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UFO

上富良野町 大森金男 昭和七年四月一日生(八十歳)

 富良野空襲があって急に防空壕の必要性が田舎村の上富良野でも感じられた。私の実家の北側には既に八畳間程の防空壕は完備されており、夜寝る時(特に暑い夜)にここで眠ることもあったが、蚊が入ったりして決して寝心地はよくないが壕の北側にはトド松やエゾ山桜が生えて涼しかった。
 その北側は灌漑溝であり人造用水路なので平地面より約二メートル位は深く掘り下げてあるが、浸水の恐れもあるで、住宅の南側に別に壕を掘ることで作業を始めた。
 昭和二十年八月上旬のとても暑い日であったと記憶している、あれから六十数年経過し今日まで想い出すことは殆んどなくなっているが脳裏で整理はぼんやりと現らわれる。今は亡き父母と私の三人での作業だ、末子で三歳位いの弟も現場監督のように眺め立っていたが、私の作業中壕堀りの廃出土を捨てるとき、見ていた三歳児の頭部にスコップが当り出血が始り、母がすぐ布をグルグル巻きにして止血してくれた。幸い大事にならず済んだ。
 そんなことのあった後、たぶん午後の三時頃かと思うが、前富良野岳の方向からゴー、ゴーと音がし余り聞いたことのない飛行機でもない珍らしい物体が飛んでくる、眺めているとスピードは余り早くなく近づいて来る、そのうち飛行物体が円型であり時計回りだと目視できる、南西方向に飛び東四線か三線道路か二十二号道路上空当りで静止、やゝ赤色と黄色それに青は薄く感じられる色が後方に流れている。音はやはりゴーゴーと聞かれ音量は余り高くはなかった、私達家の者は初めて観る異様な物体に驚き、なんだ、なんだあれは………父は少々考えていて『戦争に負けるかも知れない』と静かに云うも『今まで見たことがない物体だ!』、などと云っていた。
 丸い物体はゴー、ゴーと音をたてたままおよそ三分か五分間位い静止していたが、だんだん物体の型は薄くなり音量も殆んど同時に消えた。防空壕掘りの作業は中止。不気味を感じ乍ら家族でなんだろう?あれは!。
 静止したり、音もなく消ていく情景は今も記憶に残っている。それから僅かの日が過ぎ、新聞などの報道でナゾの飛行物体について報じられ、終戦後の一時期にはあちらこちらに円盤が飛行し、宇宙人か!などと多く話題になっていた。定かではないがたぶん七月下旬か八月上旬の出来事だったと思う。円盤の飛行物体が現れ数日が経過して終戦となった。富良野駅や病院が爆弾攻撃された頃であったと思う。
常識百科から
 空飛ぶ円盤というのがある。円盤のようなものが光りながら夜空を飛ぶ。大騒ぎになった。アメリカで目撃者がいるとある。果たしてどうか。私が見たのは近くで飛来から消える型までで、そのことの報道機関の発表はなにもなく、きっと町内では富原地区の空に現われたのが最初の円盤ではないかと思う(憶測)。
 それから自分も見た自分も見たという人が続々出てきた。どこかの国の秘密兵器だろうとか、流星の一種だろうとか、雲からの光の反射作用だろうとか蜃気楼だろうとか、宇宙人の襲来だろうとか、騒ぎは大きくなりそこで学者たちも何とかしてその正体を捕えようとしてやっきになったが、捕えるどころか見ることもできなかった。日本でも見たという人が出たし、ヨーロッパにも出た。しかし、ついに正体をとらえることはできないで現在に至っている。

機関誌      郷土をさぐる(第30号)
2013年3月31日印刷      2013年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一