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昭和前期の祭りの催し物

成田政一 昭和六年四月二十三日生(八十二歳)
大森金男 昭和七年四月一日生(八十一歳)

成田政一 大森金男
 七十五年前(昭和十五年ころ)上富良野神社祭典は、上富良野尋常高等小学校(現在の上富良野町立上富良野小学校)に入学して間もない低学年のころの私共にとっては、夏休みに入っての楽しみのひとつだった。
 七月三十一日の宵宮祭りから本祭りの八月二日までの三日間は、出店に親や兄弟と連れ立って歩いたり、見世物小屋(サーカスや曲馬団、お化け屋敷など)をみてまわった。
 当時の出店は、現在の「通称=銀座通り」といわれる、高橋建設(株)前から日劇会館前を通り上富良野駅前通りまでで、数百軒の出店で賑わい、夜は裸電球やガス灯が灯り、浴衣掛けの大人に連れられた子供たちが、夜遅くまで行き交っていた。
 サーカスや見世物小屋などは、一週間ほど前から建てられ、当時、興行主と言われた島津の山田輝秋さんらの指示で、年々場所の設定は違うが、現在の「ツルハドラック前(昔の上富良野劇場付近)や、日劇会館付近、セントラルプラザ付近などがよく利用され、七月三十一日から興行が始められていた。
サーカス小屋での曲芸や演技
 親に連れていかれて観たサーカスのメンイベントは、空中ブランコ。小屋の中ほどの所に「安全ネット」が張られ、高いところにスタート台が置かれ、続いて第一ブランコ、中ほどに短いブランコに逆立ちに乗り手渡しする演者が構え、スタートしてきた演者を手渡しし,第三のブランコへ。第三ブランコから戻る時、次の演者と空中で入れ替わるなど、手に汗を握るシーンが繰り広げられた。
 このほか、曲馬団は馬上で逆立ちしたり、馬の背中から演技者が突然消えたり(演技者が反対側の腹部に隠れて、客からは観えないで消えるように感ずる演技),燃え盛る「火の輪」を潜ったり、後ろ脚二本で立ち歩くなどしていた。
 カンガルーと人間とのボクシングも、珍しい曲芸で、人間同士のボクシングと同じで打ち合っていたが、子持ちのカンガルーでは、たまに腹の袋より子がちょいちょい顔を出す可愛らしさを見せていた。
 小屋の上から下端へ長く張りめぐらした綱渡りでは、目隠しして扇子を持ち上げて渡たり、上の方から一気に滑り降りるシーンも演じられた。
 ライオンやトラの猛獣使いは、長いムチを振るって平均台を渡らせ、人間の子供らを手なずけて演技させて居る様だった。

掲載省略:写真「サーカス小屋前に集まり見入る町民ら」
お化け屋敷や見世物小屋
 暗がりの通路で、突然、長い髪をふり乱した青白い表情の女が現れ、恐ろしい感じを与え、最後に強い青白い光が、きらめくと同時に仏壇の暗闇の中に消えてゆく情景で、ぞーっとし背筋から冷や汗が流れ、子供たちが奇声を発すると、なお恐ろしさがつのる。
 人形芝居も上演される小屋もあり、楽しさと面白さと、恐怖などを感じながら見入っていた。
オートバイの曲芸乗り
 オートバイの曲芸で用いる道具は、普通のオートバイで、樽桶状の高さ約六b直径約七・五bを用い観客は、上部より覗き見る様に曲芸をみる。
 曲芸を演ずる運転者は、底の方から運転し速度を増しながら垂直の壁を上へ。運転しながら、手はなしや目かくし運転をし、時にはオートバイに垂直に立っている事もあり、一曲芸が終わるたびに、観客より大拍手が送られていた。
賑わった出店での遊びと買い物
 子供たちは主に昼間の利用だったが、小遣いにもらった小銭(一〜五銭)、時には十銭を持って歩き、夏の暑い時期だったので、氷水やキャンデーを頬ばりながら、金魚すくいや、普段は禁じられているパチンコで遊んでいた。夜は大人の人たちで賑わい、瀬戸物(陶器類)の競売りや、植木鉢のセリ売りに集まり、品定めをしていた。
神社境内で芝居見物
 祭典期間中、神社境内に設けられた芝居小屋では、地方巡業の芝居が演ぜられ、大勢のフアンで終日賑わいを見せていた。

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機関誌      郷土をさぐる(第31号)
2014年3月31日印刷      2014年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一