郷土をさぐる会トップページ     第18号目次

編集後記

「郷土をさぐる」十八号の発刊にあたり編集委員長の大役を前中村有秀さんから、未熟な私がお引き受けする事になりました。
経験豊な前委員長さんのような仕事は私には到底出来ませんが、精一杯やらせていただこうと思いますので、皆様のご指導とご支援を心からお願い申し上げます。
「郷土をさぐる会」の編集委員も、第十号の発刊から大幅に変わっており、当時から引き続き携わって頂いている委員さんは、僅か数人だけになっています。また、昨年は初代会長の金子全一さん、長年編集にご苦労いただいた飛澤尚武さん、安部彦市さんなどの方々が他界され、歴史の流れの速さに驚いています。亡くなられた多くの先輩のご冥福をお祈りすると共に、先輩のご意志を引き継ぎ今日まで発刊を続けられたご恩に、心から感謝の意を捧げたいと思います。
十八号の「各地で活躍している郷土の人達」は、江別市で《町村牧場》を経営しておられる《町村末吉氏》に依頼、「七十六年の歩みを思い出すままに」を記していただきました。忙しい中を『郷土をさぐる』にご寄稿いただき、感謝申し上げます。
また、元上富良野村役場に勤め、只一人、大正十五年の「十勝岳爆発の災害と復旧」を経験された生き証人でもある《長井禧武氏》には、九十六歳のご高齢にもかかわらず、当時の惨状の様子を記してくれました。
同じ十勝岳爆発に深い関わりのある「硫黄王『なぐれ徳』物語」は、津久見市在住の《樋口義久氏》に、平山徳治氏の生い立ちや、十勝岳硫黄採掘に進出した経緯など、新しい視点で硫黄採掘の歴史を掘り下げてくれました。
連載掲載の予定では「吹上温泉と飛澤清治の功績」について、平成十一年から資料を集め、私が纏めたものですが、その間資料を提供いただいた関係者の飛澤尚武さんが、急逝されてしまいました。氏のご協力に感謝申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。
今回は、吹上温泉の発見から爆発までを記載しましたが、次回は「中川吹上温泉」から「飛澤温泉」へそして「陶温泉」への移り代りを掲載する予定です。
「奇跡の生還『キスカ島の激戦』」は、アッツ島の玉砕の様子や、敵艦隊の幾重にも取り巻く包囲網から、奇跡的に脱出できた生々しい戦況について、上富良野出身で、現在美馬牛に在住している佐藤光玉さんの体験記を掲載いたしました。次回は終戦前後の様子を紹介する予定です。
「シベリヤ抑留心に残る悲しい憶い出」は、昨年急逝された故打越正さんの遺稿を掲載いたしました。
「此日、余は」(その一)は、遠藤工務店の創始者遠藤藤吉氏の日記から、ご子息の博三さんが編集した小冊子「此日、余は」から転写したもので、氏の渡道からの歴史と社会の変化を記された貴重な資料です。
「農産物の包装の変遷」は、永年農林省食糧管理事務所に勤めた豊富な経験と、多くの資料に基づき大森金男氏が、具体的な絵図を措きながら、農産物の梱包の歴史を掘り起こしてくれました。
「スケッチで見るふるさとの思い出」は、小さい頃に体験した生活の様子を絵画で描いたもので、見事なタッチで描かれた様子は、当時の生活の実態をかいま見る思いがします。
「高等小学校になりて」は、水谷甚四郎さんが子どもの頃の思い出を綴ったものです。
「上富良野の思い出」と「上富良野に想いを寄せて」は、共に札幌上富会のメンバーで、昨年の暮れに開かれた札幌上富会の総会の折に原稿を依頼したところ、快く引き受けて投稿くださったものです。
お二人には幼い頃の上富での思い出を記していただきありがとうございました。
(編集委員長 野尻巳知雄記)

機関誌 郷土をさぐる(第17号)
2000年3月31日印刷  2000年4月15日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔