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主人「高橋寅吉」との思いで

上富良野市 高橋 美代子(妻)

優しい心に感謝して
 主人高橋寅吉は寡黙な人で、用事のあるとき以外はほとんど話をする人ではなかった。晩年は特に口が重くなり、この人は何を「考えているのだろう」といつも思っていました。
 私が五十二歳のときに高橋哲雄さんのお世話で結婚しましたが、私は料理の経験があまり無く手鈍いために一日中ながしに立って炊事の支度に追われていました。ですから朝は主人の食事と弁当をつくるのに手間取り、時間が無くて一緒に食事をしながら話すこともありませんでした。

 主人は我慢強い人で怒ることが無かったように思います。結婚してまもなく主人が仕事に出かけた後、春に植えた花壇に草が生えてきたので草むしりをして花壇をきれいにしょうとしましたが、主人が帰ってきて「あら!あなた、草を残して花をきれいに採っているね!」と言われました。私は私なりにこれは草でこれは花だな!と検討をつけてきれいにしたのですが、草も花もまだ小さくて見分けがつかなかったのと、結婚前は勤めていたので、ほとんど草むしりなどの経験が無く草と花の区分が出来なかったのですが、そんな失敗をしても主人はほとんど怒ることはありませんでした。
 また、鍋を洗うにもどこまで洗ったら良いのかも解らず、こすりすぎて鍋に穴をあけてしまい「鍋を洗いすぎて穴をあけてしまったわ!」というと、「また買えばいいでしょう!」と優しく応えてくれましたが、こんな私に不満だらけだと思いますが、"何もできない人だ"と知ってもらってもらったので、相当私に遠慮しながらきっと我慢をして過ごしていたのではと思います。

 とにかく子どもが好きで、五月五日のこどもの日には池に魚を買ってきて放し釣りをさせたり、子ども達を集めてカップラーメンを振る舞っていました。池には消毒剤が流れこんでくるので魚は長生きができず、毎年春になると旭川に出向いて鯉を買ってきて放流していました。郵便局は四十八年間勤め私と結婚して二年目に六十五歳で退職しましたが、八十歳になるまで社会福祉協議会の仕事を務めており、いつも人のためになることをしようと考え、実行していた人でした。東中のため池の周囲に花を植えて訪れる人の目を楽しませたり、池に私費を投じてボートを浮かべて公園のように作り替えたり、冬は池に氷を張らせてスケートリンクを作るなど、町の人々に喜んでもらうことを楽しみにしていました。

 趣味では、私と結婚してからは毎年のように旅行に出かけ車で岐阜まで行ったことがあります。登山も好きで十勝岳はもちろん富士山にも出かけました。また、盆踊りがあると私と二人で仮装して盆踊りに参加しましたが、私は踊りは苦手でしたが主人と一緒になって踊ってからは、踊りも好きになりました。
 これからは、主人との思い出を胸に残された天命をまっとうしたいと思っています。

掲載省略:写真「千望峠にて平成12年8月13日」
掲載省略:写真「日の出公園にて平成4年7月」
掲載省略:写真「米寿・喜寿・祝い平成13年5月19日」
掲載省略:写真「アラモアナヨットビーチよりダイヤモンドヘッドを望む」

機関誌      郷土をさぐる(第30号)
2013年3月31日印刷      2013年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一