)
 ・附属建物 便所 4.9u
 ・設置地番 新得町屈足
       国有林新得事業所153林班イ小組
 ・経度緯度 東経  142度4070
       北緯   43度2430

  ◇避難小屋の『掲示看板』
 掲示看板は2枚作製され、1枚は避難小屋の入口上の外壁に取り付けされた。あと1枚は、小屋内に取り付けされたが、この2枚の看板は、当時上川支庁長である『我孫子 健一氏』の揮毫による。
 建設時の避難小屋看板は、下記のようになっていた。

  ◇避難小屋の補修
 建設時から、北海道→上富良野町→上富良野山岳会(総体的管理者)として維持管理を行っていた。従って、上富良野山岳会・上富良野十勝岳山岳救助警備隊が長年にわたって、補修整備・清掃を行って来ている。
 1997(平成9)年9月に、建設後17年を経て『避難小屋の屋根と外壁補修』『公衆便所外壁補修』を4,253千円にて施工された。
 『上川支庁長 我孫子 健一』の名が刻まれていた避難小屋看板は、長年の風雨雪で判読が困難になり、避難小屋内にあった看板が入口外壁に移設された。(写真10)
掲載省略:(図) 上ホロカメットク山避難小屋看板
掲載省略:(写真) bW: 1980(昭和55)年9月29日上ホロカメットク山避難小屋開所式に集まった関係者
掲載省略:(写真) bX:十勝岳本峰を背景にした上ホロカメットク山避難小屋
掲載省略:(写真) 10:(左)開所時の表示看板と(右)1997(平成9)年の改修工事の際に付け替えられた表示看板
4. 日本山岳会発行『山日記』に掲載の山小屋について
 社団法人日本山岳会が編集発行の『山日記』の中で、山小屋・避難小屋について記載されているので、十勝岳連峰関係について転載します。

 (1) 第1輯(しゅう) 1930(昭和5)年版に収録
山小屋等名 所在地 建設年 所属 収容
十勝岳石室 十勝岳頂上東北肩 大正14年 北海道庁林務課 30人
吹上温泉 十勝岳西麓硫黄山南下 昭和3年 飛澤清治 20人
   『十勝岳石室(いしむろ)』について

 1923(大正12)年1月25日に北海道山岳会が誕生した。総裁は宮尾舜冶北海道長官、会長は道庁土木部長の稲葉健之助で、行政的な官製山岳会であった。
 山岳思想の普及、登山の大衆化を目指すばかりでなく、広大な北海道の土地を知らしめる殖民地的な政策もあった。
 1923(大正12)年2月5日、道庁土木部長室で田中館秀三・林常夫・木下三四彦ら20名の幹事で協議会を開催。今年度の予算措置として、石室設備に旭岳・黒岳に各2,000円、駒ケ岳・雌阿寒岳に各500円を計上。『十勝岳石室』は継続審議とされている。
 従って、『旭岳石室』と『黒岳石室』は北海道庁林務課によって1924(大正13)年に建設された。
 『十勝岳石室』は、翌年の1925(大正14)年に北海道庁林務課により建設された。しかし、大正15年の十勝岳噴火で崩壊した。
 (2) 第2輯〜第7輯 1931〜1936(昭和6〜11)年版に収録
山小屋等名 所在地 建設年 所属 収容
十勝岳石室 美瑛本流造林休泊小屋 昭和4年 帝室林野管理局旭川出張所 10人
美瑛忠別造林小屋 美瑛御料地 昭和7年 帝室林野管理局旭川出張所 10人
十勝岳監視小屋(白銀荘) 吹上温泉東北方 昭和7年 北海道庁管理富良野営林区署 15人
勝岳荘 吹上温泉東北方 昭和8年 上富良野十勝岳保勝会 10人
 (3) 第8輯〜第14輯 1937〜1934(昭和12〜18) 年版に収録
山小屋等名 所在地 建設年 所属 収容
美瑛富士避難小屋 美瑛富士南側 昭和15年 帝室林野管理局旭川出張所 14人
トムラウシ山避難小屋 瓢箪沼畔 昭和15年 北海道景勝地協会 10人
 (4) 第18輯 1953(昭和28)年版に収録
山小屋等名 所在地 建設年 所属 収容
美瑛澤休泊所 美瑛忠別区画126(十勝岳) 昭和14年 旭川市外神楽町神楽営林署 30人

 第18輯に『白銀荘』・『勝岳荘』について再録されているので、前記(2)の建設から20年を経ての記載なのでここに記す。宿泊費が明記されている。
◎白銀荘
 ・昭和7年建設     ・標高1,030m
 ・吹上温泉東北方500mの地点(十勝岳)
 ・富良野営林署管理   ・収容人員 20人
 ・管理人常駐するも事業用につき一般使用は不可
 ・宿泊費 250円    ・冬季利用可

◎勝岳荘
 ・昭和8年建設     ・標高1,020m
 ・瀧の湯吹上温泉東北方200m(十勝岳)
 ・富良野営林署管理   ・収容人員 30人
 ・管理人無し
 ・宿泊費  50円    ・冬季利用可
 尚、『山日記』の第15輯〜第17輯の10年分の資料の入手ができなく、掲載できないのが残念です。

掲載省略:(写真) 白銀荘(上)と勝岳荘(下)
 == 日本山岳会発行の『山日記』とは ==

 山岳会員及び一般登山者に対しての、山行(登山)の案内手引書として作製され、携帯に便利な手帳式の文庫版。
 第18輯の主要目次は次の通りで、登山関係を網羅した山岳便覧である。

  @登山概念図(全国を12地区に分けての登山地図〜北海道は大雪山連峰)
  A登山の注意 B冬山登山 C所有者の住所氏名 D日記欄
  E自由記入欄 F天気図 G方眼紙  H高山植物 I星座図
  J登山と気象 K山小屋 L応急手当及び登山衛生
  M応急時対策 N装備・食料と登山用品表 O山の歌(10曲)

5. 十勝岳望岳台防災シェルター
 2016(平成28)年9月30日竣工
 活火山十勝岳が上富良野・美瑛に開拓の鍬が下されてから3回の噴火災害が発生している。
@1926(大正15)年5月24日
     死者・行方不明者  144名
 1926(大正15)年9月8日
     死者・行方不明者   2名
A1962(昭和37)年6月29日
     死者・行方不明者   5名
B1988(昭和63)年12月16日
     死者・行方不明者   なし
 ※1990(平成2)年6月10日 警戒区域解除
 1926(大正15)年の噴火では、平山硫黄鉱業所で噴石と泥流で25名。1962(昭和37)年の噴火では、磯部硫黄鉱業所で噴石によって5名の犠牲者が出ている。いずれも、宿舎の中や避難途中での災害であった。
 2014(平成26)年9月27日に、長野県と岐阜県にまたがる『御嶽山』の突然の噴火により、噴石の直撃と降灰を受けて犠牲者58名、行方不明者5名を出した。
 美瑛町では、これを教訓として十勝岳噴火に備えた避難施設整備として進めていた『十勝岳望岳台防災シェルター』が竣工し、2016(平成28)年10月19日にオープン記念式典が行われた。この式典で、美瑛町の浜田 哲町長は『安全を確保しつつ、火山を資源として活かしたい』と語られた。
  ◇望岳台防災シェルターの概要
 ・建設   美瑛町
 ・敷地面積 873u
 ・建設面積 368.38u
 ・延床面積 303.30u
 ・建物構造 鉄筋コンクリート、平屋建(コンクリートの厚さは最低で20p、内装は地元のカラマツ材)
 ・主要諸室 避難スペース、事務室、トイレ(男・女・多目的)
       ポーチ、風除室、ホール、物品庫
       機械室(非常用発電機・受水槽)
 ・付帯設備 給水設備・合併浄化槽
 ・展示設備 床地図(40u)・大型モニター(3台)・解説パネル(8枚)
 ・非常用備蓄
   ヘルメット  100個  毛布     100枚
   アルミセット 100枚  懐中電灯    50個
   アルファ米  900袋  長期保存水  900本
 尚、床には十勝岳連峰と登山道の8千分の1の地図が描かれている。情報モニターには、火口付近の監視映像・気象情報・登山道の様子が映されており、情報発信の拠点でもある。
 火山砂防設備や十勝岳ジオパーク構想などの解説パネル8枚もある。
 開館期間は、4月下旬〜12月下旬となっているので『望岳台防災シェルター』を一度見学することをお勧めする。

掲載省略:(写真) 望岳台防災シェルター出入口方向(上)と連峰を背景にした裏側(下)
掲載省略:(写真) 2016(平成28)年10月19日の「望岳台防災シェルター」オープンテープカット。左から4人目:上富良野町長 向山富夫氏、5人目:美瑛町長 浜田 哲氏
◇取材に協力をいただいた皆様
・環境省東川自然保護官事務所
・上川中部森林管理署
   統括事務管理官   西間 孝志 氏
・美瑛町役場       田野 寛之 氏
・上富良野町役場     深山  悟 氏
             角波 光一 氏
             和田 明子 氏
◇取材の参考資料
・『山日記』        日本山岳会
・『北海道の登山史探求』  高澤 光雄 著
・『増補・中央高地登山詳述年表稿』吉田 友吉 編著
・『旭川山岳会報』
・『美瑛町百年史』
・『美瑛山岳会 40年史・50年史』
・『北海道大学山岳部 部報』
・『上富良野十勝岳山岳救助警備隊創立30周年誌』
・『広報 かみふらの』
・『びえい新聞』

機関誌      郷土をさぐる(第34号)
2017年3月31日印刷      2017年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀