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上富良野と私

太田 左夫郎 大正十三年五月十二日生(七十五歳)

他所者の私

私は、生まれも育ちも良く言う所の他所者(ヨソモノ)です。
この思いは五十年過ぎた今も不思議に拭い去ることが出来ません。
何故だろう、良く良く考えて見ましたところ、それは昭和二十四年二月、不思議な縁が元で、兵隊から戻ってから上富良野でお世話になることになったからだと思う様になりました。これが小学校の頃から上富良野に在住していたとしたら、考え方が全く異なるはず、七十五歳にしてつまらんことにこだわる自分がおかしくなりますが、止むを得ません。
極く最近こういう人にあいました。私は上富良野に来て、丁度五十年になりますが、今もって他所者の気持ちを持ち続けて居ます。やはり五十年過ぎて、子供も一人前になり孫も大きくなって、始めて俺も上富良野の土になるかと思った時、初めて上富良野に住まわして貰って良かったと他所者でなくなるのではないでしょうか。
事程左様に子供の頃育てられた故郷の懐かしい土地の匂いを拭い去ることは出来ないことだと思います。
「故郷は遠きに在りて思うもの」私は年に一度親の墓参りに行き、山は昔の侭でも町の家並みは一変し、道路は舗装に変わっても、子供の頃の匂いが確かに残っているのに気づきます。
「老兵は静かに消えて行く」。有名な人の有名な言葉がありますが、私は今の今まで、今までの総てを黙ってあの世とやらに持って行く積もりでした。
しかし、郷土をさぐる会長菅野稔氏から在住五十年での「上富良野での思い出の記」を是非とのお話に断り切れず、思いのまま記すことにしました。
上富良野村に来る
私は丁度五十年前の昭和二十四年二月一日、裸一貫でこの地の駅に降り立ちました。厳寒の最中だと言うのに意外に暖かく、道路の雪がぐさぐさで歩きにくかった記憶があります。
日の出の、Wさんのお宅に一週間程お世話になった様に思います。ランプの時代に自家発電の電灯が灯っていて感激したのを今も覚えています。今改めて思えば、ただの居候で何のお礼も申し上げず失礼したと今更ながら恥じ入っています。
当時、上富良野農協で畜産センターを今のフラヌイ温泉の向かいに新築しました。富良野沿線初の施設、家畜人工授精所でした。
組合長・石川清一さん、専務・村上国二さん、業務担当は小玉信勝さんでしたが既に御三人とも残念ながら亡くなられています。
同僚は芳賀正明さんでした。当時の資料は全く残っていませんから、記憶を辿る以外にありませんが、牛に付いて申せば飼養戸数八十戸、乳牛頭数二〇〇頭位ではなかったかと思います。又東中地域にも相当数、種牛も一頭居ましたが数について分かりません。一般の認識は牛はもうからんが、堆肥を取って土地を肥やす為に飼うということでした。俺は牛が根から好きなんだという方も居られました。
≪思い出(1)≫
それは四月下旬のある日、里仁のAさん宅へ伺うことになりました。雪路を通り報徳から鉄道を歩きました。暫く行くと鉄道縁に福寿草が一面に咲いているではありませんか、私が生まれて初めて見る光景でした。
あれから約五十年、いつもこの時期になると思い出しますが見に行くこともありません。今も絶えることなく時期には咲いてくれていると信じています。
Aさんは地域の組合長だったと思います。温厚な方で既に故人になられましたが、お茶を頂いて「若いのだから頑張って」と励まされた思い出があります。帰りは国道の馬橇の跡を一足一足歩きました。
市街寄りの峠に掛かりましたとき、遥か市街から知事選挙真最中の黒沢酉蔵候補の声が響いてきました。今、思い起こせば峠の国道は除雪がされておらず車は走れません。汽車で上富良野迄乗り込んで来たのでしょうか、全く単純な疑問、そして四月三十日は選挙日でした。ご承知の通り若い田中敏文さんが再び知事の座に就きました。昭和二十六年、今を溯ること四十八年前のことでした。
≪思い出(2)≫
それは昭和二十七年三月四日の午後のこと、富良野の御料まで出向きました。勿論汽車です。仕事が終わって富良野駅に来ましたら出札口が閉まっていて、「十勝沖に地震がありましたので運休します」と貼り出されているではありませんか。その時タクシーで帰るなんてことは全く頭にありません。長靴に鞄を下げてひたすら北に向かって歩きました。
幸い風は生暖かい南風、歩きと言っても小走りだったと思います。遠いとも疲れたとも思いません。やはり若いから出来たことだったと思います。そして、その時「ご苦労さんでした」と迎えてくれた家内は一足先に旅立ちました。
私も、頭も目も薄くなり、足腰も弱りました。これも自然の成り行きで「歳月人を待たず」と言うことでしょうか。
過ぎて見れば五十年は束の間でした。これからは健康に注意して余生を大切に過ごしたいと思う今日この頃です。

機関誌 郷土をさぐる(第17号)
2000年3月31日印刷  2000年4月15日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔