郷土をさぐる会トップページ     第29号目次

富良野広域連合上富良野消防署
東日本大震災発生に伴う緊急援助隊北海道隊派遣を終えて

第十次派遣隊員 安井   盟
第二次派遣隊員 梅津 英嗣
第十次派遣隊員 横山 佳弘


左より 安井、横山、梅津隊員
  派遣の決定
 平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災、日本における観測史上最大のマグニチュード九を記録し、それに伴った津波とその後発生した余震により大規模な被害が発生、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約五〇〇キロメートル、東西約二〇〇キロメートルの広範囲に及びました。この地震により、場所によっては波高十メートル以上、最大遡上高四〇・五メートルにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました。
 災害の派生に伴い総務省消防庁は十二日夜、東日本大震災の被災地に、全国各地の自治体消防の部隊などで構成する緊急消防援助隊の派遣を決定し、派遣先は岩手、宮城、福島、千葉、長野の五県へ派遣を開始しました。緊急消防援助隊は阪神大震災を教訓に平成七年に発足し、部隊総数は二十二年十月現在、四千二百七十八。全国八百二消防本部の九八%に当たる七百八十五本部が登録しており、人員は約五万千六百人です。北海道隊は陸上部隊への正式な派遣要請を受け、第一次隊を宮城県石巻市へ派遣を開始しました。
 上富良野消防署からは第二次派遣隊道北ブロック救急隊に加わり富良野広域連合消防本部派遣隊員として、上富良野消防署から救急救命士梅津英嗣司令補と、本部職員一名、富良野消防署職員二名、中富良野支署職員一名の合計五名の隊員を救急車一台と供に三月十六日から二十一日までの派遣を決定しました。
  派遣準備
 初めての大規模災害発生地での活動を前に、車両や使用する燃料、宿泊するためのテント、食料、個人装備品等少ない災害現場情報を基に派遣準備作業を進めましたが、気象状況や余震に対する不安もあり非常に難しい準備作業となりました。また派遣に使用される車両が富良野消防署の救急車のため短い時間の中、車両操縦訓練や積載物品の確認及び取扱い訓練、さらに派遣隊員が消防本部、富良野消防署、中富良野支署からの混成隊員のため、救急活動時の隊員の動きを確認するためシミュレーション訓練も実施しました。
  第二次隊の活動内容
 三月十六日富良野消防署前で出発式が行われ、能登広域連合長(富良野市長)からの激励を受け苫小牧港へ向け出発、苫小牧までは高速道路を使用し、北海道隊の集結場所である苫小牧東港に十三消防本部十八隊、百四名が集結、北海道危機対策課長をはじめ関係機関も集結し北海道隊出発式が行われ、終了後にフェリー「しらかば」へ乗船し、秋田港へ向け出港しました。
 フェリーに乗船後は、北海道隊の隊長会議が開催され、災害現場の現在の状況や今後の活動予定、注意事項等の伝達が行われ、苫小牧港から約十三時間をかけ十七日午前八時三十分秋田港に到着。宮城県石巻市の総合運動公園までの移動開始に向け、最終ミーティングを実施した後移動を開始しました。
 秋田自動車道、東北自動車道を乗り継ぎ途中サービスエリアで昼食、約八時間走り一七時十五分北海道隊のベースキャンプ石巻運動公園に到着、一次隊の札幌市消防局救急隊から引継ぎを受け、宿泊するテントの設営、各個人の荷物を搬入しその後救急車の装備等を点検、二十時三十分ようやく夕食をとり、次の日からの活動に備え二十二時就寝、しかし気温が氷点下六度を下回る予想以上の寒さでテント泊では熟睡することはできませんでした。

第二次で派遣された救急隊


石巻市での救急隊待機場所
 翌十八日は五時起床、レトルト食品での朝食を済ませ、現時点での放射能に関する情報や、救急搬送に関する注意事項等の打合せを実施し、八時より主に救急患者の搬送先となる石巻赤十字病院と出動要請を出す石巻消防本部の確認を行った後、石巻総合運動公園に戻り、救急出動待機となりました。
 十八日は北海道隊、新潟隊、和歌山隊、山口隊、鹿児島隊、合わせて救急隊三十七隊が準備、富良野救急隊は二十六番目の出動待機となりました。日中は救急車の点検や資器材の確認を行いながら、救急車内で出動を待ちましたが夕食時間まで出動はなく十七時十五分から夕食をとり、その後出動順番が近づいていたため再度救急車内で出動待機、十九時三十九分初の出動指令が入り石巻市泉町門脇避難所へ出動、道案内のため石巻市消防本部の職員一名を乗車させ、現場に向かいました。
 初めて踏み入れた避難所は、多くの救急出動の経験を積んできた私達でしたが、一種独特な雰囲気があり、今まで経験したことのない救急活動となりました。五十歳代の急病人を無事に搬送を終了し、待機場所へ戻り次の出動の準備を終えると、一時間以上が経過していました。次の出動は三十五番目のためテント内で待機することとなり、二十三時から仮眠に入りました。
 前日同様寒さと、何時かかるかわからない出動に対する不安から、ほとんど仮眠が取れない状況ではありましたが、危機的な状況下の中、各隊員の士気が下がることはありませんでした。翌十九日は五時起床二度の救急出動を終え、活動最終日に備えました。二十日は午前中の活動だけとなり、一回の出動を終え昼食後引き上げの準備に入り十五時過ぎに第三次隊が到着、次の救急隊に引継ぎを実施。十八時十分石巻総合運動公園を後にしました。休憩をはさみながら約二百六十三キロメートルを走り、秋田港に到着したのは二十一日の三時二十分、それから車内で五時まで仮眠をとり七時三十分フェリーに乗船、苫小牧には十八時十分に到着その後上富良野に向け帰路につきました。
 二十二時過ぎようやく上富良野町に到着、暗い中屋外で職員が整列し出迎えてくれました。今回第二次隊の派遣中は厳しい気候や環境、生活面では水洗トイレの使用不能等、ライフラインの復旧がされていない中、派遣隊員が力を合わせ何とか無事活動を終了することができました。
  第十次隊の活動内容
 続く第十次隊は四月十三日から十九日までの派遣となりました。今回は消防隊として上富良野消防署から安井盟司令、横山佳弘士長の二名、富良野消防署一名、南富良野支署一名、占冠支署一名合計五名の隊員が派遣対象となり、車両は上富良野消防団が使用している上富団タンク車に決定、前回同様資器材の準備、操縦訓練、タイヤ交換訓練等を実施、また二次隊からの情報提供により寒さ対策をとるように準備を進めました。
 消防隊の活動は日中は行方不明者等の捜索活動、夜間は火災出動が活動内容であり、震災発生後一ケ月が過ぎ、災害現場の活動状況によってメンタル的に厳しさが増しているため、派遣隊員について北海道隊指揮隊から消防経験がある程度長い隊員を派遣するよう指示を受け、派遣隊員の人選が行われました。
 第十次隊は、二次隊の経験と情報提供のおかげである程度余裕を持った準備ができましたが、派遣される車両が平成五年式であり、故障しないで石巻市まで到着できるのかが一番の不安となりました。四月十三日午前、上富良野消防署で出発式と申告を行った後、十一時過ぎ苫小牧へ向け出発し高速道路を走り十五時五十分苫小牧西港フェリーターミナルに到着。第十次派遣八十七名の北海道隊隊員が集結し十七時三十分フェリーに乗船、十九時出港、今回は仙台港が復旧しており約十五時間の船旅となりました。船内では二次隊同様各隊の隊長が集まりミーティングが行われ、今後の予定や現地の様子、気象状況等が周知され、今後の活動の困難性が十分予想されました。

第十次派遣隊員

 
釜谷地区の状況                           被災した消防車両
 十四日午前十時、二次隊派遣時はまだ使用できなかった仙台港に到着、発災後一ケ月が過ぎ復旧されているとはいえ、港周辺は地割れや津波に流された車両が散乱し、付近の建物は津波で破壊されたままになっていました。フェリーターミナルも電気水道もまだ使用できない状況で、フェリーの乗下船もまだタラップは使用できませんでした。
 下船後は高速道路を使用し一時間三十分で石巻運動公園に到着、荷降しと第九次隊からの申し送りを終え、その後帰路につく第九次隊の見送りをし、十三時三十分過ぎに昼食をとって、資器材等明日から始まる捜索の準備を開始、十次隊の救急隊は午後から早速活動開始となりました。
 準備作業や北海道隊ミーティング等を終え就寝時間となり、申し送りは受けていた寒さ対策、テント内にはポータブルストーブが二台準備されていたので、一晩中ストーブを使用し暖をとりました。しかし当日は強風のためテントが揺れ、結露対策のシートが風にあおられ音をたて、また付近では発電機がフル回転する中、耳栓をしての就寝となりました。
 十五日からはいよいよ捜索活動開始、捜索場所は石巻市釜谷地区釜谷沼。釜谷地区には大川小学校があり、当日の児童百八人中死者六十四人、行方不明十人、先生と事務員合わせて十一人中九人が死亡、一人が行方不明となった地区です。この地区はまだ海の満ち潮時は水が入り込み仮設道路も水没する状況で、捜索活動が遅れていた地区です。
 五時三十分起床朝食、活動準備後活動場所には車両が数台しか入れないため北海道隊は指揮隊、資器材搬送車、人員輸送車に分乗し七時三十分ベースキャンプ出発、車両集合場所に八時過ぎに到着し岐阜県警、新潟消防隊、自衛隊、石巻市関係者とミーティング後、徒歩にて約三十分かけ活動場所へ移動し準備と捜索場所の確認後活動を開始しました。捜索場所はまだ水が残っていて、底には泥が約三十センチメートル程度ある状態で、深いところでは六十センチメートル以上の深さがあり、トビを使い瓦礫を取り除きながら約五十センチメートル間隔に横一列に並び、くまなく捜索を行いました。

釜谷沼での捜索活動(第十次隊)
 捜索活動場所では被災者が見守る中、概ね九時から一四時三十分までの活動で、服装はヘルメット・目を守るためのゴーグル・マスク・感染防止衣・胴付長靴・二の腕まであるゴム手袋、日中気温二十度を超える中での活動はかなりの体力消耗となりました。昼食は現場近くの空き地で野放しとなった豚がうろつく中、各自準備したソーセージやバナナ等の非常食が昼食でした。
 三日間同様の活動内容で、活動中泥に足をとられ転倒し負傷する隊員が出たり、暑さのため脱水状態となり体調を崩す方もいました。捜索結果は三日間で三名の方の御遺体を発見し活動を終了しました。
 その後、十八日午前に第十次隊の解隊式を総合運動公園にて行い、第十一次隊の到着後引継ぎを実施、十二時三十分に帰路につきました。四月一九日一五時二〇分無事上富良野町に到着、帰隊式・申告を行い無事任務を終了することができました。
  派遣を終えて
 今回の派遣を通じて、今まで見たことも経験したこともない未曾有の災害現場での活動は、大変困難なものでありましたが、全国から集まった消防・自衛隊・警察等が一致団結協力し被災した地域の活動が行われ、その一員として参加出来たことは非常に貴重な経験となりました。
 しかし全国規模の組織とは違い、各地区から集まって組織された部隊で、指揮系統や装備の統一など、広域で訓練は実施していましたが、実際の活動では問題点が見受けられ今後の課題となりました。また電気・水道、ガソリンスタンド等が使用できない、港や道路も一部が使用できない等を経験し、普段何気なく生活している現在が、いかに便利で快適なものか改めて認識することができました。私たちの町は活火山十勝岳を有しています、いつ大規模災害が起きてもおかしくない環境の中で生活を送っています。
 今回の災害を通じて防災対策の重要性と、継続した訓練、そして臨機応変な対応の必要性を改めて考えさせられました。今後は今回派遣された経験をもとに、地域住民の生命・身体・財産を守るため、一層の努力と防災意識の向上と普及啓発に努めてまいりたいと思います。

機関誌      郷土をさぐる(第29号)
2012年3月31日印刷      2012年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田政一