郷土をさぐる会トップページ     第20号目次

各地で活躍している郷土の人達
郷里と警察の関わり

札幌市厚別区 薮下  守
昭和十五年七月六日生(六十二歳)

一 はじめに

昭和三十四年、北海道警察に奉職し、四十年間の在職中、道内六市二町及び東京に勤務し、そのほとんどを最も激務と言われる刑事の道一筋に歩み平成十二年退職しました。
多忙を理由に帰省もままならず心の想いとは反対に郷里に疎遠不義理をしましたが、現役を退き心静かになった今、我が郷里と警察との関わりについて見てみたいと考えました。
本誌の出版趣旨に沿うかやや疑問もありますが、警察体制の移り変り、そこで勤務した警察官、さらに全道各地で活躍している上富良野出身の警察官等について個人的感情や思い出を交えご紹介したいと思います。
手持ちの少ない資料と記憶、紙面の関係等から紹介漏れや敬称の省略をお許し下さい。
二 警察機構の変遷
戦前の警察行政は、内務省警保局が消防、保健衛生も含め所管しておりましたが、終戦後、連合軍の占領政策により、警察は自治体警察と国家地方警察に分けられました。
しかし、この制度は自治体の財政圧迫や広域事件対応の点で問題が多かったため昭和二十九年に警察法が改正され、現在の都道府県単位の警察に改められました。
三 上富良野巡査駐在所の設置
明治三十六年七月に富良野村を分村し上富良野村が設置されました。
その翌年、上富良野巡査駐在所が設置され、初代小池仁作巡査から昭和三十五年、三十代根尾寿久巡査まで続きました。
十代松野 郷巡査。上富良野で結婚し男子を得るが召集され不幸にして満州で戦死。
その子が長じて警察官となり交通部門で活躍し警視に昇任し羽幌署長、伊達署長を歴任しました。平成二年伊達署長時代、洞爺湖のホテルに約一、000人の暴力団が集まり山口組二代目誠友会組長の襲名披露が行われた際、所轄署長として取り締まりの陣頭指揮に当たり大量の組員を逮捕しております。
十七代加美山利夫巡査。温厚篤実で勤勉家、各地を勤務後警視に昇任し富良野署長で退官。同一署で巡査としてスタートし署長でゴールした珍しい経歴の一人です。
ご子息はキャリア警察官となり各県警察本部長など全国で活躍しております。
私が、警察大学に研修入校したとき警察大学の教授をされており格調の高い講義を受けたことがあります。
根尾寿久巡査。二十三代として勤務し一時布部駐在所に転出しましたが三十代目として再び上富良野駐在所勤務となりました。
ご子息二人とは富良野高校柔道部で汗を流した仲間です。長兄は、パイロット、次男は警察官となり警部補に昇進しました。
二十八代池内 護巡査。髭がトレードマークで髭の巡査として親しまれました。
私が、警察官を受験した時に身元調査をしてくれた恩義ある方であります。後に旭川署刑事一課へ転勤したとき、交番の番長をされており身元調査のお礼と上富良野の思い出を語りながら一献傾けた懐かしい先輩であります。
四 巡査部長派出所の設置
入植者の増加に伴い、大正十年に巡査部長派出所が設置され初代西村静治部長から昭和三十五年十三代水野光男部長まで続きます。
十一代伝住音吉部長。ご子息の喬も警察官となり有能な刑事として活躍しました。
彼とは、警部補昇任の同期として六か月間警察学校で幹部教育を受け、厳しい研修訓練後の憩いの一時に郷里の思い出を語り互いに励まし切瑳琢磨した仲間であります。
五 東中巡査駐在所の設置
大正十一年東中巡査駐在所が設置され初代本間庄吉巡査から昭和四十一年二十二代原 政明巡査まで続きます。
当時の人口や事件の状況から東中に駐在所を置く必要があったのかやや疑問もありますが、町史に「上富良野から富良野に鉄道計画があり東中に駅が出来ると予測されていたため、その方面に急ぎ入地した者多数あり」との記述があるところから東中の将来発展を見越して設置したものと思われます。
私は、子供の頃東中に住んでおりました。
親から「悪いことをしたら警察に連れて行かれる」と戒められ、巡査の姿を見ると特段悪いことをしているわけではないのになぜか納屋に逃げ込み隠れたことを思い出します。
こわいと思いつつも、心の深層部分ではその頃に巡査への憧れや、巡査になりたいという気持ちが芽生えていたのかもしれません。
六 警部補派出所の設置
自衛隊の駐屯、交通量、人口の増加等社会構造の変化により事件事故が急増したため、昭和三十五年に、明治、大正から続いてきた駐在所、部長派出所を発展的に解消し格上の警部補派出所が設置されました。
初代署長上野警部補から現在の所長へと続いております。
二代三宮秀義所長。退官後も上富良野に住み行政書士をされている。縁あって娘さんの仲人を私の両親が行い、妹とも大の仲良し今も親しく交際を続けております。
五代谷脇 泉所長。謹厳実直警察官の鏡のような人で、私が新任巡査として札幌中央署へ赴任したとき直属の上司でした。
暴れん坊で我儘な私を何時も優しく包み込み指導してくれた方であります。
所長時代は卓球をしながら町民の方にとけ込んでいたと聞いております。
六代篠原 潤所長。同じ刑事部で彼は、鑑識、私は捜査と事件解決に執念を燃やした仲間です。有能な鑑識マンであったため所長のあと、再び道警本部鑑識課へ戻り道内の重要事件現場で指紋、足跡、遺留品等の資料収集、鑑定等科学捜査の先端で活躍しました。
七代森田実喜夫所長、九代羽田野昭夫所長。私が札幌中央署の新任巡査の時既に主要交番の番長をされており、私も第一線の実務についてご指導を頂きました。
十代松本 清所長は、警察官拝命の同期生であります。警察学校に於て同期の取りまとめ役の総代として同期を束ねた人です。
警察官は一般的に団結心や仲間意識が強いのですが、特に一年間警察学校で寝食を共にし各種の法律、柔道、剣道、拳銃の実技や体力づくり等警察官としての厳しい基礎教育を受けた同期の団結心と仲間意識は一層固く強くなります。
警察は階級組織でありますので階級上位者が中心になりがちですが私達の同期は、総代の人徳、人望のため階級を超越して全て総代を中心に結集し団結しております。
同期生は六十八名ですが二名の仲間が若くして壮烈な殉職をしております。
私は三十五歳の時、心臓手術のため長期入院療養の経験がありますが、激務のため健康を害し現職中あるいは、退職しこれからゆっくり人生を楽しもうという矢先に、数名の仲間があの世とやらに旅立って行きました。
人情家で同期思いの松本 清総代は折を見て殉職者や先に旅立った仲間の墓参り、何事に付けても「総代に相談してから」と頼りにし甘える同期の相談にこまめに応じ同期の柱として、今なお活躍しております。
総代は、現職中すでに札幌に自宅を建て退職後の居を定めておりましたが、所長として上富良野町で勤務しその風土、自然、町民の人柄、人情にすっかり惚れ込み退職後は上富良野に住み骨を埋めることを決意しました。
思い通り退職後、上富良野町江花に家を建て雄大な大雪連峰の自然と町民の温情に包まれ第二の人生を楽しんでおります。
札幌の自宅に住む奥様とは随時相互訪問し夫婦の絆、愛情の深さ固さに変わりのないことは言うまでもありません。これ程までに我が郷里を思い慕い、青年のようなロマンを持つ我が松本 清総代に対し町民皆様方の旧倍のご交誼、ご支援を心からお願い申し上げます。
七 上富良野町の出身警察官
上富良野から、青雲の志を治安維持の警察官に求め活躍している方が多数おります。
道警に松藤兄弟有りと勇名をはせた兄弟警官。兄、松藤三郎は、長身、色白の美男子、詩吟を朗々と吟じ聞く人を感嘆させ町民の理解と協力を得ていました。羽幌署長で退官。
後に私が、羽幌署長になった時にも松藤名署長の話は町民に語り継がれておりました。
弟、日出男は緻密な中に大胆さを持つ仕事に定評があり剣道の名手でもありました。警察剣道大会で大活躍し若手に稽古を付け後進の育成にも情熱を燃やしておりました。美唄署長で退官。
上川信夫。豪放磊落で人情家。全てを包み込む懐の深い人間的魅力と堂々たる体格は西郷隆盛を思わせる風格があり、部内外に多くの上川ファンがおりました。美唄署長で退官。
青地 覚。若くして警部に昇進し、私が、小樽署の新任刑事の時の刑事課長でした。刑事の心構えや基礎をみっちり教えて頂いた刑事の恩師であります。遠軽署次長で退官。
現在、現役で活躍中の方も多数おります。
長村美英警視。小島整骨院の子息。親譲りの柔道の大家で全国警察柔道大会で大活躍。文武両道警視に昇任し、沼田署長から現在道警通信部機動通信課長。
青地 明警視、青函連絡船の乗船警備、鉄道警察隊長等として海、陸の交通機関の安全を守り、その後山岳遭難、災害等の人命救助、空からの犯人追跡などヘリコプターを駆使して道民の安全を守る道本地域部航空隊長として活躍し、現在は夕張署長。
岩田 稔警部。少年非行、麻薬、拳銃、産業廃棄物等の環境犯罪の取り締まりで活躍し、現在、警察学校幹部教養部の教官として後進の教育訓練に情熱を燃やしております。
武山正男(道警本部警備部)高村俊二(札幌西署)北原史郎(旭川方面本部捜査課)松前征亘(旭川方面本部捜査課)高橋 進(旭川中央署)は警部補に昇進活躍しております。
石坂勇吉(機動隊)加藤 修(江別署)青木二郎(岩内署)沢田重之(伊達署)岡本哲一(富良野署)佐々木重紀(根室署)は巡査部長に昇進し活躍しております。
宮沢 勇(札幌西署)松本浩人(室蘭署)荒川祐司(網走署)は巡査として将来を夢見て実力の涵養に努力中です。
中尾浩来(道警本部情報管理課)大場則子(道警本部総務課)大野政吉(芦別署)は事務官として会計、総務部門で活躍中です。
八 おわりに
昨今、大多数の警察官が懸命に職務に励んでいるなかで、一部の心ない警察官の不祥事により当然のことでありますが国民から厳しい批判を受けております。
権力機関は、よほど自重自戒し自浄作用を徹底しないと腐敗しやすいものであります。
健全で真に国民のための警察にするには、国民の厳しい監視と批判が必要であります。
上富良野の皆様には警察に対して厳しい批判と叱責を期待するとともに郷土出身の諸氏に力強いご支援をお願い申し上げます。
現役の諸氏には、道民の安全を守り奉仕すると言う一点で、さらなる活躍を祈念致します。
最後に若く志の有意の士が後に続くことを心から願っております。

警察学校一同期「薮下 守君」について

松本 清 第十代上富良野警部補派出所長
私は、薮下 守君と共に北海道警察学校「初任科第五期生」として、昭和三十四年十月一日付で北海道警察官を拝命しました。
六十八名の同期の年令構成は、十八才から二十六才までおり多種多様の前歴を持っておりました。
薮下 守君は高校卒業間もない一番若年のグループで、富良野高校で柔道をやっておりすでに二段位だったと思います。
一年間札幌真駒内警察学校で訓練を受け、それぞれ一緒に各警察署に配置されたのです。薮下君は札幌中央署に配置され交番勤務についたのです。その後二年位でその素質を見込まれ、刑事に任用され以後刑事畑一筋に歩んだのです。
性格は人一倍負けん気が強く努力家でしたので順調に昇進し、道警本部刑事部の幹部警察官として活躍しておりました。警視時代の一時警察庁刑事部に出向し、その地位を築いたのです。羽幌署長、札幌北警察署長等歴任し、最終は道警本部生活安全部々長でその職を終えております。

機関誌 郷土をさぐる(第20号)
2003年3月31日印刷 2003年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔