郷土をさぐる会トップページ     第26号目次

編集後記

編集委員長 野尻巳知雄

昨今の世情をみると、経済不況と政争に明け暮れる政治家達のへ不信感、年金問題に見る政府の不始末や、官僚の天下りと渡りによる高額な退職金の問題など、国民を蔑(ないがしろ)にしたようなこれらの行動には、明治維新のような大きな改革のうねりが必要なのではないかと痛感する。
国民の手で何とか改善する方法はと考えても、基本的には、政治の舵取りをしっかりと政治家にお願いする事しか改善の道は無く、国民の願いも選挙を通じてたった一票の権利の行使に解決を委ねることになることを考えると、近く行われるであろう総選挙で投じる一票に、大きな期待と願いを込めて投票しなければと思う。
三月二十六日付の北海道新聞に、猿払村の「地域担当職員出前行政」十カ月の見出しで、役場職員が町内の各地区を担当して訪れ、地域の課題や要望などを村民と話し合って成果を挙げている事例が紹介されていた。
訪問先では「夫婦とも年金が支給されていないので、生活保護を申請したい」との相談や、公営住宅に住む身体障害者からは「完全なバリアフリーでなく、生活に不便だ」などの声が寄せられているという。担当係長の談で「役場のデスクワークだけでは住民の声を聞くことが出来ない。外に出ることで住民との信頼関係築いていきたい」と述べている。
とかく行政は、自分たちが作ったプログラムを提示して「こんなことをやっています。希望者はどこどこに申し込みを」といった内容のものが多いが、猿払村が取り組んでいるようにもう一歩踏み込んで住民の中に入っていく姿勢が大事でないかと考えさせられた。

二十六号をお届けします。表紙絵は、上富良野に在住して風景画を描いておられる佐藤喬氏の作品を掲載させて頂きました。氏のご協力に感謝申し上げたい。

「自衛隊駐屯地と上富良野町」は、現在、東京都で事務所を開設して軍事研究家として活躍されておられ、元上富良野駐屯地十五代司令を勤められた森野安弘氏よりご投稿頂いたもので、上富良野駐屯地司令時代の回想と記念碑建立についての経過を述べられている。文章からは、上富良野が如何に自衛隊とのきづなの深い町であるかが伺われる。ご投稿に感謝申し上げるとともに、氏の今後ますますのご活躍をご期待いたしたい。

「上富良野の冬と北京の夏」は、上富良野出身者で北海道新聞社東京支社に勤務して活躍しておられる佐々木学氏にご投稿頂いた。
大学で中国文学を専攻され、北海道新聞社に入社し、北京特派員として北京オリンピック当時の中国の状況などを、新聞記者の鋭い感覚と温かい眼差しで記述されている。氏のご投稿のきっかけは、郷土をさぐる会幹事長の中村有秀氏が、平成元年六月三日付け北海道新聞夕刊札幌市内版で、佐々木学氏のコラムの記事を目にしたことから、氏と連絡を取り執筆依頼をすることが出来たのである。今後も氏のご活躍を期待したい。

出征の手記「石川清一翁の日記より」(その二)は、昨年に引き続き翁の日記から三原康敬氏が文章にまとめられたものである。(その一)では、昭和十二年九月から十二月までの日記をまとめていただいたが、(その二)は、十三年一月からの分を掲載させていただいた。
石川清一翁は几帳面な方で、日記も軍隊生活の細かな出来事まで詳しく記載されている。次号も続くのでご期待いただきたい。

「風化するシベリア抑留」(義父の戦時体験から)の文章は、前回、島津農場開拓の祖「海江田信哉の功績」を執筆された田中正人氏に再度執筆をお願いしたもので、義父北野哲二氏の生い立ちから青年時代の活躍、満州での戦争体験と、敗戦によるシベリアで、仲間とともに捕虜になった抑留生活について苦労された体験を記述されている。同じ体験記では、二十四号で「満州からの逃避行」について、人間の極限生活を体験された苦難の道のりを菅野祥孝氏が述べられているが、いずれも風化させてはならない重い歴史として我々が受け止め、引き継が無ければならない責務だと考える。

私の原稿「ふらの原野開拓のあゆみ」(その三)は、ふらの原野の調査、開拓に深い関わりを持った「柳本通義」と「町村金弥」について記述を試み、ふらの原野が開放となった明治三十年からの未開地開放を申請した書類「北海道国有未開地処分法完結文書」を中心に、申請者・申請面積とその位置について記述してみました。ふらの原野の最初の開拓者名と現在の居住者を重ねてみて、今後の参考にしていただければ幸いに存じます。

「連合青年団のあゆみ」については、今はほとんど風化されて消えようとしている「青年団活動」について、当時活動されていた倉本千代子氏に執筆していただいた。戦前、戦後を通じて青年団活動は、まちの大きな原動力となっていたが、今はその面影も薄くなって、当時を知る人も少なくなっている。郷土をさぐる誌は、こんな記録をぜひ後世に残したいものと念願してやまない。

中村有秀氏には、石碑が語る上富の歴史(その14)「美瑛町に建立されている十勝岳爆発碑」についての記録を書いて頂いた。大正十五年の十勝岳爆発災害では、上富良野で多くの犠牲者を出し、泥流に埋め尽くされた美田の復興に、先人は大変な苦労を重ねて来たが、今回は、吹き上げ温泉と丸谷温泉との関係や、災害で犠牲となった丸谷温泉の人々の災害慰霊碑の建立経過を、氏の綿密な調査資料を基に記載されている。

来年度発刊の二十七号で予定している岩崎治男氏の「東中神社の歴史」と、佐藤輝雄氏の「松浦三家の家紋」については、二十六号の頁数の都合から掲載できずに次号になったもので、両氏には心からお詫び申し上げたい。

「郷土をさぐる誌」は、町内外の多くの方々の支援を頂きながら、執筆者のボランテアによって毎年発刊を続けさせて頂いております。
しかし、現状は年々賛助会員や一般会員の加入者が減少しており、発行部数も比例して減少せざるを得ない状況にあります。今後も活動を続けるには今まで以上に、皆様のご協力とご支援をいただかなければ到底継続していくことはできません。今後とも変わらぬご支援とご協力を賜りますよう心からお願い申し上げ、編集後記と致します。
(野尻記)
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『かみふらの郷土をさぐる会事務局』 電話0167―45―3158番

皆様の投稿や、取材の情報・御意見をお待ちしております。

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6号・7号(以上頒布価600円)、13号・14号・15号・16号・17号・18号・19号(以上頒布価800円)、21号・22号・23号・24号・25号(頒布価1,000円)、上富良野志(明治42年発行の復刻版頒布価1,000円)の在庫が僅少ですがあります。
上富良野の歴史を伝える貴重な郷土史ですので、町外へ出ている親戚・知人・同級生の皆様に、お土産のつもりで贈ってはいかがでしょうか。お求めは、上富良野町公民館にてお願い申し上げます。
次号予告〔第二十七号〕
「石川清一翁の日記より」(その三)      三原 康敬
「石碑が語る上富の歴史」           中村 有秀
「ふらの原野開拓のあゆみ」(その四)     野尻巳知雄
「東中神社の歴史」              岩崎 治男
「松浦三家の家紋」              佐藤 輝雄 ほか

機関誌  郷土をさぐる(第26号) 
2009年3月31日印刷   2009年4月1日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田 政一