郷土をさぐる会トップページ     第16号目次

かみふらの事始め物語
上富良野町の上水道事業(その二)

宇佐見 利治 明治四十二年十二月二十三日生(九十才)


私の議員生活中の大事業として、上水道事業の取組みが思考される。
本町のうち特に市街地は水が悪く、濾し水でなければ飲料とすることが不可能であり、開拓以来の悩みであったが、水源確保のむずかしさもありなかなか本事業に取り組んで解決しようとする人はいなかった。
時あたかも昭和三十四年、町議立起に当り左記事項を重点解決すべく公約として掲げ、之が実現を叫び続けたものである。

一、学校の整備統合
一、十勝岳観光開発
一、上水道の実現
本町で水に恵まれている地域は、東中と江幌地区以外にはなかった。
大正十五年十勝岳の大爆発により河川は毒水と化し、地下水の濾し水に頼る以外に方法は無かった。議員活動中にしばしば東中部落に水の供給を願ったが受け入れて戴くことが出来ず、江幌溜池の水量等調査をしたが水量不足と認定され、遂に之も断念の止む無きに至り、議会に水道建設特別委員会を設置し、本格的活動をはじめたのである。
当時草分土地改良区理事長仲川善次郎氏、今は亡き町長田中勝次郎氏の努力で清富・日新地区に眞水のかんがい毒水処埋ダムとして、農林水産省の助力を得て、日新ダムの完成を見た直後の事である。この水量に若干余裕あるを知り、先に設置された特別委員会委員長林財二氏と副委員長の私等が(委員長は旭野出身で十勝岳地区の地理に明るく、当時町長海江田武信氏も亦町内の地形に明るかった。)十勝岳観光道路開発の進展に便乗して、十勝岳山中至る所くまなく苦難苦行を重ねて水源調査を行った。
専念すること数ヵ月、神に祈るが如き調査の甲斐があって、滾滾と沸き出ずる水源地を発見することが出来たが、このときの感激は言語に絶するものがあった。
その時私は心静かに神に祈る気持で、八年前町民に公約した水道実現が可能になりましたと心の中で叫んだことを思い出す。然し活火山十勝岳の中腹という場所が場所だけに、何時火山活動に依り水源が中断するかも知れないと思う時、一抹の不安もかくすことは出来なかった。
愈々実施設計の段階で、海江田町長は曰く町の財政規模の三倍以上の工事では遺憾乍ら不可能なることを私に耳打ちされた。其の時私は奮然として町長に迫った。「町長何を言うて居られますか。衣食住に欠く事の出来ない水の供給こそ町政の原点ではないか。金は何とかなる。町財政を担当する町長が金の捻出が出来んからとて中止することは相成りません」と一意専心金策に精魂を振った事を、今改めて想起している。
幸い我が町は自衛隊が駐屯しているので、防衛庁に全力投球で体当りする以外道無しと考え、私なりに映画関係の仕事で上京する度毎に、防衛庁統幕議長衣笠駿雄閣下(旧軍時代近歩二隊で同じ鍋の飯を食べた戦友)にお会して懇談を持った。衣笠議長は、「宇佐見君、実は防衛庁も上富良野駐屯地の飲料水には手を焼いている。隊員の飲料水は安井の沢の河川から給水している為、増水する度毎に水が濁り対応に苦慮し、濾過装置対策の研究を命じて居る」と申され、私の説明を聞かれて「良水源が発見されて、水道化して戴けるなら防衛庁として最大の支援をするから君の努力で実現してくれ」と激励を返していただけた。
この言葉に、暗中苦慮して居た財政面にも安堵感を覚え、更に幕僚幹部との話し合の結果も好調であった。出来るだけの支援を戴けることとなり、帰省して町長に防衛庁での会談の結果を報告し、町長即決断して実施に向けて踏み切ったのであった。
総工事費三億五千万円は当時の町財政上最高の工事費となった。
防衛庁補助金も一億五千七百四十六万四千円となり、先輩各位が自衛隊誘置に懸命に努力された功績がここにも現れている。永年苦しみ続けて来た本町の飲料水・水道問題もその解決の糸口を見い出すことが出来て市街住民一万二千人念願の世紀の大事業が実現することが出来たのである。
この時林先輩が、「宇佐見君、君に学校整備を一時凍結してかかれば出来んことがないと教えを戴いた」と申され、財政通ならではの言葉を思い出すところである。そして「敬意を表します」と喜んでくれたことを思い出します。
この実現には先輩各位、特に林財二氏には誠実卓越した識見と町財政のベテランとしてご指導を戴いた。水道事業には率先陣頭に立って、幾多の困難を乗り越えて水源地発見に至った功績は威大であり、改めて在りし日の氏のご功績を讃えご冥福をお祈りする次第であります。

機関誌 郷土をさぐる(第16号)
1999年3月31日印刷  1999年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔