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かみふらの事始め物語
上富良野町の上水道事業(その一)

西口 登 昭和八年九月一日生(六十五才)

水道事業の経緯
上富良野町市街地、及びその周辺地域の飲料水は井戸水、打込みポンプで汲み上げた水を砂、木炭などを入れた桶で濾過し使用していた。特に鉄道の西側地域は地下水の酸性が強く、濾化しても飲料に適したとは言えず、良質な飲料水の確保は開町以来の願いであった。水道施設については幾度か時の有志により計画されたが、様々な事情からなかなか実現されなかった。
(それらの経緯については「郷土をさぐる」第七号市街地の水道≠フ中で記されている。)
昭和三十二年には有志により上富良野町上水道組合が設立され、当時の国鉄用地内の地下水を水源に、簡易水道として市街地に飲料水が供給されて来た。
しかし、昭和四十年頃から地下水の減少や水質に変化が生じ、飲料水の確保に苦労するようになったため、井戸水、打込ポンプ利用者などから町に対して飲料水対策についての要望がなされた。
更に昭和四十二年頃から地下水の減少は著しくなり、冬期の渇水期には一部地域では地下水が枯渇し、町の消防タンク車、散水車や、自衛隊給水車の支援により飲料水を供給するなどの事態が生じた。
又、上水道組合も地下水不足に苦慮しており、この様な事態から、飲料水対策を早期に樹立するよう強い陳情、請願がなされ町議会で採択された。
町においても飲料水不足は住民生活に重大な影響を及ぼすことから、早期に上水道事業を進めることにしたのである。
水 源
上水道事業の実施には水源の確保が重要であり、その水源には河川水、湧水、地下水などがあるが、飲料適で、且つ安定した取水量が可能なことが条件になる。町では水源適地の調査を進めて来たが、本町の主な河川は強酸性の為飲料不適であり、従って湧水などを主体として進められて来た。
当時の町広報紙によると、昭和四十三年十二月定例町議会の一般質問で『水源確保の見とおしは』又、『ベベルイ川の水利用は』との質問がなされ、これに対して理事者は『コルコニウシベツ川のダム設置を調査している。農業用水不足対策として関連せしめて日の出ダムを設置し、水源確保し、一般の簡易水道と、キャンプ内給水を同時に解決するよう進める』、又『ベベルイ川の水を利用することは防衛庁の補助を受けるには演習場を水源とする河川からの水を利用することは、防衛予算の補助対象とならないので、水質は最良だがベベルイ川は水源とすることはできない』と答弁している。
昭和四十四年三月定例町議会で、水源地問題も含めた「上水道事業促進調査特別委員会」が設置され、委員は林財二、西谷勝夫、大柳正二、宇佐見利治、鎌倉周吉、谷与吉、南藤夫、議長の床鍋正則の諸氏で、委員長に林財二氏、副委員長に宇佐見利治氏が選出されている。
特別委員会では、町がこれまで実施した水源地調査資料(コルコニ、臼井地先、ヌッカクシ、中の沢、東中地区の倍本、泉川、五月川、尾藤川)に新たに十勝岳国有林内の湧水の沢、日新地区の香川、白井、藤山地先を加えた中から箇所を選定し現地調査をして検討されたが、倍本を始めとする東中地区については、演習場、農業用水等の関係から不可能であり、臼井地先、日新地区については水量の不足から最終的に湧水の沢を適地として、更に湧水量の調査を行うことと、水利権について土地改良区と協議を行うことなどとして意見の集約を見た。
湧水量の調査については、八月に林委員長も同行して実施され、結果は湧水の沢本流で、〇・一四六?/S、富良野川合流点では〇・五一四?/Sの流量があり、必要予定の水量が確保できることが確認された。
昭和四十四年九月定例町議会には、これまでの調査の結果を受けて、上水道の水源には『諸条件が最も良いと思われる湧水の沢を第一予定地にすべきとの結論をみた』とする特別委員会の中間報告がなされている。
水利権
水利用には水利権を得ることが必要であるが、水源地として予定した湧水の沢川は草分土地改良区が水利権を有しており、上水道として新たに水利権を得るには改良区の同意を要した。改良区では、湧水の沢川は建設中の日新ダムの計画流量に算入されており、水利権の一部譲渡は国営潅漑事業の推進にも支障があるとして難色を示していた。しかし、町の要請により再々協議を重ねた結果、改良区も上水道事業の必要性を理解し、十月に入り草分土地改良区理事長名をもって、次のような回答がなされた。
上富良野町上水道事業水利権同意書について
改良区理事、総代会で協議の上条件を具備して同意する。
                  記
一、伊藤・香川、西野目地先の湧水を全量日新ダムに放流する。
二、白井地先の湧水沢水を全量日新幹線用水路に開渠工で導水する。
三、各施設は上富良野町が維持管理する。
四、上水道の貯水槽は最小一、七六〇?以上貯水可能な施設と、水量観測器を備え付ける。
五、今後農業用水に不足の事態を予期した際は、速かに上富良野町の責任に於いて土地改良区の要請に答える。
これを受けて町は、四の配水槽については、補助事業適用の関係から防衛施設局のヒヤリングの結果、一、二二〇?でなければ不可能なことから、不足分は後年度増設すると回答した。土地改良区もこれを了として、十一月五日をもって次の内容で承諾書が出された。
一、取水箇所  上富良野町字上富良野国有林地一三〇林班
二、取水量   ○・〇四〇八?/S
三、取水方法  集水埋渠
四、使用日的  水道用水
町では、草分土地改良区の水利権取得の同意を得たことから、北海道知事に対して湧水の沢川の「流水使用と河川敷における工作物の設置」の許可申請をし、昭和四十五年二月四日付をもって許可となり、上水道使用の水利権が取得された。又、同時に施設用地として国有林地の貸付申請を行い、取水施設用地三五〇平方米と導水路用地の貸付を受けた。
上水道事業の許可
上水道事業には認可を必要とすることから、昭和四十四年七月コンサルタントに委託し、上富良野町上水道施設基本計画を策定して、富良野保健所に水道事業計画書を提出協議した。更に上水道事業許可申請と併せて、防衛施設周辺整備事業として防衛施設庁の補助の概算要求に必要な事業費算出のための基本設計と、水源予定地の国有林から配水池予定地までの、導水路ルートの測量を委託発註した。委託費は、認可申請作成五百六十七万九千円、工事設計一千三百二十五万一千円、計一千八百九十三万円であった。
上水道事業にあたっての給水区域の設定であるが、市街地には既存の上富良野町上水道組合の施設がありその給水区域について検討されたが、工事を防衛施設周辺民生安定事業として実施すること、将来に向けて安定した水量の確保や、配水管の管理面などからも合併することが望ましいとして、町から上水道組合に対して区域の編入を申し入れた。
組合では区域の編入は上水道組合の解散に繋がることから、編入時に財産の買収や給水管接続などの条件を示した。
町では検討の上、(一)組合施設等(土地及びメーター器「町基準同等のもの」)を一千百五十万円で売収し、更に給水区域を町に編入し、即時加入(給水戸数)四二〇戸に対する奨励金二百十万円、合計一千三百六十万円を、町水道給水開始の際に支払うとして、区域の編入について再度同意を求めた。
組合はこれを受けて十一月に臨時総会を開き、町水道区域への編入、更に給水開始時点で解散するとの議案が提出され可決された。
昭和四十五年三月三十一日付で北海道知事より、上富良野町水道事業による給水開始の時点で、上水道利用組合簡易水道経営を廃止するとの認可が出された。その後給水開始に合わせ、昭和四十七年十二月三十一日をもって給水区域の施設を町に移管して、組合は解散している。
水利権の取得を始め、給水区域の設定などの条件を整備し、昭和四十四年十二月に上水道事業認可申請を行い、昭和四十五年三月三十一日付をもって、北海道知事より上富良野町水道事業経営の認可がなされて、工事着工の運びとなった。
認可申請の水道事業の計画概要は次のとおりである。
[上富良野町水道事業計画書]
1.給水区域
上富良野町の春日区、旭区、常盤区、本町区、西富区、中央区、北栄区、
住吉区の全域及び日の出区、西島津区、島津区、草分区、旭野区、富原区
の一部とする。
給水人口  給水区域内   現在人口  10,892人
        〃     将来人口  12,658人
      計   画   給水人口  12,000人
      普  及  率        95%
給 水 量  計画1人1日量  平  均  200リットル
                最  大  280 〃
                時間最大  420 〃
      計画給水人口1日当 平  均 2,400トン
                最  大 3,360 〃
                時間最大 5,040 〃
2.水道施設の概要      別添のとおり
3.給水開始の予定年月日   昭和48年4月1日
工事と給水開始
工事の概要は、十勝岳国有林地一三〇林班内の湧水を、集水埋渠、集水井を布設して取水し、取水施設からの自然流下により、途中五カ所の接合弁(水圧調整)を経て、一〇、九五〇メートルを導水して
浄水場着水井に入れ、塩素滅菌、配水池を経て再度自然流下で各家庭に給水されるものである。
工事の実施は、防衛施設周辺整備民生安定事業として防衛施設庁の補助を受け、三ヵ年の継続事業で実施することとし、昭和四十四年度に概算要求を行なって補助事業として採択され、昭和四十五年度から工事実施の運びとなった。
昭和四十五年度は、実施設計と取水施設、導水管の埋設三、四〇〇メートルが施工、昭和四十六年度には、導水管埋設七、四〇六メートルと配水池、浄水場の建設が行なわれた。
昭和四十七年度には、配水管三六、一六八メートル、電気計装設傭、消火栓の設置などを施工し、三ヵ年の事業費三億五千万円(内補助金一億五千七百四十万六千円)をかけて、昭和四十七年十二月二十日に完成した。
給水については、本工事と併行して各家庭の給水管工事も進んでおり、十月末までに工事の完了したものからテスト給水を行い、十二月末までには配水管との接続を完了し、給水が可能となった。
こうして永い間の念願であった上水道は、昭和四十八年一月一日から、上富良野町上水道事業として経営を開始した。

機関誌 郷土をさぐる(第16号)
1999年3月31日印刷  1999年4月15日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 菅野 稔