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「上富良野町字名廃止の経過について」

上富良野町錦町 野尻巳知雄
昭和十二年三月三十一日生(七十七歳)

一 郷土館は元役場庁舎を再現
 私が役場に奉職した昭和三十一年頃の役場庁舎は大正八年に建設され、当時は上川管内でもモダンな木造建造物として多くの市町村から視察に訪れたとの記録があるほどのモダンな建物でした。
 しかし築三十七年を経過した木造の建物は、基礎はがっちりしていても、いたるところに傷みが見受けられ、冬はすきま風が吹き込んでくるので、小さなストーブによる暖だけでは厳寒期の事務は手がかじかむ作業の連続でした。
 建物の内部は、玄関を入ると左に収入役の窓口があり、中央の通路の左右にカウンターが作られて、正面のカウンターが戸籍係の窓口となっていました。(その建物をモデルとして再現されたのが現在の郷土館です。)
 昭和三十一年十二月、陸上自衛隊が上富良野に駐屯することとなったことから、その事務処理のために、数人の役場職員が地方公務員から国家公務員に転出しました。その補充として新人職員の募集が行われ、面接の結果私と故滝本明氏(途中上川町役場に転出)、故吉田昇氏、坂弥吉男氏(途中道庁に転出)、芳賀正夫氏の五名が採用されることとなりました。
 最初の辞令は、全員「臨時雇」の名目で雇用され、翌年の四月一日付で「事務補」となって正式に町職員となりました。私は戸籍係に配属されて窓口業務の一員として勤務することとなりました。
 戸籍係の仕事は、戸籍謄本(抄本)の発行など現在の住民係(町民生活課総合窓口班)の仕事とほとんど変わりはありませんが、戸籍謄本(抄本)の発行はすべて手書きで写しとる方法であり、戸籍の原本から一字一句を間違いなく書き写すことは容易ではありませんでした。すべてが手書きであったので、戸籍謄本の交付申請があっても、すぐに書き写すことが出来ず、謄本の受領は翌日に受け取りに来ていただく様な状態でした。
 現在の様に機械化・電子化され、原本がそのまま複写されることは夢のまた夢の様な現実であったと言えましょう。
 そのときに疑問に思ったのが「北海道空知郡上富良野町字上富良野」や、「北海道空知郡上富良野町字中富良野」などの「字」名の表示でありました。
 当時の戸籍の表示はその大半が「北海道空知郡上富良野町字上富良野東(西)○線北○号」、「北海道空知郡上富良野町字中富良野東○線北○号」で、また市街地区は現在の緑町から扇町までの区域のすべてを「北海道空知郡上富良野町字上富良野市街地」と表示されて、住居表示が整理されていなかったので、三千戸あまりの世帯の地域を「市街地」だけで一括表示していました。そのままの住所を書いた郵便物があると、郵便局泣かせのような状態が続いていたのです。
二 字名はいつの時点から使われたのか
 字名が付けられたのはどの時期になるかについて調べてみました。
 富良野原野に開拓の鍬がおろされた富良野村は、歌志内村と共に明治三十年七月一日に誕生しました。
 前年度の明治二十九年に区画測量され、明治三十年の四月一日から開拓地の貸付受付が行われています。
 最初の貸付地の出願者は、明治三十年四月一日に東京市に住む人見寧外三名(詳しくは郷土をさぐる二十五号を参照)と、広島県に住む石井英太郎、旭川村に住む堀井民三、徳島県に住む田中八太郎、札幌区に住む町村金弥でした。
 当時の未開地貸付台帳の記載内容に出てくる住所欄を見ると、最初の人見寧の申請では、貸付地積欄に「石狩国フラヌ原野百五十弐万弐千四百三十七坪」となっており、他の申請者についても字名はもちろん村名も記載されておりません。
 これは当時、富良野村の誕生前で奈井江村の所管となっており、歌志内同様にまだ自治体として独立していなかったためと思 われますが、それにしても奈井江村字富良野の表示がなされるべきと考えるが、そのへんは定かではありません。また人見寧の申請書には裏面の「起業方法」欄や「事故」欄に何線何号と地名が表示されているのでその場所を特定することが出来ますが、明治三十七年に申請し、川田金七・田中勝次郎、山崎由松外二十五名に分割譲渡している旭川在住の「岡本一之助」の出願地積欄では、上富良野村字富良野原野九十四万六千六百三十三坪のみの記載で、上富良野村のどこに当たるかもまったく不明です。
 参考までに、富良野村に最初に戸籍を定めた松井為四郎さんの戸籍簿を見ると、「北海道空知郡奈江村字歌志内ビラクシ」と記載されており、その後「空知郡上富良野村字中富良野東四線北九十七番地」に訂正されています。

掲載省略:戸籍簿複写「当時の表示が残る松井氏戸籍簿」

 また、富良野村が独立した後の明治三十一年七月一日以後に出願している申請書でも、七月七日に申請した小樽区に住む重松サダの出願書の地積欄では、「空知郡富良野原野五十万八百七十五坪」とのみ記載されており、富良野村名は記載されていません。明治三十二年九月十一日に出願している大島七之助の地積欄でようやく村名と字名が出てきており「空知郡富良野村字ペペルイ」と記載されていることから見ると、この頃からようやく村名と字名が使われるようになったものであり、富良野村の誕生とともに字名の使用が始まったものと思われます。
 ただ、明治二十年に柳本通義によって行われた富良野原野の植民地選定では、「上フラヌ原野面積千八十三万九千坪」、「中フラヌ原野面積千五百三十九万七千五百坪」、「下フラヌ原野面積六百三十七万五千二百五十坪」、「ケナチヤウシ原野面積二百七十万四千七百五十坪」(山部以南の空知川上流地域)と、後の大きな字名の区域毎に分けられており、明治三十年の植民地選定区画はこの区分によって区画測量がされているので、選定区画地の入植には「富良野村字上富良野東(西)○線北○番地《号》」のように表示されることとなったものと思われます。
 区画外の入植地には、植民地選定時の区分による字名の使用はされず、「空知郡富良野村字ベベルイ」や「空知郡富良野村字コルコニウシュベツ」のように川の名前や、直接その地名(アイヌ地名が多い)で表示がされています。
 明治三十六年七月八日に富良野村の南方を割き下富良野村が置かれ、富良野村を上富良野村に改称され、大正六年四月一日に上富良野村を分割して中富良野村をおいてからも、上富良野村の中に「字中富良野」(主に東中地域)の字名が残されて使用されていました。このため、「字中富良野」は、「上富良野村字中富良野」と「中富良野村字中富良野」の様に両村で使用されることとなって、非常にまぎわらしい状態が長く続いて使用されており、この状態は、後の住居表示が改正されるまで続いていました。
三 行政区割りで区制が敷かれる
 「上富良野町字上富良野市街地」の表示で市街地のすべてを表示されていた住居表示は、昭和三十六年に区制が敷かれ、市街地は北栄区、中央区、西富区、東区、南区、新日の出区に分けられました。昭和四十三年に再び新しい区画割が行われ、常磐区、中央区、西富区、北栄区、本町区、旭区、春日区、住吉区に変更となりました。しかし、戸籍簿では相変わらず「北海道空知郡上富良野町字上富良野市街地」のみで表示されており、正式には区の名称は使用されておりませんでした。
 その後、昭和五十六年に市街地の三千戸あまりの住所表示が「字上富良野市街地」のみで表示されているために、新たな住居表示を行い住所の表示を明確にするために、十一月一七日に「上富良野町住居表示委員会」を立ち上げ、市街地の住所を整理することが審議されました。
 「上富良野町住居表示委員会」の答申を受け、昭和五十七年十一月一日に当時の企画係長を担当していた末永鉄哉氏によって、市街地区の住居表示の整備が行われました。
最初に市街地東側地区(線路を基準に東側の地域)を、新しく緑町(自一丁目、至三丁目)大町自一丁目、至五丁目)、南町(自一丁目、至四丁目)、旭町(自一丁目、至五丁目)、新町(自一丁目、至五丁目)、東町(自一丁目、至五丁目)、宮町(自一丁目、至六丁目)、丘町(自一丁目、至四丁目)、向町(一丁目)、桜町(自一丁目、至三丁目)本町(自一丁目、至六丁目)に分け、それぞれを番地で区分し、住居毎に号数を付けて新しい住所の確定が進められました。

注 住民票に表示されている住居ごとの号数は、本籍地の住所では番地までが表示され、号数は使われない

 翌五十八年十一月一日には市街地西側地区(線路を挟んだ西側の地域)の住居表示が施行され、富町(自一丁目、至三丁目)、錦町(自一丁目、至三丁目)、中町(自一丁目、至三丁目)、栄町(自一丁目、至三丁目)、泉町(自一丁目、至三丁目)、扇町(自一丁目、至三丁目)、北町(自一丁目、至三丁目)、光町(自一丁目、至三丁目)、西町(自一丁目、至四丁目)に区分し、それぞれを番地で区割りされ、住居毎に号数を付けて、ようやく細かな住所で表示されることとなりました。
 その後、住居表示によって市街地区は自動的に「字名」の「字上富良野」の部分が無くなりましたが、郡部については依然として字名の「字上富良野」「字中富良野」などの字名が、そのまま残っておりました。
 私は、戸籍係を離れて三十二年後の昭和六十三年四月に、教育委員会から町民課に異動を命じられ、再び住民登録や戸籍関係の業務も所管することとなりました。
 戸籍事務が機械化されて手書きの戸籍謄本の発行はなくなりましたが、住居表示で整理された市街地区以外の郡部については、依然として「北海道空知郡上富良野町字上富良野東(西)○線北○号(番地)」や「北海道空知郡上富良野町字中富良野東○線北○号(番地)」などの「字名」の表示がそのまま残って使用されていました。
 私は長年に亘って疑問に思っていた「字上富良野」「字中富良野」などの字名を廃止して事務の簡便化を図ることが出来ないものかと考え、当時課長補佐として町民課で共に仕事をしていた高橋克正氏と相談し、「字名」の廃止に向けて検討することとにしました。
四 字名廃止の検討
 まず最初に上川支庁を訪れ、「字名」の廃止をする場合の手続きについて相談したところ「字名」の廃止は支庁の管轄外なので直接道庁に行って聞いてほしい』と言われ、後日道庁の担当課へ赴き訊ねたところ、『「字名」の廃止をするには、字の区域を確定した図面を作成して持ってくるように』との指示を受けて帰ってきました。
 しかし、現実的には「字上富良野」と「字中富良野」や「ヌッカクシフラヌ川上流」など字の区域を、図面に書いて特定することは非常に困難であり、お互いに入り交じっていたり、「字名」の表示も住民票、土地台帳、戸籍簿、行政区画便覧でそれぞれ一致しておらず、字名による区画の確定は不可能であることがわかりました。
 また、最初は「字上富良野」「字中富良野」の字名を廃止しても、地名の表示に何ら差し支え無いのではないかと単純に考えていましたが、字名には「字上富良野」「字中富良野」の字名の外にも「字ヌプカクシフーラヌイ上流」、「字ワリカピリカフラヌイ」、「字フーラヌイ川上流」、「字富良野原野エホロカンベツ」、「字富良野原野区画外」などといった地名が七十余ほどあり、『住民票』、『土地台帳』、『行政区画便覧』(市町村の報告に基づいて日本加除出版が作成したもの)、『戸籍簿』などの表示がそれぞれが一致しない地域や字名があるなど非常に複雑に表示されていることが解りました。
 その一部は別表の通りですが、住居表示や地名では現在使われていない多くの表示が有ることが解ると思います。
 実際に草分に住む高士清一さんの戸籍と土地台帳の地番を見ると、戸籍では「北海道空知郡上富良野町字上富良野西三線北百七十番地」となっていますが、住民票では「北海道空知郡上富良野町字上富良野西三線北二十八号」であり、土地台帳は宅地「北海道空知郡上富良野町字富良野原野六三二番十二」となっています。
 字名の廃止の場合、「上富良野町字松井牧場」などの上富良野町から直接地域の名称が表示されているものもあり、字名のすべてを廃止することは出来ない地域もあることが解りました。
つまり、字名の廃止には、数多くある字名も現在使用されていない有名無実の「フーラヌイ川上流」の字名や、字の地域を特定することが困難な「ワリカピリカフラヌイ」などの字名と、現在使用している「十人牧場」や「倍本農場」などの字名を分類する必要があり、廃止できる字名と、廃止できない字名を区分することから始めました。また後になって、字名のすべてを廃止する必要はなく、廃止しても差し支えのない字名のみを区分して道庁に届ければ、図面の添付も必要なく廃止できることが解り、それらの作業を進めることとしました。

掲載省略:複写「当時の記載が残る高士氏戸籍簿と住民票」


字名表示の区分
住  民  票 戸  籍  簿 土 地 台 帳 行政区画便覧
字上富良野
基線北20号〜34号
字上富良野
基線北(120〜204番地)
字上富良野
基線北120〜204番地
  
字上富良野
字中富良野
東1線〜北16号〜29号
字上富良野
字中富良野
東1線〜北95〜174番地)
字上富良野
字中富良野
東1線〜北95〜174番地
 
字上富良野
西2線〜北20号〜37号
字上富良野
西2線〜北(120〜204番地)
字上富良野
西2線〜北120〜2(畦番地
 
字中富良野倍本牧場
字中富良野倍本農場
字中富良野倍本牧場
字中富良野倍本農場
  字中富良野倍本農場
字中富良野西谷牧場      
字上富良野山加     字山加農場
字上富良野中ノ沢 字上富良野中ノ沢    
字上富良野吹上 国有林○林班    
字上富良野宮下牧場     字宮下牧場
字上富良野第1安井牧場     字第1安井牧場
字上富良野十人牧場      字十人牧場
字上富良野細野農場     字細野農場
字上富良野沼崎     字沼崎農場
字上富良野津郷     字津郷農場
字上富良野新井牧場     字新井牧場
字コルコニウシュベツ 字コルコニウシュベツ 字コルコニウシュベツ 字コルコニウシュベツ
字富良野原野 字富良野原野 字富良野原野 字富良野原野
字上富良野市街地 字上富良野市街地 字上富良野市街地 字上富良野市街地
    字上富良野市街地予定地  
    字上富良野原野 字上富良野原野
    字フラヌ原野 字フラヌ原野
    字富良野原野区画外 字富良野原野区画外
    字エホロカンベツ区画外  
    字ワリカピリカフラヌイ 字ワリカピリカフラヌイ
    字中富良野原野 字中富良野原野
  字上フラノ 字上フラノ 字上フラノ
    字エホロカンベツ原野 字エホロカンベツ原野
    字富良野原野エホロカンベツ 字富良野原野エホロカンベツ
    字富良野エホロカンベツ  
    字ナイエ 字ナイエ
    字上フラヌ 字上フラヌ
    字ナエ原野 字ナエ原野
  字ナエ 字ナエ 字ナエ
    字フラヌ 字フラヌ
    字フーラヌイ川上流 字フーラヌイ川上流
    字フラヌイ  
    字エパナマエホロカンベツ 字エパナマエホロカンベツ
    字エパナマカンベツ  
    字フラノ 字フラノ
    字ヌプカクシフーラヌイ 字ヌプカクシフーラヌイ
    字ヌプカクシフーラヌイ上流 字ヌプカクシフーラヌイ上流
  字エホロカンベツ 字エホロカンベツ 字エホロカンベツ
  字ベベルイ 字ベベルイ 字ベベルイ
字ベベルイ 字ベベルイ 字ベベルイ  
    字ヌッカクシフラヌイ  
    字富良野 字富良野
    字名ナシ  
字金子農場     字金子農場
字霜鳥牧場     字霜鳥牧場
字島津農場     字島津農場
字第2安井牧場     字第2安井牧場
      字上富良野町
      字フラノベベルイ
      字ヌプカクシフラヌイ
      字静修
  字江幌菅別    
字豊郷 字豊里    
  字中フラヌ    
  エホロカンベツ    
  番外地    
字共進      
字第1共和      
字里仁      
字松井牧場      
字津郷農場      
字富原      
字里仁      
五 字名廃止の問題点
 作業を進めるに当たって、まず廃止に伴う課題や問題点は何か。また字名の廃止に伴うメリットとデメリットを羅列してみました。
○字名廃止の利点
 字名の廃止による利点として次のような事が考えられました。
1) 事務が簡素化され、事務処理上のミスが減少する。
2) 「字上富良野」と「字中富良野」の区分が無くなり、「東(西)○線北○号」に統一されて表示が簡素になる。
3) 七十余りの字名が整理され、現在使われている農場、牧場名で区画が統一され、バラバラであった住所と位置が確定して統計処理などがし易くなる。
4) 行政区域と住所が一致して、住居表示が一本化されて住民組織の再編や事務処理が簡便化される。
○字名廃止のデメリット
1) 住民が永く親しんだ地名が失われる。
2) 住民基本台帳、戸籍原簿など多くの台帳の書き換えが必要となってくる。(事件が発生した時点で書き換えることで処理可能)
3) 関連する関係機関(法務局富良野出張所など)との事前調整が必要となる。
 字名廃止に伴うこれらの問題点や課題を明記して課長会議で意見を求め、平成元年十月に具体的な字名廃止の原案を作成して、理事者の決裁を受けました。その後、住民会長会議で意見を求め、更に各課の意見を調整して議会の所管委員会に諮るなどにより、各関係機関・団体・町民など多くの人々から意見を聞きましたが、ほとんどの人が賛成意見でありました。
 平成二年三月の定例議会の議決を得たところで、四月一日付で町立病院の事務局長に異動となったので、後の事務処理を高橋補佐に託して町民課を離れました。
 平成二年六月十三日付で、横路孝弘北海道知事宛に「上富良野町の字の区域の廃止の届け出」を提出し、平成二年七月三日の北海道公報で告示されて認可を受け、ようやくあの煩雑であった「字名」が無くなることになりました。
 その時に申請した字の区域を廃止した名称は次の通りです。
字の区域を廃止するもの
字  名
字上富良野 字上フラヌ
字上富良野原野 字フラヌ原野
字富良野原野 字富良野原野区画外
字富良野 字エホロカンベツ区画外
字中富良野 字ワリカピリカフラヌイ
字ペペルイ 字中富良野原野
字エホロカンベツ 字上フラノ
字ヌ 字エホロカンベツ原野
プカクシフーラヌイ上流 字富良野原野エホロカンベツ
字ヌ 字ナイエ
プカクシフーラヌイ 字フラヌ
字コルコニウシュベツ ペペルイ
字エバナマエホロカンベツ 字ベベルイ
字フーラヌイ川上流 字フラノ
字フラヌ 字富良野エホロカンベツ
字ナエ 字静修
字ナエ原野  
六 字名のあった除籍簿の主な表示
 当時使用されていた字名で、除籍簿から見る「字の名称のある本籍」の主なものは次の通りです。
(一) 北海道石狩国空知郡富良野村字上富良野
(二) 北海道石狩国空知郡富良野村字中富良野
(三) 北海道石狩国空知郡富良野村字下富良野
(四) 北海道石狩国空知郡上富良野村字上富良野
(五) 北海道石狩国空知郡上富良野村字中富良野
(六) 北海道石狩国空知郡上富良野村字下富良野
(七) 北海道空知郡上富良野村字上富良野
(八) 北海道空知郡上富良野村字上フラノ
(九) 北海道空知郡上富良野村字ベベルイ
(十) 北海道空知郡上富良野村字ペペルイ
(十一) 北海道空知郡上富良野村字中ノ沢
(十二) 北海道空知郡上富良野村字エホロカンベツ
(十三) 北海道空知郡上富良野村字江幌菅別
(十四) 北海道空知郡上富良野村字コルコニウシュベツ
(十五) 北海道空知郡上富良野村字豊里
(十六) 北海道空知郡上富良野村字ナエ
(十七) 北海道空知郡上富良野村字中富良野
(十八) 北海道空知郡富良野村字上富良野
(十九) 北海道空知郡富良野村字中富良野
(二〇) 北海道空知郡富良野村字下富良野
(二一) 北海道空知郡富良野村字中フラヌ
(二二) 北海道空知郡上富良野町字上富良野
(二三) 北海道空知郡上富良野町エホロカンベツ
(二四) 北海道空知郡上富良野町字ベベルイ
(二五) 北海道空知郡上富良野町字ペペルイ
(二六) 北海道空知郡上富良野町字市街地
(二七) 北海道空知郡上富良野町字富良野原野
注:本籍の次に東○線北○号、西○線北○号、市街地番外地、○番地等が付くものもあります。
 このほかに、先に比較して示した戸籍の表示にあるように様々な字名がありましたが、そのほとんどはあまり使用されていなかったようです。
 その他の戸籍簿の表示の一例として日新に居住していた渡辺秋雄さんの戸籍では「北海道空知郡上富良野町字上富良野新井牧場清水沢参拾番地」のようになっています。これらは、字名の廃止によって「北海道空知郡上富良野町新井牧場清水沢三十番地」となり、簡便化されるようになっています。
 改正後の戸籍簿等の訂正事務は、そのほとんどを事件発生時に訂正されており、現在は新しい住所や本籍の表示が不便なく使用されています。

掲載省略:戸籍簿複写「渡辺氏の戸籍簿」
掲載省略:文書複写「資料〜字の区域の廃止の届け出書類」
掲載省略:文書複写「資料『字の区域の廃止する』北海道公報」

機関誌      郷土をさぐる(第31号)
2014年3月31日印刷      2014年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一