郷土をさぐる会トップページ     第19号目次

編集後記

郷土の歴史を掘り起し、今日の町発展の基礎を築いた先人の労苦の足跡を後世に伝え、未来の町づくりの資料に残そうと始めた郷土誌「郷土をさぐる」は、今年で十九号を数えるほどになりました。
一九八一年の創刊号の発行から、二十一年間の中で休刊したのは一九八六年、一九八九年、一九九八年の三ケ年のみで、ほぼ毎年一号づつ発刊されております。
この様に長く発刊が続けられる事は、多くの方々が郷土の歴史に想いを馳せ、資料の提供、原稿の執筆、そして町内外から投稿いただいたり、会員または賛助会員として郷土をさぐる会にご協力、ご支援くださった賜ものと感謝いたしております。
お蔭をもちまして、今回発行する十九号も沢山の方々から原稿を寄せられました。頁数の関係で全部の原稿を掲載することができず、次号へ引継がざるを得ない状況となって、二〜三の関係者の方々にご迷惑をお掛けすることになった事につき、心からお詫び申し上げます。
十九号の編集では、「札幌かみふ会」の方々に寄稿をお願いしたところ、「ついに解けた『東海林』の謎」をテーマに厚別区在住の東海林勲氏からのご寄稿と、同じく札幌かみふ会の会員で現在北区新琴似に住んでおり、元上富良野中学校でバレーボール部を指導しておられた坂本暁昭氏からは「上富良野中学校女子バレーボール部『全道大会初優勝』の思い出』についてご寄稿をいただきました。お二人には、ご多忙の中を資料を集めたり、原稿にまとめ執筆し、ゲラの校正までとご協力いただき厚くお礼申し上げます。
前号に引き続き、東京在住の長井禧武氏からは、氏が上富良野村役場に勤務されていた当時の十勝岳の山岳スキーについて「日本スキー界大発展の発祥地は十勝岳」と題してご投稿いただきました。
長井禧武氏は、今年百寿を迎えると云うご高齢にも拘らず、当時の事を記憶を辿りながらご執筆いただいた事は、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
岩田賀平氏からは、「来し方九十年思いつくままに」と題して原稿を寄せられましたが、原稿用紙に八十余枚と云う大作のため、今年と来年の二ヶ年に分けて掲載させていただきたいと思います。
遠藤藤吉の日記から「此日余は」の原稿は、大正七年の来道から昭和四十六年の没年までの五十三年間の記録であり、原稿の枚数が多いため今回は大正十三年から昭和十三年までとさせていただきました。
戦争体験記として、今回は大道俊造氏から「中支派遣軍の思い出」のご投稿をいただき、佐藤光玉氏は「キスカ島撤収から敗戦・復員」の状況を、昨年に引き続き掲載いたしました。
「松下由太郎・作文集『晩秋色彩』の原稿では、妹ようさんの長男松下力氏が編集した同題名の作文集の中から、数点を編集したものですが、当時同級生であった中富良野町在住の四方忠男氏(現中富良野町長四方昌夫氏の厳父)から、松下由太郎氏の想い出についてご寄稿いただき、感謝しております。
「上富良野の石取場と石工」については、会員の鈴木努氏が執筆され、「里仁を開拓した古老の手記」は、故荒周四郎氏が荒家の歴史と開拓まだの苦労の手記を掲載いたしました。
「吹上温泉の変遷」については、大正十五年の十勝岳爆発の年から昭和十年の飛沢自動車部開設までの変遷について記述いたしました。この後の変遷については、次号に掲載いたします。
来年は節目の二十号の発刊となります。二十号は記念号として特別企画で編集しようと、企画委員五名を選出して現在その内容を検討しております。
皆様のご支援とご投稿を心からお願い申し上げます。
十九号編集委員長 野尻 巳知雄

機関誌 郷土をさぐる(第19号)
2002年3月31日印刷  2002年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔