郷土をさぐる会トップページ     第20号目次

各地で活躍している郷土の人達
わたくしの座右の銘

札幌市 穴山 正信
昭和十年九月二十一日生(六十七歳)

『ヨク・ツトメヨ』、『ナカヨク・アレ』、『オンヲ・シレ』。『よく・つとめよ』、『なかよく・あれ』、『おんを・しれ』。この言葉を漢字に変換すると『良く務めよ』、『仲良くあれ』、『恩を知れ』……となったであろうと思うが、漢字に変換されることなく、昭和二十年九月以降子供心に自然消滅したように記憶している。
このことばは、昭和十六年四月「上富良野国民学校」に改称された時の校訓である……と思う。

わたくしは、昭和十七年四月「上富良野国民学校」への入学、昭和二十年八月の一学期終了までは教科書を開く前に、受持の先生(当時はクラス担任をこのように呼んでいた)で、当時は名物先生であった「本間キヨ」先生(嗄がれ声で着物の上に濃紺の上っぱりを着、タバコ臭く、どちらかの頬にホクロがあり、そのホクロより太い毛が一本生えていた)に、必ず朗読させられた。
また、このことばは昭和二十年代の通信簿(優・良・可の時代)の一面に太字で印刷されており、教壇の上にも額に入れ掲示してあったと記憶している。
昭和二十年九月以降は教育方針が大きく変わり、六・三・三・制となり、わたくしたちの学校名も近代的に「上富良野小学校」と改名、新しく「上富良野中学校」が新設され、二・三年の間は小学校に居候していたように記憶しております。
この度「郷土をさぐる会」より投稿を依頼され、久々に筆を執ると一番先に思い出すのは、ふるさとのワンパク少年時代であり、更に教材のない時代わたくし達に教育された先生方のご苦労、兄弟以上の友人関係、また厳しい両親の躾など子供を教育させる為にご苦労された事柄などが、昨日のように瞼に浮かび、回り燈寵のように頭の中で回転し、なかなかまとめきれず苦慮しました。この機会にわたくし達は、例年同期会を各地持ち回りで開催しておりますが、資料を拝借して小学生時代、中学生時代の友人、各先生を交えて「よもやま話・回顧録」として後年の為に残すことも必要では無いかと感じております。
わたくしは、当年六十七歳ですが今日まで学び舎で「故・本間キヨ」先生に四年間教わった「上富良野国民学校」の校訓『ヨク・ツトメヨ』、『ナカヨク・アレ』、『オンヲ・シレ』。以上の三訓は、わたくしの「座右の銘」として、わんぱく少年時代の中学生・高校生時代、また社会人として責任を自覚するようになってから今日まで、何かの決断を迫られたとき、数回『朗読することにより』指針の役割を果たし、一つの方向を示唆してくれたことばである。
座右の銘と同じく、わたくしが自戒していることばがある。
ア…あきらめない。イ…いばらない。ウ…うらぎらない。エ…えこひいきをしない。オ…おごらない。以上はわたくしのオリジナルではないが、この五訓のほかに自分で作ったものがある。
カ…感謝をわすれるな。キ…協力者の立場を尊重せよ。ク…苦労は進んで担え。ケ…健康に注意せよ。コ…公共のために尽くせ。
二十一世紀の新しい時代を迎えようとも、人間が生を求めるための「道徳」は変わらないと信じております。
わたくしは、上富良野国民学校の三訓とア・イ・ウ・エ・オ、カ・キ・ク・ケ・コ、を次の代へ無事にバトンタッチし、わたくしは「座右の銘」として守っていくつもりである。
最後になりましたが、孟子のことばにも相通じる次の三楽(さんごうと呼び、「好み」の意)があります。
孟子がいうには、天下に王となることなどは三楽に入らない。
第一に、父母・兄弟が健康なこと、第二に、天や他人に対して恥じることのないこと、第三に、天下に英才教育をすること、この三つは天下の何物にも代えられない、と記述されている。
穴山正信氏について
穴山正信氏は、父穴山正二氏、母きんさんの間に生れ、三人兄弟の長男として昭和十年九月二十一日に上富良野で出生しました。昭和二十九年に旭川商業高等学校を卒業後、同年四月、「日本通運株式会社」富良野支店に入社、昭和四十四年七月に日本通運幾寅営業所長を最後に日本通運を退社し、同年八月に「札幌建設運送事業協同組合」に就職、平成十一年五月、同組合代表理事に就任。その後、平成十四年六月に札幌建設運送事業協同組合が札幌建設運送株式会社に組織変更となり、代表取締役に就任し現在に至っております。
また、平成十二年十一月には「エヌ・アイ産業株式会社」代表取締役に就任している。
そのほか団体関係では、日本貨物運送協同組合連合会共同輸送委員会副委員長、(社)全日本トラック協会ネットワークKIT事業委員会委員、札幌市商工会議所運輸・自動車部会常任委員、(社)北海道国際貿易促進協会副会長、北海道エヌ・アイ・キット運送事業協同組合代表理事、北海道中小企業団体中央会監事などの役職につき、現在も現役で活躍されている。
穴山さんは、信条として孟子の言葉で『恒産無ければ・恒心無し』(一定の財産や生業がなければ、毎日の暮らしが不安定で、精神まで落ち着かず、ぐらつきやすい)を愛用し、社員教育にも活用されているそうです。
愛読書としては山本七平先生の書を好み、先生の書の『聖書』の思想を背景とした斬新な日本人論の展開と、発想の原点を示唆し、常識から離れた誤りをマッスグに正しく表現してくれる作風に感銘を受けられ、自身が他人をマッスグに見る事が出来る指針とされているそうです。
また、リフレッシュの秘訣として、毎朝自宅近くの遊歩道を一時間ほどかけて散歩し『頭の中をカラッボ』にすることを実行していると言っています。
(編集委員記)

機関誌 郷土をさぐる(第20号)
2003年3月31日印刷 2003年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔