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深山峠 松浦武四郎顕彰之碑

深山峠の起源で少しふれたが、松浦武四郎の足跡を後世に伝えんものと、宮野孫三郎氏、石川清一氏が中心となり、期成会を結成、昭和四十八年十月に建立したものである。碑文には次のとおり記されている。
江戸末期安政年間松浦武四郎は幕命を受け蝦夷地理調査の大使命を帯び、千古不斧の原始林に踏み入り猛獣と戦いつつ遂に此の地に到達し、ここより眺望する富良野盆地を穀倉となることを予言したのである。折も折、十勝岳の一角が大爆発を起し天をもこがす凄しさに、従者で時の酋長クーテンコロは、驚き戦(おのの)き地にひれ伏して神に祈りを捧げたとのことである。
今ここより見渡す美しい田畑植林は、松浦武四郎の先見の明と、我れ我れの父祖開拓の血と汗の結晶の賜である。今十勝岳連峰を望む深山峠にたたずみ、松浦武四郎の偉大なる足跡を偲び心ある人々の浄財により碑を建立し、これを永く後世に伝えんとするものである。
礎石は陸上自衛隊三〇八地区施設隊のご厚意により、高尾明氏の指揮で演習場内の十勝岳から噴出された火山岩を搬出して据えつけられたものである。
敷地は宮野氏の所有地であり、最も見晴らしの良い処に建立した。後年、土地建物一切が上富良野町に寄贈された。
昭和四十八年は深山峠にあっては事業の多い年であり、五月には深山峠開発振興会が発足し、会長には高橋博男氏が選ばれた。事業として田浦博氏の農地三〇アールに、東中の太田信夫氏からラベンダー苗を購入してラベンダー園を造成する。現在は観光協会のラベンダーオーナー園として、面積も一四〇アールと拡大された。また深山峠新四国八十八ケ所の裏参道が出来、仏像の安置がなされた。この作業には開発振興会も大いに活躍した。
また時を同じくして深山峠を標示する看板も建てられ、宮野氏の長男が看板業を営んでいた事から、素材など一切を利益をぬきにして作製していただいた。大型の為に大久保電気商会のクレーン車をお願いして建てたものだが、二十年の歳月を経て支柱が腐食して危険になったので、平成九年振興会の皆さんの労力奉仕により建替え修復されている。
(菅野 稔記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉