郷土をさぐる会トップページ     第23号目次

編集後記

編集委員長  野尻 巳知雄

上富良野郷土をさぐる二十三号をお届けします。
本年号の表紙絵は、平成九年に札幌から上富良野町江幌に移住してアトリエを開いている、佐藤喬氏にお願いして掲載させていただきました。
現在氏のアトリエ「江幌小屋」には、彫刻・絵画など約百六十点の作品が展示されており、夏には多くの観光客や愛好者が訪れて賑わっています。
まだ訪れたことのない方には必見のスポットですので、ぜひ一度訪れては如何でしょうか。
シリーズとなった「各地で活躍している郷土の人達」は、平成十七年六月から三浦綾子記念文学館で開催された最後の小説「銃口」の特別企画展に展示してあった資料の中に、小説の主人公と同じ被害者であった土橋明次氏(北海道綴方教育連盟事件で当時の悪法と言われた「治安維持法」違反により罪のない多くの教員が検挙された事件)が、上富良野町に縁のあることが判り、記念文学館の小泉学芸員さんの協力を得て、大阪に住む長女の中川裕子さんに連絡することができ、今回小さいころの思い出を交えご両親のことなど「上富のこと思い出すままに」の投稿をお願いすることができました。
また、札幌在住の穴山正信氏には、今回は二回目の投稿となりました。
石川洋次氏による−深山峠新四国八十八箇所−「霊場移駐完結から三十年を省みる」は、表題のごとく、関係された方々やその歴史背景などを記録に残していただきましたが、「深山峠」の名称についてはいつ誰が付けたのか、何を元にどんな意味があるのかについてもはっきりは判らないのが実情です。いろいろな資料では「南富良野村史」「富良野地方史」「上富良野町史」に基づいてなどの記述がされていましたが、どの資料にもはっきりしたことは記載されておりません。
水谷甚四郎氏は、九十三歳の高齢になられてもなお矍鑠[かくしやく]としておられ、「十勝岳と生きて」−父を想う−の原稿を書いていただき頭が下がります。いつまでも元気でこれからも投稿をお願いしたいものです。
「立松家の開拓入植と敗戦復員まで」は、立松慎一氏の小さい頃の記憶と、軍隊の生活や敗戦復員までの苦労された様子を描いています。
丸田義光氏の「戦後六十年アメリカで発見された兄の日記」は、終戦から六十年を経た平成十七年に、偶然にもアメリカ国立文書館別館で、元日本兵丸田年道民の日記が発見され、はるばる北海道上富良野町に住む弟の丸田義光さんの手元に届くようになった経緯をまとめたもので、日記の内容とともに当時を知る貴重な資料となっています。
中村有秀氏の−石碑が語る上富の歴史−「會田久左エ門の歌碑」は、今まで頁数の関係から原稿の掲載がのびのびになっていましたが、今回の号に掲載することになりました。中村氏には今まで延びたことを深くお詫びしたいと思います。
私の原稿(野尻巳知雄)「ふらの原野開拓のあゆみ」その(一)は、北海道が蝦夷地と言われていた頃から、開拓までの長い道のりの背景や状況を調べて、何度かに分けて連載で書いてみようと考えています。
これからも編集員一同、一生懸命郷土をさぐる誌を続けていけるように頑張りたいと思いますので、皆様の温かいご支援とご協力をお願いいたします。

次号予告〔第二十四号〕

「島津農場開拓の祖」     田中 正人
「上富良野の草競馬」     成田 政一
「ふらの原野開拓のあゆみ」  野尻巳知雄
「石碑が語る上富の歴史」   中村 有秀
皆様の投稿や、取材の情報・御意見をお待ちしております。    

連絡先
 〒〇七一−〇五四一
 空知郡上富良野町富町一丁目 上富良野町郷土館内
    『かみふらの郷土をさぐる会事務局』
    電話〇一六七−四五−五〇三七番

機関誌  郷土をさぐる(第23号) 
2006年3月31日印刷   2006年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 成田 政一